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手のひら返し

 七時の鐘が鳴って体感で二十分ほど。

 自宅の玄関で上体をグイと捻って伸ばしてから、ドアを開ける。


「行ってきます」

『行ってらっしゃい』

『行ってらっしゃいませ』


 夏休みの間はずっと繋がっていて、彼女らも久しぶりの別行動に少しだけ不満も混じっているけど、俺を送り出してくれる精霊達の声に背中を押される。


 今日からまた、学園生活がスタートだ。



 ****



 夏休みは狩り、技専の手伝い、あとは日常の買い物がほとんどだった。


 授業はないが解放されている学園へ行って一人で本の脳内インストールに勤しんだりもしていたが、夏より前に読んだ本をちゃんと理解するのに時間を使ったから、それも三度ほど。

 もう少し学園での情報収集なんかにも励めばよかっただろうか。


 とはいえ、過ぎたことを言っていても仕方が無い。


「早いな、レイ」

「……おはようございます、ヴィクター様」

 

 いややっぱりもう少し情報収集に励むべきだったかもしれない。

 猛烈な違和感をくぐり抜けるのがやっとのまま挨拶を返した。

 

「ヴィクターが……?」

「家で何かあったのかしら?」

「流石のあいつも……」

 

 驚きで俺の愛想笑いを張り付けた顔面が固まりそうになっている裏で、クラスメイト達のひそひそ話が耳に流れ込んでくる。


 ……あいつも?


 自席へと向かいながら、あくまでも心の中で眉をひそめる。


「やあ、久しぶりだね、レイ」

「お久しぶりです、カイル」


 次に挨拶に来たのはカイル。

 これはいつも通りだ。いつもは彼かグレンが最初である。


「何が起こったのか、って顔だね」

「……分かりますか?」

「もちろん」


 声を落としたけれどカイルはいつもの調子のカイルだ。

 夏の前には決闘のしばらくより改善されていたとはいえ、まだぎくしゃくとした仲だったはずなのに、休み明け最初の挨拶をして来たヴィクター・Eエル・ホーキンスと違って。


 いや、少しだけ、いつもより距離が近いかもしれない。

 気のせいかもしれないけれど、少しだけ。


「まあ、予想通りだね」

「……理由に心当たりが?」

「うん」


 カイルは確信に満ちた笑みを浮かべて頷くが、今の俺には心当たりが全く無かった。



 ****



「久しぶりだな、レイ」


 午前の交流戦で、夏前の騎士科必修選択授業では、俺には無愛想だった騎士科七組の貴族生徒が、にこやかに話しかけてくる。


 そして彼に勝つと……


「やっぱりすごいな」

「"聖壁"の弟子はさすがだよ」

「ああ、勝てる想像がまったくできない」


 いつもだったら全く関心を示さないか、貧民と侮った嫌悪感を示すか、無言で見惚れているかの三つぐらいしか反応の無い他クラスの生徒達が関心を見せる。

 あまり関わりの無かった自クラスの下級貴族達もなぜだか俺を囲って、似たようなリアクションをしていた。心なしか、相手をするのも貴族生徒ばかりだ。


 ……なんだこれは。


 こうもいきなり褒められると思わず顔をしかめそうになる。

 これまで受けてきた扱いとの違和感が大きすぎるから。

 

 ……どうしてだ?


 唐突な手のひら返しに拭い切れない猜疑を抱きながら、それでも笑顔で彼らの言葉に対応する。


 すると、ふと奥の方で、こちらを見つめて、いや、睨んでいるような二人がいた。

 エリオットとホーレスだった。


 ……この差は何だ?



 ****



「……どうしましたカ? レイ」

「いや、ええ、少し」


 昼休みになって、一ヵ月ぶりにナディアと再会して、ローレンスと一緒にいつもの茶会が開かれた。

 母国に帰っていたからか、ナディアのエグラント語のイントネーションが、また少し不思議なものになっている。


「貴族達のことだろう。聞いてください、ナディア。今日、いつもはレイに厳しかった貴族達が──」


 朝からずっと何事なんだと状況の変化に呆れていたローレンスが話し始め、俺がちょろちょろと補足していく形で話が進んだ。


「みんなが、レイを認めてクレルのは、いいことですネ」

「言葉になると、とてもいいことのように聞こえますけど……」

「違いマスか?」


 今日の状況で、居心地が良かったかと言われると、否である。

 これまでの慣れのせいかもしれないが、やはりそれ以外の理由でも。


「どうしても、裏があると考えてしまいますね」

「それはあるだろう」

「……だよな」


 あからさま過ぎる対応の変化。

 考えられる理由はそう多くない。


「俺を引き入れろとか、繋がりを作っておけとか、そんなんだと思うけど」


 断じてみるとローレンスは頷いて、ナディアは微笑んで、同意を表す。


「レイばかり注目されるのは腹立たしいが、実力を考えれば妥当だ」

「それは、まあ。けど、ローレンスもあるだろ?」


 ナディアが料理してくれる茶菓子を口にしながら、そんなことを聞く。


 騎士科生の就職方法は様々だが、そのうちの一つにヘッドハンティングもある。

 雇い主、まあ大抵は貴族様が貴族籍の無い者達を自分専属の護衛騎士や自領の騎士として勧誘するのが定番だそうだ。入団試験などをパスできる、高校とか大学で言えば推薦入学みたいなものだ。王国騎士団でさえ一定数は認められている。

 一年の前期が終わったばかりだと、怪我だとか身長の伸びだとかもあってこれからどうなるか分からないから、公式な打診ではなく有望そうな生徒に何かしらの声をかける程度らしいが。


 学園に入って何か掴んだのか、俺のクラスでも五指に入る腕前と認めざるをえないローレンスに問う。


「あるには、ある」


 不本意だが、とでも言いかねない苦い顔で認める。

 あまり満足の行かないものでも、話があるならばそれで十分だと思う。まだ本決まりなわけでもないし、決闘に敗れたエリオットなんかは腕こそ立つのだけど伸び悩みもあって評判を落としているし。


「そういうお前はいくつくらいあるんだ」

「ないぞ」

「はあ!?」

「意外、ですネ」


 耳を抑える羽目になった大声を出したローレンスだけでなく、ナディアも目を丸くする。


 ……俺の場合は、どこかの誰かがアプローチを尽く叩き落としてるだろうからな。


 何をどう根回ししているのか分からないが、カイルは確実に外堀を埋めに来ている。

 今は、というか今日の午前中はその囲いも気にせずに他の生徒達が踏み込んできたが、おかげで他からの干渉は一切無かったのである。


「とまあ、そんな話はもういいです。きっとなるようになるでしょう。せっかく久しぶりに会ったんですから、会わなかった間の話をしましょう」


 カイルの話をしていると苦笑いしか出てこない。

 そんなつまらない話より、夏休みの思い出を話していた方がよっぽどいいはずだ。


「ナディアは国へ帰っていたんですよね?」

「はい、久しぶりに両親に──」


 留学生は普通、夏には国へ帰れないが、元皇族の姫で、フランクール共和国の公式な枠を使ってやって来ているナディアは、特別に家に帰れる。

 他の、この国の貴族達と同じように。


 ……て、ああ、そういうことか。



 ****



 翌日から、クラスメイトである貴族達との距離感が縮まっていた。

 物理的に。

 いつもさっさと歩き出す俺やローラを囲むようにして、カイルやグレン、ジェシカやマーガレットに、ヴィクターやトマスが一緒に歩いてくるのだ。

 カイルやグレンが何かを供与したのかもしれないが、お互いに利害が一致したのだろう。


 ただ、誰も迂闊に勧誘してきたりはしない。あくまでも友人として振る舞い、俺が他クラスの貴族と接する機会を作らせないだけである。


 俺の自由が減っていた。ついでにローレンスも。


「ここにも久しぶりに来たな」


 席に着いて、左隣に座ったグレンが言う。


「私は初めて。美味しいんでしょ? ほらローレンス、隣にどうぞ」


 彼の左でジェシカもトレイを机に置いた。


「……」


 俺から少し離れた席では、ヴィクターやエリオットなんかも含むクラスメイト達もいて、まあ、今日になって、初めての全員での昼食となっていた。

 普段それぞれ寮に戻って食事をとっているのも、全員だ。


「それじゃあみんな揃ったし、頂くとしようか」


 これもカイルが仕組んだことなのだろうか、なんて、右隣の赤い頭を見ながら考えてしまうと頭が痛くなる。俺に他を寄せつけないためだけに、どれだけの労力と人員を割くつもりか。


 ……これからこんな生活が続くのか?


 嘘だろ、と思いながら、箸を動かしていく。


 ──それは、普段このあたりの席を使っている平民出身の多学科の先輩が踵を返してしまうほどの完全防備体制が敷かれた昼食中のことだった。

 食堂の扉の蝶番の擦れる音が鳴る。なんの変哲もない、気に止める必要のないような、些細なことであるはず。


 それなのに、なぜか皆がそちらを気にしたようだった。

 入ってきた彼女の顔を見たか見ていないかに関わらず。


「あら、ここにいたのですね」


 背中越しに聞こえたのは、鈴が鳴るようと形容すべき、美しい声だった。


「あの子は……」


 彼女はそうやって、席に座っていた俺たちを一人ずつ眺め回し……


「いました!」


 ばっちりと目の合った俺を見つけた。

 感じる魔力は並。どう頑張っても戦闘力なんてないだろう気配だった彼女に対してなぜだか鳥肌が立っていた。


「シャーロット……」

「……流石」


 いつの間にか静まり返っていた食堂内で口を開けたのは俺の隣に居たカイルと、ローレンスの隣に座っていた、マーガレットだった。グレンとジェシカは苦笑い。


 ……シャーロットと、この二人ってことは……。


 未だに顔も見ていない彼女の目星がついた。


 シャーロット・ウル・ファーディナンド、いつか俺の家の周りに密偵を送り込み、夏休みの間も定期的に探りに来たファーディナンド伯爵家令嬢だ。侍従科の一年生である。


「いやですわ、カイル。そんなに厳しい顔をしなくてもよろしいではありませんか」

「ああ、そうだね」


 作っているのか作っていないのか、舞台女優のように明るく振舞うシャーロットに対して、にこやかな表情を崩していないカイルの声が、ざらつく。

 ここまで容易に彼の感情が読み取れるのは珍しい。普段見せない姿にも恐ろしさがある。


「それで、何の用だい? マーガレット? それとも僕?」


 声はいつもの調子を取り戻してこそいるけれど、手を出してくれるなと言外に主張する。弱小貴族の令息に過ぎないヴィクターが、現財務大臣の息子と今も絶大な影響を持つという前外務大臣の孫娘の衝突に顔色を失っている。

 それでも、シャーロットは何も気にしないかのように振舞って、本題を告げた。


「わたくしはレイに用がありますの」


 絶対的なアウェーの雰囲気だ。それでも超然とシャーロットは用件を伝える。


 名前を呼ばれたからには、知らぬ存ぜぬは突き通せない。

 席に座ったまま彼女の方へ向いた。


 何も分からないと伝える精一杯の演技と共に。


「私に、ご用事、ですか………?」


 シャーロットは深い蒼の瞳を俺に向けて、完璧に見える笑顔で伝える。


「わたくしのお茶会にお招きしたく存じますの」


 今度こそカイルが分かりやすく顔をしかめていた。

ありがとうございました。


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[一言] 「ナディアが料理してくれる茶菓子を口にしながら、そんなことを聞く。」 料理してくれる茶菓子とはなんぞや?
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