三日目-後
「私に謝られても、困ります」
「……そうだな。それでも……まずはこうしなければいけなかったのだ」
スティーブンはそれで頭を上げた。
「おじい様……そいつは……」
「はじめまして、ジョージ様。騎士科一年10-B組のレイと申す者です」
「っ、レイ……!」
俺の名は文官科の三年生まで轟いていたらしい。
有名人になってしまったものだ。
といっても、後ろに続いてきた大人達の反応は、俺が有名なことには関係がなかったようだが。
「お父様? ……なっ!」
「…………リーン?」
ミルナー家一行は、祖父のスティーブンとその娘らしい女性、それから孫のジョージと初老の従者の男性が一人というところだった。
「あの女の……子供!?」
「そうですか……リーンは無事でしたか……」
二人は、母さんを疎んだ義姉の一人と、母さんに教えた従者の一人なのだろう。
対照的な表情がそれぞれに浮かんだ。
「ハイラム、リーンというのは誰だ?」
「それは……」
「──」
「私の母でございます。ジョージ様」
ジョージの問に従者のハイラムが答えを窮した。
事情を知るからこそ、口にしにくいのだろう。
すると、スティーブンが応えようとする。
だが、彼が口を開く前に、俺が割り込んだ。
……それを言わせるつもりはないかな。
「む、それが我がミルナー家とどう関係あるというのだ」
「母がまだ幼い頃、奉公させていただいたことがあるらしいのです。そうでしたよね、スティーブン様?」
完璧な作り笑いで、彼に尋ねる。
スティーブンは答えを窮した。
事実を語るか、俺の話に乗るか、深く悩んでいるようだった。
どうやら、俺に頭を下げたのは、本当に罪悪感に突き動かされたかららしい。
そうでないと、血縁関係にあると公表していない俺に近づくまでに、何かしらの言い訳ぐらい考えておくだろう。
妾なんていう文化もこの世界にはあるが、不倫や浮気が不貞の行為であることには変わりない。
そしてスティーブンは悩んだ挙句に、否定をしようとした。
勇気ある行動であると思う。
「それは……」
「ええ、そうなのよ、ジョージ」
「カリーナ……」
「ねえ、お父様」
けれど、それを本妻の娘が阻んだ。
それ自体は、俺としても有難かった。
ちょっと話をするだけして、何事もなく終わりたかったのだ。
そのために、無用な説明などしたくない。
けれど、続くカリーナの言葉は、少々許容しがたいものだった。
「顔はまあ、こんなのだったけれど、身なりもなってないわ、躾もなってないわ。私にとっても印象深いわね。とっても薄汚かったの」
「カリーナ!」
「あらお父様、本当のことではありませんか」
母さんに、なんの恨みがあるのかは知らない。
きっと、母さんの母親が綺麗だったから父親が誑かされたとか、母さんがカリーナにないものを持っていたから妬んでいるとかそういうのだろう。
……くだらねえな。
「ヒッ!! なっ、何!?」
唐突の寒気に襲われたのだろう。
素っ頓狂な声を上げて、カリーナが辺りを見回した。
……魔力無しでも殺気って出せるんだな。
同時に、周りにいた何人かの男衆、おそらく騎士達が、共に歩いていた子供や嫁を庇うように立った。
だが、何が起こったのかは理解できていないようで、首を傾げている。
「な、な、何?」
「どうされましたか?」
「な、なんでもないわ」
引き続いての作り笑いで尋ねかけると、カリーナは首元を擦りながら取り繕った。
この手段は有効そうだ。
次から積極的に使っていこう。
「それで……何故おじい様が、そんなお前に頭を下げたのだ」
「私の母がミルナー家を出ました際に少々の問題があったらしく、それをスティーブン様が長年気に揉んでおられたそうなのです。……私の容貌は少々母に似ておりますので、殊の外」
「そうなのですか、おじい様?」
「……ああ」
スティーブンは難しい顔をしたが、頷いた。
流石に折れて話に乗ってくれているらしい。
「お父様、そろそろ用も済んだのではないですか?」
俺のことなど未だにどうでもいいと思っているらしいカリーナは、そう促した。
「……ハイラム」
まだ何か俺に言いたいことがあったらしい。
けれど、娘に喚かれるのも困るようだ。
耳打ちで従者に仕事を命じている。
もちろん内容は俺には筒抜けである。
「行こうか、カリーナ、ジョージ」
「はい」
スティーブンは俺の方に軽い別れの挨拶をしてから、背を向けた。
ハイラムがそそくさとこちらに寄ってくる。
「リーンは、今どこにいますか?」
「……ウォーカー伯爵領のトルナ村で、城勤め時代に世話になった夫婦と共に暮らしています」
「ありがとうございます、レイ。……リーンが王都から離れて以来、スティーブン様はずっとリーンの所在を探していました。……彼女が無事で、私も嬉しく思っています」
母さんは人好きのする人だ。
妬みや嫉みに晒されることも多かったが、同時に関わった多くの人から好かれてたのだと思う。
ハイラムも、そんな一人なのだろう。
優しい笑顔が、本当の安堵を伝えていた。
一人の貧民でしかない俺に躊躇なく頭を下げたスティーブンも、おそらく。
「……あの」
「なんでしょうか?」
「母さんと……スティーブン様の関係を母さんから聞いてから、ずっと思っていたことがあるんです」
「それは?」
いつか会うなら言おうと思っていた。
さっきは、言おうかどうか、迷っていた。
けれど、やはり俺の考えは伝えておくべきだと思った。
「スティーブン様と母さんに、もう一度会って欲しいんです。……母さんは、母さんの口ぶりを聞く限り、スティーブン様のことを自分の父親とは思っていないんですけど、それでも、やっぱり」
「……」
「今日のスティーブン様を見て思いました。親子として、会って欲しいのです。……差し出口でしょうが」
二人の関係が、本当のところどうであるかは知らない。
母さんは娘のつもりはないと思う。
けれど、スティーブンは父親だったと思う。
それなら一度会ってほしい。
そこからどうなってもいい。
だって、お互いに生きて会うことができるのだから。
「……スティーブン様にお伝えさせていただきます」
「ありがとうございます」
頭を下げると、ハイラムは俺の頭を少しだけ撫でた。
そしてそれから、自分でも意外そうな顔をした。
「これは失礼。少し、昔を思い出してしまいまして」
「いえ、大丈夫です」
「そうですか、それでは」
きっと、母さんにしていたのだろう。
****
気を取り直して演武会場である。
明日には展示を終える卒業研究に後ろ髪を引かれるが、友人たちに合流することが優先だった。
それにこれらの論文は図書館に保管されることになっているから、読もうと思えば学園生ならすぐに読める。
冬のあとになってしまうが。
「トーナメントの試合より、とても派手ですね」
「はい、演武は勝ち負けより最大限自分を見せることが大切ですから」
槍や戦斧といった剣以外の武器も振られ、どんどんと魔法が飛び交う学園の演武はトーナメントより見るものを目で楽しませる。
内容としては地味なトーナメントの試合より、こちらの方が見るには素人に向いている。
まあ、真剣勝負じゃないから迫力には欠けるのだが。
「……そういえば、二人は明後日の晩餐会には参加しないのでしたよね?」
「ええ」
「はい」
学園祭の最後には、ホールを使っての晩餐会が行われる。
学生と、来賓が一堂に会して食事をする。
ただ、貴族の生徒は全員の参加が義務付けられているが、平民の生徒で参加義務があるのはトーナメントの入賞者だけだ。
「私は残念ながら一回戦で負けてしまいましたし、エスコートする相手もいませんから」
「私もです」
「二人なら、困らないと思いますが……」
その晩餐会、一人で参加しようと友人と参加しようと勝手だが、趣はあくまでも貴族のパーティである。
そこでは誰かしら異性をエスコートするのが当然の風潮だそう。
もちろん、俺にそんな相手はいない。
残念ながら、ローレンスにも。
と、そんな話をしていたところで、たまたま偶然通りすがったようなクラスメイトが後ろから近づいてきた。
演武の会場は数多くあるというのに、なんという偶然だろうか。
「じゃあレイ、僕と出るかい?」
「……珍しく面白くない冗談ですね、カイル」
「もっと驚いてくれるかと思ったのに」
いつものようにカイルである。
一応、試合の結果を労ってから、カイルが話の輪の中に入った。
と言っても、ナディアとローレンスはいきなりのカイルの参戦にびっくりしたようで、実質俺と二人の会話だ。
「レイなら、隣に連れていても何も思われないと思ったんだけど」
「……要らぬ噂が立つだけでしょう」
「それもそれでありだと思ったのさ」
「……」
呆れるジョークが連発される。
一般の貴族生徒、特に一、二年の間では、この晩餐会は婚約者ではないパートナーと参加できるとあって色めき立つというのに。
「カイルに、そういった相手はいないのですか?」
「今興味があるのは君だけだよ」
きざったらしい口調で言ってのけ、カイルがじっと俺の方を見つめた。
とりあえずその青い目を見つめ返すが、視界の端でナディアとローレンスが唖然としつつ、少し顔を赤らめているのが分かる。
……いや、ないから。
そもそも、カイルの目が全く本気でない。
「いつまでふざければ気が済みますか? 相手選びが面倒で、適当にはぐらかそうとしているのが見え見えです」
「レイに隠し事はできないね」
モテるというのも大変だ。
角が立たない相手の筆頭が同性とは、少々災難が過ぎると思う。
「まあそれも冗談で、本当はアリスに頼んでるんだけどね」
「そうですか」
どうやらカイルのフリであったらしい。
まんまと騙された。
しかし、アリスとカイルか。
恋愛感情は一切なくともその場に居るだけで目を引きそうな二人だ。
「まあでも、うん、レイはきっと明後日の夜に踊っていると思うよ」
「え?」
「貴族様のお願いには逆らえないだろう。体裁を取り繕って、彼女が来るだろうね」
「…………心当たりが、ありました」
いるな。
貴族とか、貴族じゃないとか、そんなの関係無さそうなやつが。
「……あっ……」
後ろでローレンスも察したらしい。
自分の危機でもあると悟ったのだろう。
「今日にも、シャーロットが君たちのところに来るんじゃないかな? 今回に関しては女に生まれなかったのが悪かったということで諦めるよ」
ありがとうございました