防衛
お久しぶりです……
「陛下の首が誰かに落とされなかっただけ、奇跡じゃったのかもしれんのう」
彼は言う。
二十年前、帝国の中で革命の熱は広がり、皇帝の求心力はほぼ失われていた。
勝利を確信していた当時の革命派のトップ、今もなお政権の長をしているヴァレール・サンソンは非暴力による美しき革命を掲げた。
結局成功することになるその革命に、表立った争いはなかったと書物は語っている。
しかし、裏での戦いは常に行われていたと導師は口にした。
多くの襲撃と抵抗が暗部では行われていたそうだ。
そしてある衝突の起こった日は、帝国が終わる前日となった。
革命派が切り札の強力な駒を動かし、帝城へ夜襲を仕掛けたらしい。
その時皇帝を守護していたのは帝国騎士団の近衛と、導師の所属した秘密部隊──"影"。
しかし、既に騎士団も影も疲弊しており、更には革命派の籠絡による裏切りでの弱体も進んでいた。
派手な戦いをする騎士団が動くのを良しとしなかった革命派は、外部組織を使った工作によって騎士団を帝城外部へ誘導。
それにより、最後の戦場では数人の近衛騎士と"影"を合わせた十数が、数十の戦力を相手取る形になったという。
その場で発覚した更なる裏切りも、数の差を付ける要因となった。
皇帝側の戦力は当然のごとく数の暴力に圧され、相手を道連れにしながらも次々に散っていく。
しかし、そんな絶望的な状況でも皇帝と彼の一族は逃げ延びることに成功していた。
そんな奇跡に導いたのは、ただの一度の栄光を与えられることも無く、深き影に身を置き続けていた一人の男。
まだ二つ名を持ってすらいなかった"影"の一人、アルノーだった。
彼は古くから恐怖の象徴とされてきた暗殺者集団も、騎士団を裏切ったナンバースリーも、革命派の重役に寝返っていた元"影"のトップも、一切合切全てを相手にしながら、巧みに遁走戦を成功させた。
彼が見せたのは同じ"影"の同僚にすら想像の外にあった、真の力。
皇帝の勅命を受けた単独行動の時にだけ振るってきた全力をもって、敵対者を屠ったのだ。
誰よりも深い闇の中で皇帝の治世を守るために振るってきた魔法は慢心と油断に満ちた相手に打ち破ることのできるものではなかった。
だがしかし、数と量の暴力はこの魔法の世界にも存在する。
完璧な撃退をすることは流石に叶わず、最終的にはギリギリの撤退を余儀なくされることとなる。
ナディアの父であるユーゴーの前に姿を晒すこととなったのもこの時だったらしい。
帝城を脱出し、護衛も僅かとなった一行は導師が用意していた隠れ家へと辿り着き、ほんの一時、緊張していた体を休めることができた。
「そこで陛下と言葉を交わせたのはいくらかだけじゃった。じゃが、直ぐにわかった。革命を、裏切りを……それが民意だと、陛下は受け入れなさっておったと」
導師を含む残りの者は何とかその考えを翻そうと言葉を尽くしたが、動き出した帝を止められる臣下はいない。
翌朝、僅かな供回りだけを連れた皇帝は革命派に退位の意思を伝える。
そして、表立っては平和裏に政権の移行が行われると発表し、笑顔のまま民衆の上から退いた。
それから間もなく、これ以上の争いの火種を起こすことを避けるために、自ら妃と共に毒杯をすすったという。
自らの息子も含めた、臣下や国民がこれ以上犠牲にならないための約定を取り付けた後の話だったらしい。
その全てを、歴史の影から彼は見ていた。
****
「許せるわけがなかろう」
冷えきった声色が響いた。
皇帝は自ら持った権威をかなぐり捨て、虚勢の中で政権を譲り渡し、そして、この世から去った。
生まれた時から人の上に立つため育てられてきた彼にとって、それは全ての否定ともいえるような決断だっただろう。
「あの肥え太った豚どもは……私欲のために約定を破棄した」
普段の飄々とした立ち姿の老人はそこにいなかった。
熱心を超えて苛烈に、皇帝の意思を信仰する一人の忠臣が憤怒に満ちた姿で立っている。
「あの時、わしごときに阻まれた虫共が、だ」
自分に向けられたわけでもない殺気に、首筋がチリチリとした感覚を得る。
「それが今度は、敵国が迫る中で殿下たちを狙う……? 抜かせ、抜かしよる。許せるわけがない」
あまりの剣呑さにヒスイが飛び出しそうになるのを宥めつつ、導師の次の言葉を待つ。
「のう、レイ」
俺への呼び掛けだった。
熱に揺れた目にのぞき込まれる。
普段の制御された温度感の彼とは全く違う、剥き出しの感情がぶつけられている。
「お主は、姫を助けるのであろう?」
「はい。そのためにここにいます」
俺の迷いのない肯定を聞いて、彼は目を瞑り、また開いた。
その間に先程までの魔力の揺れも収まっている。
いつものどこか楽しげに思わせる姿に戻っていた。
……いや、それよりもっと……。
「そうか」
そして口元も綻ばせると、くるりと反転して、拠点から出ていった。
手にはいつの間にか空になりかけている酒瓶があった。
鼻歌なんかが聞こえてきて、上機嫌なのが分かる。
取り残された俺は頬をかく。
「そういうこと、だよなあ……」
多分、俺と導師ではスタンスが違った。
どうしようか、普通に困る。
****
それから、数日後だった。
「……」
ナディア達の屋敷を見下ろす、近くの建物の屋上に俺は座っていた。
……三人組が、三つか。
座ったまま、不審な動きをする男たちの姿を捉える。
どうやらいよいよ、第一陣というわけらしい。
フランクールとルスアノの戦況はいよいよルスアノ軍が議会派の支配する街にまで差し掛かろうとしている。
皇帝派の支配する土地をルスアノに割譲することで講和しようとしている議会派としては、自らは無傷のままに終わらせたいのだろう。
見込まれる反発において、皇帝派の神輿になりうる元皇太子ユーゴーやその家族を消しておくというのが今の議会派の魂胆だ。
もしくは、人質にして皇帝派を黙らせるためか。
どちらにしても、ナディアの身の安全は保証されない。
俺が動くには十分な理由である。
見下ろす怪しい影に会話はない。
既に全てが打ち合わせされているらしい。
しかし、だいたいの配置と準備で意図がわかる。
相手の三人組はそれぞれ三方向から強襲、奇襲、後詰めを行うような段取りだろう。
ならば、順に潰していこう。
「【転移】」
まずは強襲組のいる、正門へ。
****
俺が目の前に立つと、暗殺者三人は瞬間に警戒を強めた。
よく訓練されているのが分かる。
「少し待て」
「……」
向こうは誰何する声さえ出さない。
じりじりと間合いを調整しつつ、臨戦態勢に入っていた。
「動くなということだ」
「!?」
【影縛】を展開して、三人を封じ込める。
そうでもしないとすぐに反撃されそうだったし、信号弾でも上げられそうだったのだ。
流石に三方向から同時に襲撃されると俺も対応に困るし、不測の事態が起こりやすくなる。
「確認させてもらう」
今の俺は【変身】で元になる体を変えてから、【変声】、【変装】を重ね、更には変装用の仮面も被っている。
魔力の質もいつものものとは変えているし、俺より多い魔力量で暴かれない限りは正体に繋がることはまずないだろう。
「依頼主は議会派か? フロリアン・サンソン、ヴァレール・ジェルマンの名前に心当たりはあるか? 戦争を終わらせるため、もしくはそれに類することを理由としたか?」
どうせ返事はされない。
質問を叩きつけ、魔力の揺れで白黒を判別する。
結果はオールブラック。
つまり、全て想定通りの裏事情だ。
「そうか」
指一本動くことを許してはいない。
途中から何かを叫ぼうとしていたが、それは口の中の空気をいじらせてもらったので失敗している。
次に移るために彼らの意識を奪っておく。
特に魔法は使わず適当な量の魔力をぶつけて、その後、【影糸】でぐるぐる巻きにしておいた。
そうこうしている間に、残りの二組が動いた。
向こうも不測の事態に備えた決まり事があったのだろう。
あまり時間も経っていないのに、すぐに行動を変えられるあたり、相手方も優秀なのだと思う。
ならば、こちらも手を抜くことなどできない。
「【信号】」
おそらく既に気づいてはいるが、導師に合図を送っておいた。
襲撃は屋敷の中に知らせない方向だ。
「【聖盾】」
転移魔法でその場所へ飛ぶには、事前にポイントを置くか、視線を通すかをする必要がある。
風魔法で空を飛べばいいのだが、この姿で使える魔力属性は光と闇だけに決めているから、光の盾で空中に足場を作って、その上に転移した。
見つけた。
襲撃者の一人、その直上に転移する。
駆けていた彼に空中で蹴りをお見舞いしてから、宙を翻って着地。
不意をついたが、それも意に介されることなく相手は構えた。
一瞬で昏倒とはいかなかったようだ。
頑丈さもなかなかである。
「待て」
俺に蹴られた一人はこちらに構え、残り二人が屋敷に向かっていく。
「動くなということだ」
先ほどと同じ言葉になった。
変装中はこうなりやすいから困る。
目の前の男の意識も魔力をぶつけて刈り取る。
走っていく奥の二人とは距離があるから、【影縛】を使おうとする。
しかし場所が悪い。
他の光源が無くて影が薄いせいですぐに抵抗されそうだった。
「【光球】」
四つの光球を浮遊させ、対象を照らす。
それから、もう一度【影縛】。
「……!」
「頼んでいるわけではない。命令だ」
余計な手順を増やしたせいで生まれた隙に、相手の一人から何かしらをボール状にしたものが地面に叩き付けられそうになった。
とりあえず、割れる前に【亜空間収納】の中にしまっておこう。
明らかに怪しげだ。
恐らく毒煙幕とかそんな感じである。
「次に行く。そこに寝ていろ」
それから近付いて、先程と同じ手順で無力化していく。
昏倒させて、捕縛だ。
「……」
次の三人組で最後だ。
既に相手の損耗率は六割を超えているから撤退してくれたらいいのにと思うが、そうはいかないらしい。
ここから目に見える距離にあるルートを通って彼らは屋敷に迫っていた。
「……」
その彼らの姿を眺める。
どうやら、俺が手を出す必要は無さそうだった。
……あと五秒ぐらい、かな
それからきっちり五秒後、彼らの姿が突然消えた。
「えぐいなぁ」
変装用の口調が思わず素に戻る。
賊たちが突如として現れた影に縛られ、足元にできた闇の中へと引きずり込まれていったのである。
屋敷の中で酒を飲んでいる導師の魔法だ。
俺も魔法特訓の時に受けたことがあるが、本当の暗闇というのは結構精神的に来る。
それに加えて、闇空間では呼吸ができない。
「……ふぅ」
今日のところはこれだけで十分だろう。
足元に転がる暗殺者達を見下ろす。
しばらくもすれば導師が処理をすることになるだろう。
「……」
『そのままでいいの?』
「……うん」
ルリが問いかけてきた。
思うことが無いわけではない。
しかし、考えすぎてしまっては自分の身が潰れてしまうのだろうと予測がつく。
敵対した時点で慈悲は持つべきでない、そうやって、未だに男たちを闇から解放していない老人は断言するだろう。
「大丈夫……」
手に力が入る、胃が痛む、背中が粟立つ──
──だけど。
「戻るよ」
彼らをそのままにして、俺は拠点へと転移した。
エタりはしません……ほんと……