春の足音
童話のつもりで書いたのですが、なんていうか、すごく暗くなってしまったので、タグ(で正解なのだろうか?)を悲恋の方に移させていただきました。
ぱたぱたと軽やかな音がする。
笑っているような、踊っているような。
楽しくて、楽しくて、仕方がないというような、そんな音。
彼女は、それを春の足音と呼んだ。
「冬彦さん、ねえ冬彦さん」
ふわりと彼女が笑う。
嬉しそうに僕の名前を呼ぶ声が聞こえる。
桜庭 春日は、その声までもが春のように柔らかで、温かい。
「ほら、外を見て。春だよ」
長い冬の終わりを告げるのも、僕に春の訪れを知らせるのも、いつも彼女で。
「今日も寒いだろう?まだ冬だよ」
そう言って部屋から出ようとしない僕を引っ張って、外に連れていくのも彼女の役目だった。
「そんなことないよ。春の足音がするもの」
目を閉じて耳をすませた彼女に倣えば、小さな音が聞こえた。
ぱたり、ぱた、ぱたん。
笑っているような、浮かれているような、そんな音がする。
「これが春の足音?」
「そうよ。この音がすると、すぐに春が来るの」
言いながら彼女が手を伸ばす。
その手の先で、きらきらと氷柱が輝く。
空気はきんと冷たいはずなのに、彼女の周りだけが温かだった。
「冬彦さんのところに早く春が来ますように!」
春、好きなんでしょう。
彼女が無邪気に笑う。
「好きだよ」
僕は彼女に笑い返す。
「でも、もう春は来たかなぁ」
「え?本当?」
「ほんとほんと。暖かくなったね」
「そうね!今日なんてほら、こんなにぽかぽかしているし」
「うん」
彼女が隣で笑っている。
そんな春が毎年巡ってくるものと、そう信じていた。
「はぁ」
吐き出した息が、白く凍った。
寒い。
今年の春はまだ来ない。
そして、例年と違っていつまでたっても来る気配はなかった。
桜庭春日が死んで一年。
変わらず季節は巡るのに、彼女だけがいない日を三百六十五回繰り返した。
いつものように笑う彼女がいない。
冬の終わりを、春の始まりを、教えてくれる彼女がいない。
いつまでたっても春が来ない。
春日がいない。
寒い、寒い、寒い、寒い、寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い。
彼女のいない世界は、寒くて寒くて仕方がない。
ぱた。
「……ぇ?」
ぱた、ぱたり、ぱた。
頬に冷たいものが当たった。
顔を上げれば、太陽の光が眩しかった。
ああ、今日は晴れていたのか。
雨は、降っていない。
雪でもない。
では、僕の頬を濡らすこれは、一体何なのか。
「つらら……?」
温かな陽光で溶けた氷柱。
フラッシュバックする、彼女の笑顔、伸ばした手、優しいぬくもり。
『この音がすると、すぐに春が来るの』
春の、足音。
「っ!」
彼女がいない。
いないのに。
声がするのだ。
春が来たよと。
呪いのように。
おくりもののように。
「来ないよ。春はもう、来ない」
もう二度と。
呟いた声は春の足音にかき消され、誰にも聞こえることはなかった。
ぱたぱたと軽やかな音がする。
笑っているような、踊っているような。
楽しくて、楽しくて、仕方がないというような、そんな音。
彼女は、それを春の足音と呼んだ。
最後まで読んでくださって有難うございます!
誤字脱字がありましたら、指摘してくださると嬉しいです。