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「どうやら、あちらはそう手駒を減らすつもりはないらしいのう」
「らしいですね」
また数日が経っていた。
拠点小屋での定期連絡で互いの状況確認を行い、打ち合わせをする。
あれから二度目の襲撃もあったが、威力偵察のつもりだったのか、三人だけの小規模なものだった。
もちろんこれは何事もなく片付けている。
今のところ屋敷の被害はゼロであり、雰囲気は穏やかに保たれていた。
「ですけど」
「ここからじゃろうなぁ」
しかし、戦争は推移している。
南進する大国ルスアノはいよいよ議会派の領域へと進行を始めていた。
あと二日もすればそこで戦闘が行われるだろう。
「上との連絡、できてるんですかね。あちらは」
「ふん。蛮族の考えとることなど分からん」
政治的なやり取りが交わされている割に、ルスアノの侵攻は止まる気配を見せていない。
少しぐらい遅滞するかと思ったのだが、国や軍の司令部と現場が噛み合ってないようにも思える。
「どちらにせよ、やることは変わらん」
「そうですね」
何事も無ければ、俺はそれでもいいのだ。
しかし、事態はそうはいかないらしい。
****
「アルノー様」
重苦しい声で導師の名が呼ばれる。
「どうされましたかな?」
導師は慇懃な態度で、答えを返した。
場所は屋敷の中、個人の部屋では最も豪華な調度が設えられた広い部屋。
つまり、屋敷の主人であるユーゴーの私室だ。
声の主はもちろんユーゴーで、彼の導師への態度はとても丁寧だ。
この屋敷を守るようになってからずっと観察しているが、彼が横柄な態度を取ろうとしている姿を見たことがない。
物腰の柔らかさは、やはり親子なのかナディアに似ている気がした。
「議会より私に参集の命が届きました」
ユーゴーが合図をすると、控えていた従者、屋敷の筆頭であるバスチアンがテーブルに置かれていた手紙を導師に渡す。
「ふむ、確かに」
議会派に命を狙われているユーゴーではあるが、彼の肩書きは皇帝派の元皇太子だけではない。
国民融和の象徴として、共和国議会議員として議席に座っていたりもする。
その肩書きを議会派は利用しようとしていた。
「受けられるので?」
もちろんその招待は罠であろう。
行けば、どこかで襲われる可能性が高い。
「ええ。責務ですので」
「左様でございますか、ならばお供いたしましょう」
導師は迷いなく同行を提案する。
議会派の所へ行けるのは彼にとっても都合がいいのだろう。
「いえ、議会へはバスチアンだけを連れていきます」
しかし、ユーゴーがそれを拒んだ。
虚をつかれた導師は一瞬だけ固まって、その後片眉を吊り上げる。
バスチアンだけでは戦力が足りない。
有能な従者であろうが、危険すぎる。
「アルノー様には、この屋敷に残っていただきたく思います。ソフィアも、ナディアも、ここに居ますので」
「……」
……なるほど、なるほど。
事態は切迫している。
向こうがどういう手段を取ってくるか、ユーゴーには分からないがいくらかの想像はつく。
もしかするとユーゴーを落とすためにまず狙われるのは本人ではなく、屋敷の家族の方かもしれない。
そんな考えの元に、屋敷の中の最大戦力である導師に妻子を守らせようというわけだ。
「私がおれば、屋敷は無事で済む。そうお考えということですかな?」
「ええ、貴方なら」
「しかし、屋敷には他の従者も居るではありませんか。なぜバスチアンだけを?」
ここの従者は全員がよく教育されていて隙がない。
下働きは別だが、従者として付いている全員が相当の実力を持っている。
連れていく人数を増やせば、ユーゴーは助かるかもしれない。
「皆よく働いてくれて、信用のなる者達です」
ユーゴーが気弱に笑う。
それから、だからこそ、と。
「私は彼らが犠牲になって欲しくはないのです。……上に立つ者としては失格の考えですがね」
俺からすれば、リーダーの鑑のような言葉だ。
しかし、この世界で上に立つ者というのは、部下を如何に上手く使うかが求められている。
その方法がどうであれ、だ。
ユーゴーの父、つまりは最後の皇帝は自ら毒杯を仰いで現在の皇帝派たちを守ったが、あれこそ負け犬の末路とも哀れむような世界である。
「ふむ……他の、ソフィア様からの了承は取っておいでで?」
「いえ、私の独断です。ですので、皆の前でアルノー様には知らぬふりをしていただければと」
「なるほど……」
導師がユーゴーに付いていくフリをして、実はそのまま屋敷に残る、ということだろう。
まあしかし、結局それでは何も解決していない。
「ふむ。ところで、ユーゴー様」
「なんでしょう」
導師から特定のリズムで魔力が発された。
ユーゴーはもちろん、屋敷の中の誰にも気が付かれないような微小なそれは、カイトを通して屋敷の中を覗いている俺への合図だ。
タイミングを見よ、とのことだ。
……うへぇ。
事前に打ち合わせていた中では、今後が一番面倒なパターンである。
どこかで挽回できるだろうか。
「もしも、私が居なくともこの屋敷を守り切れる手札があるとしたら、同行は可能でございましょうか?」
「それは……」
「信用のなる者です。決して屋敷の中の誰かに手出しをすることは無い。その上、実力は申し分も十二分にある」
【変身】、【変装】、【変声】を一瞬で重ねがけて準備する。
「願ったり叶ったりではありますが……そんな話があるのですか?」
「はい」
再びの信号。
内容は招集命令。
導師が一歩横にズレた。
そこに転移しろということだ。
最後に自分の姿を確認する。
仮面を被っておらず、背も高いが、結局ゼロの時の姿とそう変わりない。
顔の造形も最終的にはどこか似ている気がする。
変装のレパートリーを増やさなければならない。
ぼんやりと考えながら、【転移】を行使した。
「失礼する。ユーゴー・ド・フランクール」
「!!」
突如現れた俺に、ユーゴーとバスチアンが驚愕していた。
転移魔法はレアな魔法だ。
王国だと個人で使うことを広く知られているのは王国の騎士団長とその息子、それから宮廷魔術師の元トップぐらいである。
あとは少し前に、公爵領で転移魔法を使う者が博物館を襲ったと話題になったぐらいか。
「以前、仕事の際に偶然出会った稀有な魔法を使う者でございます。名をファイ。実力は、見ての通りで」
「ファイだ。アルノーには借りがある」
ファイの風体は見るからに怪しげであるが、導師がそのあたりを保証する。
そのために少し小芝居を挟んでおく。
「ファイ。あの時の分、返してもらうぞ」
「ああ」
「ふむ……しかし、ここからは一応仕事ということにしておくかのう。ほれ、報酬じゃ」
「……わかった」
ファイと導師の出会いなどは無いし、渡されたのもただの紙切れだが、こうすることで多少の信憑性は出るだろう。
俺も導師も芝居は大根ではないし、むしろ得意な方だ。
「ああ、ユーゴー様。実のところですが──」
そこに様々導師が付け加えていく。
ファイが以前から屋敷の防衛に回っていたことや、今日ここで紹介すべく待機させていたこと。
それから、俺も知らないファイのプロフィールなどだ。
どうやらファイはその能力を駆使して国境も越えて仕事をする裏稼業の男らしい。
マルチリンガルを活かした諜報が専門だが、戦闘力はピカイチ。
今は同じ転移魔法の使い手である、シアラー公爵領博物館襲撃事件の犯人を追っているようだ。
……うん、マッチポンプもいいところだな。
「こやつを屋敷に置いておけば、私は貴方様に付いて行けますかな?」
黙して聞くだけ、導師に交渉させておく。
俺はもしここで断られても勝手に屋敷の防衛に加わる。
手札として俺を見せているのは単に、導師のエゴだ。
俺にとっても導師が向こうにいるなら多少の手間が省けるからありがたいが、必要な条件ではない。
「……考える時間をいただいても?」
「ええ」
まあ、ファイへの信用など、様々考えることがユーゴーにもあるだろう。
議会に指定された日時は三日後だ。
といっても、既に導師はどこか喜びを示している気がするから、結局はなるようになると思う。
導師がこういう交渉に失敗する想像が付かないし、これで話し合いは終わったということでいいだろう。
というわけで、一縷の望みをかけて切り出してみる。
「では、我は──」
「ファイ様、これから屋敷の者に紹介させていただきます。部屋の準備などもありますので、こちらへ」
出ていくと言う前にバスチアンに指示された。
「いや、我は──」
「ファイ、根無し草のお前さんには慣れんかもしれんが、そちらの方が都合が良い。案内されよ」
断ろうとしたところに、導師が差し込む。
導師の目が笑っている。
わざとだ、この人わざとやってる。
ここに姿を現した時点でそうなることは決まっていたようなものだが、俺はこの屋敷にあまり留まりたくない。
導師にその旨をきちんと伝えたのが逆効果だった。
面白がってやがる。
バスチアンが部屋を出て人を呼んだ。
「カミーユ、彼を空いている客室へ」
そして、よりにもよっての人選だ。
「……彼は?」
「アルノー様のご友人だ。彼に雇われてここにいらしてくれた。後ほど、また皆に紹介する」
「……分かりました」
いつ、どこから入ってきたのだと問い詰めたそうにしているカミーユの視線から目を背けたくなる。
いや、変装して知り合いに会うのはめちゃくちゃ恥ずかしい。
キャラ作りをしっかりしてしまったために変な一人称を使っているし、それで会うのは結構キツい。
まあ、そんな情けない理由の他にもバレそうで気が休まらないとか色々あるのだが、決して居心地のいいものでは無い。
俺の心臓はそんなに強くない。
そんなことなら、ずっと近くの家の屋根で座っているので良かったのに。
これはわざわざ俺を招き入れた導師のせいだ。
頭の中ではごちゃごちゃ考えつつ、無表情を貫く。
【変装】の設定で、感情が表情に出ないようにしておいた。
「ああ、そうだ」
後ろから声がかかり、連れ立とうとしたカミーユと俺が足を止める。
ユーゴーが言う。
「後で妻子にも紹介させてもらう」
「……分かった」
……いや、緊急時以外に会うつもりなかったんですけど。
彼の後ろで、ニヤニヤした導師に溜息が出そうになるのをぐっと堪えた。
ありがとうございました。