14 百姫牢
「……平気か」
ひんやりとした掌が、私の頬を覆った。
姉さんが問うたのは、頬の痛みかそれとも……。
「……平気なの、か」
頬を打たれたのは、私。
なのに……。
「可哀相な、薄桃」
一筋の涙が、姉さんの瞳からこぼれた。
初めて見せた、涙。
私の事を、憂いて流れるしずく。
姉さんは、知っているのだ。
ここに来た女の、行く末を。
姉さんが辿ってきた、道。
私がこれから辿るであろう、運命。
「聞いてくれるか、薄桃。ここに来た女の話を。私と……」
「……薄紅姉さんの話を」
薄紅。
その名を聞くと、胸が騒ぐ。
私に良く似た、名前。
美しく、銀朱様のお気に入り。
銀朱様に……。
……喰われた女の人。
「夕鶴の名前は、薄紅姉さんに頂いたものなのよ」
一筋の涙を拭い、夕鶴姉さんの昔話が始まった。
私がこの世界に来る、少し前の話。
「元の世界がどんなだったか、もう憶えてなどない。鬼と交わり不老を手にしたとて、所詮は物の怪。人間の心など、遠の昔に無くなってしもうた」
両手をそっと胸元へ、慈しむような顔でその手を胸に当てた。
「けどな、今でも痛むんよ。薄紅姉さんを思い出す度に。ちくり、ちくりと、心が痛むんよ」
「……薄紅さんを、亡くしてしまったからですか」
銀朱様に喰われた、薄紅さん。
「違うのよ、薄桃。あれは銀朱様が悪いのではないの。弱くて、卑怯で、嫉妬の塊だった私の……。愚かな心が引き起こした、悲劇だったのよ」
胸に当てた手が、震えている。
そこには、いつもの穏やかで凛とした姉さんはいなかった。
後悔や、悲しみ、畏れ。
複雑な感情が、交差していたのだろう。
「ごめんなさいね、薄桃。薄紅姉さんに良く似た、可愛い私の妹。私は……薄桃には、嫌われたくない。許しておくれ。これ以上……聞かないでおくれ」
「姉さん……」
小刻みに震える肩。
私は、姉さんを抱きしめた。
この世界で私の面倒を見てくれた、姉さん。
私の支えになってくれた、姉さん。
震える体が、思っていたより小さくて……切なかった。
「これだけは憶えていて。銀朱様は、誰の事も見ない。あの方が想っているのは。唯一人。薄紅姉さん、一人だけ」
「そんな、事……」
悲しすぎる。姉さんは銀朱様を想っているのに。
……誰も報われない。
目から、涙がこぼれた。
いつの間に溜まっていたのだろう。
一筋流れ、また一筋。
涙が、流れていく。
「仕方ないのよ。これは、私が受けた罰。銀朱様は私を抱く時、薄紅としかお呼びにならないの。私は所詮、身代わり人形」
心が痛い。
私には受け止める事ができない、愛憎。
「だから、薄桃。銀朱様を、想ってはいけないよ。銀朱様は薄桃を通して、薄紅姉さんを見ているのだから」
鬼を想えど、待つは地獄。
……違う、そうじゃない。
此処は『百姫楼』
女の牢獄『百姫牢』
末は地獄。