4 熱を残せど
開けっ放しの窓から、暖かい日が差していた。
重いまぶたを開け、ゆっくりと起き上がる。
外は、もう昼。
太陽が高い位置に昇っていた。
「銀朱……さま」
名を呼べど、気配は無い。
昨夜の事を想い、唇に手をあてた。
『陽の気』
それは、私の唯一の頼みの綱。
銀朱様はどうにでもなるとおっしゃったが、私の唇に触れる以上の事はなされない。
陽の気は、鬼にとってどれほどの威力を持っているのだろうか。
今は昼。
私は、太陽の光を浴びに外に出た。
それくらいしか、陽の気を保つ方法が思いつかないからだ。
一階の座敷から外へ出る。
ここから出るのが、一番人目につかない。
とはいっても昼に起きていられるのは私ぐらいで、皆は寝ている。
鬼と交わり人ではなくなると、陽の光にあたることができなくなるらしい。
透き通るような白い肌は、夜に生きる者のしるしなのだろう。
「杏も、もう飽きたなぁ」
『百姫楼』では、食事という習慣がない。
皆、食べないのだ。
『所詮は物の怪。鬼から与えられた力でのみ、生きていけるのよ』
細く長いキセルを燻らせながら、夕鶴姉さんが教えてくれた。
それ以来、私は食べれそうな果物を見つけては口にした。
食べる事で、自分はまだ人間だと。
庭をぐるりと廻れど、目ぼしい果物は見つからなかった。
陽はまだ高い。
私は、庭の勝手口から外へ出た。
咎める人など、ここにはいない。
『百姫楼』を出て歩く。
近くに川が流れており、木々が生い茂っていた。
「冷たっ」
川から水をすくい、顔を洗った。
透き通った水はひんやりとしていて、引き締まるようだった。
両手ですくい上げ、水を飲む。
ごくごくと喉が鳴り、体に染み渡っていく。
私は、喉が渇いていたのだ。
『百姫楼』にいると、つい飲食を忘れてしまう。
「お腹空いたなぁ……」
川辺に腰掛け、空を見上げた。
青い空。
ゆっくりと流れていく白雲。
なんて、穏やかな……。
「うっく……」
涙がこぼれた。
晴れた空の下、私はひとりぼっちだ。
縋れる人も、想い出も。
私は何ひとつ、持ってはいない。
悲しくても、逢いたいと願う人さえいないのだ。
ひとしきり、涙を流した。
陽は、ゆっくりと傾いていった。
暖かかった陽の光も、熱を着物に残すだけ。
辺りは、夕刻へ向けて赤く染まり始めた。
「泣かないで」
まだ、夕刻前。
こんな時間に誰がいる。
私は、うつむいていた顔を上げた。
「泣かないで」
困ったように、悲しい顔をした少年がそこにいた。
どこか懐かしい。
鬼とも物の怪とも違う、血色の良い肌をしていた。
「黒い……」
『百姫楼』では見たことの無い、小麦色の肌に私は思わず呟いた。
彼は、もしかして人間なのだろうか。
「あ、あの」
声を発した瞬間、塞がれた。
暖かい陽の匂い、伝わる鼓動。
繋がった唇が、熱い。
何が起こったか、わからなかった。
気付いた時には、彼は私に口づけていた。
「思い出して」
彼はゆっくりと私の唇から離れ、そう言った。
『思い出して』
彼の声が、頭に響く。
彼は、誰。
闇が、遠くから見てる。
彼を見ようと目を凝らせど、闇はそれを許さない。
静かに忍び寄り、私と彼の間に蔓延る。
「思い出して」
もう一度、声が聞こえた。
彼の姿はもう見えない。
『闇がくる』
私は、走り出した。
鬼は、闇と共に現れる。
早く隠れないと、喰われてしまう。
『百姫楼』の外は、百鬼夜行の通り道。
痛む心臓を押さえ、走った。
今、はっきりわかった。
諦めたように生きていても、私はまだ死にたくはないのだと。