おやすみとエルルが知らないこと。
「ん……ふわぁ」
欠伸から始まったエルルの一日は、欠伸で終わろうとしている。
寝惚け眼をぐしぐしと擦っても、落ちてくる瞼を止められそうにない。
時刻は既に日付が変わっている頃だ。宵闇に包まれた森は鬱蒼と生い茂り不気味な雰囲気を醸し出している。
夕食のハンバーグ(バハムート特製)に非常に満足したエルルは、そのままセルシウスやライカ、イフリートと談話しながら夜を過ごしていた。
けれどもそれも限界だ。
このままなら数分も経たない内にエルルは椅子の上で寝てしまうだろう。
「もー寝るー……」
「わかりました。ゆっくりと休んでください」
「うんー……」
いつでも寝られるようにパジャマに着替えておいたエルルは、部屋の扉を開けるとそのままベッドになだれ込む。
すぐにすぅ、と寝息が聞こえてくる。エルルの後を追ったバハムートはそっとエルルに布団を掛け、ぽんぽんと頭を撫でた。
「今日も可愛らしい寝顔でしたね」
「もうこの当番制は私専用にしない?」
「ダメじゃぞセルシウス。妾たちだってエルルの寝顔を眺めたいのじゃ」
「そうだにゃー。エルルの寝顔はライカたちみんなの宝物だにゃー」
「ノムは一緒に寝たいのー……」
「「「「それはエルル(様)が望んだ時だけ(です。よっ。じゃ。にゃ)」」」」
普段はエルルが寝付くと共に召喚獣も寝るのだが、今日に限っては誰も寝ようとしない。
本来であれば活動するだけでもエルルから魔力を貰っている以上、主のことを想うなら早急に眠りに付くべきなのだ。
だが、彼らはそれをしないでいた。
それは、既に彼らが『気付いて』いたからだ。
エルルは森全体に侵入者用の探知結界を張っている。
けれどそれ以上の範囲を把握するために、召喚獣たちは独自の結界を張っていたのだ。
知らない足跡が大地を踏み締めるだけでそれはノームに伝わる。
木々のざわめきが普段と違えばライカに伝わる。
他人が踏み込むだけでも森の気温はごく僅かでも変化する。セルシウスとイフリートはすぐに気付く。
そして、バハムートが張っている結界魔法はエルルの魔法よりやや広く設定されている。
消費する魔力も多くなるが、そこはエルルに頼らず自前の魔力で補っている。
誰もがエルルの日常を守るために、エルルに知られることなく結界を張っていたのだ。
そして、彼らの結界に何かしらの反応があった。
「足音的に十人近くはいるのー」
「そうね。呼吸を鎮めてはいるけど、氷にガチャガチャ鎧がぶつかってるわ」
「そもそも木が不自然に揺れてるにゃー。これは傭兵の国から来てる感じだにゃ」
「静かに進軍しておるが、この体温からして、みな成人の男じゃろう」
「目的はわかりませんが、まあ、こんな時間に連絡もせず来るのですからやましい連中でしょう」
誰からともなく音を立てないように立ち上がる。静かに家の外に出た召喚獣たちは、すっ、と侵入者が来る方角を睨み付けた。
セルシウスが家全体を覆うように氷の膜を張る。大きい音がしても中に届かない特製の氷だ。
そしてその氷でエルルが冷えてしまわないように、イフリートが家の中に熱を残しておく。
ノームとライカは万が一を考慮して家の入り口に罠を仕掛けておく。
とはいえ簡単なモノだ。即席の落とし穴で、落ちれば感電する程度だ。
それでも足止めとしては十分なモノだ。
バハムートは静かに目を細め白い手袋を身につける。
鋭い真紅の眼差しは、外敵に向けられる冷酷な眼差しであった。
「では行きましょう」
「エルルを脅かす脅威を排除するために」
「妾たちの日常を守るために」
「エルルの笑顔を守るためにゃ」
「エルルを守るのー!」
召喚獣たちは音も無く家の前から姿を消す。人の身ならざる彼らだからこそ出来る芸当であり、これにより奇襲を防ぐことは並大抵の人間には不可能である。
森の中に微かに人の悲鳴が響く。
戦いにもならない一方的な蹂躙は、とても防衛と呼ぶには相応しくない。
氷が射貫く。
炎が舞う。
大地が咆える。
雷鳴が響く。
そして、竜が振るう。
敵の目的など知る必要もない。拷問にかけるつもりもない。
与えるべきは恐怖のみ。
この森を侵そうとするのであれば、万を超える犠牲が必要であれと身に染みろ。
それが彼らの戦いだ。
愛しく守ると誓った少女に余計な不安を与えない為にも、彼らは森を守り切る。
命は取らない。恐怖を植え付けるだけで良い。
逃げ延びて、森に近づいてはいけないと思わせなければならない。
「本当、殺さないように手加減するってめんどくさいわよね」
敵の大半が逃げ去ると、森は静寂を取り戻す。
しーんと静まり帰る森の広場で、セルシウスは似合わないため息を吐いた。
「ですが殺してはエルル様と諸国の間に禍根を生んでしまう可能性があります」
「だから手加減は必須なのー!」
「わかってるわよ、もう」
バハムートとノームの注意に耳を傾けつつも、セルシウスは敵が逃げていった方角を睨み続けていた。
「……エルルは守る。二度とあの子に、悲しい思いはさせないんだから」