夏が過ぎて
「……言うのははばかられるが、あれは……」
比較的常識人に囲まれていた日本での生活、さらにこの世界でも、欲求に忠実なダメオヤジの冒険者ぐらいには会ってきたが、どこか単純だった出会う人達の俺への目。
だから、シャーロットから向けられるような狂いを孕んだ目に、俺は慣れていない。
後ろで俺たちの会話を聞きながら待っていてくれたローレンスに、思わずそんな愚痴が漏れた。
相手が貴族でなければ、やばいだの変態だのと、体の至る所に浮き出た鳥肌滲む冷や汗を拭い去るように、形容することをやめなかっただろう。
「レイは特別気に入られたようだな」
「……否定しかねる」
「まあ、あの中でも、レイは特別目立つからな。しかし、どうして呼ばれたかもわからんような私と隣に並べるとは、シャーロット様も酷だ」
ローレンスが自嘲する。
確かに、母さんの美貌を丸っとそのまま受け継いでしまった俺が目立つのは否定できないが……
「いや、ローレンスが呼ばれるのは妥当だろ」
「はっ!?」
素っ頓狂な声が静かな小道に響く。
「そ、そ、それは、私が可愛いとでも言うのか!?」
「あー、可愛いとは違うけど……」
ローレンスの顔は、別段悪くない。
というかむしろ、きちんと整っていて申し分ない。
「シャーロット様の基準は多分可愛いってだけじゃないしな。ローレンスの凛とした感じも好みの範疇ってことだろ」
「凛とした……はっ! それでも、私は男だぞ!!」
「……それは俺もだろ。今更だ」
ぐぬぬとローレンスがセリフを失った。
顔を褒められ慣れていないのか、その顔は紅い。
それから、パタパタと顔を手で仰ぎながらなんとか言葉を絞り出して、俺に質問する。
「……レイはそういうセリフが恥ずかしくないのか?」
「あー、うん、まあ?」
叶斗の時だったらなかなか言えなかったと思うが、レイとしては褒められ慣れて育ったし、リーナがいたから褒めるのにも慣れている。
「……それは、なかなか敵を作りそうだな」
「はっはっはっはっは」
色恋沙汰か。
そろそろ学園でも、そういう話が出てくるのだろうか。
****
「ご苦労だったな」
「……ありがとうございます、グレン」
あのあと急いでそれぞれの講座のある場所へと、それぞれに走った。
後期から騎士科必修の授業となった体術の授業だ。
他学科にも人気の講座で、色々な会場で開かれているため、同じクラスで一緒なのはグレンだけである。
以前の騎士科必修では、教える側に回る10組としての義務を放棄して、端の方でぼーっと頭の中の本のページを捲っていたのだが、今日からはそうはいかないだろう。
「忙しくなりそうだな」
「そう、ですね」
鐘が鳴るギリギリに飛び込んで来た俺には、以前とは色を変えた貴族科男子達の目が向けられていた。
今はグレンがいるから軽率な行動は見せないが、俺が一人になれば、すぐに囲まれるだろう。
「ふん、親の傀儡どもめが」
「……はははは、手厳しいですね」
グレンが吐き捨てた台詞に、その通りだと言いたくなるが、向こうも貴族である。
下手な発言は許されない。
「カイルの予想通りというわけだ」
「皆様一度、家や領地に戻られたようですからね」
「学園の生徒が親に学園の内情を伝えるのは一つの義務だからな。……夏や冬に戻るタイミング以外は繋がりは薄いが」
俺へのストーカー派遣はできるのによく言うよ、という言葉は笑顔の内に飲み込む。
ただ、グレンの言葉の前半部分は事実なのだろう。
「特に私は何も言わずとも其方のことを父上や家臣から聞かれたぞ。冬のこともあったしな」
ああそうだと前置きして、師匠が見つけられなかったことが伝えられた。
そうか、やっぱり対策済みだったか、と少し安心する。
まあ、多分対応に当たっただろうマスターは大変だったと思うけど。
「我々の親にあたる代にとって"聖壁"は現騎士団長と並ぶ憧れの存在であったからな。その弟子となれば、注目すべき存在だ。名字が無いだけで其方を切り捨てていたあやつらは大目玉を食らったであろう」
「聖壁の弟子の名は重いのですね」
「ふん、軽々と背負っているようだが?」
付属するものの重さを感じた素直な気持ちだったのに、グレンには一刀両断されかける。
だが、聖壁の名前の大きさを感じているのは本当だ。
師匠は正真正銘この国の英雄であったらしい。
俺にとっては、とても良い先生であったのだけど、他の人にとっては見え方が違うようだった。
そこで以前から気になっていたことがあったから、思い切って聞いてみた。
「……グレンは、聖壁の名の意味を知っていた割に、あまり押しが強くありませんよね」
「ほう、強くして欲しかったか?」
それは遠慮願いたい。
「冗談だ。ふむ、本人からもやはりそう思われていたか。まあ正解だ」
素直に認めてくれるグレンとの会話は、身分差がある会話に慣れてみると、あまり苦手な類ではない。
「理由が二つある。一つは私が自領で騎士になるのが決まっているからだ。そなたを持ち帰っても父上や兄に渡すだけとなる」
「……二つ目は?」
「カイルを敵にしたくない。初めは張り合いもしたが、学園に入って、あれの頭に理解がいくようになってきた。あのままだったならば、私はどうなっていたか」
考えたくないな、と首を振った。
カイルの謀略は上級貴族であるグレンにさえこうも言わせるのか。
「それに、カイルの見えているものが、私には見えていないのだと思うのだ。私は其方にあそこまでの評価を置けん。ならば、カイルに任せておいた方がいい」
「グレンの見ているものが、全てかも知れませんが」
これ以上はないと主張し目を見合わせてみると、グレンはフッと笑う。
「カイルの目に狂いがあるとは思いにくいな」
……グレンは、随分カイルを信頼しているんだな。
本格的に授業が始まる流れになったのを見て俺の隣から去っていった彼の背を眺めながら、少しだけそう考える。
ああ、少しだけなのには理由がある。
彼が去ったのをいいことに、金の刺繍が入った男子達が近づいてきたからだ。
領に戻ればいつか、領主の座に就く方々だ。
「お前がレイか?」
「はい、お初にお目にかかります。騎士科10-B組、レイでございます」
……やれやれ、どれだけ捌けばいいのだか。
****
夏休みを経たことで様々な情報が更新されていて、食堂での振る舞いは一変することになった。
「ねえレイ、お昼一緒に食べてもいい?」
「ええ、もちろんですよ、マティルダ。人を待たせていますので、食べ終えればすぐにそちらに向かいますが」
「……レイ、私は先に行っておくぞ」
食堂でローレンスと共に昼食を摂っていた時に声をかけてきたのは、後期に履修した薬草学の講義で同じクラスになった、桃色の刺繍侍従科の女子。
声をかけられてしまったから無碍にはできなかったが、彼女の甘ったるい声はあまり得意ではない。
ローレンスもこういう女子と話すのは苦手らしく、さっさと食べ終えて席を立ってしまった。
俺一人で彼女と、その後ろにいた連れの女子達の相手をしなければいけないようだ。
こんなことが起こり始めたのは、貴族達の手のひら返しが人目に触れ始めてからだった。
様々な貴族達が求めていることと低い身分が相まって、売り込みに来るような女子が急増したのだ。
色恋沙汰が増えるかとも思ったが、俺の想定とは幾分か違っている。
どうやら学園での恋愛が直接結婚に関わってくるのがこの国の文化のようだ。
父さんと母さんみたいにピュアなロマンスが生まれる方が珍しいのかもしれない。
「ねえレイ、村での生活はどんなだったの?」
「こことは全く違うものでしたよ──」
彼女達の話に適当に合わせながらも、微弱な魔力で聴力を強化し、周囲の音は拾っておく。
親達との会話で更新されたのは、何も俺の情報だけではない。
流れてくる情報の半分ぐらいは魔法科の誰々はあの貴族の隠し子だとか、学生同士の婚約予想だとかのゴシップだが、もう半分ぐらいは西部の食料自給が落ちていることや北部の小国群が慌ただしいことといった社会派の話も零れている。
情報の精査はあとでいいとして、一先ず耳に入れて置くことは大事なのだ。
その中でひとつ、少し潜められた声で、かつ、周りには理解されない言葉で話されていた話題が気になった。
従者が国に帰っていたらしい、フランクール人の留学生同士の会話だ。
「あの用無し姫の相手は見つかっていないのか」
「我々の国の内情を王国貴族達はまだ知らないようだから、旧皇室はすぐになんとかするんじゃないか?」
……用無し姫。
彼らが言ったそのワードに当てはまる人物など一人しかおらず、思わず顔が厳しくなりそうになるが、今も女子陣とは会話中だ。
表情に出さないように続きを聞く。
「顔も悪くないしな」
「母親に似れば、身体も最高だろう」
周りには理解できないのをいいことに、下卑た内容の話だ。
「卒業する頃には、引くてあまただろうな」
「王国貴族のデブオヤジどもに」
……下衆が。
「……レイ?」
「いえ、何も。ああ、そろそろ失礼します」
笑う二人に向けた怒りが表情に出てしまっていたらしく、心配の声がかけられた。
ちょうど食べ終えた頃合だったから、席を立つことで有耶無耶にする。
……ナディアが、王国貴族と結婚?
詳しいことは全く分からない。
けれど、明らかに俺の許せない何かが、彼女の身に降りかかろうとしている気がした。
……ナディアには聞けないよな。
ナイーブすぎる話だ。
俺のデリカシーがマイナスに割り込まない限り、当の本人に聞くことなどできない。
……事情を知るなら、あいつから聞ければ……
カマをかけてみるか。
いつも楽しい俺、ナディア、ローレンスの三人での茶会。
その雰囲気を壊さずとも、彼なら引っ張り出させてくれるだろう。
ありがとうございました。
次回更新は5/4(金)です。