フランクール首都へ
というわけで導師が諸々の調整をした数日後、ナディアの家にお邪魔している。
旧皇家の屋敷は現首都の少し外れたところにあり、庶民の感覚からすると十分に大きなものだった。
平和な無血革命によって共和制へと移行したと謳うこの国では体裁の面もあるのだろう。
『二人ともありがとう。しばらく遊んでてもらっていいよ』
『やったー! 行こうぜ、カイト』
『慌てるな、フウマ。ではレイ様』
『うん、行ってらっしゃい』
『行ってきまーす!』
常にナディア本人を見張ってもらっているカイトとナディアの家族を見てもらっているフウマにお礼をして、見張り役のバトンタッチをする。
今からしばらくは俺の仕事だ。
荒事になった際、精霊より人間の方が力を振るっても大事にはならないからこちらの方がいいのである。
「さて、と……」
そろそろだと思うけど……
普段から常に広げている魔力探知の範囲を意識的に広げ、導師の居場所を探っていく。
ああ、導師は無事街に入れているようだ。
転移魔法で街道近くの適当なところまで送ったが、合流までに案内人探しがあると言っていた。
連れ立った人物がいるのは目的は果たせたということなのだろう。
相当高齢だが、それなりの魔力量と熟練の気配を感じるあたりは護衛の一人かそれに準ずるような人物か。
導師は旧皇家、つまりナディアの家族に繋がりがあると言っていた。
それでその伝手を辿って今回は表側からナディア達家族を守るというのが彼の役目だ。
俺が裏方に回る。
探知をデフォルトに戻し、意識を足元の屋敷の方に戻した。
ナディアの家にお邪魔していると言っていたが、今回はあくまで裏方だからもちろん堂々と客として、というわけじゃない。
色々と自分の存在を隠蔽する魔法をかけながら、俺が立っているのは本館の屋根の上である。
足裏から中の住民へバレないように微細な魔力を流しつつ屋敷に異常が無いかの点検を行ってみる。
建物の補強を行う魔法の一部に劣化している部分はあるが、あとは問題点も無さそうだ。
地下から外に抜ける抜け穴があったりするが、おそらくは設計時点からの避難口であろう。
一応、悪用されないように意識しておこう。
……おっと。
他の間取りも頭に入れておこうと作業を続けていたところで魔力を霧散させた。
魔力の扱いに熟達して、常に周囲に気を配っていると、魔眼が無くとも他人の魔力には敏感になる。
こちらが繊細さを心がけていても建物全体を覆ったりすればさすがに気が付かれてしまうものだ。
こちらも色々工夫はしていたが、思ったより早かった。
……うんうん、よく頑張ってるよ、お前は。
雑務の最中にも違和感があったのか、警戒を始めた青年従者の魔力を感じてからその場を離脱した。
『二人とも、ちょっと早いけど戻ってきて』
『かしこまりました、レイ様』
****
既に導師は館に到着している。
カイトからの報告によると案内人は館の取りまとめも行うフランクール家従者筆頭であったらしい。
思った以上の重要人物だ。
『アナタが向こうじゃなくてよかったの?』
『導師から後で聞くよ。フウマ達もいるし』
『そう』
質問をしておきながらヒスイは答えには無関心だ。
その態度に思わず笑ってしまうのは信頼を感じられるのが心地いいからだ。
俺がいいならそれでいいらしい。
森の中で拾った木の枝を振りながら、緊張感の無い雑談をする。
『ヒスイと二人でっていうのも久しぶりだね』
『ルリが珍しく付いてこなかったものね。まあ、水のはみんな過保護なのよ』
『俺としては、その気持ちが嬉しいけどさ』
怪我をしたら誰が治すのなんて言って、外に出る時は基本的にルリ、シズク、カイトの誰かは俺に付いてくる。
しかし今はルリが何か用があるらしく外していて、シズクとカイトも秘密基地とナディア家の見張りにそれぞれ着いてもらっているから動けない。
大概の怪我は自分で何とかできるからいいのだが。
それにもしもまずい状況になったら直ぐに呼び寄せるし、なんなら向こうが任務も放り出して飛んで来るだろう。
……それにヒスイもヒスイだし。
『アナタ、何か変なこと考えなかった?』
『ううん、何も?』
心の内でのつぶやきに対してヒスイがジトっとした目で追求してきた。
わざとらしく笑って誤魔化しておこう。
無茶をさせてくれないのがルリだけど、俺の無茶をさっさと終わらせようとしてくれるのがヒスイのやり方だ。
面倒そうだったでしょうなんて言って手を回してくれる。
ありがたい時もあるのだけど、自分の実力を伸ばすのにはあまりみんなの力を借りすぎたくないとも思う。
『それで、来るけど?』
『うん。それじゃあヒスイ、いいね?』
『……わかってるわよ』
うるさい羽音に気付かないはずがない。
釘を刺してから手に持った"武器"を構える。
飛んできたのは殺魔雀蜂。
特徴は大きい、速い、堅い、強いだ。
地球にいた頃の雀蜂が可愛らしく見えるような子猫サイズの蜂が高速飛翔してくる。
昆虫型の魔物にありがちな堅い甲殻と鋭い顎はもちろん持ってるし、雀蜂だから猛毒もある。
大型車サイズの突撃猪を一刺しで昏倒させるのを見たことがあるから、その毒の恐ろしさは推して測るべしだろう。
単体でCランク、群れでBランクに位される危険な魔物だ。
「来い」
魔物は魔力を喰らい生きる。
より多くの魔力を喰らい、自分の持つ魔石に蓄え、力を付けるために。
故にあれらの生態系は魔物同士で潰し合うし、魔物ではない生き物も世界に残っているのだが。
そんな特性があるわけだから、攻撃性を見せてこない魔力の塊には面白いぐらい寄ってくるのだ。
今回は自分から煽った。
『アナタ、それで戦うの?』
「なんとかなるよ」
今日の装備は市井に紛れるために着ていた半袖半ズボンのままだし、武器は木の枝一本。
冒険者と遭遇したなら唖然として目を擦られること請け合いの舐めた格好だ。
キチキチと顎を鳴らす音がすぐ前に。
「うん、速い速い」
……だけど……
「ヒスイに比べれば」
俺の首を狙ったらしいその一撃は空を切っている。
羽の無い俺でもその数倍早く飛べるし、そのスピードから全方向に切り返すことができる。
しかし残念ながら彼はそこまでではないようだ。
風の精霊様の加護が足りてない。
通り過がり、横合いに体が残っていた。
……昆虫型の魔石は胸の部分……!
「そいっ、と」
右手で持った小枝による突き。
ちゃんと甲殻を貫くために武器強化は普段の数倍だ。
魔力操作の手間も普段の数倍だが。
けれどこれのおかげで普通のレイピアより余程貫通力を高くなっている。
慣性だけ残したまま目の光を失った蜂が地に堕ちた。
頭と腹の部位に傷は無さそうだ。
「顎と腹の中身、それから針は色々使えるんだよ」
『だからってその武器で挑むのはどうなのかしら……』
「だってタダだし。ニンゲン、お金は大切だから……」
そこら辺で武器が拾えるならそれを使うに越したことはないじゃないか。
ジェンナーロが格安で武器の修理もしてくれるけど多少なりともかかるわけだし、金策は大切だ。
『それで、ワタシは何もしないけど……いいの?』
「もちろん」
手早く死骸を【亜空間収納】に回収すると今度はちゃんとした武器を持つ。
手数重視で両手に短剣だ。
「……さあ、来い」
群れる昆虫型は何かしらの誘引作用を持っていて、一体を倒すと何体でも現れるのがセオリーだ。
今も二桁以上の羽音が聞こえてきた。
「そのまま巣まで案内してもらおう……!」
Aランクオーバーの女王蜂と巣の中身は市場に出回らない逸品だ。
上手く捌ければ金貨が数枚は増えるだろう。
****
「随分と機嫌の良い顔をしておるのう」
「導師こそ……って、飲んでますね?」
「ご馳走していただいた」
夜も静まりきった頃、俺が即席で作り、二人で一緒に限界まで隠蔽を施した拠点小屋に導師が帰ってきた。
今回の作戦で俺が表立って導師と行動を共にすることは無い。
接触はできないこともないと思うが、定時連絡的にここで報告をすることになっている。
「……じゃが、精霊様には見させておったんじゃろう?」
「それは、はい」
「説明はいらんのではないか?」
「いや、詳細は欲しいですよ。二人の報告も完璧というわけじゃないですし」
一言一句逃さず聞いているわけじゃないし、報告は聞いておきたい。
それに何かしら新しい話を聞けるかもしれない。
「ふむ、要らんことも考えとりそうじゃのう?」
「いえいえ、そんなわけ」
どうせ俺の考えていることなどお見通しなんだろうけど、片眉を上げた導師にはとりあえず首を振っておく。
案の定というか、ため息をつかれる。
「はあ……まあ、乗っかってやるとしようかのう。首尾は上々も良いところじゃよ」
「いきなり食客扱いでしょう? ほんと、どういう縁なんですか?」
「昔、陛下……ユーゴー様のお父上に雇われておっただけじゃよ」
陛下ってことは、それって。
「皇帝直属……」
「端役じゃったがなあ」
「それでもです。いや、うん、導師の実力なら納得ですけど」
「ほっほっほ。君主の直属なぞ、今のお主なら狙えるじゃろう?」
実力だけ言えば問題は無い、と思う。
問題はコネだろうか。
師匠、は出奔してるから無理だろう。
団長の伝手を使えば行けるだろうか。
「まあ、ノーコメントで」
「否定できんのが難儀じゃの」
……別に、国王陛下直属だなんて目指すつもりも無いし。
と、ここで話が逸れていることに気がつく。
今は俺の事などどうでもいいのだ。
くつくつと笑う導師に再度質問を投げる。
「導師はナディアのお父さん、あー、ユーゴー様から直接頼まれたと聞きましたが。向こうから?」
「そうじゃ。あちらから言っていただいた」
「面と向かって?」
「うむ」
「……元々面識はあったってことですか?」
皇帝陛下の直属だからといって皇太子と繋がりのあるようには思えない。
これが宮廷魔術師とか華々しい舞台に立っていたとかいうなら話は別だが、この人に限ってそれはありえないだろう。
「殿下……ユーゴー様とは一度きりじゃったな」
「それで、今?」
ただそれだけで暗殺未遂に合った元皇太子が味方に引き入れるだろうか。
「その一度というのは……?」
「ふむ……そうじゃのう……」
一度瞠目し、またゆっくり開く。
それから目を細め、ほんの少し、普通なら気づかないぐらい少しだけ眉間に皺を寄せる。
「……」
「…………」
「………………飲むか?」
「飲みませんよ」
どこからともなく導師の手元に酒瓶が現れ、俺の方に口が向けられる。
生憎こちらは未成年だ。
お酒なんて飲んでいたら母さんに怒られるだろう。
くつくつと笑った導師は断られたのを気にすることなく自分の喉を濡らしていた。
それで踏ん切りが付いたのか。
「──わしが冒険者になる前。……イアン達は駆け出しで、ジョゼフがまだ聖壁と呼ばれる前じゃ」
ゆっくりと語りを始めた。
その声はよく聞いた軽い調子の導師のものではない。
激動に生きてうねりに抗った男の深い悔恨が込められた声だった。
──そして、闇に隠された歴史は語られる。
ありがとうございました。
エタることだけは絶対にしません。