第11話 ひとり旅は、とても心細いです。ヘンリー様に会いたい……。いえ、魔獣さん達はお呼びではありません
薄暗い空の下――
聖都ミラディアの西地区には、小雨がしとしと降り続いていた。
メインストリートから離れた裏通りを、1人の女が歩いている。
撥水性のある素材で作られた、厚手のローブ姿。
だがその下に着ているのは、メイド服だけ。
長旅に備えて頑丈なブーツと厚手のローブを購入してしまったため、中の服までは買い揃えるお金がなかったのだ。
女はフードを目深に被り、顔を隠している。
ローブの隙間からわずかに覗く、張りのある肌。
若い女であることは、明らかだった。
レーヴァテイン邸を飛び出してきた、リコリスである。
周囲を見渡しながら歩いていくと、傷病者や浮浪児の数が多いことに彼女は気付く。
父であるリスコル公爵が起こした反乱の――戦争の影響によるものだった。
思わず目を逸らしたくなるが、リコリスは唇を嚙みしめてその光景を目に焼き付ける。
そう。
この旅は、父が起こした反乱の罪を――
娘の自分がそれを止められなかった罪を、しっかりと受け止めるための旅だ。
戦禍の爪痕から、目を背けてはならない。
目的地は、西の果て。
デュランダル侯爵領。
かつては、リスコル公爵領と呼ばれていた地。
リコリスの生まれ故郷である。
戦に勝った側である神聖国でさえ、これだけの被害が出ているのだ。
元公爵領がどんな有様になっているのか、想像するだけで恐ろしい。
それでもリコリスは、歩みを止めなかった。
重い心と体を引きずって、聖都ミラディア西門へと向かってゆく。
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「へえ。娘さん、シルバー級冒険者なのか? とてもそうは、見えないが……」
都市防壁の西門で、リコリスは門番の兵士から身分証の提示を求められていた。
そこで取り出したのが、冒険者証である。
冒険者とは、ギルドに所属して様々な依頼をこなす荒くれ者達。
魔獣の討伐、行商人の護衛、危険領域の探索、希少な鉱石や薬草の採取など、その仕事は多岐に渡る。
本格的に冒険者になろうと思っていたわけではなかったが、リコリスに剣術や弓術を教えた師匠達が、
『冒険者証は、身分証明書として便利ですよ。特に、公爵令嬢としての身分を隠して動きたい時に』
と薦めてきたので、取得してみたものだ。
師匠達と実戦修行を積むうちに、いつの間にか2ランクも昇格してシルバー級になってしまったのは想定外だったが。
反乱で聖騎士団に捕えられた時、いちどは紛失してしまった冒険者証。
しかしリコリスは非番の日にギルドで手数料を払い、再発行してもらっていた。
冒険者ギルドは国から独立した組織であるため、処刑されたはずの公爵令嬢が再発行手続きをしに来ても何も言われない。
そもそも公爵令嬢が冒険者資格を持っているなどと誰も考えていないので、同一人物と考える者は皆無だ。
現に目の前の兵士も、リコリスが反逆者の娘であることに全然気付いていない。
「シルバー級ってことはそれなりに腕も立つんだろうが、気を付けて行きなさい。慈愛と安息の女神、ミラディースの祝福があらんことを」
「ありがとうございます」
兵士に一礼して、リコリスは聖都防壁の外へと旅立った。
目の前に広がるのは、荒地の間を果てしなく伸びる街道。
気が遠くなる思いだったが、リコリスはぬかるんだ地面を踏みしめて歩き出した。
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夕方になって、雨は止んだ。
だが空は、いまだに鉛色。
周囲はすでに、夜と言ってしまっていいほど暗い。
これ以上動くのは危険と判断したリコリスは、林の中で野営の準備をすることにした。
雨に濡れたせいで、体が冷え切ってしまっている。
まずは焚火を起こして、暖を取るのが最優先だった。
しかし今日の天候では、濡れていない木の枝や葉っぱなど皆無。
仕方なく、炎の魔法で焚火を起こす。
あまり、やりたくはない行為だった。
魔力を感知した魔獣を、引き寄せてしまう可能性があったからだ。
人族・魔族全てを敵とみなし、襲い掛かってくる異形の怪物――魔獣。
恐ろしい存在だが、この辺りには数が少ない。
凶悪な種も生息していないと、図鑑で読み知っていたのだ。
なのでリコリスは、ためらいつつも魔法で火を起こした。
倒木に腰を下ろし、ユラユラと燃える炎を見つめていると心が暖まる。
炎の中に、ヘンリーの顔が見えたような気がした。
「ふふふ……。みんな、心配しているでしょうね。今戻ったらきっと、厳しくお仕置きされてしまいます」
白い息を吐きながら、独り言を漏らすリコリス。
尻を叩かれるのは嫌だったが、主人の膝の上はとても暖かかった。
「……いえ。わたしが消えたことで、清々しているかもしれませんね」
自分自身の言葉に傷つき、胸が痛む。
同時にマサキアーヌ・マサキゴッド子爵令嬢の台詞も、脳裏に響いてきた。
(「やはりあの時、あの娘を許すべきではなかった」ですってェ。これって、アナタのことでしょ~お?)
フードを外したリコリスは、自らの金髪を掻きむしった。
「バカだ、わたし……。心のどこかで、いつか許されると思っていた……。ちゃんと償えていると、思っていた……」
そんなはずは、なかったのだ。
数多くの戦死者を出した、リスコル公爵の内乱。
この国において内乱罪は、一家全員が死罪。
残酷に聞こえるが、それは身内にも止める責任があるということ。
ひとり娘のリコリスには、それが果たせなかった。
優しかった父、リスコル公爵。
その父に徐々に奇妙な言動が目立ち始めた時、リコリスは何も行動しなかった。
一時の気の迷いだろう。
すぐに、元の優しい父に戻ってくれるだろう。
そう思い込み、慈愛と安息の女神に祈っただけだ。
「早くお父様が、元に戻りますように」と。
公爵邸内に怪しげな輩が出入りし始めた頃、リコリスは祈ることを止めた。
祈るだけでは、何も解決しない。
何か、行動しなければと思い始めた。
だがその時にはもう、全てが手遅れだったのだ。
反乱軍の動きはあまりに静かで、あまりに迅速すぎた。
リコリスが気付いた時には、武装蜂起した反乱軍と教会聖騎士団が激突していたのである。
「ごめんなさい、お父様……。ごめんなさい、公爵領のみんな……」
リコリスは、両の瞼を閉じた。
視界が閉ざされると、公爵領での楽しかった日々が瞼の裏に蘇ってくる。
親しかった人達の姿も――
愛する父の姿も――
故郷に想いを馳せていたリコリスの耳に、ガサリという物音が聞こえた。
「……お父様?」
もちろん、そんなはずはない。
本当にリスコル公爵だったとしたら、それは不死の亡者の類。
そんなことも分からないほど、リコリスの思考力は低下している。
旅の疲れと体温低下が、都合の良い幻想を抱かせたのだ。
リコリスが目を開けると、そこには血のように赤い瞳があった。
「ローラハウンド! なぜ、こんなところに!」
茂みをかき分けながら出てくる、犬型の魔獣。
体躯は大きく、獅子や虎ほどもある。
リコリスが驚くのも無理はない。
ローラハウンドは名前の通り、ローラステップと呼ばれる死の草原地帯に生息する魔獣。
この辺りには、出現しない種のはずなのだ。
さらに頭上から、バサバサと耳障りな羽ばたきの音が聞こえる。
ローラハウンドに意識を残しながらリコリスが上空を見上げると、大きなコウモリ型の魔獣が夜空を飛び交っていた。
マサキアバットと呼ばれる種だ。
翼を広げたら、大きさは2mにも及ぶ。
しかもマサキアバットは、2体もいた。
「くっ! 来ないで! 【フレイムアロウズ】!」
リコリスは素早く呪文を詠唱し、ローラハウンドに向けて魔法による炎の矢を放った。
犬型魔獣はそれを避けて飛び退き、警戒と怒りの唸り声を上げる。
「キャッ!」
今度は鋭い爪が閃き、リコリスのローブを切り裂いた。
急降下してきた、マサキアバットからの攻撃である。
幸いリコリスにケガはなかったが、ローブはズタズタで使い物にならなくなってしまった。
仕方なく脱ぎ捨て、メイド服姿を晒す。
「ダメ! 3体同時には、対応できない!」
【ゴーレム創造】を、使えていれば――
巨大アースゴーレムの「ヤスカワくん」を出現させていれば、リコリスは魔獣達を瞬殺できただろう。
しかし土からゴーレムを作り出すためには魔法陣を描き、術式を組み上げる必要があった。
迫りくる魔獣達は、そんな時間を与えてはくれない。
短縮した呪文詠唱で、素早く炎の矢を連射していくリコリス。
しかし上空のマサキアバット達には、ヒラヒラと回避されてしまう。
ローラハウンドに至っては、頑強な皮膚で炎の矢をはじき飛ばしてしまった。
ジリジリと、巨大な犬型魔獣がリコリスに迫る。
鋭い牙の隙間からは、悪臭と共に涎が滴り落ちていた。
「ここで……終わりなの……?」
犯した罪を、目に焼き付けるための旅立ちだったはず。
なのに1日目で魔獣に食われて、旅も人生も終えるとは。
「ふふっ……。どうせわたしは、断頭台に送られる予定だった女。処刑の方法が、より残虐で苦しいものになっただけのこと」
なんだか中途半端になってしまったことは無念だが、これも運命というものだろうとリコリスは受け入れる。
「お父様……。わたしも今、お傍に……」
いかに好奇心旺盛なリコリスとはいえ、自分が食われる瞬間というものは見たくなかった。
そっと両目を閉じ、魔獣の牙が突き立てられる瞬間を待つ。
唸り声を上げ、ローラハウンドは獲物に襲い掛かった。
肉を食いちぎられる痛みに備え、身を固くしていたリコリス。
だが、いつまでも痛みや衝撃が伝わってこない。
なかなか訪れぬ最期の瞬間に、リコリスは恐怖心を煽られる。
耳を澄ませば、何やらガチガチと固い物同士が噛み合う音が聞こえた。
ローラハウンドが至近距離で品定めをしている光景を覚悟しながら、リコリスはおそるおそる青い双眸を開く。
見えたのは、凶悪な犬型魔獣の顔面ではない。
白く、大きな背中だった。
ミラディース教会の聖騎士達が纏う純白のマントが、視界いっぱいに広がっている。
その背中に、リコリスは見覚えがあった。
幼き日より、彼女のヒーローであった男性の背中。
男はミスリル合金製のロングソードで、魔獣の牙を防いでいる。
逆手に剣を持つ構えは、彼独自のもの。
目の前の敵を斬り倒すことより、背後に誰かを庇うことを優先させた守りの構えだ。
ヘンリー・レーヴァテインが、魔獣とリコリスの間に割り込んでいた。
――そういえばいつかも、同じようなことがあった。
そう、既視感を感じるリコリス。
彼女に向かいヘンリーは、
「ケガはないな?」
と、確認を取ってくる。
いつものように落ち着いた声だったが、明らかにホッとしているのをリコリスは感じ取った。
牙を防がれたローラハウンドは一旦飛び退き、再度ヘンリーに襲い掛かる。
しかし「黒鷲」の二つ名を持つ聖騎士団長は、魔犬の首をあっさりと切断した。
血しぶきがかからぬよう、彼は聖騎士のマントでリコリスを覆い隠してしまう。
マントの下は騎士服ではなく、平服だった。
いかに急いで、リコリスを追ってきたかが伺える。
「ヘンリー様! 上にも魔獣が!」
「案ずるな、問題無い」
空から襲い掛かろうとしてきたマサキアバットに向かい、ヘンリーは跳躍する。
翼を持つマサキアバットは知っていた。
翼を持たぬ人族は、空中で自在に動けぬことを。
真っすぐ飛び掛かってくるヘンリーに向かい、軌道をずらし爪のカウンターを合わせようとして――
失敗した。
空中で自在に動けぬはずのヘンリーが、身を捻って爪をかわしたのだ。
身を捻った勢いを利用して、そのまま回転斬り。
マサキアバットを胴斬りにしてしまう。
マサキアバットは死に際に、「あり得ない」という表情をしていた。
生き残ったもう1匹のマサキアバットは、ヘンリーに背を向け退却を始める。
本能で、生物としての格が違うことを思い知ったのだ。
敵を背中から斬ることは、騎士道精神に悖る。
だからヘンリーは、マサキアバットの正面に回り込んだ。
「どこへ行くのだ? 大コウモリの魔獣よ」
翼を持たない――
空を自在に動けないはずの人族が空中で旋回し、自分の前に静止している。
理解不能な状況に、マサキアバットはパニック状態に陥っていた。
ヘンリーの異名である、「黒鷲」。
それは単に、彼の瞳や髪の色が黒いことからきているのではない。
鷲のように、空を高速で駆ける姿から付けられた二つ名。
ヘンリー・レーヴァテインは神聖国内でも数少ない、飛行魔法の使い手なのだ。
特に飛行魔法と剣術を組み合わせて使う魔法剣士など、大陸中を探しても彼しか存在しない。
この飛行魔法を用い、若き日のヘンリーは聖騎士団の切り込み役を担っていた。
団長になった現在は、空高くから戦場を俯瞰できる指揮官として活躍している。
「貴様の爪に引っかかっている、布切れ……。リコリスの傍に脱ぎ捨ててあった、ローブだな? つまり貴様は、リコリスに手を出したわけだ」
夜空に煌めく、ミスリルソードの輝き。
それが自分に死をもたらす存在だと、マサキアバットは確信した。
「私の天使に手を出すものは、誰であろうとも斬り捨てる。……慈愛と安息の女神、ミラディースの祝福があらんことを」
青みがかった銀閃が、夜空に複雑な軌跡を描く。
美しき死の舞いが、マサキアバットを細切れに切断した。