街に来る
去年の旅の途中のことである。
「うおおおおおお!!!」
「遅いな!」
「ぐあー!」
訪れたある街の冒険者ギルドは閑散としていて、中に入ると大人と子供が修練場で剣術の特訓をしている声が聞こえてきた。
「すみません」
「まあ……こんなところにどうしたの? お嬢ちゃん」
少し前のことを懐かしみながら、受付のお姉さん、と言うにはやや年上の女性に声を掛ければ、旅も終盤で幾度となく繰り返されたリアクションをされる。
「ここには旅の途中に立ち寄りました。ええっと、この書類と……ギルドマスターに会えますか? イアン・バークリーの弟子だと言えば……」
「まあ、イアンさんのところの! すぐにあの人を呼んでくるわ」
旅の途中で気付いたことだが、お嬢ちゃんという誤解を解く必要はあまりない。
用件だけを簡単に伝える。
すると彼女の反応は俺の予想以上によく、すぐさま裏の訓練場へと入って行った。
どうやら彼女はここのギルドマスターの奥さんだったらしい。
「あなた! イアンさんのお弟子ちゃんが!」
「おお、遂に! ……ん? お弟子ちゃん?」
「ええ、とっても可愛いらしいお嬢さんだったわ」
誤解を解かなかったために、あらぬ齟齬が生まれてしまった。
出てきた青紫の髪のギルドマスターが、話では男と聞いていたんだが、と呟きながら表に出てくる。
「はじめまして、ウォーカー伯爵領から来ました、トルナ村のリーンの息子、レイです」
名乗り上げて早めに誤解を解くと、長身の彼は臙脂色の瞳を丸くしてまじまじと俺を眺め回し、彼の後ろの奥さんはまあ、と口に手を当てた。
それから仕切り直して、彼も挨拶を返してくれる。
「遠路はるばるよく来てくれた。はじめまして、俺はここでギルドマスターをやっているニール・ベインズ。後ろのは妻のナタリーと、息子のウェインだ」
二人も紹介してくれて、俺は会釈をする。
それで、ナタリーさんは優しく笑いながら返してくれたのだが……
「なあ、こんな女ほっといて早くやろうぜ、親父」
ニールさんに勝ち逃げされたのだろう。
不貞腐れた顔で俺を無視してから、眼中に無いといった口調で特訓を催促した。
しかし、俺は息子とちゃんと名乗ったのだが彼は言葉の意味を知らないのだろうか。
「ウェイン、後で相手をしてやるからちょっと黙っててくれるか?」
「ごめんなさいね、レイくん」
ナタリーさんの謝罪には笑顔で大丈夫ですよと答える。
しかし、そこで黙れと言われたはずのウェインが俺を眺めてから、宣う
「冒険者の真似事? やめとけって」
鼻で笑うという言葉が良く似合う嘲りだった。
……そりゃあ、よくないね。
この時からウェインの体格は大きかった。
こんなチビにオレは負けない、そんな彼の心が透けて見えた。
「おい、ウェイン」
「ウェイン!!」
「いいんですよ。ニールさん、ナタリーさん」
親として彼を咎める二人に、俺はニコリと微笑む。
困った顔をして二人が目を見合わせた。
その時に二人が何も話さなかったのをいいことに、俺はウェインに申し出る。
「ウェイン、って言うんだったな」
「んだよ」
「特訓がしたいなら、俺が付き合ってやるよ」
「はあ!?」
……ちょっとお灸を据えてやらないとな。
別に弱そうと言われたとか、女と言われたとか、そんな瑣末なことにイラッときたわけではない。
ただちょっと、前途有望だろう少年のメンタリティがこれじゃあ大成しないだろうという老婆心が芽生えただけだ。
その時、俺の話をマスターから聞いていたニールさんは、苦笑いで俺を見ていた。
****
それが今では、興奮した大型犬のごとく前のめりで両肩に手を乗せ、弟子にしてくれと懇願するありさまである。
「待て」
「なんで!」
「いや、約束が違うから」
「──あっ……」
あの時しっかりとお灸を据えた後、彼にやけに懐かれて数日間街に滞在した。
その別れ際、今すぐ弟子にしてくれと懇願されて、俺はウェインにある一つの条件を出していた。
ここに彼がいるのも、その条件があるからなのだが、前後関係がぐだぐだになっていたらしい。
「まだ試験も受けてないだろ、気が早い」
俺が出した条件というのは、学園への入学だ。
ハードルが高いと思うが、今すぐと言ったのだから仕方がない。
「はい……でもオレ、頑張ったんですよ!」
「そうだな、良くわかるよ」
「ほんとですか!!」
以前会った時より、ウェインは大きくなっていた。
体格も出来上がっているし、魔力も格段に増えていた。
どちらも学園に入学するための彼の努力の跡だった。
「……突然走り出したと思ったら……」
「あ、ニールさん、お久しぶりです」
「親父!」
俺がひとまず弟子候補を褒めていると、彼の今の師匠兼保護者が突っ走った息子に追い付いた。
「なるほど、レイくんを見つけたのか……勝手にどっかに行くんじゃない」
「痛っ!」
拳が振られ、いい音を鳴らしてウェインの黄色い頭にぶつかった。
もちろん本気ではない。
Aランクパーティー"鉄火の剣"メンバーで、"岩砕"の二つ名を持つ彼の本気なら今頃ウェインの頭は真っ二つである。
目立つ程の筋肉もなく、話口調からも分かる優男然とした雰囲気の彼だが、案外パワータイプなのだ。
「久しぶりだな、レイくん。変わりなさそうで何よりだ。イアンから様子を見ておいてくれと連絡もあったが、いい報告ができそうだ」
「変わりなさそうではないんですよ、ニールさん。実は背が伸びてます」
「誤差だな。髪のほうがよく伸びているだろう」
一年前に数日あっただけの人に、数センチの変化を気付けと言うのも酷だったか。
この一年で声変わりもしていないから、ほとんど変化は分かってもらえていないかもしれない。
前から大きかったウェインの方が余程成長しているのが実のところである。
「聞いてくれよ親父! 師匠が、受かったら弟子にしてくれるって!!」
「おお、それは良かったな! ……良かったのか?」
「はい、問題ありませんよ……受かればの話ですし」
「言っちゃあなんだが、受かると思う」
「本当ですか?」
実力の面では文句無しで合格だろう。
けれど、彼は平民で、冒険者に育てられた。
しかし、ニールさんは太鼓判を押した。
「師匠にできたことならオレもやらなきゃって言ってな。街に隠居してた元騎士の爺さんとか、礼儀にうるさい元貴族街の侍女の婆さんに頼んで色々やってたのさ」
さっきはニールさんに殴られたウェインだったが、今度はガシガシと頭を撫でられて、気恥しそうに、けれどどこか誇らしそうに胸を張る。
「まあなんだ、よろしく頼まれてほしい」
ウェインとは全く似ていない優しげな顔つきの彼が、けれど一人の親としての表情で、大切な息子を託した。
受け取らないわけにはいかないだろう。
「分かりました。二年間はしっかり面倒を見させてもらいます」
「はは、君になら安心して託せるな」
「よろしくお願いします!!」
****
ニールさんはウェインを俺に預けると、宿だけ手配をしてすぐに彼の街へと戻っていった。
ギルドマスターは忙しい。
何週間もギルドから離れることはできないのである。
そのため、もしウェインが合格したら彼のアパートの手配は俺が手伝うことになった。
資金は十二分に渡されているし、面倒なので同じアパートでいいと思う。
そこから俺は残りの冬の朝と昼は街の外でウェインの相手をしながら時折技専に顔を出し、夜は"黒ずくめ"ゼロとしていつかの罪滅ぼしに公都の治安維持に努めたり、秘密基地での研究開発をしたりする日々を送った。
そうこうしているうちに、冬休みも終わりが近づく。
学園都市に帰ってくる学園生がぞろぞろと馬車で乗り込んできて、学科の一次選抜や二次選抜に落ちた生徒達は涙ながらに帰路へと着く。
春の風物詩だねえ、とこの街に住んで四年目になるシンディは言っていた。
そんな、騎士科の最終選抜を終えたある日、ウェインが聞く。
「オレ、受かってますかね?」
「ああ、うん、受かってるだろ」
「ほんとですか!?」
面接の受け答えの練習にも事前に俺がチェックを入れたし、実技や筆記試験の能力も確認している。
ウェインはまず、間違いなく受かる。
というか、おそらく十組だ。
首席とまでは行かずとも、十二分な順位だろう。
思った以上に筆記が出来ていた。
「師匠が言うなら受かってますね!」
「ああ、そうだな」
この性格だが、勉強を苦手としていないらしい。
正式にはまだ弟子候補だが、それでもう好きに師匠と呼ばせている。
通りで大声で呼んでくれるものだから傍からたまに驚いた目で見られるが、もうそろそろ慣れた。
****
「ったく……は……」
「……の手紙……どの……なかった」
「今日…………のか?」
騎士科の合格発表の人混みの中、遥か遠く、まだここにもいないだろう距離に、声を聞いた。
いつもは最低限に留めている気配察知の範囲をぐっと広げる。
「師匠?」
「……」
「ど、どうしました?」
「ああ、いや、なんでもない」
……なんで?
驚きのあまりに固まっていると、隣のウェインから心配そうな声が掛けられた。
なんでもないと言ったが、嘘である。
未だに驚きは抜けていない。
「ん? ああ、レイじゃないか。久しぶりだな」
「おお、ローレンス、久しぶり」
その中で先に出会ったのは後輩たちの合格発表を見物に来ていたローレンスだった。
いつの間にかこちらに帰ってきていたらしい。
「……彼は誰だ?」
「師匠のご友人ですか?」
「師匠!? レイがか!?」
俺の数少ない学園の友人と、俺の弟子が初対面を果たす。
今後、ウェインが俺と行動することも多くなるだろう。
その時ローレンスがいる可能性は高い。
二人を繋げるためには今は重要な場面だ。
「ちょっと、ごめん、後で」
「は?」
「どうしたんですか、師匠!」
けれど、それより何よりさっき声のした方に向かって足が動いた。
人混みをすり抜けて、通りに出る。
後ろから、困惑した様子でウェインとローレンスが着いてくるのもわかった。
「でも、あいつなら気づくと思うんだよな」
「……もそう思う?」
その二人との距離が近づいた。
けれど、まだ混雑した通りの中で、姿は見えていない。
声も周りの音にかき消される。
けれどもう、確実だ。
「だけど、まだ会いに来ないってことはサプライズは成功かもな」
……本当だよ。
普段から全ての気配を探ってるわけじゃない。
「やったあ」
彼女は兄の言葉に喜ぶと、ふと顔を上げた。
俺は脚を止める。
「えっ……って、ああ」
お互いが気づいた。
まだ随分距離はあったけど、脇目も振らず向こうが駆け出す。
後ろの兄は驚いたのも束の間、すぐに納得した表情になり、軽い感じでこちらに手を振った。
「師匠! どうしたんですか!」
「くそ、やはり素早い……」
後ろの二人がようやく追いついてきた。
けれど、俺の目に映っていたのは、揺れるピンクの髪とそこに飾られた懐かしい髪飾りだけ。
「……」
俺は何を言えばいいだろうか。
一年と少し前の記憶が蘇り、簡単な言葉を選ぶのも困難にさせる。
それで、二人は無言だった。
それから、距離はゼロになった。
「……はあ、はあ、はあ」
「……」
息の切れた彼女との身長差は、あの日と多分ほとんど変わらない。
ほとんど同じか、やや俺が小さいかだ。
それでも、彼女は俺が開けていた胸のところに抱きついて小さく収まっていた。
それは最後の記憶にあるイメージではなく、俺にとってのいつもの彼女のものだった。
思わず俺も手を伸ばし、抵抗なく抱きしめた。
それが俺と彼女にとっての普通の距離感だった。
「……驚いた」
「へへ……やったあ」
冬の風を忘れさせるような彼女の暖かさを感じながら、素直な感想が口からついて出る。
それから腕を解いて、二人で向かい合う。
「追いかけて来ちゃった」
「大変だっただろ?」
「ううん、全然。レイお兄ちゃんのところに行きたかったもん」
「……いつから?」
「お兄ちゃんがここに行くって教えてくれた日から。居なくなっちゃったあとは、毎日お家にお邪魔してたんだ」
「頑張ったんだな」
「またこうしてもらえて嬉しいなあ」
いつもの癖で褒めて頭を撫でると、照れくさそうに、そして本当に嬉しそうに、彼女は笑ってくれた。
別れの時、もうこんなことはできないかなと思っていた俺には眩しいぐらいの笑顔だ。
幼馴染の女の子がこの街にやってきた。
遠い遠い場所から、ただ一人、俺だけを目指して。
「また会えて嬉しいなあ」
並大抵の努力でなかったのだと思う。
彼女の姿勢はこの周りにいる誰よりもしゃんと伸びていて、そこら辺の貴族なんかよりよっぽど綺麗だ。
身なりも、高級とは言えないもののとても気を使っていて、自分の持つ美しさを最大限に引き立てられるように整えられていた。
そんな凛と美しい彼女の瞳からポロポロと落ち始めた涙を、そっと拭いてやる。
こんなことをするのは、俺も久しぶりだ。
けれど、彼女にはできてしまうし、彼女がそれを許してしまう。
「俺も、また会えて嬉しいよ、リーナ」
お読みいただきありがとうございました。




