暗がりからの使者と剣
教会から郵便局、そしてキコの家までには少し距離がある。教会がもとは遺体安置所だったせいだろう。
曲がりなりにも城壁で囲まれているため野盗や獣に襲われる心配は無用。とはいえキコは帯刀を許されていた。火の聖女の側に身を置くものが武器のひとつも持っていないのは体裁が悪いからだ。火によって形作られた刀剣は人の牙。火を直接操ることのできない人は、火で以て作られる剣を神からの贈り物と考えていた。最も、神聖な物として崇められる剣は極数えられるほどだが。
キコが持つのは無骨だが牙としては申し分ない代物であった。
異変を感じたときには手遅れであった。
暗がりをひとり歩いていたキコ。彼が肩から下げていた鞄には、ルルの手紙、そして作りかけの衣装が入っていた。今このときは万の黄金より価値のあるその鞄が、見知らぬ者の手に握られているのだ。キコの肩にかかっていたのにも関わらず。
強奪者が鞄を開こうと手を動かす。
「止めろ!」剣を引き抜き、切っ先を強奪者に向ける。だが、まるで午後のひとときと言わんばかり。まるで気にした風もない。
闇に溶け込む濃紺の衣服。その暗い色合いが、余計に顔の青白さを際立てる。
「鞄の中身には触れるな」
助けを呼ぶには街はまだ遠い。しかし単身では勝てない。
魔術の使い手に剣で挑むのは正気の沙汰ではない。キコとて剣の心得はある。だが、程度の問題ではないのだ。魔術師と敵対したときの最善の手は逃げること。それが戦士の常識。
「鞄を置いて、この場から去れ。大事にはしない」
「威勢がいいな、流石火の仔の付き人。でも手ぶらじゃ帰れないんでね」手が鞄のなかに滑り込む。
目も眩む閃光が強奪者を覆う。
キコが脚を踏み出す。キコと強奪者の距離が詰まる。放たれた矢のような突きが、強奪者の脇腹から鮮血を散らす。
もう一度。キコの剣が弧を描く。しかし強奪者が素早く身を引く。剣は虚しく空を切った。途端にビクとも動かなくなる。キコが万力の力を込めても微動だにしない。地面から伸びた複数の黒い手が剣を仇のように握りしめているのだった。
剣を捨て、鞄を奪還して逃げる。これしかない。勝つ必要はないのだから。手を柄から離そうとするが、ひたり、と吸い付いて離れない。
「エグいことするね、あんたのとこの火の仔はさ」
地面から伸びる黒い手が、キコに絡みつく。命の火を奪わんとするかのような冷たさ。剣を握ったまま、キコは地にとき伏せられる。それでも顔だけは強奪者に向ける。
「火の奇跡か。見ろよ、鞄に突っ込んだ手がどろどろだ。あちぃあちぃ」言葉と裏腹ににたにた笑みを浮かべながら溶けた手をキコの眼前に垂らす。
「もらってくよ、鞄ごとさ。しかし、このままさようならはツマランな。あんたの腕をもらうってのも、意趣返しとして面白いかなぁ、どう思う?」
「やってみろ。片腕でも剣は振るえる。次は腹じゃなく心臓を裂く」
くっくと強奪者が喉を鳴らす。「じゃあ、な」
絡みつく黒い手に力が込められる。キコの意識が遠のく。
最後に思ったのは、しろいしろい、新雪のような白い服ののことだった。