第一話 死者を蘇らせる魔法1
また一人、人の魂を狩らなければならなかった。
一人の「魂を狩るもの」が、ボロボロのマントを羽織った痩せた体を誰も近寄らないような裏道の小道のひんやりとした石造りの壁に預けていた。誰もがこのものの存在を知る事なく、また誰にも存在を知られないように身を隠しながら冬の寒い朝を迎えていた。
これは、そんな孤独に生きていた「魂を狩るもの」がある旅人とあった時の話である。
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別に好きで魂を狩っているわけではない。むしろ人の一生を見ているのはすごく面白いので、あまり狩りたくはない。なにせ、人という生き物はこの大地の上にいる全ての生物のうちで最も知能が高いと俺は見ている。あくまで、生物の内でだが。
話は変わるが、俺のように魂を狩っている者たちは人間達よりもかなりの知識を持っているとよく言われる。無論、俺たちのような存在の最も上の存在である神ゼウスは、俺たちのような使いっ走りの下っ端よりも多くの知識を持っている。
自分で言うのもなんだが、俺は下っ端の中では相当の知識を持っている自信がある。
何故って?それを説明するには少し長い話をしなければならない。
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もう何千年も前、俺が「魂を狩るもの」として生まれ変わる前。
その頃はまだ俺は人間だった。俺がいた村では仲間達と狩りに行ったり、神を祀る祠を掃除したりと、いろいろなことをやっていた。作物が取れない冬や飢饉のときはみんなが食べる量を少しづつ減らしながら凌いでいた。
その頃の俺は自分で言うのもなんだが、筋骨隆々で疲れを知らず、無口に仕事をこなす働き者と褒められ、頼りにされていた。おかげで、若い頃からいろいろな仕事を任されていた。そして、よく勉強をした。そのおかげで、村の中でも一二を争う博識でもあった。今でこそ色々な学問が発達しているから、当時の俺の知識レベルは今の一般庶民と言われている人より少しできるぐらいだろう。いや、もしかしたらそれより低いかもしれない。
だが、高い身体能力と多くの知識を持っている代わりに、俺は感情というものの多くを理解できなかった。俺が理解できたのは怒りと喜びだけではなかっただろうか。
別に、それによって特段困るわけではない。むしろ、理性と本能の矛盾が起こらなくていいだろう。はじめのうちはそうやって客観的に分析できた。確かに、村の人々とのコミュニケーションに必要な程度の感情さえあれば大丈夫なはずだ。しかし、それは自分が今抱いている感情をある程度までしか他人に伝えられないことでもあった。
俺が周りから大人と認めてもらえるようになってから数年が経ち、いくつもの季節が巡った。
そして、その間に多くの仲間が死んで行った。
一つに飢饉がある。俺が生きてきた中で一番の飢饉だった。村ではほとんど作物が取れず、狩りをしようにも、ほとんどの獣も同じ飢饉の中にいたわけだから日を追うごとに痩せていき、終いには森の中のあちこちでやせ細った獣の死骸が見れる始末だ。
俺はなんとかそれを乗り越えられたが、村の中では老人や子供からどんどん亡くなっていき、最後に残ったのは今が盛りの男たちとたくましい女が全部で二十人ほど残っただけだった。俺と血縁的に近しいものは母を除いて全員死んだ。
それからは生き残った人たち総出で、多くの仲間が死んだ悲しみおも忘れて一心不乱に村の復旧に努めた。
その甲斐もあってか、飢饉が終わる頃には森の中では多少は肥えた獣を見れるようになり、村の作物も実りが豊富になった。その村に俺がいた間の中で一番の収穫だったのではなあいかと思っている。そして、神がもたらした恵みに感謝し、神に次の年の豊作を願う収穫祭では、俺を除いた誰もが泣いていた。悲しんでいた。
何故これほどまでに大きな飢饉が起きたのか。
何故自分ではなく、最愛のものが、親が、仲の良かった隣人が死んでいったのか、と。
悲しみを忘れて働いた分、豊かな生活が戻ると、彼らが抑えてきた感情が溢れ出した。
だが、俺は何故彼らが悲しむのかはわかっても、それを実感することはできなかった。何人かいた兄弟をなくし、父親を亡くしたのに。
そして、またいくつもの季節が巡った。
多くの仲間がまた死んでいった。
そして、俺の母親が死んだ。
母の死は突然だった。
俺が朝起きたら、普段は起きているはずの時間帯に母が起きておらず、布団の中に入ったまま起きてこなかった。疲れているのかと思って、俺は起こさなかった。
そして、昼頃に母の肌に触れてみるとそれはすでに冷たくなっていた。
そこで初めて母がもう死んだのだと理解した。
――ねぇ、母さん、起きてよ……
頭の中では理解したはずだった。理解できたはずだった。
でも、わかっていても、理解はできていても、認めたくなかった。
そんな願いは虚しく、揺るがない事実として俺に突きつけられた。
村長には母が死んだ旨を伝えた。
言っている最中は心の中では「そんなことはない」と、否定し続けられた。
でも、母が埋葬される段になった途端、否定ができなくなった。
今から考えると、遺体を埋葬するという行為は死んだ人が完全に死んだと決定する瞬間であり、残された遺族がけじめをつける瞬間なのだろうと思う。
俺が母は死んだと認めた時、それまで胸の中にあった大切にしまっていた物が何処かへ行ってしまったかのような、胸の中が空っぽになった感覚を味わった。
不意に目元が熱くなった。今までこんなことは起きなかった。でも、その正体を知っていた。今まで、何回も何回も見てきたから。それは人が悲しみや苦しみを味わっているときに出る涙だと。
その後、一晩中ひとしきり泣いた。気がついたら、夜も半ばになっていた。ずっと泣いていたせいか喉が痛い。もう随分前から涙は出なくなっていたが、いまだに目頭が熱い。
空を見上げると、そこにはまん丸とした月が輝いていた。いつもはなんとも思わない風景も、今日は冷たく見えた。
しばらく空を眺めていると、一筋の光が漆黒に染まった夜空を横切っていった。まるで、母が空から、
「大丈夫。あなたのことをいつまでも見守っているわ」
とでもいうかのように。
それから横になった。ずっと背中を丸めていたので仰向けになると背筋が痛かった。
泣きながら、俺はまだちゃんとけじめをつけれていないんだなと、思った。
でも、けじめをつけられていなくてもいいかなと同時に思ってしまった。
俺はきっちりとけじめをつけると母の存在を忘れてしまいそうだったから。もう、一生一人で生きていかなければならないということを自覚したくなかったから。