第10話 ストーカー令嬢が登場してきましたが、スピーディーにざまぁ成立です。そして……いままでごめんなさい……
「え……? 行方不明? 全員ですか? わたしの師匠も?」
「いや。幸い君の師であるアーウィン・フェイルノートは、隣国にいると確認が取れている。だがその他の著名な錬金術師達は、軒並み消息が不明なのだ」
「師匠……良かった……。他の錬金術師達は、まさか反乱に乗じて殺され……」
「分からん。だが私は、デュランダル侯爵が囲い込んでしまったのではないかと考えている」
すでに周りの野次馬達は、散り始めていた。
リコリスが何もやらかす気配がないので、飽きたのだ。
サディーナは残っているが、ヘンリーが最も信頼できる使用人の1人。
庭師は「ヤスカワくん」の手に乗って作業中なので、聞こえはしないだろう。
なのでヘンリーは、リコリスとの会話を続ける。
本人とサディーナ以外には、聞かせられない会話を。
「フェリクス・デュランダル侯爵……。リスコル公爵領だった地域を、現在統治している方ですよね?」
「そうだ。教会の有力者、フレデリック・デュランダル枢機卿の従弟でもある」
「デュランダル枢機卿……。まさか……」
「リコリス。何か、思い当たることでもあるのか? 些細なことでもいい。話してみてくれ」
「いえ……。反乱や錬金術師達の失踪に、関係あるのかは分かりませんが……。父は……リスコル公爵はデュランダル枢機卿から、贈り物としてネックレスを受け取っているのです」
「ネックレス……だと?」
「はい。目立たないデザインのものでしたが、いつも身に着けていたようです」
「どうも、臭うな……。調べてみよう。……サディーナ、ついてきてくれ」
ヘンリーはサディーナを連れ、早足で屋敷内に戻ってしまう。
リコリスはその背中を、残念そうに見送っていた。
「無事に仕事を終わらせて、褒めてもらいたかったな……。旦那様に……」
少々、タイミングが遅かった。
ヘンリー達が立ち去ってから数分後に、剪定作業が終了したのだ。
「ヤスカワくん」を操って庭師を地面に降ろすと、彼は走り寄ってきてリコリスに感謝と称賛を述べた。
「リコリスちゃん、助かったぜ! 細かくゴーレムの位置を調整してくれるもんだから、普通に脚立を使うより何倍も早く仕事が終わっちまった。お前さんはホント、大した娘だよ」
大好きなヘンリーからではなかったが、それでも他人から褒められると悪い気はしない。
リコリスが、素直に表情を綻ばせていた時だ。
視界に、あるものが入ってきた。
華美な装飾が施され、家紋が刻まれた貴族用の馬車。
それがレーヴァテイン邸の門前に、堂々と停車したのだ。
「あの家紋は……マサキゴッド子爵家!」
このミラディア神聖国の主だった貴族の家名・家紋。
元公爵令嬢であるリコリスの頭には、それが全て叩き込まれていた。
特にマサキゴッド子爵家の家名と家紋は、脳裏に深く刻まれている。
そこの長女が、たいへん評判のよろしくない人物だからである。
嫌な予感がしたリコリスは、「ヤスカワくん」を引き連れて門へと走った。
このレーヴァテイン家には、一応門番が立っている。
上位貴族ではないものの、邸宅が大きいため。
そして数多くの使用人が働いているので、ヘンリー不在時に賊などから彼らを守るためだ。
門番は傭兵の若者から、ヘンリーが選んで雇う。
将来は聖騎士に引き上げたいと考えている、有望株の若者達だ。
リコリスと「ヤスカワ君」が駆けつけた時、門番の若者は馬車から下りてきた人物を押し止めていた。
「んまァ~! しっつれ~な! わたくスィーを、誰だと心得ているのですかァ? マサキゴッド子爵家が長女、マサキアーヌですのよォ?」
薄茶色の巻き毛をフルフルと揺らしながら、マサキアーヌ嬢は門番に食って掛かる。
「いくら子爵家のご令嬢でも、先ぶれなしで訪問された方をいきなりお通しするわけにはいきません。申しわけありませんが、主人に確認するまでこの場にてお待ちください」
門番くんの対応を見て、リコリスは内心で彼に満点を付けた。
いくら爵位が上の貴族といえども、先ぶれなしに交流もない貴族家を突撃訪問するなど非常識である。
「だったら早く、確認をなさァ~い。モタモタしていると、アナタの首が飛びますわァ~よ? なんせわたくスィー、ヘンリー様との結婚が決まっている婚約者ですのよォ~?」
もちろん、そんな事実は存在しない。
レーヴァテイン家で働く使用人全員が把握していないだけでなく、ヘンリー自身すらも寝耳に水なはずだ。
だが、リコリスは感じ取っていた。
この令嬢は、本気だと。
元から噂は聞いていたのだ。
屋敷の外でヘンリーに付きまとう、質の悪いご令嬢が存在していると。
彼女は一般公開もしていない日に聖騎士団を訪れては、黄色い歓声を上げて訓練の邪魔をする。
ヘンリーから好意を寄せられているだの贈り物をもらっただの、ありもしないデマを流す。
挙句の果てが、突撃自宅訪問だ。
しかも本日の彼女が身に着けているのは、純白のプリンセスラインドレス。
花嫁衣装である。
こんな女を屋敷に入れようものなら、どんな噂が立つか分かったものではない。
レーヴァテイン邸の門は聖都ミラディアの大通りに面していて、見ている通行人の数も多いのだ。
「門番さん」
「あっ、リコリスさん。ちょうどよかった。すぐに旦那様を、呼んできてくれませんか?」
振り返って頼んできた門番だったが、リコリスは彼の肩を引き寄せ後退させた。
「いいえ。旦那様を呼びに行くのは、あなたの方です」
「えっ? リコリスさん?」
「あなたはわたしより1週間後輩で、3歳年下でしょう? 先輩の言うことが、聞けないのですか? ……お客様を、待たせてはいけません。さあ、早く!」
「わ……分かりました!」
門番の若者は、全速力で屋敷の玄関へと走ってゆく。
その背中を見送っていたリコリスは、ゆっくりと視線をマサキアーヌ・マサキゴッド子爵令嬢に戻した。
「我が屋敷の者が、失礼いたしました。主人が来るまでの間、わたしがお相手をさせていただきます」
子爵令嬢であるマサキアーヌが、見惚れるほどに美しい淑女の礼を決めるリコリス。
元は公爵令嬢なので、当然といえば当然の所作である。
「や……やけに、堂々としたメイドですわねェ~」
「恐れ入ります。レーヴァテイン家のガーディアンメイドを務める、リコリスと申します。以後、お見知りおきを」
淑女の礼を続けるリコリスの背後で、アースゴーレムの「ヤスカワくん」も紳士の礼を取った。
右足を引き、右手を体に添え、左手を横方向へ水平に差し出す姿勢。
自分は淑女の礼をしながら操るゴーレムに別の礼を取らせ、操縦者とゴーレム両方がバランスを崩さないというのは超高等技術である。
「ふ……ふぅん。ガーディアンメイドなんて、初めて聞く役職ねェ~。レーヴァテイン家独自のメイドかァ~しらァ~?」
「左様でございます。我が主人が、賊から使用人達を守るために考案した役職でして」
もちろん、嘘っぱちである。
今この場で、リコリスがでっち上げた役職だ。
バレたらまた、ヘンリーから尻を叩かれるかもしれない。
だが、これで良いとリコリスは考える。
あの門番の若者が子爵令嬢と揉めて、経歴に傷をつけるのは避けたい。
そのために彼をメッセンジャーボーイとして走らせ、自分がここに残ったのだから。
同時になんとしても、この令嬢を敷地内に入れてはいけないと思っていた。
妄想と思い込みが激しいマサキアーヌの脳内では、敷地内に迎え入れられる=ヘンリーと結婚するものだと超変換されてしまうだろう。
大通りから興味深げに眺めている通行人達も、そう思うに違いない。
「ヤスカワくん」を操縦している今、門番の若者よりリコリスの方が阻止役として適任であった。
「ちょっとォ~。その大きなゴーレムゥ~、威圧感が凄いから下がらせなさいなァ~。……って、うん?」
リコリスと「ヤスカワくん」が放つ威圧感に、居心地の悪さを感じていたマサキアーヌ。
だが彼女はアースゴーレムのボディを見て、何かに気付いたようだった。
「このゴーレムに刻まれた、魔法陣と魔力回路……。聖都の錬金術師達が使うものと、違いますわァ~ね」
リコリスの心に合わせ、「ヤスカワくん」もピクリと全身を震わせる。
「わたくスィーの実家が経営する商会ではァ、軍事用のメタルゴーレムを製造しておりますから分かりますのよォ? このアースゴーレムに使われているのはァ、元リスコル公爵領の技術ですわァね?」
マサキアーヌのねっとりとした視線に、リコリスの血液が冷えてゆく。
「あらァ? ガーディアンメイドのアナタァ。よく見ると、リスコル公爵の娘にそっくりねェ~。遠い親戚か何かかァ~しら? あの女はわたくスィーと巻き髪が被っていたのでェ、正直目障りだったですのよォ~」
マサキアーヌは記憶力が残念な子なので、さっき名乗ったばかりであるリコリスの名前をもう忘れている。
そしてリスコル公爵のひとり娘が、リコリスという名であったことなど最初から記憶していなかった。
ただなんとなく、2人の顔が似ているような気がしたので親戚だと決めつけたのだ。
リスコル公爵の娘は処刑されたことになっているので、目の前のメイドと同一人物だとは考えもしていない。
「わたくスィーがヘンリー様と結婚したらァ、アナタは真っ先にクビねェ」
「ガーディアンメイドなど、この屋敷には必要ないと?」
「違うわァ。リスコル公爵の縁者であるアナタが傍にいるとォ、ヘンリー様が傷つくでしょォ~」
「わたしは別に、リスコル公爵の縁者では……。傍にいると主人が傷付くとは、どういう意味ですか?」
マサキアーヌは小馬鹿にしたような視線を向けながら、リコリスを嘲笑った。
「鈍いメイドねェ~。リスコル公爵の起こした反乱で、剣聖レオン様は亡くなったのですわァ~よ? リスコル公爵の一族など、大切な部下の仇! 最愛の後輩の仇! 無二の親友の仇!」
マサキアーヌの言葉は少しずつ、確実にリコリスを追い詰めていく。
「アナタの顔を見る度、ヘンリー様はレオン様を思い出して悲しんでいるはずですわァ。単なるそっくりさんだとしても、その顔自体が罪ですのよォ?」
ドシャッ! という大きな音を立てて、「ヤスカワくん」の左腕が落下した。
地面に着いた瞬間ただの土くれへと戻り、緑鮮やかな芝生を汚す。
「わ……わたしが旦那様の心を、傷つけて……。でも旦那様は、『仕えることで償え』と……」
「あらァ? ヘンリー様は、お優しいのねェ。反逆者の一族に近しい者を、雇い入れるなんてェ。きっと同情か、気まぐれでしょうねェ」
今度は「ヤスカワくん」の右腕が落ちる。
術者であるリコリスの精神が乱れ、人型を維持できなくなってきているのだ。
「今頃きっと、後悔しているはずですわァ。こないだ聖騎士団の団長執務室を覗いた時、ヘンリー様の独り言を聞いてしまいましたものォ」
「ヤスカワくん」はバランスを崩し、地面に尻もちをついてしまった。
すでに体の各部がボロボロと崩れ落ち、土へと還りはじめている。
「『やはりあの時、あの娘を許すべきではなかった』ですってェ。これって、アナタのことでしょ~お?」
「ヤスカワくん」は完全にゴーレムとしての人型を失い、土に戻ってしまった。
同時にリコリスも、力なく地面に両膝を突いてしまう。
(ダメ……。もう何も、考えられない。頭がクラクラする)
目眩を起こし、背中から地面に倒れていくリコリス。
その時、一陣の風が吹き抜けた。
風はリコリスの体を抱きとめ、大地との衝突を阻止する。
「ヘンリーさ……旦那様……」
風の正体は、ヘンリー・レーヴァテイン。
リコリスが仕える、この屋敷の主人。
リコリスが幼き日より憧れていた、推しの聖騎士様。
そしてリコリスの父が起こした反乱により、大切なものを失った人――
「申し訳ありません。接客中であるにも関わらず、お客様の見ている前で倒れるなんて……」
「なに、気にするな。マサキアーヌ嬢は、客などではない」
切り捨てるように言い放ったヘンリーに、マサキアーヌは眉を吊り上げた。
「ちょっとォ~! いくらヘンリー様でも、聞き捨てなりませんわァ~ね。子爵家の長女であるわたくスィーを、客ではないなどと」
「ええ、言った通りですな。あなたは客ではなく、犯罪者だ。……マサキアーヌ嬢。明日には不法侵入罪で、あなたに逮捕状が出ます」
「たたた……逮捕状ですってェ~! 確かにいきなり遊びに来たのは、非常識だったとは思いますけどォ……。不法侵入の罪に問うのは、無理ではなくてェ? わたくスィーまだァ、レーヴァテイン邸の敷地内に入っていませんことよォ~?」
「いや、私の自宅に対する不法侵入ではありません。聖騎士団本部や、訓練所への不法侵入。それに訓練を邪魔したことによる、軍事行動妨害の罪にも問われますな」
「そそそそ……そんな! わたくスィーとヘンリー様の仲ではありませんのォ! ちょっとぐらい、大目に見てくれたってェ」
「どんな仲だと思い込んでいたかは知りませぬが、私は何度も警告したはずです。関係者以外、立入禁止だと」
ヘンリーはリコリスを抱きかかえたまま、冷たい視線でマサキアーヌを見下ろしていた。
「な~に。逮捕されるとはいえ、保釈金を払えば牢から出られる程度の罪です。ご実家からは叱られるかもしれませんが、大事な娘の保釈金を払ってくれぬことはないでしょう」
「そ……そんなァ……」
今度はマサキアーヌの方が、ガックリと地面に膝を突いてしまった。
純白の花嫁衣裳が、泥とホコリで汚れてしまう。
マサキアーヌが戦意喪失したことに、ホッとしていたリコリス。
だが背後から恐ろしい怒気を感じ、思わずバッと振り返る。
うなだれていたマサキアーヌも、全身に鳥肌を立てながら飛び上がった。
ドス黒く、焼けつくような怒気。
その標的は、自分だと気付いたからだ。
見れば眼鏡のレンズをギラギラと光らせたメイドが、こちらにゆっくりと歩いてくる。
その手には、木製の一本鞭が握られていた。
もちろん、サディーナ・スギモンヌだ。
「ああ、ミス・マサキゴッド。不法侵入の罪に問われるとは、お気の毒です。ご実家に『保釈金を払って』と申し出れば、さぞ叱られてしまうでしょう」
ちっとも気の毒に思っていないような口調で、サディーナは淡々と告げる。
「しかし、朗報がございます。保釈金が払えぬ者は、罪に相当する回数の鞭打ち刑を受けることで釈放される道も選べるのです」
ヒュンヒュンと鞭を素振りするサディーナに、マサキアーヌは完全に怖気づいてしまっている。
実はちょっとチビってしまっていることを、鼻のいいリコリスは察していた。
「大サービスです。今ならこの場でわたくしの鞭打ちを受ければ、騎士団不法侵入の罪は問わないと主人が申しております」
(いや。そんなことは、ひとことも言っていないが)
ヘンリーはそう思ったが、実際には口をモゴモゴと動かしただけだ。
彼もまたマサキアーヌを脅し、懲らしめておく必要を感じていた。
こういう時、サディーナ以上の適任者はいない。
「さあ、どうします? ミス・マサキゴッド。牢の中で反省し続けるも良し。保釈金をご実家に工面してもらうも良し。わたくしか執行官から、鞭打ちの刑を受けるも良し。ああ。多くの選択肢があって、素晴らしいことですわね」
表情筋は笑顔を作っているが、目は完全に笑っていない。
鞭で自らの手の平をぺしぺしと叩き、威圧するメイド長を見てリコリスはこう思う。
自分なら、サディーナの鞭コースは絶対ないなと。
「さあ。壁に手を付き、お尻を出しなさい」
「ほ……保釈金を、払いますゥ……」
涙と鼻水を垂らしながら、マサキアーヌ・マサキゴッド子爵令嬢は選択する。
その答えにサディーナが「チッ!」と短く舌打ちしたのを、リコリスとヘンリーは聞き逃さなかった。
どうやらよっぽど、自らの手で罰したかったらしい。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
翌朝、リコリスは自室から出て来なかった。
元気いっぱいで体力もある彼女が、体調不良になるというのは想像しづらい。
仮にそうなったとしても、無断欠勤をするような性格ではないはずだ。
「リコリス? どうしたの? 体調でも悪いの?」
仕事には厳しいサディーナだが、体調を崩してしまった者を責めるような理不尽さはない。
部屋の扉をノックしながら、中の様子をうかがう。
しかし、全く反応がない。
「リコリス、入るわよ? いいわね?」
嫌な予感を覚えながら、サディーナは部屋の鍵を開けた。
中に入り、まずは寝込んでいないかとベッドを確認するが――いない。
「リコリス! どこにいるの!?」
サディーナはトイレやクローゼットの中まで探し回ったが、どこにもリコリスの姿を見つけられなかった。
発見できたのは、机の上にあった書き置きのみ。
『いままでご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。これ以上旦那様を苦しませぬよう、出ていきます』
サディーナは震える手で、その書き置きを握りしめていた。