洗礼式の準備
みんなおはよう、私よ。
今日は私の洗礼式があるから生まれて村の外に出ているの!
今はそのために馬車に乗ってウォーカー伯爵様の住む街に向かってるところ。
まるでお伽噺のお姫様になった気分だわ!
「なあ、レイ……」
「なぁに?」
「や、やっぱり何でもない……」
まあ!
ラスったら、幼馴染みがこんなにおめかししてるってのにつれないわ!
え? その幼馴染みがおめかししてるせい?
うん、俺もそう思うさ……
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今は六月三十三日の夜。春が一月から始まり、一か月が三十三日のこの国ではちょうど夏が終わる夜だ。
つまり、夏生まれの俺はいよいよ明日洗礼式を迎える。
いつもと同じような一日でも、明日のことを考えると少しだけ緊張してしまう。
大丈夫だ。物心付いた時から今までにやってきた当たり前にできることをしっかりと発揮するだけだ。
必要なのは自分の魔力を知られないための制御と、魔力の分離生成。
きっとそれだけだ。できている。大丈夫……
この世界の住民は皆が量の多寡こそあれど魔力を持っており、その魔力量や属性をよく知ることで自分の将来に役立てることができる。
だから洗礼式での誓約の際には魔力情報の提示が必須。
これが異世界産の俺にとっては厄介なことこの上ない。
魔力情報は教会にある魔水晶という装置を使って測定するそうだ。
じいちゃんばあちゃんも母さんも、一つ年上のロンも同じ道具を使っていたそうだからきっと俺もそれを使っての測定だろう。
魔水晶に手をかざすとそれぞれの魔力を示す水晶の色が染まるらしい。
俺も聞いただけの話であり、どんな装置なのかはぱっとイメージがつかない。
大切なのは教会には三つしかその装置がなく、列に並びながら、他人の目の前でそれを測らなければいけないことだ。
もしそれがどう足掻いても俺の魂の器をそのまま示すような装置なら俺の人生設計は大いに狂う。
明日からいきなり村を飛び出して、追っ手から逃げる日々が始まる可能性だって出てくるわけだ。
でも、それが俺の予想通りの装置であれば問題は無い。
対策ぐらい立ててある。
それが魔力の分離生成だった。
魔水晶は手をかざすと体の中の何かが吸われるとロンや他の年長者が口を揃えて言っていた。だからきっと魔力を吸い出して測定する装置なのだろう。
だったら誤魔化せる可能性は十分にある。
体の中から生み出す魔力を制限してしまえばいいのだ。
思いついたのは精霊に魔力を与えている時だった。精霊の属性ごとに魔力を吸われる時の感覚がほんの少しだけ違い、魔力の質そのものが少しずつ違うのだ。
魔力を分離して放出することはその頃から出来ていたからそれを発展させて、魂のもっと深いところで魔力をその属性の感覚にだけ従って生み出せば、単一属性の魔力だけ生み出せたのだ。
これも今では自由に行える。明日はこれでなんとかなって欲しい。
ああ、六属性を隠すとはいっても貧弱を装う訳では無い。そうすると自由な行動が妨げられること間違いなしだ。
魔力量も魔力の質も、この世界のレベルでの優秀な部類に設定する。
大体はラスに合わせれば大丈夫だろうし、洗礼式でも魔眼で周りを確認するのでそこは問題はあまりない。
ラスは今現時点で村の中で俺の次に魔力が多い。成長とともに魔力量は多くなるものだから、彼の将来はとてつもなく有望だ。
ちなみにラスの妹のリーナも結構魔力は多い。
魔物に有効な攻撃ができるくらいの威力がある魔法を操って、「魔法使い」と名乗れるレベルの魔力量を持つ住民は百人に一人程らしいが、多分この村ではラスとリーナ以外にはいない。
洗礼式前なので二人に教えることは許されていないが、ラスは火と光、リーナは水と光の"ダブル"である。
実は二つの属性持ちの"ダブル"、三つの属性持ちの"トリプル"はそんなに珍しくない。
ダブル以上なら三人に一人、トリプルなら十人に一人はいるぐらいで、村にもそこそこ見かける。
ただ、四属性の"クアドラプル"からはほぼ居なくなって、百万人に一人とか一国に一人とか言われるレベルだそうだ。
理由は魔力の反発が起こってしまうからだそうだ。
魔力の反発は火と水、土と風、光と闇という反属性と呼ばれる魔力が起こす。
四属性からはいずれかの魔力が反属性となるのでなかなか存在しないらしい。
これはダブルやトリプルでも同じことだそうで、光と闇のダブルなんかは本当に珍しいらしく、王城で働いていた母さんも騎士団のエースだった一人しか思いつかないそうだ。
それで、全属性はサムライのお話でしか聞いたことが無いし、五属性の"クインティプル"もエルフとドワーフの始祖になったという遥か昔の英雄のお話でしか聞いたことがない。どちらもこの異世界でもお伽噺の存在だ。
俺はその中からいくつかを選ばなければいけないのだが、とてつもなく悩んだ。
後天的に魔力の属性が変容することはないから、今後好きに使える属性は今選んだ属性だけであり、人前でなくても熟練度なんかでこれからの俺の主軸になっていく属性になるからだ。
まだ世界を広く知らぬ六歳にして、とても重要な決断を下す必要が生まれてしまったのである。
せめて本が欲しかった。あと魔法の知識を詳しく知っている誰か。こんな辺境村には「魔法使い」は一人も居ないのだ。
俺が言葉を話せるようになって事情を理解した約三年で、考え抜いた末に選んだ属性は風、闇、水の三属性だった。
まず一番に選んだのは風属性。
母体に長時間いる影響か、母親の属性には影響を受けやすいということでリーンと同じ風は即決。
汎用性も高いらしく、極めれば冒険なんかでとても役立つというから全く問題は無い。
次に選んだのは闇属性。
少し知識のあるじいちゃんから属性ごとにどんな魔法があるか聞いた時に決めた。
闇属性の特徴は隠密系や犯罪系が真っ先に上げられて良いイメージがあまり無いのだが、商人連中がこぞって求めるのが闇属性だそうだ。
理由はただ一つ。闇属性は上達させていくと亜空間に接続するという性質がある。そして習得できるのが魔法名【亜空間収納】。そう、異世界ファンタジーの定番の非物理収納である。
ロマンの面でも実用の面でも転移系の魔法と並んで一番と言っていい魔法だろう。ここも即決だった。
さて、悩んだのはここからだ。
ここから土と光といった反属性を捩じ込むか、素直に火か水を加えるか、それとももっと欲張るか、悩むぐらいなら安全策として選ばないか。
結局選んだのは水を加えたトリプルの反属性なし。魔眼が無ければ四属性でも良かった気もするが、流石に一億人に一人レベルで目立ちたくはなかった。多分この国にそんなに人口も居ないし。
いやまあ、魔眼でトリプルで攻撃魔法の使えるレベルの魔力量だと単純計算で数十万人に一人の確率という計算になってくるんだけどね。ギリギリなんとかなるでしょう、ギリギリ。
で、どうして水を選んだかというと光魔法と並んで回復魔法に優れているというからだ。攻撃や防御は風属性で賄えるだろうということで水に決定した。
事故死した経験がある身としては慎重にもなりたかった。
……魔法が学べるのがいつになるのかは分からないが、今から想像だけでも膨らましておいて損はない。イメージが大切とよく言うじゃないか。異世界ファンタジーでは。
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「ふう」
一つ深呼吸をして無用な緊張をほぐす。
明日の緊張を紛らわすのにいつもの倍以上である七回も魔力を抜いてしまったから、今も全身がだるい。きっと母さんに見せられないくらい顔色も悪い。
明日は洗礼式の衣装を来て七時ぐらいに馬車で街を出なければならなかったはずだ。
そういえば明日の衣装、白を纏うってことしか知らないな。まあ何でもいいや。
……俺はこの時の自分の判断を大いに反省するべきである。
洗礼式は一生に一度の祭典だ。記憶力のいいレイなら確実に一生覚えているだろうイベントである。
魔力以外のことももっと考えるべきであったのだ。
例えば、母親のリーンとエレナばあちゃんが俺の衣装作りの工程を一切見せなかったこととか。
例えば、ラスとリーナの家に行った時二人の母のシェルファさんがやけに俺の衣装を気にしていたこととか。
例えば、普段はあまり話さない他の家のお母さん達が俺の衣装のことを聞いてきたこととか。
って、思い出せば衣装のことばっかりじゃねぇか。
どれだけ記憶力が良くても、きちんと推理できなければ行動は変わらない。
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次の日はすぐに目が覚めた。緊張のせいだろう。
「はい、レイ。今日はこの服ね。お母さん頑張ったんだから」
居間へ行くと、早くも起きていた可愛らしいドヤ顔をしながら母さんが、洗礼式で俺の着る白い衣装を披露した。こういう顔をさせると村の未婚の男たちがなかなか結婚しないのは母さんのせいと言われることもよく分かる。
「私も夜なべして手伝ったわよ」
目の下に薄くクマを作ったエレナばあちゃんが優しく微笑んでそう言った。
母さんもばあちゃんも母と同じく王城でメイドをしていた程のエリートであるから、刺繍や装飾など高いレベルで可能なのだろう。
「昨日レイが寝た後、ようやく完成したのよ」
母さんはそう言う。いたずらっぽく笑うその目を見れば発言の魂胆が見える。服は一着しか無いと。
「馬車に遅れるといけないから早く着なさい」
ばあちゃんがそう言うけど、まだ朝五時だから時間にはまだまだ余裕はある。
が、これからどうなるかが予想済みなのだろう。
「はいどうぞ」
白の衣装が差し出される。
確か洗礼式の衣装はほとんどが男女同型だ。姉から弟へお古を回していた家もある。
「ほら、その今の服脱いで」
違いといえば刺繍や装飾の差異であろう。男なら刺繍も装飾もシンプルなもので、女の子の服には刺繍もレースなどの装飾も凝ったものが多い。
弟が姉のお古を着る時も、刺繍やレースが外されていた。
「ねえ、母さん」
「なあに?」
真新しく綺麗な、ごわごわした普段着とは全く違う布を使った服がぐいぐいと俺に押し付けられる。
俺はそれを受け取らない。
「あの」
「なんだい?」
ばあちゃんがとぼける。ばあちゃんと言っているけれどまだ四十代で、ボケるには早すぎる歳だ。
「ちょっと凝りすぎじゃないかな?」
押し付けられているのは刺繍とレースで存分に装飾が施されたフワフワでフリフリの衣装だった。
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そこから起こったのは二時間近くに渡る俺と母さんばあちゃん連合軍の熾烈な争いだ。
俺は寝室に立てこもって断固反対の意を示し、刺繍とレースをどうにかすることを要求した。
母さんとばあちゃんは、この布は糸から織って、だとかこの刺繍のこの部分にこだわって、だとか、色々な制作の苦労を聞かせてくる。
途中エレナばあちゃん一人になったり、母さんのお待たせという声が聞こえてきたりしたので抜かりなく洗礼式に同行するための準備を済ましているらしい。くそ、徹底している。
「あんなの着れるわけないよ!!」
「そんなの、ちゃんとサイズは合わせてあるわよ」
「そうじゃない!!!」
コロコロと笑う母さんは俺の抗議なんてどこ吹く風だ。
茶目っ気のある人だなとは思っていたけどまさかここまでやるとは思っていなかった。
「なんでそんなのにしちゃったのさ!」
「実は、母さんね……」
そこから始まったのは母さんの生い立ちから洗礼式までの話だ。
自分は自分の母に似て容姿に恵まれていたけど、母の違う、年の離れた姉二人は違った。そのことでいつも僻まれていて洗礼式は二人のお古なのに、刺繍もレースも全部ほどかれた白い布のような衣装を着させられたらしい。
重い!重いよ!!
初めて聞いた単語も何とか類推して噛み砕いて行くと、母さんはどこかの男の愛人の子で、姉二人は正妻の娘ということになる。
重いわ!!!
「だから母さんね、あなたには綺麗な衣装を来て欲しいの」
母さんの声がどことなく沈んでいる。
いつもの弾んだ綺麗な声はどこにもなくて、聞いているだけで罪悪感が芽生える。
「そっか……」
「着てくれるの!??」
立ち直りが早すぎる!
着させたいならもう少し頑張って演技をしてくれ!
「俺は男だ!」
「でも似合うじゃない!」
それは、そうだけどさあ……!
その後も延々と小芝居が続くと、出発の時間が迫ってきた。
「レイ、お花!お花もちゃんと髪飾りにしたんだから!」
「さらに要らないって!!!!」
「おーい、そろそろもう馬車に向かう時間だぞ。見送りも集まってきてる」
じいちゃんが帰ってきた。男心をよく知るじいちゃんなら味方になってくれるはずだ。
「レイ、せっかくエレナとリーンがお前に合う服を作ってくれたんだ、早く見せてくれ」
孤立無援!!!
「ほら、遅れちゃう、早く着てみせて。あなたなら似合うわよ。母さんの自慢の息子なんだから」
「うっ……」
実の息子の俺でも照れてしまうような綺麗な笑みを顔の目の前で見せられて、俺は言葉に詰まってしまう。立てこもりは十数分前に解除されている。
悲しいことに似合うことは間違いないんだけどさあ。
「ねっ、お願い」
母さんの顔を見ていられない。
「あなたのために貯金の大銀貨五枚も使っちゃったの、着てくれないと困るわ」
いや、それはまずいだろ。
すっと頭が冷えた。
俺が大きくなって、四人暮らしの生活費が気を付けないと大銀貨になっちゃうと母が言っていたから。
結局、その一言で俺は降伏した。
「はい、できた。落ちちゃうからあんまり動かないでね」
母さんとエレナばあちゃんが手早く髪をセットして、最後に花の髪飾りが付けられた。
さすがは元王城メイド、凄まじい手際の良さだ。
結局母さんとばあちゃんが用意した全ての飾りが使われた。
薄紅の花がプラチナブロンドの髪によく映えている。
母さんの手鏡に写った姿が自分のものだとあまり信じたくない。
「思った以上に可愛くなったわねー」
ばあちゃんの言う通りである。自分でも驚きだ。
「そんな顔してないで、笑ったらもっと可愛いわよ♪」
不満を顔に書いていれば、母さんがほっぺをつつく。
いつもにこにことしているけれど、語尾に音符がついていそうな機嫌の良さだ。
でもまあ、ここまで来てしまったらしょうがない。毒を食らわば皿までだ。完全に女の子になりきってやろう。
「うん、分かった!」
満面の笑みを浮かべる。我ながら上出来だ。
「ふふふふ、可愛いわよ」
「この親子は、もう」
母さんの笑い、ばあちゃんの呆れた声をだす。
「あ、馬車に遅れちゃう。お母さん、行きましょう!」
「まあ!」
普段は絶対に呼ばないお母さんなんていう言い方をして、滅多に繋がない手を繋いで外へと向かった。
悪ふざけなら俺も徹底してやってやろう。
その後、馬車に向かうと見送りに訪れた人達のほとんどから感嘆の声が漏れた。
こうなると逆に面白くなって来るものだ。
二頭の馬が引く、街で売る野菜を運ぶような馬車に乗り込んで先に乗っていたラスへ声をかける。
この衣装で乗り込めばボロ馬車もカボチャの馬車に思えなくはない。
「ラス、ごめんね、遅くなっちゃった」
「遅い!いったい何……して……たん……だ……?」
そう声をかけるとラスが振り向いた。
幼馴染の俺を見る目が驚愕の色に染まった。
無理もない。俺の道徳教育を受けてきた回数はぶっちぎりで多いのがラスだ。
見送りの列では父親のテッドさんと手を繋いだリーナや、ロン達同年代の子供たちが目を真ん丸にして固まっていた。
馬車に乗りこんだのは五人。俺と母さん、ラスと母親のシェルファさんに、御者席に村長の息子のハリーおじさんだ。
「みんな揃ったな、出発だ」
ハリーおじさんがそう言って手綱を持てば、馬が嘶いて馬車が動き出す。凄まじい揺れも異世界ファンタジーの醍醐味と分かっていればちっとも気にならない。
俺は淑やかさを意識して村の皆に手を振って、初めて村を出た。
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そして冒頭に戻るというわけだ。
しばらく走って馬車が森の中の道を抜ける。
視界が開けると高く長い壁に囲まれた街という初めて見る景色が広がっていて、どうしようもなく胸が高鳴る。
朝の騒動と今の高揚で、緊張なんてどこかへ飛んでいっている。
「あそこがウォーカーの街だよ」
高まる鼓動を鎮めようともせず、俺とラスは揃って身を乗り出した。
ありがとうございました