表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/56

      13 籠女(かごめ) 

夢を見ていた。


銀朱様の背中。

黒地の着物に、銀糸の刺繍。


「愛しい、愛しい、私の薄紅うすべに


銀朱様は、手鞠模様の着物を抱いている。

畳には赤い布団。

解かれた帯や、襦袢が淫らに散乱している。


「……銀朱さま」


名を呼べど、振り向かぬ。

まるで、私の存在などないようだ。


「愛しいなぁ」


ぴちゃぴちゃと、水音が聞こえる。


……見てはいけない。


危険だと、五感が訴えている。

なのに体は、銀朱様へと近づいていく。


覆い被さっている背中。

下から上へ、上から下へ。

銀朱様の頭が揺れている。

舐め回すように、ゆっくり、ゆっくりと。


「いやあああああ」


その光景の陰惨さに、私は声を上げた。


私の叫び声など、誰にも聞こえない。

淫靡いんびな世界。

ぴちゃぴちゃと、響く水音が卑猥ひわい


「美味しいなぁ、薄桃」


振り返った銀朱様。

右手には、もがれた女の白い腕。

深紅に染まるは……。


赤い布団は、何故赤い。

紅を引いた、銀朱の唇。

染めたのは……。


女の血塗ちまみれの指。

愛おしそうに頬ずり、しゃぶりつく。

銀朱の口の端から、漏れる女の血。


鬼は、恐ろしい。


血に塗れても、なお。

色香の漂う、美しさよ。


***


「いやああああっ」


叫び声で、目が覚めた。


「ゆ、ゆめっ……」


私は、うなされていたようだ。

高鳴る心臓、針のように額に張り付く髪。

こめかみにある水滴は、汗なのか涙なのか。


「怖かったぁ……」


鮮明に蘇る、映像。

夢の中で銀朱様は、人を喰っていた。

あれは、きっと見たことも無い薄紅さん。

私の妄想が見せた、夢。


黒紅様から話を聞いたせいだろう、こんな夢をみたのは。

しかも喰われたのは薄紅さんなのに、いつの間にか私に入れ替わっていた。


「……悪夢だわ」


額の汗を拭い、呼吸を整えた。

昨夜のお酒のせいだろうか、頭が重い。


障子から、西日がこぼれていた。

私は、夕鶴姉さんの部屋で寝ていたようだ。


「嫌だ」


忘れたくても、昨日の情事が頭にこびり付いている。

好いた人の前で、他の人と交わる姉さん。

あの嬌声は何だったのか。

嫌だと叫んだはずなのに……。


『良い』


姉さんの口から漏れた声。

それは確かに『良い』と聞こえた。


「嫌だ、嫌だっ」


妄想を振りほどくように、重い頭を振った。

何も知らず、無神経に差し込む西日。

私は立ち上がり、障子を開けた。


「もう、夕刻なの……」


行かなくちゃ。きっと、少年が待ってる。

私は、急いで着物を調えた。

今の私には、少年が命綱に思えた。

この異常な世界に飲み込まれていく私の、唯一の光。


「何処へ行く、薄桃」


「……姉さん」


生気を取り戻し、凛とたたずむ姉さん。

好いてもいない人と交わり、なお美しい。


「話があります。其処へお座りなさい」


有無を言わせぬ、姉さんの口調。

只事ではない雰囲気に、私は大人しく従った。


「姉さ……」


声を掛けようとした時、すっと襖が開いた。


「話したのかい。夕鶴」


女将だ。

姉さんが首を振ると、女将は私の目の前に座った。


「めでたいなぁ、薄桃」


女将はいつものせっかちな話し方とは違う、ねっとりとした口調で話しかけてきた。

胸の前で、手を揉みながら薄笑いを浮かべていた。


「もう、屋根裏で寝なくていいんよ。隣の……若竹の間を使い」


「それは……」


ここは松の間、夕鶴姉さんの部屋。

私に、部屋が与えられる。

それは……。


「良かったなぁ、薄桃。銀朱様が、お前の馴染みになってくれるんやって。屋根裏から、えらい出世や」


饒舌な女将。

せわしなく、動く手。

ケラケラと笑い、手を打ったり揉んだりまねいたり。


「やだよ、聞いてんのかい」


反応のない私に、女将が詰め寄る。


「お前、まさか……」


張り詰めた空気の中、弾ける様な音が響いた。

気が付けば、私は右下を見ていた。


「客を取るのが嫌だって言うのかい」


左の頬が熱い。

そうか、私は女将に頬を打たれたんだ。


「自分だけ特別だとでも思っているのかい。思い上がるんじゃないよ。ここの遊女を見てごらんよ。皆、別々のお国言葉を話しているじゃないか」


女将は立ち上がり、手を握りしめている。

よほど、怒っているのだろう。


「あたしらの時代の遊女は皆、ありんすなんて廓詞くるわことばを使ったもんだよ。ここの遊女はどうだい。ここは人間世界じゃないんだよ、出生を隠す必要があるのかい。ありゃしないよ。皆、攫われてきた人間なんだから」


私は、何も知らなかった。

ここは、物の怪の遊郭ではなかった。


「年季も明けない。身請けも無い。逃げて鬼に喰われるか、鬼と交わり不老になるか。はたまた、恨みを積み重ねて鬼になるか」


女将は、扇子せんすを取り出しあおいだ。

遊女だった女将。

長い時間の中で、恨みを積み重ねていったのだろうか。

深いため息の後、まるで他人事のように話を続けた。


「快楽の中でのみ生きていける。止めてしまえば、枯れて死んでしまう。全く、悲しいのぉ」


ぴしゃりと扇子を掌に叩きつけ、閉じた。


「ここは『百姫楼』。捕らわれた女の地獄。籠の鳥なら鳥らしく、愛でてもらうが幸せか」


女将は笑っていた。

部屋を出た後も響く、笑い声。

残されたのは、姉さんと私。


打ちひしがれた、籠の鳥。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ