公都にて
シアラー公爵領の中心、公都は、学園都市からそう距離も無く、二都市間は直通の街道も整備されていて、多くの人が行き交う。
故に俺は、最速で公都にたどり着くため、回り道となる険しい山道を通り抜けていた。
街道を馬車で行くより、誰にも見られない場所で飛んだ方がよほど速い。
ああ、今回の移動方法は走りでもなく、飛行である。
『レイ。加速を重ねるわよ』
『っ! ……了解!』
『オレもかけます!』
『……私も』
……まだ行ける、はず。
並走するのは風の精霊の三人。
スピードにおいてこの世界で他の追随を許さない存在が、俺に加速の魔法をかけ、飛行を補助してくれている。
……しかし、何キロ出てんだ、これ。
身体強化と思考加速のおかげで、なんとか通常とあまり変わらない感覚を保てているが、決して生身で低空を飛ぶ速度では無いはずだ。
それは、思考加速に相当の魔力を消費していることからもわかる。
『……そろそろ止まった方が良さそうね』
「うそ、もう!?」
『減速ですね!』
『……停止』
「うおっ……と」
まだ十分程度しか経ってないと思うのだが、十数キロは離れていたはずの公都にもう近づいたようだ。
減速と強化解除に差があり、周囲に流れる時間が、一瞬止まったかのように感じる。
「うっ……」
強烈な感覚の変化で、車酔いのような気分の悪さに襲われた。
『レイ様、癒しです』
「……シズク、ありがとう」
だが、すかさずシズクが姿を現して、癒しをかけてくれた。
彼女たち水の三人はトルナ村の泉の方に行ってもらっていたのだが、泉の主であるルリが連れていけば、水の小精霊のカイトやシズクもすぐに向こうへ行けるし、俺を通じてこちらに戻ってこられる。
ちなみに、ヒスイ、フウマ、ナギはルリに便乗することができないから、向こうへ行く時は自分たちで飛んで行く。
その時彼らは、俺が数ヶ月かけて歩いた数千キロに一時間もかけない。
この魔法世界で、マッハの速度を軽く超えられるのは、肉体の制約が無い彼女らぐらいのものだろう。
地に足が付いた感覚を確かめてから、街に入る準備をする。
「よし、【変身】【変装】【変声】」
今回はちょっと気合を入れて変装をする。
昼間の変装活動は経験が無いし、今日の格好はただでさえ成功するか分からない。
体内の魔力も、いつもセットしている水、風、闇のトリプルから、火と闇のダブルにチェンジする。
それから、魔力の質も。
『……ふう』
『練習でも見たけど……慣れないわね……』
「酷いわヒスイ。私は私じゃない」
『その喋り方、あの子の真似?』
「ふふ、ヒスイはどうだと思う?」
今日の変装のスタイルは男性ではなく、女性のそれである。
顔立ちをやや弄り、筋力が無いように見せ、魔力の質を女性のそれにすれば完成してしまうのは悲しいところだが、今回は俺が公都にいること自体をばらしたくないから、徹底的にやらせてもらう。
「それじゃあ、入ろうかしら」
魔物の大量発生を防ぐため、高くそびえる街を囲う壁に向け、転移した。
****
公都は、この国が建国される前から、現シアラー公爵家が支配していた、歴史ある街である。
街の至る所には四百年以上前の当時から残る街並みが残っていて、目を楽しませてくれる。
そんな前情報を集めたのもお構い無しに、周りの注目を集めないようにするためやや気配を消しつつ、目的地に向かって通りを歩く。
……やっぱりちょっと、ドキドキするな。
女装に背徳感を感じているからということでは断じてない。
今回街に入るのには、俺が公都に来たという足跡を残さないようにするため、メダルを使った入街手続きをしなかったのだ。
つまりはあれだ、不法侵入である。
俺がここで行おうとしているのは、犯罪に部類されるものであるから、仕方が無いのだけど。
そして、足を止めた。
行き着いたのは公都歴史博物館。
この公都の前身である、独立都市時代から、王国建国後のシアラー公爵家についての記録や史料が残されている場所だ。
この世界に観光の文化は薄いが、この都市に来れば大抵の人が立ち寄る、一種の観光地だ。
俺の今日の目的は、ここに来ること。
そして……
「……"賢公"」
学園を築き上げ、この国の発展に最大の貢献を果たしたと言われる、二百年前の人物。
王国を数百年進めた天才と言われる男。
その彼が、"転移者"もしくは"転生者"かどうかを確かめることである。
****
彼を疑うのに最も簡単な材料は、学園にある。
まずは制服。
言わずもがなあれだ。
"賢公"が直々にデザインされたと伝えられる、白の学ランと黒のセーラードレス。
この国ではただただ珍しいデザインの一つとして、今では学園のイメージが浸透したイメージとして存在するが、俺からすれば、違う。
明らかにあれは"外"から持ち込まれたものだと、一目でわかる。
学ランかセーラーの片方なら疑いだけで終わるかもしれないが、二つでは確信になる。
そもそも、この国と世界で船の文化は発展しておらず、水軍や海軍といった存在は無い。
健全な文化としてああいった服が現れるはずがないのだ。
それから、材料はまだいくつかある。
学園の学校制度は、明らかに向こうの学校制度を参考にしたと思われるものがあるし、図書館の本は分類や規格が統一されているし、紙は貴重でもなんでもないものとして使われているし、公都や学園都市では"賢公"以降の建物に窓ガラスがはめられていて、中にはサッシが付いていて鍵を付けられる窓もある。
現代日本に近い文化が、"賢公"に縁ある地では根付いているのだ。
そんなだから、話に聞いたことある歴史博物館を訪れた。
****
王国の建国を助けた初代公爵、彼の息子の二代目公爵のエリアを抜けて三代目シアラー家当主、"賢公"アルバート・A・シアラーの展示スペースに辿り着く。
最初の二人が同じ区画で紹介されているのに対して、"賢公"はそれより大きな区画で、これでもかというほどの展示物と共に紹介されていた。
その中でも一番目を引くのは、大きく飾られた彼の肖像画だ。
……顔は、こっちの顔だな。
女性にも見紛う美丈夫としても名高い賢公だが、顔に日本的な特徴は見られず、金髪に蒼い目。
【変装】などの魔法によるものの可能性もあるが、おそらくは転移者ではないのだろう。
肖像から目を離し、展示に目を通していく。
彼の着ていた服や、普及に尽力した紙、直筆の書類などだ。
けれど、その中に別段変わったものは無い。
もう少し、手がかりとなるものはと探していると、彼の書斎を再現したスペースに行き当たった。
飾られているのは愛用していた机や椅子、ペン、彼の手帳などだ。
公爵位に付いた者が使うにしては、決して華美ではなく、彼の趣味が分かるような物品だった。
さらりと流し見で終えよう、そう思って歩きだそうとしたが、足が止まった。
何かに対して、小さな違和感が心の中に芽生えたのだ。
……なんだ?
もう一度まじまじと、机、椅子、ペンと観察する。
そして視線は、彼の手帳へ。
……っ!
手がかり、いや、答えがついに見つかった。
「やっぱりか……」
さて、ここからどうするべきかと思案しつつ、辺りを見回す。
あまり客は多くない。
警備らしき人物は見受けられないが、監視用の魔法具や警備用の魔法具は設置されている。
……もう少し、他も探してからにするか……。
****
「いやあ、思った以上だった」
『それで、何で一度戻って来たの?』
「白昼堂々だと、街を混乱させるかもしれないからね」
変装を解除し、飛行を終えた場所に転移で戻ってきた。
【転移】の魔法は行ったことのある場所か、目に見えている場所にしか飛べないから、行きは大変であるが、帰りは非常に楽である。
変装を解除し、夜まではいつものモードに切り替える。
「夜闇に紛れた方がやりやすいだろうし」
なんなら今の間に予告状でも作っておこうか、なんて馬鹿なことも考えてみる。
……けど、私情で罪を犯すのは気が引けるな。
今夜、夜闇に紛れて俺が行うのは、平たく言えば窃盗である。
いつもは潰している悪を自分自身で行うのはやはり気が引けたが、合法的手段であれらの中身を確認する方法がなかった。
『何かあったの?』
ヒスイの問に、向こうの世界の言葉で答える。
「……アルファベット」
『何それ?』
「向こうの世界、俺がいた世界の文字だよ」
パッと読んだだけでは、意味は理解できなかったから、おそらく暗号化されてはいた。
けれど、手記に書かれていたのはたしかに十数年前まで、見慣れた文字だった。
「"賢公"は、アルバート・A・シアラーは、確実に俺と同じ世界の住人だったと思う。幼い時からの記録が残っているから、多分、"転生者"」
『そう。それで、どうして手帳を盗むの?』
「……彼がどう生きたか、知りたいんだよ」
俺が簡単に答えれば、ヒスイは何も聞かなくなった。
何を言っても、彼女は俺を止めたりしないと思うが、好きにすればいいということだけ伝わってくる。
暇つぶしに手頃な場所で魔物を狩って、食事を取れば、日は沈み、街の中が寝静まった。
"黒ずくめ"の格好に着替え、転移で一気に博物館の前に立つ。
……狙いは、四つ。
博物館に展示されていた、"賢公"の手記全てである。
昼に確認した博物館のセキュリティは、魔術によって万全の体制が敷かれていた。
今も、侵入に対する警報などのセンサーは全てに張り巡らされている。
常駐している警備兵もいるし、おそらく領地の騎士と連絡が取れる体制も整っていた。
「けどまあ、行くか」
だけど、お構い無しだ。
まず、"賢公"の展示スペースへと転移する。
その時点でセンサーが作動した。
警備兵の詰所で警報が鳴ったようで、その音と、慌ただしく人が動き出す気配を感じる。
ここの仕事を任されている兵はなかなか優秀なようだ。
それを横目に、いつか導師が狩りの時に見せてくれた影による亜空間接続で、狙いの品を【亜空間収納】にそのまま引きずり入れる。
……一つ、二つ、三つ。
それから、最後の一つへ影を伸ばす。
「ちっ」
しかし、それは阻まれ、思わず舌打ちが出た。
魔法を阻害する障壁が展開されていたのだ。
先程まではなかったから、緊急用の防御魔法具が作動したのだろう。
なかなか強力な代物で、ぶち抜くのは少々面倒だ。
どうしたものかと思案していると、警備兵数人が部屋に飛び込んでくる。
まだ一分も経っていない。
優秀さは予想以上だった。
「何者だっ!!!」
「……」
誰何され、沈黙する。
……さて、名前ね。
今の姿は、学園都市で活動している"黒ずくめ"と同じ姿である。
情報が共有されれば、一瞬で関連がバレるだろう。
……ああ、なら、好都合か。
「答えろっ!」
警備兵は、おそらく騎士の到着まで時間を稼いでいるのだろう。
皆が槍を構えて、執拗に俺の名を聞く。
俺はわざとその思惑にハマってやる。
以前から考えていた、"黒ずくめ"での名前を披露するのにも丁度いい頃合だろうし。
最近は、最初のように名を聞かれることも無かったのだ。
「……『ゼロ』」
「!」
「私の名前はゼロ、覚えておくといいわ」
【変声】で、いつもより女性らしくなっている声で、答える。
レイだからゼロ、という考えが安易なのは、日本的な考えにおいてだ。
この世界でゼロという単語は存在しないし、似たような名前も無い。
「ぜ、ゼロ、だな。覚えたぞ!」
「それでいいの」
まさか答えると思っていなかったのだろう警備兵の声は動揺していた。
けれど、その動揺もすぐに解れるだろう。
「待たせた! まだ賊はいるか!」
頼もしい声で、公爵領の正騎士が飛び込んでくるから。
「お前だな!」
騎士は剣先をこちらに向ける。
「私が来たからには観念しろ」
相当の手練であることは、確かなのだと思う。
彼の後続には複数人の騎士がいるけれど、来るのにはもう少し時間がかかりそうだ。
すぐにここまで来られる速さがあるだけの魔力を持っていることも確認できている。
まあ、関係ないことだが。
俺は、彼がここに来るまで何もしなかった理由である、用件を伝える。
「……公爵様へ伝えて欲しいの」
「お前のような奴の話など伝えるものか!」
「私が盗むのは、手記を四つ。それ以外は何も盗らないし、これもこ後できちんとお返しするわ」
「うるさいっ」
俺が言い切る前に、いよいよ騎士は切りかかってきた。
殺しても構わないという認識なのだろう。
十分な殺気が乗っている。
それも関係ないが。
「よろしくね」
ニコリと微笑みながら、魔力を放出する。
相手を無力化するのに、これより簡単なものもない。
「っ──」
「っ!」
騎士が目の前で崩れ落ち、その余波で後ろの警備兵も全員倒れた。
「ふう……っと!」
それで後続の騎士が来る前、強引に四つ目の手記を奪ってから、俺は転移で街を出た。
お読みいただきありがとうございました。