表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/56

       6 鬼の心

百姫の中にも、鬼がいる。

古参の女将、『百姫楼』の仕切り役。


戯れに、休みをおくれと言う私。

女将は鼻で笑って言った、怠けちゃいけない。


具合が悪いと言えば、また笑う。

物の怪だからわずらいはしない。

力が足りなきゃ、鬼と交わり分けてもらえ。と。


じゃなきゃ……恋煩い。


女将はキセルを叩いて笑う。


「いいかい、薄紅。鬼を想えど、待つは地獄」


「何を……。鬼は憎めど、想いなどしないわ。それにこ、この遊女の末路は地獄」


余程、愉快なのだろう。

女将の釣りあがった目が、下がっている。

下品に歪んだ口元に、広がる笑み。


「言うねぇ、薄紅。でも、あたしゃ知ってるよ。鬼に想いを寄せる遊女を。ここは、攫われてきた女の遊郭。例え嘘でも、すがる心の弱さかねぇ。体開いても、心開いちゃいけないよ」


「……想いを寄せて、鬼になった遊女もいるのかしら」


含んだ顔で、女将に問うた。

女将が遊女だったのは、周知の事実。

女将は急に興味を失ったかのように、キセルをくわえた。


「さあて、いなくなった遊女の話は禁句。薄紅、さっさと上へお上がり、客が来るよ。部屋付き遊女のあんたが、下で客でも引くのかい」


長い着物の裾を引きずり、階段を上がる。

別に休みが欲しかったわけじゃない。

ただ、誰かと話していたかっただけ。

銀色の鬼の残した余韻を、忘れたかっただけ。


「そう言えば、変な客がいるんだよ。女の顔だけ見て帰っていく。ありゃ惚れてるね。他の女に見向きもしない。変わった鬼だよ。銀色の綺麗な顔してさぁ」


女将は、私の方など見ずにそう言った。

どこか、ぼんやりとした煙を吐きながら。


「まぁ、上の階の薄紅には関係ない事さぁ。あんたは黒紅様に囲われてるんだから。……ただの世間話だよ」


私は、歩みを進めた。

きしむ階段の音が、今日はやけに胸に響いた。

ただの世間話。

やはり年の功、女将はわかって私にそう言ったのだ。


銀朱……。


どうしてあの鬼は、私を惑わす。

まだ、たった三度しか逢っていないというのに。


「皮肉ね」


部屋には、見事な桜の襖絵。

眺めているだけで、あの鬼を思い出してしまう。


私は窓の方へ行き、夜風に吹かれた。


……名前など、教えなければ良かった。


闇に灯り。

百姫楼の庭の灯篭に、火が灯った。

橙色の映し出す、庭の花木。

赤い花は、より妖艶に映る。


「青い……」


庭に浮かぶ、青炎の光。


「銀、朱……」


銀色の髪が、炎の光を受けて青く透けている。

真っ青な、銀朱。

何も告げず、ただそこに立っていた。


「……見ないで」


そんな目で、私を見ないで。

私は、あなたの事など想っていない。

ここでの生活に、少し心が弱くなってしまっただけ。

だから、もう構わないで。


目を逸らしてしまいたかった。


でも、出来なかった。

あんな風に真っ直ぐ私を見つめる人なんて……あの人以外、いないと思っていたのに。

見ないでと、何度も願った。

目が逸らせない。

私の目が、あなたを追ってしまうから。


階下のざわめきなど、聞こえない。


気が付いた時には、いつも遅い。

黒い鬼は、私の背後から忍び寄る。


「声を。聞かせてやるが、良い」


窓際に私の体を押さえつけ、黒い鬼が後ろから攻め立てる。

こんな行為に、どんな意味がある。

鬼に心など、無いだろうに。


……銀色の鬼は傷つくのだろうか。


「……黒、紅さまっ。鬼にも、心はあるのです……か」


嬌声を上げぬよう、話かけた。

黒い鬼は、冷たい目をして私を見下す。


「心とは、何や。そんなもん……知らん」


……だったら、良かった。


私のせいで傷付く人など、いない方が良い。


目を閉じた。

黒い鬼を怒らせてはいけない。

私は、ただ快楽に身をまかせてしまえば良い。


「……心かぁ。薄紅、お前にはあるのか。あるのなら、俺に渡せ。お前のもんなら全て、手にしても飽きたらんわぁ」


どこまでも、私を食い尽くす鬼。


「心なら、とうに亡くしてしまったわ。私の心は、私が愛した世界に……置いてきたわ。ここに在るのは、私の抜け殻」


閉じた瞳に、潤む涙。

見たくないのに、潤んだ視界に青い光がちらつく。


黒い鬼は、笑っていた。

牙を剥き出して。


「折れんなぁ。お前は健気で美しい、薄紅。なぁ、どんな気分や。お前は俺が憎くて堪らんのやろ」

「……憎んで、など」


銀朱は、見ているのだろうか。

夜風が肌に冷たい。


「ええんよ、薄紅。憎しみでも、恨みでも。お前が俺を想うなら、何でも」


背中に、黒い鬼。

動きを止め、私の肌に顔をうずめた。

いつも、残酷な黒い鬼。

軽い口調で、私を脅す。

なのに……。

今の言葉は、何。


私には、やはり心が無いのだろう。


黒い鬼の告白は、私には響かない。

背中に感じる感触さえ、煩わしい。


銀朱は、もう私に逢いにこないだろう。


冷たい夜風が、吹く。

抜け殻の様な私を通り過ぎ、何処いずこへ向かって吹く風。


私は、それからも黒紅に繋がれたまま。

銀朱に逢わぬ様、庭へ行く事もなくなった。


窓から外を眺める事すら、しなくなった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ