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迷子とセルシウスとエスケープ。




「これでよし、と」

「お疲れ様です」


 ぐいー、と背中を伸ばしながらエルルは目の前の書類の山に視線を戻した。

 三つに分けられた書類の山は、それぞれの国からの嘆願状だ。

 エルルが『英雄』として祭り上げられてから数ヶ月、毎日のように別の国へ渡りたい、と願う人たちの書類を相手にしていた。


 もちろんその間にも貢ぎ物を運んできた貴族の相手もしなければならない。

 場合によっては王族の相手もしなければならない。


 エルルはすっかり疲れていた。肩肘張るのにも限界があるのだ。

 不満は当然爆発する。もっとも、それで何かが変わるわけではないのだが。


「あそびたーい! 読書がしたーい! お昼寝がしたーい!」

「残念ですが、これから武芸の国の貴族様がお見えになられます」

「もうつーかーれーたー! ねーむーいー!」


 駄々をこねるエルルだが、当然ながらバハムートには通用しない。

 これが別の召喚獣であればまかり通るのだが、バハムートはそこまで甘くない。

 むー、と頬を膨らませても精々がドーナツにチョコレートが掛けられるくらいだ。

 ついでに秘蔵の紅茶が出されるくらいだ。


 十分甘やかされていた。


「サモナーさんはお昼寝がしたいんだよ!?」

「それは色々と不味いのでやめましょう」

「むー!」


 だんだんと机を叩いてもバハムートは一切動じない。むしろ机を叩いた手が痛くなるくらいだ。


「はぁ。今日に限ってノムちゃんもひーちゃんも出掛けてるし、他のみんなは寝ちゃってるし」

「エルル様の魔力は高純度ですから、それだけ召喚獣(わたしたち)にとってご馳走なのですよ」

「むー……。ボクも休みたいー……」


 机に顎を載せて頭を揺らすエルルだが、バハムートが妥協することはない。


 "せめて自分だけは少しだけ厳しく接しないと、エルル(主人)が駄目になる。"


 エルルにも告げずに、バハムートがこっそり自分自身に誓っていることだ。


「今日はエルル様の好きな物を作りますから」

「でもー……」


 今日のエルルはいつもより引き下がらない。普段であれば、本かおやつを出せば渋々納得するのだが。

 きっとそれだけ疲れているのだろう。


 エルルの体調を気遣う必要もある。

 一番傍にいる召喚獣として、エルルがあまりにもくたびれているのであれば、そちらを尊重するべきだろう。


 わかりました、と口にしようとしたところで――エルルとバハムート、二人は同時に顔を上げた。


「……貴族が来るのって、まだだよね?」

「はい。あと一時間ほど後の予定となっています。時間の厳守はエルル様への謁見の際に一番考慮することと先方には伝えております」

「じゃあ、この感覚は……」

「侵入者、ですね」


 エルルは優れた魔法使いだ。その才能は召喚魔法だけでなく、様々な分野に活かされている。


 その中の一つして、結界魔法がある。

 エルルが大陸の中央に広がる森を陣取れたのも、その結界魔法のおかげだ。


 指定した範囲内に、エルルが許可していない人物が入り込めば、それはすぐさまエルルと召喚獣たちに通知がいく。

 元より強力な魔法使いであるエルルと、その配下の召喚獣たちが何よりも速く先手を打つ。


 それこそがこの森を難攻不落の城塞と化していた。

 どの国も、迂闊には手を出せない……それほどまでに、優れた結界魔法。


「敵意は感じなかった。それに魔力の反応も小さいから……」

「恐らくは迷子、ですかね」

「多分そうだけど……」


 とはいえこのまま家の中で手をこまねいているわけにはいかない。

 何しろエルルは『終戦の英雄』なのだ。

 後手に回ってしまい、何かが起こってからでは遅いのだ。


「行こうか」

「私だけでも大丈夫なのですが」

「だいじょーぶだいじょーぶ。何か起こったらみんなも起こすから」


 エルルは三枚のカードを取り出すと、袖の下にそっと隠した。

 準備は万端。

 最悪を想定して後手に回っても大丈夫なように保険を掛けて、エルルは家の扉を開けた。


「エールルぅーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

「わぷっ!?」


 扉を開けた瞬間、エルルの視界は真っ暗になった。同時に全身が鋭く冷え込んでいく。

 エルルの視界を奪ったのは、成熟した身体付きの女性。


「あー久々のエルルの抱き心地ー!」

「ちょ、せるちゃん!? 冷たい、冷たいからー!」

「……セルシウス、やめなさい」


 エルルを抱き締めた女性は、エルルにとって既知の間柄であり、彼女もまたエルルの召喚獣(かぞく)の一人。


 腰まで伸ばされた青の髪。氷を彷彿とさせる鋭い青の瞳。

 豊満な肢体と、引き締まったウエスト。同じ女性でも見惚れるほどの麗人。


 彼女はセルシウス。

 氷を司る召喚獣であり、バハムートと並ぶ召喚獣(かぞく)の中でも最古参の一人だ。


「ぷにぷにしたい! ぷにぷにさせて!?」

「すとっぷ、すとーっぷ!」

「セルシウス、やめなさいと言っているでしょう」

「あぁんっ」


 エルルから離れようとしないセルシウスをバハムートが力尽くで引き剥がす。

 全身を震わせながらエルルはガチガチと歯を鳴らしている。


 セルシウスは氷の召喚獣だ。人の形をしているとはいえ、その身体はほぼ全てが氷で出来ているといっても過言ではない。

 そんな女性に抱き締められる――それがどれだけ寒いことか。


「……あ、あの」

「っとと、そうだったわ。エルルとの再会に興奮しすぎてすっかり忘れてたわ」


 びくびくと、セルシウスを追って少女が姿を現した。少女はセルシウスを見つけた途端に飛びつくように駆け寄り、ぎゅ、と服の裾を小さな手で掴む。


 酷く怯えつつも、その手だけは離したくないとばかりに力を込めている。

 セルシウスはセルシウスで、そんな少女を拒みもせず受け入れている。


 そんなどこか微笑ましい光景を見て、エルルが咄嗟に思い浮かんだのは――。


「せるちゃんの隠し子!?」

「んなわけないでしょ!」

「じゃあ誘拐!?」

「私にはエルルがいるわよ!!!!!」


 はー、はー、と大声の応酬を終えてセルシウスは少女の背中を押した。


「傭兵の国で一儲けして帰ってきたら、森の入り口でこの子を見つけたのよ」

「迷子、ってこと?」

「そうよ。それでとりあえずこっちに連れてきたのよ」


 背中を押されても少女は不安げな表情でエルルを見上げている。

 あまりにも小さな存在に、エルルも少しだけ躊躇した。


「ねえ、君の名前は?」


 ……意を決して、少女に声を掛ける。優しい声色で、膝を曲げて視線を合わせて。


 少女はびく、と身体を震わせてセルシウスの背中に隠れる。

 その態度にエルルの胸中はざわつくものの、少女はすぐに顔を覗かせた。


「……ミール」

「ミールちゃん、ね。ミールちゃんはどこから来たの?」

「あっち……」


 少女――ミールが指差した方向は、そのままセルシウスが来た方向だ。

 方角的には、北西の武芸の国が該当する。


「あっちってことは……国境に近い村かな?」

「ミザール村ですね。歩いたら半日以上は掛かると思いますが」


 目の前のミールを見て、エルルは首を傾げる。

 半日以上の道程であれば、幼子であるミールには厳しいものだ。

 ミールの全身を見れば、泥と汗に塗れている。


 つまり、ミールは何か目的があってこの森を目指していた可能性が高い。


「あ、あの……わ、ワタシ、『しゅーせんのえいゆー』様を見てみたくて……」

「ああー……成る程ね」


 エルルの名は既に三ヶ国に知れ渡っている。

 ましてや国境沿いの村ともなれば、その名が知られていても不思議ではない。


 ミールはきっと、村の誰かからエルルのことを聞いたのだろう。

 興味を抱いたミールは、エルルを見るためにこの森を目指し、そして森まで着いたところで、セルシウスと出会ったということだろう。


「えっと……ボクが、『終戦の英雄』だよ」


 特に隠す理由もないので、あっさりと正体をバラすことにした。

 何しろこんな小さな子が、半日以上もの時間を費やして会いに来たのだ。


 そこに悪意は一切感じられない。いや、あったとしたらエルルはすぐに見抜ける。

 ミールの単純な好奇心は、英雄を演じているエルルにとって心地良いものだった。


「お姉ちゃんが、えーゆー様なの?」

「そうだよ。ボクはエルル・ヌル・ナナクスロイ。沢山の召喚獣を従えた、もの凄い魔法使いなんだ」

「本当? わーい。わーい! えーゆー様だ! えーゆー様だ!」


 エルルの言葉を真っ正面から受け取ったミールは、先ほどまでの不安げな表情を一変させた。満開の花のような笑顔は、見ているだけでエルルの心を暖かくする。

 はしゃぐミールの頭を撫でながら、エルルは微笑ましく二人を見守っていたバハムートに声を掛ける。


「ねえハムちゃん、この子をミザール村に送り届けるべきだよね?」

「……それが狙いですか」

「てへっ」

「わかりました。セルシウスが留守番をするなら了解しましょう。先方もエルル様のご機嫌取りに必死ですから、こちらからの一方的な予定変更でも納得するでしょう」

「やったっ!!!」


 こうしてエルルは、憂鬱な謁見を後回しにする口実を得たのであった。


「えっ。なんで私が居残りなのよ。半月振りのエルルを堪能しようとしてたのに!?」

「せるちゃん、ハウスっ」

「犬じゃないわよ忠犬よ!?」

「いいんだそれで……」


 もはや召喚獣としての威厳もへったくれもないセルシウスであった。

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