黒ずくめ
培養槽を満たす液の色が全て抜けたのを確認して、中を覗き込む。
「おおっ、これは……」
秘密基地の完成から数週間、技専にシンディの手伝いや魔力の提供、ジェンナーロに鍛冶のノウハウをそれとなく聞きに行った数日を除き、俺はほとんどの時間を基地作りと物作りに費やしていた。
鍛冶場を作ったり、街で買わなかった道具を自作したり、基本的な作り方を確認してみたり。
これまであまりやってこなかった物作りに没頭できて、なかなか楽しい時間を過ごせた。
培養槽の中で作っていたのは、そんな俺が当面で一番作りたかった物である。
ペラリと薄いそいつをすくい上げ、触れて、引き伸ばして、感触を確かめる。
伝わってきたのは、先ほどまで液の中にあったし、体温が通じているわけじゃないから冷ややかなものだったが、己の肌を触れるのとそう変わりない。
「……魔法はやっぱりすごいな」
思わず賛辞が口から飛び出したが、それも当然だろう。
細かい魔力の制御といくつかの素材が必要とはいえ、学生の身分に過ぎない俺が人工皮膚を作れてしまうのだから。
……これでようやく、だな。
念には念を、ルリ達に心配しすぎと言われるぐらいだったが、やっと気兼ねなく動ける。
正体隠しは、気合を入れすぎなぐらいが俺にはちょうどいいのだ。
それからまた、人工皮膚を目的通り使えるように、次の作業を開始した。
****
真夜中の学園都市の路地裏を歩く。
「こんばんは。何をしているんだい?」
「ああ? なんだてめえ……仮面?」
背後から声をかけると、男達の注目が俺に向いた。
普段の俺とは違う言葉遣い。
声も、【変成】で質を変えている。
服は黒ずくめで、髪も黒。
手には白い手袋、顔には目を覆う白いオペラマスク。
それから、人工皮膚で覆面を被り、そのうえで闇の上級魔法【変身】で背格好と顔つきも違うように見せていた。
「って、よく見れば女じゃねえか」
「ひゅう、探しに行かなくてもまた一人増えたぜ」
「今日は運が良いな」
俺の姿を見た三人組の男たちから下卑た笑いが上がる。
けれど、彼らの言葉に、何も返さない。
トルナ村から学園都市に来る途中、何度も見たような輩たちだ。
話が通じるような相手ではないと知っている。
「んっ、んーっ!!」
その男達の奥で必死に叫ぶ声が聞こえた。
身なりからすると、安酒場のウェイターだろうか。
猿ぐつわを締められ、言葉にならない声を出すのが精一杯といった様子だ。
だが、男の一人はそれを聞いて右足を振りかぶる。
「おいてめえ! 黙ってろ!」
「んっ──!」
「そういえばさっき、僕のことを誰かと聞いたね」
「ああ? ……はあっ!?」
声を荒らげた男が、次は素っ頓狂な声を上げた。
状況を把握できていないらしい。
けれど俺は彼に構わず、掴んだ足を払い除けて、言葉を続ける。
「正義の味方だ、って言えれば格好がつくんだけど……」
「おっ、おい、おめえ、さっきまで……」
背中側に女性を置き、混乱する男に演技を見せる。
「あくまでも自己満足だから、そう名乗るのは忍びないんだ」
「お前ら、こいつをやれっ! おいっ!」
「彼らに返事はできないかな」
「……は……はあ?」
優しく諭すと、パニックになっている彼も、周りが見れたらしい。
「し、死んでる……」
「殺してるわけじゃない。ちょっと眠ってもらってるだけさ」
「どっ、おっ、おま、なっ、何をした!」
「それは君も知らなくていいね」
「っ…………」
何をしたのかを教える義務は無いだろう。
他の二人と同じように魔力を当てて昏倒させる。
ひとまず、制圧完了だ。
「大丈夫だったかい?」
くるりと振り返り、無事を確かめる。
呆然と一部始終を眺めていた女性は、少し間を開けてから、俺の問に首肯してくれた。
「それならよかった。今それを外すね」
安物のナイフで彼女を縛っていた布を全て切り落とし、手を取って立ち上がらせる。
「ここから、家や宿には帰れる?」
「は、はい」
「それじゃあ夜道は気を付けて」
「……あ……」
ニコリと微笑み手を解き、そのまま一気に気配を絶った。
導師や騎士団長ならともかく、彼女に俺を見つけることはできない。
狐に摘まれたような彼女がハッと我に返り、男達が動き出す前にとその場を去ったのを見届ける。
そして再び、路地裏を歩く。
****
ある日を境に不思議な事件が起こり始めたと、学園都市の、実家に帰らない学生や店を開いている商人の間で噂が広がった。
その事件というのは、明らかに荒くれ者といった風体の者や、どこかに忍び込もうかするかのように装備を整えた者が、路地裏や街角で気絶したまま朝を迎えているというものだ。
しかし、成敗する側が犯人扱いされるのはどうなんだ。
認めろとは言わないが、どうして悪者にならなければいけないのか。
「……まあ、いいけど」
今のところ成敗されているのは、現行犯の窃盗や、路地裏に人を連れ込んでの暴行事件である。
前者は犯人以外俺を目撃することがないし、後者は被害者としても口に出し難くてもおかしくない。
……それでもちゃんと噂は広がってるみたいでよかった。
ちなみに、昏倒事件の犯人には通り名として"黒ずくめ"という名が付けられている。
年齢不詳だが若い女で、黒い服に黒い髪、それから恐らくはその姿に違わぬ闇属性を持つと、話は広まっていた。
成敗された者達が気絶の間際に見た情報が伝えられているのだ。
……とりあえずは成功だな。
『レイは優しいわね』
『お人好しじゃないかしら?』
秘密基地では、ルリ達からの要望もあって完全にパスを繋いでいる。
心の声はダダ漏れだ。
まあ、深層心理での声は届かないが、そこでする考えごとなどほとんど無いから、大概が向こうにも聞こえている状態だ。
「別に、悪くは無いだろ?」
『もちろん』
『アナタが無理しなければね』
「はは、ありがと」
深夜の街での活動は、俺の自己満足でやっていることだ。
誰に頼まれているわけでもなく、ただ、耳に届いてしまったから。
「この街の治安は相当良い方なんだけどね」
貴族が街を出歩くことも少なくない街だから、整備もされているし、荒くれ者は排斥されている場所も広い。
けれどやはり、どれだけ治安維持に努めても、犯罪が無くなるということはない。
そして、俺の情報収集能力は、その一つ一つを集めてしまうぐらいには優秀だった。
『見逃したりもできるでしょう?』
「まあね」
去年の旅の途中では、色々な場所を歩いたことで目にする事件も多かった。
そこで、遭遇した事件は変装して止めたりしていたが、いちいち街の事件を根絶しようとはしなかった。
けれどそれは、そうするのが時間的に不可能だったからであって、気にかかっていなかったわけではない。
『……その感覚は、やっぱり、向こうの暮らしが?』
「正解。耳にする犯罪は沢山あったけど、自分で出会ったものはないぐらいに平和だったから」
この世界に来て長いといえど、どうしても俺の基準は日本にある。
犯罪は出会わないことが当たり前で、事件があれば捜査されるが当たり前だと信じて疑っていない。
けれど、この国ではその辺りが明らかに違う。
金を持った家や、貴族に対する事件ならともかく、平民が被害者だった場合の暴力事件や暴行事件は、凶悪犯や現行犯でもない限り捜査や逮捕に至らない。
領内の司法権はその領地、その街を収める貴族が握っていて、多発する問題にいちいち手間を割いていられないからだ。
「俺が居る街でぐらい、何も無くてもいいと思うんだ」
もちろんそれには俺がやっているとバレないための隠蔽工作やアリバイ作りは必要だが。
有り余るぐらいの魔力があるのだ、抑止力としてそれを割けばいい。
それだけで、自分の心持ちが違うのだし。
「あと、この姿で動く練習もあるからね。ちょうどいいんだ」
いくつかの魔法でピタリと顔に付き、表情も変化できるようにした、完全な人間らしさを追求する人工皮膚の覆面を被って、仮面を付ける。
『あの強いニンゲンとの約束ね』
「それが、どういう状況になるか分からないから」
街を守るだけなら、別に闇魔法の変装で事足りる。
けれど、闇魔法の変装は解除する方法が幾つかある。
騎士団長に出動を頼まれるような相手に、生半可な変装は通用しないと思う。
だがら本当の姿を忍んでおきたい俺としては、念には念を入れるなければなかったのだ。
それで、人工皮膚が必要だったし、その姿での活動に慣れる必要もあった。
最悪夜闇に紛れることができる治安活動は、そのためにうってつけだったのだ。
「それじゃあ今日も行ってくるよ」
"黒ずくめ"として、今日も俺は街へ飛ぶ。
それにしても、"黒ずくめ"か。
……ちゃんとした名前、何か欲しいかな?
偶にだが、名前を尋ねられても有耶無耶にして去ることもある。
せめてお名前だけでも、という問いに名乗らず終わるのは定石かもしれないが、抑止力としてのさらなる知名度向上のため、何か名前があった方がいいかもしれない。
****
「まだ君たちみたいな奴らがいたのか」
「"黒ずくめ"の話、法螺話だと思ってた?」
「……流石にそろそろ何も起こらないな……」
二週間ほど毎晩毎晩潰していると、流石に目の届く範囲での犯罪は消えた。
だが、この時期の学園都市はもう様々な場所から人が集まり始め出した頃だ。
受験が迫っていて、一年前の自分を思い出す、期待に満ちた顔をした子どもを街中で見かける。
そうなると、彼らを護衛した冒険者や、新たな客の獲得の為に商人も入ってきて、"黒ずくめ"の影響力もまた落ちるだろう。
活動はしっかりと続けていかなければならない。
けど、少し、行きたい場所があった。
「明日からちょっと出かけるよ」
「え、今の時期から?」
「ちょっと小銭稼ぎに」
「……冒険者も大変だな」
技専を訪ねて、ダニーと帰る時、彼に伝える。
ちなみに言うと、小銭稼ぎというのは嘘だ。
基地作りも大体は手作りで済ませたからまだまだ十分にお金は残っているし、【亜空間収納】に死蔵している換金できていない素材も結構ある。
それでも、今から俺一人でシアラー公爵領の公都に向かうと言えば、何かしら不審に思われるだろうからそれでいい。
この世界の平民には観光なんて文化はあまり広まっていないし、仕事と言った方が納得してくれるのだ。
「じゃあ、レイなら大丈夫だと思うけど、気を付けて」
「ああ、ありがとう」
別れの挨拶の後、パタリとドアを閉める。
目に飛び込んできたのは、クローゼットに入れず、そのまま部屋にかけてある、学園の制服。
白の学ランだ。
……さて、そろそろ謎の解明をしておいてもいいだろう。
ありがとうございました。