第12話 幼い日のわたし! 何を口走っているのですか!? 大人になってからでは精神的ダメージが桁違いなのですよ?
魔獣の群れを撃退したヘンリーは、リコリスの眼前に着陸した。
しばしの間、無言で見つめ合う2人。
「……帰るぞ」
ひと言だけ発すると、ヘンリーは自らのマントを外した。
それを用い、冷えきったリコリスの体を包み込んでしまう。
先程ローラハウンドの返り血を浴びたはずのマントは、元の純白へと戻っていた。
教会聖騎士のマントは浄化魔法が付与された魔道具となっており、放っておいても短時間で汚れが落ちてしまうのだ。
「いいえ、旦那様。わたしは元リスコル公爵領に行き、戦争のもたらした惨禍をこの目に焼き付け……」
「そんなものは、我が家のメイドがする仕事ではない」
ヘンリーは言い放ち、リコリスを横抱きに抱えてしまう。
そのまま大地を蹴り、2人は夜空へと飛び立った。
「凄い……。これが『黒鷲』、ヘンリー・レーヴァテイン騎士団長の飛行魔法」
「先程、魔獣との戦いを見ていただろう? それに、今日が初見でもあるまい」
「そうでしたね。13年前もこうやって、空から助けに来て下さったのでした。抱えて飛んで下さるのは、今回が初めてですが」
「そうだな。……リコリス、寒くはないか?」
「旦那様のマントと風よけ魔法のおかげで、全然寒くありません」
――それにいつも、あなたの腕の中はとても暖かいから。
リコリスは思うだけで、口には出せなかった。
いつだってそうだ。
公爵令嬢時代は、実家の爵位が高すぎて。
そして今は逆に身分を失ってしまったせいで、口にすることができない。
「あなたをお慕いしております」と。
「どうしていきなり、私の前から姿を消した?」
問い詰めてくる黒曜の瞳は、怒っているというよりは悲しそうだった。
「だって……わたしが傍にいると、旦那様はレオン様を失ったことを思い出して傷付くから……」
リコリスは顔を背ける。
反逆者の娘、リコリス・リスコルの顔をヘンリーに見せないように。
「マサキゴッド子爵令嬢から、何か言われたのか? 別に君が、レオンを殺したわけではあるまい」
「でも! 父が起こした反乱のせいで、レオン様は……」
「なあ、リコリス。君はレオンの最期について、話を聞いているか?」
「ええ、噂で」
「私は、実にアイツらしい最期だったと思っている」
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戦場となった、とある小さな街。
反乱軍をあらかた片付けた剣聖レオン・ノートゥングは、味方の生存者や逃げ遅れた住民を探していた。
そこへ飛び出して来た、小さな女の子――
戦で両親を失った、戦災孤児だった。
抱きかかえ、保護しようとしたレオン。
その瞬間に反乱軍生き残りの剣が、無敵であるはずの剣聖を貫いた。
戦災孤児の女の子もろとも。
レオンは妻である聖女アナスタシアから、高度な回復薬を渡されていた。
だがそれを全部、戦災孤児の女の子に使ってしまったのだ。
こうして歴代最強と言われた剣聖レオン・ノートゥングは、戦場に散った。
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「アイツは……レオンは強かったが、やはりいつかは戦場で死んでいたと思うのだ。今回の反乱がなくても、どこか別の戦場で……誰かを庇ってな。そういう男だったんだ」
暗い夜空を飛び続けながら、ヘンリーは瞑目した。
リコリスも13年前に会ったレオンを思い出し、胸がキュッと締め付けられる。
当時のレオンはまだ剣聖ではなく、ただの若手聖騎士。
屈託のない笑顔が魅力的な、明るい青年だった。
「君がどんなに自分を傷つけ罰しようと、レオンはもう戻ってこない。リスコル公爵の反乱で死んだ、大勢の人々もだ」
「でも……! でも……!」
「最初に言ったはずだ。『私に仕えて償え』とな。……いや、本当は少し違う。私は傍にいて欲しかったんだ。君を見ていると、レオンを失った心が癒える」
それはマサキアーヌ・マサキゴッド子爵令嬢が語ったこととは、真逆の真実だった。
「そんな……嘘……。ぬか喜びさせないで下さい。マサキゴッド子爵令嬢から聞きました。聖騎士団の団長執務室で、独り言をおっしゃっていたのでしょう? 『やはりあの時、あの娘を許すべきではなかった』と……」
「あのご令嬢は、そんなことまで聞いていたのか。……リコリス。独り言の『あの娘』は間違いなく君のことだが、『あの時』というのは13年も前の話だ」
「……へっ?」
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13年前――
リスコル公爵は娘のリコリスを引き連れ、聖都ミラディアを訪れていた。
当時の聖都は治安が悪く、公爵が自領から連れてきた護衛だけでは不安があったのだ。
そこで教会聖騎士団から派遣されてきたのが、当時若手聖騎士だったヘンリー・レーヴァテインとレオン・ノートゥングである。
彼らの任務はリスコル公爵のタウンハウスに泊まり込み、追加の護衛要員として公爵とその娘を守ること。
当時のリスコル公爵は反逆者などではなく、堅実に領地を経営する敏腕領主。
教会からの信頼も厚く、重要な護衛対象だった。
とは言っても公爵はほとんどタウンハウスにこもりっきりで仕事をこなし、教会本部に顔を出して報告をするのは数回だけ。
聖騎士が2人も睨みを利かせている以上、聖都滞在中に襲撃を受けたりする可能性は低かった。
問題は娘のリコリスが、タウンハウスに押し込められる生活に飽きてしまったことだ。
好奇心に火が付くと周りが見えなくなる性格は、7歳の頃からすでに形成されつつあった。
彼女は与えられた自室から脱走し、1人で聖都見物に飛び出してしまったのだ。
部屋は、タウンハウスの2階に位置している。
しかし幼女リコリスはカーテンを繋ぎ合わせてロープ状にし、世話役メイド達の目を盗んで伝い下りたのだった。
「ひゅ~! お嬢ちゃん、やるじゃねえか。まるで極東の島国にいるっていう諜報員、『ニンジャ』だぜ」
不謹慎にニヤつく後輩レオンを、先輩のヘンリーは真面目に窘めた。
「感心している場合か。一刻も早く、リコリス嬢を探し出さなければ」
「頼んだぜ! 先輩!」
「なぜ、私が1人で行く前提で話す? 先輩をパシらせる気か?」
漫才のような掛け合いをしていた2人だったが、急にレオンは真顔になった。
「2人同時に、公爵の傍を離れるわけにはいかねえだろ? 状況から見て可能性は低いが、リコリスお嬢ちゃんは誘拐されてエサにされるってこともあり得る。本命は手薄になったタウンハウスに押し入り、公爵を暗殺って線も捨てきれねえ」
いい加減なように見えて頭の回転が速い後輩に、ヘンリーは舌を巻いた。
この男は、いつも自分の先を行く。
状況判断においても、剣の腕前においても。
当時のヘンリーはレオンに対し、嫉妬と焦燥感を抱いていた。
「それによ、先輩には飛行魔法があんだろ? 捜索係には適任。……というわけで、行ってらっしゃ~い」
呑気に手を振るレオンに、苛立ちを覚えるヘンリー。
だが今は、余計なことを考えている場合ではない。
「黒鷲」は、窓の縁に足を掛けた。
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一方その頃、リコリス(7)は路地裏で暴漢に囲まれていた。
身なりの良い服装は、どう見ても貴族令嬢か金持ち商家の娘。
それがたった1人で出歩くなど、攫って下さいと言っているようなものだった。
暴漢達の正体は、人攫いを生業とするプロの誘拐犯である。
そんなプロの誘拐犯達だったが、リコリスの確保にはなかなか苦労させられていた。
まずリコリスは7歳児にしては足が速く、動きも俊敏。
頭もよい。
道端の樽をひっくり返したり、立てかけてあった木材を倒しては、誘拐犯達の足を止めさせる。
だがそんなリコリスも、追い詰められていた。
地の利は、誘拐犯達にあるのだ。
知らない道を逃げるうちに袋小路へと誘導され、彼女は逃げ場を失っていた。
「このガキ! 手間を取らせやがって!」
怒りで形相を醜悪に歪ませながら、誘拐犯の1人が手を伸ばしてくる。
壁を背にして、震えることしかできないリコリス。
だがそんな彼女と誘拐犯の間に、空から白い影が降り立った。
聖騎士、ヘンリー・レーヴァテインである。
「リコリス嬢、お怪我はありませんか?」
コクコクと頷くリコリスを背中に庇いながら、ヘンリーは誘拐犯達に向き直った。
その姿は彼女が絵本で読んだ、お姫様を助ける騎士様そのもの。
あとはもう、一瞬だった。
鞘に納めたままの剣を振るい、誘拐犯達を叩き伏せていくヘンリー。
20秒もかからずに、10人いた賊は全て捕縛された。
「すごい! すごい! ヘンリーさま、カッコいいです!」
無邪気にはしゃぐリコリスに、ヘンリーは押し殺した声で釘を刺す。
「リコリス嬢。あなたが勝手にタウンハウスを抜け出したせいで、お父上も世話役のメイド達も、大変心配しています。もちろん、私も心配しました」
「あ……!」
指摘され、ようやくリコリスは自分がとても悪いことをしたのだと気が付いた。
「無事で良かった……。しかしお父上からは、叱っていただかねばなりますまい。これだけのことを、しでかしたのですから」
シュンとして、元気がなくなるリコリス。
父親から叱られるのが怖いのだろうとヘンリーは解釈したが、それは違った。
「おとうさまは、わたしをしかってはくれません。おかあさまがなくなってからのおとうさまは、わたしにきらわれるのがこわいみたい」
まだ7歳のリコリスが、父親をそんな目で観察していることにヘンリーは驚いた。
「わたし、こわいです。このままだれからもしかられなかったら、わるいこにそだってしまうかも?」
「そんな風に考えられている時点で、あなたはとても良い子です。それに公爵閣下も、今回はさすがに怒ると思いますよ? 厳しいお仕置きを、覚悟しておくことです」
「そうでしょうか……? おとうさまは、わたしにあまいから。……そうです! ヘンリーさまが、わたしにおしおきをしてください」
いきなりのお仕置き希望宣言に、ヘンリーはガクッと膝を折る。
冷静沈着と評される彼にしては、非常に珍しいリアクションだった。
「お仕置きと言われましても……」
「はとこのおにいさまは、おべんきょうをおサボりしたときにおしりをペンペンされたそうです。わたしにも、そうしてください」
そんな真似、できるわけがない。
ヘンリーは一介の聖騎士。
相手は子供とはいえ、公爵令嬢。
公爵に知られたら、首が飛ぶかもしれない。
もちろん、物理的な意味でだ。
「そんなことは、できません」
「え~っ! しかっていただくなら、おとうさまよりヘンリーさまがいいです。ヘンリーさま、おねがいします。どうかわたしに、おしりペンペンのおしおきを」
リコリスは諦め悪く、ヘンリーの腕へと縋りついた。
まだ子供ゆえに微笑ましい光景で済んでいるが、娘を溺愛している公爵に見られれば不興を買うかもしれない。
「分かりました。そのうち。そのうちにお仕置きして差し上げますから、今は手を離して下さい」
「ぜったいですよ?」
その場では、離れてくれたリコリス。
だが彼女はタウンハウスに戻ってからも、ヘンリーにベッタリだったのである。
「ヘンリーさまはすごい! ヘンリーさまはカッコいい」
そう触れ回ってはしゃぐリコリスは、非常に可愛らしい。
そんな彼女の姿を見て、ヘンリーは自分の心が晴れていくのを感じていた。
ついつい自分とレオンを比較し落ち込み気味だったが、開き直れたのだ。
ヘンリーのことを手放しで褒めてくれる、小さな天使のおかげで。
今リコリスはヘンリーの膝に寄りかかり、すうすうと寝息を立てていた。
「ごほんをよんでください」とねだられ、読み聞かせているうちに眠ってしまったのだ。
そこへ通りかかったのが、後輩レオンである。
「よう、先輩。モテモテじゃねえか」
「恐ろしい冗談はよせ。公爵に聞かれたら、大変だ」
「公爵令嬢だろうがなんだろうが、知ったこっちゃねえよ。10年ぐらい経ってイイ女に育ってたら、力づくでかっ攫って嫁さんにしちまいな」
「無茶を言うな。それに10年もしたら、私のことなど忘れているさ」
「そりゃあどうかな? とにかく俺は、嬉しいぜ。先輩の凄さを語り合える、仲間ができたんだからよ」
リコリスのおかげで晴れていた心に、さらに陽の光が差したような気がした。
レオンがちゃんと自分を認め先輩として慕っていてくれていることに、ヘンリーはようやく気付けたのだ。
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「えっと……。つまり旦那様が『やはりあの時、あの娘を許すべきではなかった』とおっしゃっていた意味は……」
「幼い頃の君が望んだ通り、尻を叩いて厳しく罰するべきだったと反省しているのだ。結局リスコル公爵は、君を叱らなかったしな。おかげで暴走癖のあるジャジャ馬公爵令嬢、破壊者メイドに育ってしまった」
「そ……それでは常日頃からわたしが、旦那様からお仕置きを受けているのは……」
「13年前に、君自信が望んだことだな。私の方も、『そのうちにお仕置きして差し上げます』と約束してしまったのだ。約束は果たさねば」
キリッと、真面目な顔で答えるヘンリー。
リコリスは時間を巻き戻す魔法か魔道具を発明し、幼き日の自分の発言を止めに行きたい気分だった。