訪問者
賢公の四冊の手記自体は、すぐに全て読み終えた。
しかし読み終えたといっても、頭の中に文面を入れ込んだだけで、解読には至っていないのだが。
というのも、四冊全て、簡単には読めなかったからだ。
一冊はこの国の言葉だったが表現が古臭かったりで読むのが億劫になるレベルで、残りの三冊は、かつて見慣れたアルファベットで書かれていたが、どうにもローマ字の母音を入れ替えた暗号化が成されていた。
本当の英語なんかで書かれているわけじゃなく、日本語ベースであったから読めない訳ではなさそうなのが大きな救いだった。
もし英語をベースにした暗号なら、英語の知識なんてもう朧気になっている俺にはお手上げであっただろう。
……ああ、思ったより簡単だ。
途中から、暗号が母音を入れ替えた簡単なものだと気づいた俺は、新しい紙に正しい文を書き写しながら、その内容を知っていくのだった。
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数日が経ち、全ての手記を読み終えることができた。
もう少し夜が深くなったら、約束通り手記の返却をしようと思っていたら、客人が来た。
「いいところに来てくださいました」
「……」
人の来る気配を感じていたから、ノックされるより前に自室のドアを開ける。
立っていたのはにこやかな中肉中背の男、に見える、苦い表情の大男だった。
「変装にもそれなりに自信があるというのに……やはり通じんか」
「師の薫陶の賜物ですね、騎士団長閣下」
客人はフランク・A・チャールトンその人である。
時間としては、今日の仕事を終わらせたといった頃合だろう。
彼の魔力量にものを言わせた変装や気配遮断は強力だが、残念ながら俺にしてみれば他の魔法使いのそれと大差ない。
導師と比べると甘さや粗さが目立って仕方がない。
彼の場合は、本気を出されると今でもそう簡単に暴けないものなのだ。
「それで、何の用でしたか?」
まず一つは心当たりがあったが、とりあえず聞いてみた。
「ああ、それは……」
彼は俺の手元を指差して一つ。
「予想通り君だったのか、というそれと」
もう一度読み返していて持ったままだった手記を指差して予想通りに。
それからもう一つ。
「君の師匠、今回は"常闇"の方が運んできた話についてだ」
「……導師の、ですか?」
****
「案外普通の部屋なんだな。むしろ、物が少ないな」
「お恥ずかしい限りです。友人を呼ぶ予定もありませんでしたし、生活に必要な物しか置いてませんので。物を置くには【亜空間収納】がございますし」
変装のままの騎士団長を部屋に上げ、適当な飲み物を出す。
残念ながら上級も上級の貴族をもてなすつもりが無かったから、簡素な物しか置いていない。
……今後のことも考えて準備しておこうか。
タスクとして頭の隅に置いておいて、思考をフランク団長との話に切り替える。
「話というのは? 先にこれは渡しておきますが」
「待て、今それを私が受け取れば疑われるのは私だ」
それもそうだ。
完全に正体不明のまま盗んだのに足がついてしまう。
大人しく自分で返しに行こう。
「全く……君のおかげでこの数日は頭が痛かったぞ」
「……騒ぎになっていましたか?」
「当たり前だろう。どうしようと止められない相手が現れたと、あのシアラー家が私に相談をしてきたのだぞ」
曰く、俺が歴史博物館の床に眠らせた騎士は公爵近衛の筆頭であったらしい。
彼の魔力量は領内で頭一つ抜け出していたのだそうで、それをあっさり無力化するような輩が現れたとパニックになっていたそうだ。
フランク団長は、それで俺に当たりをつけて今日ここにやって来た。
「ふふ、お役に立てたようで幸いです」
「……ノーコメントだ」
と俺が言うのも、この国に二つある公爵家の間にはそれなりの確執みたいなものがあるからだ。
お互いに目を見合わせ、一つ意味ありげに笑い合うと、話が元に戻る。
「それで、なぜ盗んだ?」
ひとまず始まったのは事情聴取であった。
「賢公の経歴、特にプライベートに関することが気になりまして」
「ふむ、なぜ?」
「彼……いや、彼女が私の同胞であった可能性が高かったです」
「! ……転移者だったと言うのか?」
「いえ、私と同じ転生者のようです。転移に巻き込まれたのではなく、偶然にも迷い込んだようですが」
何かしらの偶然が重なり、賢公はこの世界にやって来ていたようだ。
手記のひとつに、その原因を探る彼女の研究が記されていたが、完全には解明されていなかった。
「そうか……やはり…………彼女の言った通りか」
「彼女、ですか?」
「ああいや、忘れてくれ」
忘れてくれと言われても俺の頭は忘れない。
様々な情報を漁り、見当を探り出す。
すると、対面の彼の表情が不思議そうなものになっていた。
「……? 君は今、賢公のことをなんと呼んだ?」
「彼女です。賢公はあちらでもこちらでも女性だったようですね。男性として振舞っていても」
賢公の名前はアルバートとして知られているが、生まれた時に付けられた名はアンジェリカであったらしい。
転生由来の彼女の才能と、当時の風潮を鑑みて、洗礼の時から男性として生きていたらしい。
手記の一冊は、その彼女の苦悩に溢れたラブロマンスのような作品に仕上がっていた。
特に、彼女の第一の騎士との深い絆がとても美しく描かれていていて、元国語教師であったらしい彼女の文筆の才が色濃く見られた。
この世界の言葉に翻訳すればベストセラーになるはずだ。
「……それは新事実だな。そうか……いや、それなら……」
「? ……ご存知無かったのですか」
彼の独り言に突っ込んでもおそらく答えは返ってこない。
突っ込んでも無駄だと悟り、話を合わせる。
「君が持っていったのは未解読の手帳だぞ」
「あー。あちらの言語を使った暗号でした。言語翻訳系の魔法でも、暗号解読系の魔法でも解読は難しかったと思います」
「そうか、転生者だと確かに分かっていれば、彼女に見せていれば良かったのか」
「彼女とはアイリ・トウドウですね?」
「……あいつから聞いていたか」
アイリ・トウドウ、もとい藤堂愛梨は十四年前に俺と時を同じくしてこの世界にやって来た転移者の紅一点である。
現在は王都で暮らしているらしい。
明晰と言われていた彼女であるし、すぐに暗号は解読できただろう。
「では、私が返却をしましたらぜひ彼女に。私から解読後の内容を伝えるより良いでしょう」
「そうだな、そうしよう」
それで手記についての話は終わった。
シアラー公爵にバレていれば極刑を免れえない大罪を犯したというのにお咎めは無しだった。
力を主張して反抗させないようにしているようで、どうにも申し訳ない。
「それじゃあ、次の話をさせてくれ。……むしろ私にとってはこちらが本題だ」
変装したままのフランク団長の顔が、ぐっと表情を変える。
それにつられて思わず背筋が伸びて、頷いた。
佇まいが騎士団長のそれである。
「"常闇"、導師の運んできたという話、ですね?」
「ああ。掻い摘んで言えば、戦争が始まる」
「!」
****
「そうですか……導師が」
「君は知らなかったのか」
「はい、彼は素性については多くを語ってくれませんでしたから」
師匠もマスターも殆どの素性は割れていたが、導師の過去は暗がりに隠されていたようだった。
辛うじて、名前からフランクールの出身ではないかと思えていただけだ。
マスターと出会う以前の話は何も知らなかった。
「しかし、暗部出身だったんですか。……いや、納得できてしまいますが」
「そうだな。君に教えたことからも良くわかる」
俺の隠密能力は常人の域のはるか遠くにあると彼は言う。
そこらあたりは、フランクール帝国時代の暗部組織だったという導師がそれとなく深く教え込んだのと推測も教えてくれた。
「今も彼は国境線に居るそうだ。フランクールの冒険者ギルドを通じて、こちらにも情報が常に流れてきている」
「年を感じさせませんね」
「そうか、それも知らないのか。彼はハーフドワーフで、引退にはまだもう少し遠いぞ」
「……なるほど」
これも新事実だった。
なるほど、かつての帝国時代、フランクールはいくつかのドワーフの集落も内包した国だった。
ハーフドワーフが産まれてもおかしくはない。
「それで、開戦の見込みは?」
「二国間はほぼ確実だろう。おそらくあと数ヶ月もしたら、北方の小国が一つ落とされる」
そうなれば火蓋は切って落とされると、騎士団長は言う。
「……飛び火の可能性は」
「五分五分……いや、こちらに手を広げてくる可能性の方が高いだろうな」
「……」
この冬もしくは春にも始まるらしい戦争は、隣国フランクールと、北方の大国であるルスアノによる戦いになると彼は言う。
しかし、そのフランクール共和国は俺たちの国エグラント王国の同盟国であるし、南への侵略を着々と進めるルスアノは王国の北部にて国境を持つ。
この国に矛先が向くようなことも考えうるらしい。
「……なるほど、それでいらっしゃったのですね?」
「ああ、そうだ。君の力を借りることになるかもしれない」
あの日の約束である。
条件を満たしていれば俺は、彼に、この国に手を貸すことになっている。
それで今回は、向こう側からの侵略戦争だ。
条件はまず満たされるだろう。
「分かりました。覚悟は、しておきます」
「恩に着る」
生き死にがかかる場所に出るのだ、気乗りはもちろんしない。
けれど、約束は約束であるし、俺の存在がこの国の大切な人たちを守るために有効に働く可能性は高い。
もしもが来れば、協力はしよう。
「ふう、これで用件は以上……なのだが、今後も話をさせてもらう時は来るだろう。その度にわざわざ私が足を運ぶのは面倒だ」
硬い椅子から立ち上がり、体を捻ったりして解す団長は、俺にお願いがあるようだった。
「この部屋、もしくは君の拠点に手紙を直通させられる道が欲しい。設置して構わないだろうか?」
「はい。ですが、この部屋ではなく、他の拠点の方に」
「……本当に作っていたか」
最初のは冗談だったのだろうか、実際に拠点があると聞いて騎士団長の眉根が寄った。
しかしすぐに切り替えたようで、毅然と俺に指示を下す。
「じゃあ、陣を描かせてもらう。連れて行ってもらってもいいか?」
「ええ」
その承諾により、俺は騎士団長を部屋以上に簡素な秘密基地に転移させることとなった。
「【転移】」
そこで、彼は自前の【亜空間収納】を開き、特殊なペンで魔法陣を描いていく。
「これで、手紙や物のやり取りは簡単に行える。重要な何かがあればいつでも呼んでくれていいし、私も呼ぶかもしれない」
物質転移の魔法陣が出来上がり、手紙を置くだけで騎士団長の秘密部屋と通じるルートが出来上がった。
非常事態が近い。連携は密な方がいいだろう。
「こまめに確認をしておいてくれ。それじゃあまずは、あれを早く返しておくんだぞ」
転移陣の作成が最後の一仕事だったようで、彼は動作確認だけするとそのまま自分の転移で帰っていった。
……ああ、そうだ。もう今から返しに行こう。
俺は、重要な歴史資料を再び、元あった場所に戻さなければならない。
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そこから、秘密基地にて騎士団長からの手紙を待ち、物作りをしながら日々を過ごしていく。
すると、時間は思うより早く過ぎ、冬休みも残すところあとひと月となっていた。
……受験も近いな。
俺も先輩になる日がいよいよ近づいて来たというわけだ。
……まあ、あんまり関係ないか。
今年一年、学園の先輩と関わりを持つことはあまり無かった。
来年も、後輩とはあまり関わったりせず、クラスメイトとナディア、アリスといった同級生とばかり関わることになるだろう。
そんな風に思っていた。
しかし、そんな冬のある日、ふらりと出かけた学園都市の閑静な通りに、叫びに近い大声が響いた。
「ししょおおおおおおお!!!」
聞き馴染みは無いが、聞き覚えのある声だった。
普段の警戒範囲の外側から発せられたそれの方向を向く。
声の主は、それほど身分は高くないだろうことを教える服装をした、黄色い短髪の少年。
若い魔力を漲らせ、爛々とした赤い目をじっとこちらに向けて走り出してきた。
……あっ。
その姿に見覚えがあった。
その少年とは実に、一年と数ヶ月ぶり、二度目の邂逅であった。
走りよるそいつが、またしても叫ぶ。
「オレ、ここまで来ました!」
ぐいと俺に近づいて、接触する。
俺の両の肩が、俺より余程大きなその手に掴まれた。
「オレを、弟子にしてください!!!」
彼の名前はウェイン・ベインズ。
去年の秋の終わり、旅の途中の町で出会った、冒険者志望のちに俺の弟子志望の、学園受験生だ。
ありがとうございました。
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