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大英雄は大木の元で眠る

完全リメイクです

 テンブルス王国の西側に存在する長閑な村――そこから少し離れた場所にある花畑。そんな秘境ともいえる場所の中央には一本の大木が生えており、その根元に一人の男が組んだ両手を枕にして寝ていた。


 黒いズボンに黒い半袖のシャツ。傍らには黒鞘に入った直剣が立て掛けられている。

 まだ若い顔付きをし、無防備に瞳を閉じて寝息を立てているこの青年こそが世界最強の大英雄とまで言われた男だとは誰も思わないだろう。


 さわさわと暖かい春先の風で黒い前髪を揺らし、たまに羽を休めるために木へとやってくる鳥達にも気を留めずにベルは規則正しい呼吸を続ける。

 コレが彼の日常であり、戦いの末に手に入れた安息でもあった。


 そんな平和そのものとも言える空間に一台の馬車が近づいて来る。

 誰が見ても上級貴族の物だとわかる装飾が施された馬車だが、得に目を引くのは側面に施された若い女性が祈っている姿を模った紋章だろう。

 何故ならば、ソレは勇者と共に魔王を討ったとされる聖女にのみ許された紋章だからだ。


 馬車は花畑の近くに止まり、護衛の騎士が扉を開けると中から金色の装飾が少しだけ入った白い法衣を着た少女が出て来る。

 少女は護衛の騎士に一言二言話した後、一人で大木の方へと歩みを進める。


 歩みを進める中で少女が被っていたフードを外すと、絹のような艶を持つ純銀に藍玉アクアマリンを溶かし込んだような綺麗な長い髪がフワリと広がる。

 太陽の光を反射して煌めく白銀の髪を広げながら花畑を歩くその姿は、正に一枚の絵画のように幻想的な光景だった。


 少女の足取りは軽く、周囲に咲き誇る花々を楽しそうに眺める顔には優しい笑みが浮かんでいた。


『……』


 そのまま歩いていると、少女と大木の間に一匹の黒い大狼が伏せているのが目に入った。大狼は片目を開けてその黄金の瞳で少女を一瞥した後、何も無かったかのようにまた目を閉じた。


「あなたも、いつもお疲れ様です」


 少女は大狼にそう言って足を進め、大木の根本へとたどり着く。

 そして、そこで寝ているベルを慈愛に満ちた笑みで見た後、剣が立て掛けてある右側とは逆の左側へと腰を下ろした。

 その動作はとても慣れた物だった。それもそのはずで、少女は多くて二日に一回。少なくとも四日に一回はこの場所にこうして訪れているのだ。


「今日もよく眠っていますね」


 責める声ではなく、むしろベルが寝ている事に安堵したような声を発した少女はそっとベルの前髪に触れる。

 ベルは少しだけくすぐったそうな様子だったが、すぐに穏やかな寝息を立てはじめる。そのことに笑みを深くした少女は懐にしまっていた本を取り出して読み始めた。

 コレもいつもの光景だった。





 ベルが起きたのはそれから一時間程経った頃だった。


「んぁ……?」

「あ、起きましたか?」


 不意にむくりと身体を起こしたベルは右手で目を擦った後に背伸びをし、辺りをゆっくりと見渡してから少女へと目を向けた。

 ベルの黒い瞳と少女の翡翠色の瞳が交差する。少女はそんな瞳を見つめながら「綺麗……」と内心で思う。


「あれ……? シエル……?」

「おはようございます。ベルさん」


 シエルと呼ばれた少女は本を懐に仕舞いながら再度挨拶をする。

 表面上では平静を装っているが、内心ではさっきまで瞳に見惚れていた事にバレていないか焦っていた。

 そんなシエルの気持ちを全然察していないベルは「おはよう」と挨拶を返した後に「いつからここに?」と疑問を投げかける。

 懐から懐中時計を取り出したシエルが「一時間と少し前ですね」と言うと、申し訳なさそうな顔をした。


「私が来たくて来ているんですから、気にしないでください」

「そう言われても……聖女様を待たせるのは良くないだろ?」


 聖女――勇者と共に魔王を討ったとされている少女。その心は善であり、悪を決して許さない清らかであり、全員に平等であり、誰に対しても慈愛の心を持つと言われている。

 ベルの目の前に座るシエル――シエル・ホワイストンは正にその聖女だった。

 勇者パーティーと呼ばれる五人で構成された部隊の一人であり、王国公爵家であるホワイトストン家の次女でもある。幼い頃から光魔法回復系に抜群の適正を持ち合わせ、その才能を伸ばした結果を教会に聖女として認められ、勇者パーティーのメインヒーラーとして戦場に出ていた。

 それ故に、ベルとも面識がある。


「私がしたくてしている事なので、本当にベルさんは気にしないでください。それに……ベルさんにはゆっくりと休んで欲しいんです」

「だがなぁ……」


 シエルの力強い言葉を前にしても、ベルはどこか納得できないといった雰囲気を醸し出していた。

 そんな彼の膝上に狼の頭が乗せられる。ソレは先程までベルを守るように花畑に伏せていた大狼であり――ベルの親友だった。

 大狼はフンスと鼻を一度だけ鳴らして瞳を閉じる。そんな大きな態度に一度笑ったベルはその頭を撫でながら「まぁ、シエルがそう言うならいいか」と声を発した。


「にしても……クラージュ、俺の親友よ。最終的にここで寝るなら最初から一緒に寝たらどうなんだ?」

『……』


 クラージュと呼ばれた黒い大狼はチラリと黄金の瞳でベルを見た後、また目を閉じた。彼にとってベルの申し出は跳ね回る程に嬉しい物だったが、到底受け入れられる事ではない。何故なら、眠る親友を守る事こそが彼にとっての使命だと認識しているからだ。

 クラージュはベルが戦場で拾った魔物の血が混ざった狼だ。

 瀕死の所を救われた彼は、ベルと共に戦場を渡り歩き、主従関係から友人、戦友を経て親友となった。

 多くの戦場でベルの姿を見て来たクラージュは、決して彼の傍を離れる事はない。終戦後、森に帰っていいと言われたにも関わらず、こうしてベルの元に居る事からその意思はとても強かった。


「クラージュさんは本当にベルさんが好きなんですね」


 そんな二人を見てシエルが呟けば、クラージュは「当たり前だ」と言わんばかり大きく鼻を鳴らし、ベルは苦笑した。


「まぁ、長い付き合いだし親友だからな」

「羨ましいです。私はまだクラージュさんに触れられないので……」


 クラージュは頭が良く、人の言葉を理解しているし、他人との関わり方もどうすればいいのかをきちんと理解している。そして、親友を守ると決めている事から警戒心も高い。

 そんなクラージュが自らに触る事を許している人間は少ない。まず、親友であるベル。次に他の大英雄達。最後にテッタルト共和国の姫とベルの家にいる一人の少女だけだ。

 シエルはまだ触れられる程クラージュと親交を深められてはいなかった。


 少しだけしょんぼりするシエルを身ながらこればかりはどうしようもないとベルは思う。きっと、自分が言えばクラージュは撫でさせてあげるだろうが、ソレはしたくなかったのだ。それに、シエルならばそう遠くない内に触れる事が出来るという確信もあった。


「まぁ、気長に――」


 ベルが慰めの言葉を発しようとした所で、膝に頭を置いていたクラージュが顔を上げて一点を見つめた。

 釣られて視線を向けてみれば、こちらに向かって歩いて来ている騎士の姿があった。


「何かあったみたいだな」

「ちょっと、行ってきます」


 シエルは素早く立ち上がると騎士の方へ向かう。

 その後、何かを話して騎士が持っていた物を受け取って帰って来たシエルの顔には戸惑いが浮かんでいた。


「どうかしたのか?」

「あの……国王陛下からベルさんにお手紙だそうです」


 そう言って手渡された封筒を受け取ったベルの目が鋭くなる。

 裏を返してみれば、そこに押してある蝋印は間違いなく国王によるものだった。


「仕事か」


 ゆっくりと立ち上がったベルが纏う雰囲気は先程までののんびりとした物ではなく、戦場に居るかのような鋭い物になっていた。

 終戦後、人類圏には魔王軍の残党とも言える強力な魔物が稀に現れる事がある。それらは英雄や国の兵士達が処理するのだが、彼らでは歯が立たない相手が現れた時は大英雄へと依頼が届く事があった。


 それはベルも例外ではなく、国王から自分宛に届く手紙は【緊急討伐依頼】がほとんどだった。


「俺に手紙が来るって事は相当困ってるんだろうな……手早く処理しよう」


 愛剣を少しだけ鞘から抜き、光を吸収する程に黒い刃を確認したベルはそう呟いて封筒を開けて中から一枚の便箋を取り出す。


「……」


 そんなベルの姿をシエルは悲痛そうな顔で見ていた。

 本来であれば、王国のこれらの依頼は自分や勇者……もしくは、そのパーティーに居た人間がこなすべきものだ。

 だが、勇者も他のメンバーも実績の割にその実力はあまり高くない。良くて英雄に毛が生えたレベルなのだ。


 ならば、何故、実績だけは一流なのか。

 ソレはベルが戦場で積み上げた実績が全て彼らの物となっているからだ。魔王討伐の実績を譲る際に、役人が欲を出して勝手にやった事だ。

 ベルはそのことに気付いてはいたが、特に興味もなく放置していた。


「東の大森林にフェンリルが出たのか」

「フェンリル……!」


 ベルの呟きを聞いたシエルは緊張感を高めた。

 フェンリルと言えば、氷魔法を使い、その爪はどんなに強固な鎧でさえ簡単に切り裂いてしまう程に鋭い事で有名なSランクの巨狼だからだ。


 クラージュも大狼ではあるが、その大きさは横になったベルと同じくらいだ。

 だが、フェンリルが分類される巨狼は大木ほどの大きさになる。その巨大さに似合わない俊敏さには通常の兵士や英雄では手に負えない物だ。


「すまん、シエル。ちょっと仕事をしなくちゃいけなくなった」


 申し訳なさそうに言う顔を見ながら、シエルは胸が締め付けられた。

 ソレはベルと話せる時間が無くなった事に対するものではない。戦争が終わったというのに“ベルが戦う”事に対する感情だった。


「ベルさん……」

「ん?」

「この世界は平和で――ベルさんの敵はもうどこにも居ません。それに、貴方は十分戦いました。この国の――いえ、この世界の誰よりも多くの人を救ったんです。ですから、そういう討伐依頼は私たちに任せてもう休んでいいんです」


 真面目な顔で紡がれた言葉を咀嚼したベルは、一瞬だけ空を見上げてすぐに目線を自分を見つめる少女へと戻した。


「六年……俺は戦場に居た」


 ベルはそっと手に持っていた愛剣を左腰に差して鞘を撫でた。

 この剣は十二歳で戦争孤児になったベルを拾った山奥に住む老人から、戦場に赴くと決めた日に貰った物だ。

 名前も知らない老人に鍛えられ、十五歳という若さで戦場に出たベルはそこで様々な光景を見て、知った。


 命は一つしかないという事を嫌でも理解し、仲間は呆気なく簡単に死んでいく。

 毎日が必死だった。老人との修行で力があると思っていた心はすぐに折れ、毎日をただ死なないために戦い続けた。

 そして、気付けば世界最強とまで言われるようになった。確かに、そこまで来ればちょっとやそっとじゃ死にはしなくなった。だが、自分が歩いてきた道を振り返った時に気付いてしまったのだ。


――自分は、自分のためにしか戦っていなかったんだ。


 誰よりも前で戦ったのは誰かが死ぬ姿を見たくなかったから。

 誰よりも強くなったのは、自分が死にたくないから。

 戦争に身を置き続けたのは、帰る場所がもう無いから。


 そうして自分のためだけに戦ってきた姿と他の大英雄を見比べた時、ベルは自分の無価値さに気付いた。

 他の大英雄――いや、あの戦場に居たベル以外の人間は皆、誰かのために戦い、ソレを成し遂げた。

 しかし、自分は結局最後まで何も成し遂げられなかった――だから、自分は他の大英雄に比べて偉大な人間ではない。何だったら、大英雄でもない。ただの殺戮兵器だ。


「六年間戦場に居て、俺は何も成し遂げる事は出来なかった。シエルの言う通り、今が平和な時代なのだとしたら……せめて、俺はその平和を維持するために戦いたい。じゃなきゃ、あの戦争で散っていった英霊達に一生顔向けが出来ない」

「そんな事――!!」

「それに、だ」


 シエルの言葉を遮ったベルは穏やかな顔で笑う。

 ただ、ソレは一種の達観した顔にも見えた。


「騎士や他の英雄達が動き出すには時間が掛かるだろ? その間に被害が出るかもしれない。だったら、すぐに動ける俺がやったほうがいい」


 そう言い切ったベルはシエルの頭に手を置いてから、クラージュを伴って花畑の隣にある森の方へと歩いて行く。

 シエルは、そんな後ろ姿を見ている事しか出来なかった。例え、付いて行ったとしても足手まといにしかならない事は自覚しているからだ。

 だからせめて――無事に帰ってくる事を祈るばかりだった。

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