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異端武術白書   作者: 流浪の空手マン
3/3

act.2 『空手』

この作品に登場する団体、組織は一部架空の物ではありませんので勘弁してください。

嘘、誇大表現も含まれます。なにが、とは言いませんが。

「暑い」


今、世間は夏真っ盛り。


人の生きる環境ではない。

私はこれでも武術家のはしくれなので、戦略的撤退を選択しようと思う。


取り敢えずコンビニで涼もう…



ふと横を見ると、業務用扇風機が唸りを上げてフル稼働している向こうで子供達がなにかを習っていた。


あれは、空手か。


空手は良いぞう。


いかん、頭が回らなくなってきた…



私は一番近いコンビニに駆け込む(主観的には)と、取り敢えず麦茶を手に取った。


手に持ち、腕を組む振りをしてペットボトルを抱える。これで体温を冷却出来よう。雑誌コーナーをプラプラしていると、売れ残りなのか他の雑誌よりも多い冊数で空手の専門紙があった。

この辺は空手の道場が近いから置いてるのだろうけど、雑誌を買うほどではないのかね。


空手、か。



私が最初に習った『武術』も、空手だったな。






『空手』は、今では世界的に有名な()()だ。


諸説はあるものの、中国武術の『白鶴拳』が源流とされている。

諸説、とは、元となった武術が少林拳であったり、他の中国南派拳法であったり、はたまた琉球王家家伝拳法であったりと、発生した地域の性格なのか様々な武術から摘まみ食いしたような流派も珍しくないからだ。


その為、型(構えや動きのテンプレート)が似ているだけで、その活用や応用が全く異なる場合も有る。


個人的には、立ち技であれば空手を名乗っても良いんじゃないかと思うくらいには多種多様である。



私の知る限り、『拳を握らない』流派もある。

この流派、かなり実践的で他流試合に向かず、他流派からは『あちらと試合すると痛い』と敬遠もされる程だ。

なまじ空手を齧った者が、拳を握らないと言う言葉だけで相対すれば痛い目を見る。


その流派の名は『上地流空手』


徹底的に筋骨を鍛練し、全身を武器化させるとんでもない流派なのである。


私が学んだ、『武術』の空手だ。






『武術』と『武道』の違いは前回のコラムで紹介したと思う。

果たして、空手はどちらなのか。


現代空手は基本的には『武道』である。

それは現代において、戦術論理や戦闘メソッド等が必要とされなくなった結果、時代に合わせて変化しただけに過ぎない。

無論、今でもそれらを残した『武術』の空手も存在するし、流派を立てた指導者によっては現代戦を想定した現代武術空手の在り方を模索する方も居る。


ただやはり、一般的な空手は『武道』なのである。

武道とは何なのか。

それは文字通り、『(すべ)』ではなく『(みちびく)』もの。


武術から戦術論理や戦闘メソッドを省きつつ、人と人の関わりを補助するコミュニティとしての役割を活用することで若い世代を保護し、教育していく。


それが私の考える『武道』の在り方だと感じた。


コミュニティとしての空手は、スポーツとしての側面を持ちつつ、学童保育のような共同体としての面もあるため、日本の教育制度と相性がよかった。

社会性を育むと言う面で、学校と武道と言うのは共存出来たのだ。

故に部活として定着し、それは学校教育課程を修了した後も社会人クラスとして世間に浸透したのである。


他人との関係性が乏しくなった現代、『武道』としての空手は、現代人が人と触れ合うことで充実した人生を送るための、大事な『(みち)』なのかもしれない。






と、頭で次のコラムの内容を纏める。


『武術空手』のコラム?


エグすぎて出せねぇなぁ…


小話的なものだったら有る。


戦後の沖縄で、武術だけでは食べていけない。

では道場主等は普段何をして生活していたのか。

それはタクシー運転手やバスの運転手である。食堂を経営していた方も居たが、やはり時間的な融通が付きやすいのはタクシー運転手なのであろう。


戦後の沖縄は混沌としていて、当時の米兵にタクシー運転手が襲撃されることもあった。

その為、タクシー運転手のコミュニティで護身のために空手が流行したことも有った。


私の知っている指導者も、タクシー会社に空手を教えた一人だった。

かの方は一度、三名の米兵に襲われた事が有るそうだ。背後から鉄警棒で殴られ、現金を奪われたのだ。

頭から血を流し、脳震盪で揺れる視界のもと、車外に逃走した三名を追跡し、一人は逃したものの、うち二名を顎の骨が砕けるまでボコボコにしたらしい。

警察に『やり過ぎだ』と怒られた、との談。



他には、他の道場主の話になるけども、昔酒場で絡んできた2メートル近い米兵の膝の皿を割って泣かした、とか、門下生をボコボコにした米兵集団がビーチで酒盛りしてたので、日が落ちて暗くなってから複数人数で襲撃してボコボコにした、だのと中々物騒な武勇伝がポンポン出てくるのも地域柄なのか。


先のタクシー会社の話に近いのもある。

昔の沖縄のタクシー会社は、ケツモチがヤクザであることもあった。

その流れで、ヤクザに空手を教える道場主も居たらしい。

まぁ、昔は地域ヤクザは人情と仁義があったからかそこまで忌避されていなかったのかもしれない。

ヤクザの中からも、かなりの使い手と言える人物も居たそうだ。


そして始まる大陸系マフィアとの抗争。


振るわれる青竜刀に、トンファーを巧みに使い制圧するカラテヤクザ。そして嬉々として六尺棒で参戦する道場主。


そんな場面があったのかもしれない…





コンビニから出て、いつも通りの場所へ向かう。

現代社会の類いまれなる戦略(クーラー)に屈伏している武術家としては、これは戦略的撤退と言えなくもない。はよ涼もぅ…



いまでは空手はオリンピックの種目にもなる程普及している。

先ほどの日中から空手を習う子供たちも珍しくない程に、だ。


…ん、日中に子供?


あ、今日は日曜だったのか。

いかん、物書きは締め切りがないと曜日感覚が曖昧になってしまうな。


まぁつまり、だ。

『武術』がどうとか、どちらが優れているとか、空手の実戦性であるとか、そういった諸々は本質じゃ無いんだ。


常に時代に合わせて、物事は変化していく。その時、その風土に合った物へと。

そう、()()()()は受け継がれる。


そして空手は、変化しながら受け継がれていく。


故に空手は『いいもの』だと。



私の中に根差す空手のきらめきは、私の武術に対する興味の原点だ。

また空手を習ってみるのもいいかもしれないな。



照り注ぐ日差しのなか、少し気持ちが浮上した私であった。






ご拝読ありがとう御座いました。

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