3罪人(つみびと)
朱色の瞳に映るは、私。
真っ直ぐに、私の姿だけを捉える瞳。
うれしいと、思った。
それが、憎しみに染まった瞳であったとしても。
私だけを、見つめる瞳。
亡き愛しい人の影ではない、私。
***
松の間は、待つの間。
愛しい人を、待つ部屋。
犯した罪に震え、罰が下るのを待つ部屋。
「お待ちしておりました、銀朱様」
薄桃に小箱を渡した時に、覚悟は決まっていた。
夕鶴はいつもの艶やかな着物ではなく、黒地の着物を着込み、髪を大きく結い上げていた。
念入りに引いた紅も、銀朱の為。
最後に映る姿は、やはり美しくありたい……浅ましくもそう思った。
「夕鶴は、此処におります」
畳に手をつき下げた頭を、ゆっくり上げる。
銀朱に蹴破られた畳は、風を巻き上げ、その場に倒れた。
廊下からは悲鳴にも似た声。
銀朱は、その美しさと共に、強さでも名を知られている。
巻き添えを食らうまいと、必死で逃れようとする遊女。
騒ぎに乗じて、悪さを働く鬼。
百姫楼は、もはや、本物の地獄。
「銀朱さ……」
朱色の瞳が、魅了する。
夕鶴が銀朱に目を奪われた瞬間、力強い手が夕鶴の首元を掴んだ。
そのまま一気に追い詰められ、壁に叩きつけられた。
「何故だ、夕鶴。なぜ……何故、渡さなかったああっ」
銀朱は見下すような目で、夕鶴を見た。見開いたその瞳には、大きく夕鶴の顔が映っていた。
「何故だ、夕鶴っ」
頬を風が掠めた。
銀朱は刀を振り上げ、夕鶴の頬の横、壁に突き刺した。
「……何故、でしょう」
銀朱に手は夕鶴の首元を掴んでいたが、締め付けはしなかった。
小刻みに揺れるその手から、銀朱の心が伝わるようで、夕鶴の胸が痛んだ。
壁に叩きつけられた痛みより、その方が夕鶴には痛かった。
「私は心まで、醜い女なのです。薄紅姉さんの心も知らないで……。勝手に姉さんを恨んで……。どうしようもないっ、醜い女なのですっ」
夕鶴は、初めて銀朱に想いをぶつけたような気分だった。
薄紅が死んでからずっと、銀朱の前では人形のように薄紅を真似て過ごしていた。
身代わり人形。それが、夕鶴にできるただひとつの事だと。
「私は、ずっと銀朱様を慕っておりました。ですから、もう……。銀朱様の手で、私を終わりにして下さい……」
夕鶴の目から、涙がこぼれた。
「この身は……捨て置いて下さい。姉さんのように、喰って欲しいなど……申しませんから」
銀朱の手が緩む。
朱色の瞳が揺れる。
「やめろ、死を望むなど。興が醒める。死を恐れ、慄く姿こそ殺しがいがあるものを」
銀朱の瞳に、また薄紅が過ぎった。夕鶴はそんな気がした。
「銀朱様は、本当に薄紅姉さんを想っていたのですか。想っていたなら、どうして殺してしまったのですか。姉さんには、銀朱様が唯一の心の支えでしたのに……。罪があるなら、銀朱様の方が……重い。どうして、姉さんを殺してしまったのですかっ」
夕鶴は、銀朱を詰った。悪いのは自分、そう思っていた。けれど、時折思う事があった。
どうして、銀朱様は姉さんを殺してしまったのか。
姉さんが生きてさえいれば、小箱を返して……こんな悲劇は起こらなかった、と。
「姉さんを殺したのは、銀朱様。あなたです」
「黙れっ」
銀朱は壁に突き刺した刀を抜き、一気に振り下ろした。
夕鶴の肩から斜めに、斬りつけた。
首を掴んでいた手を離すと、夕鶴の体が畳に崩れ落ちた。
「銀朱さま……」
やっと斬ってもらえた。
これで、この身も罪も消えてしまえるだろうか。
夕鶴は熱くなる目で、銀朱を見た。
「姉さんは、それでも……銀朱様を。この地獄で一番、想っておりました」
涙が邪魔をする。
最後に愛しい人の姿を……下さい。
焼き付けて死ねたら、それだけで良い。
想われる事がなくても、それで。
最後に、銀朱様は私を見てくれた。
それが憎しみでも、構わない。
夕鶴は遠のく意識の中で、僅かに笑った。
仕方ない女、だと。
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