ヒトガタ
……一、二、三……十八か。
闇夜の中でも徘徊するヒトガタを、目を瞑ったまま数え上げる。星明りすら遮られた手付かずの森の中で、視力は全く役に立たない。感じるのはただ、その気配。微量だが魔力とともに発せられるそれを見逃すようでは、そもそも単独でヒトの生存圏の外に来るべきでない。
『行けるの?』
「さあね」
やれるかどうかはやってみなければ分からない。
そのままの状態で駆け出し、【亜空間収納】から抜き身の長剣を握った。
目を開かなくても、俺がこの世界で感じられる情報は多い。辺りを吹く風、微量の魔力を含んだ生物、こちらに気づいた相手の敵意。
……見なければ、よく分かる。
相手は魔物だ。
人ならざる、理性を持たぬモノ。
この身体が必然と敵とみなすモノ。
ヒトを喰らい、精霊を喰らう、この世界の悪だ。
決して人ではない。
「……はあっ!!!」
大柄な相手の首元を狙って、跳び上がった。
魔力で強化し、切れ味を極限まで上げた剣を振る。
生きた肉を切り裂く感触が手を伝った。生暖かい血が頬を擦った。決して感情を含むことの無い鳴き声が響いた。
このぐらいのこと、森の魔物を相手にどれほど経験してきたか分からない。
それだというのに、全身で総毛が立つ。
決してこの世界のモノになりきれない魂が震える。
それから、ボトリと音が聞こえて、敵意の数は十七に減っていた。それらが一斉に、こちらを向く。
****
「ふう……」
今日も今日とて込み上げるものを何とか押し戻してから、肩の力を抜き、手に持った長剣を鞘にしまう。感情が嫌に高ぶるのを魔力の操作で何とかしようとすると吐き気がしてくるのだ。
「我ながらよく頑張りました、と」
朝焼けが刺して映し出された、死屍累々の赤黒い光景を眺めて、自分で自分を褒めてみる。
『吹っ切れたのかしら?』
「ううん。全然」
結局出るわ出るわで百体近いゴブリンが居た巣窟に再び足を踏み入れながら、ヒスイの質問に答える。
「今にも吐きそうだし、鳥肌も。だけど、慣れないと」
『それだけで、全部剣と素手でやれるのね、アナタ』
「まあね」
南の山脈で一人の魔物狩りを始めてから一週間が経った。
初日の夜に十八体のオークの内の一頭を狩っただけで撤退したのと比べたらこの成果は大きな成長だろう。
この一週間、とにかくヒトガタと相対してきたおかげである。
個性の無い声でギイギイと汚らしく鳴き、ギョロっとした目を剥いて人に襲いかかる、ゴブリン。
ゴブリンがヒョロっと身長を伸ばしただけの身体で、だけれどもゴブリンと全く同じ顔、更には同じく知性を感じさせないホブゴブリン。
下半身は鳥で両腕は翼、ビュイビュイと恐ろしい声で鳴き、上半身は女性の裸体。
飛行魔法で空を飛び、微塵のエロスも見受けられない乳房を揺らすハーピー。
身長二メートル、体重百五十キログラム以上の超重量級の巨体に、潰れた鼻と垂れた耳をした豚顔、剥き出しになった下半身に醜悪なモノをぶら下げたオーク。
それから今回の遭遇戦で一番ド肝を抜かれた、五メートルを超える上背に、俺の頭より大きな一つ目を持った、Aランクに類される怪物サイクロプス。
この山脈に生息していたのは、どれも想像していたものより数倍グロテスクな姿をした怪物達だった。
そう思えるようになったのが、今回の山篭りの最大の成果かもしれない。
『魔法を使わないことに拘っていたのは?』
「素手や剣でやれれば魔法でもやれる」
それはもう、手に伝わる感触に慣れるためだ。
魔法が上手く使えない状況でヒトガタ狩りをしなければならないことも想定している。
『もしかして、レイがここに来たのは、その為?』
「……うん」
ルリは俺がわざわざ色々選べた狩場の中からここに来ていた理由まで勘づいたらしい。
「俺が怖気付いて守れないなんてこと、あっちゃダメだから、ね」
『………』
「本当のもしもなら、魔法も使うし、みんなの力も借りるけどね」
彼女が押し黙ったのは、どうしてか。
初日に嫌悪感や抵抗感を伝えたままにしていたらルリにもヒスイにも無理をするなと止められてしまって繋がりを薄めたから、その先のもしもまで考えていることは勘付かれていないと思うけれど。
「でもそろそろ上がりかな」
もう一度鞘から剣を抜いて、ボロボロになった刀身を撫でる。
手持ちの武器は学園の短剣と父さんの短剣、母さんから貰ったミスリルナイフ以外全滅だ。【亜空間収納】があるのを良いことに種々様々に買い集めたけれど、数打ちの安物ばかりだったから、震える手ではすぐにダメになった。
まあ、合わせて金貨数枚にしかならないし、俺がこの世界で生きる上では小さな代償だろう。
その後、ちょっと試しにと魔力の縛りを解放すれば、サイクロプスに殴り勝てることが分かった。
今回のところは疲れたし、剣も無いならもう充分だろうということで、その日の内に学園都市まで走って帰る。
新しい剣の調達なら近くの町でもできたが、学園都市の方が安価でも良質な武器が揃っているし、技専の誰かに修理や調整をしてもらえないかと思ったからだ。
その時に技術を見せてもらいたいと思ったりしていないことも無い。
****
「久しぶりだねぇ」
「久しぶりですね、シンディ先輩。進捗はどうですか?」
「レイがもっと魔力をくれれば進めるかもぉ?」
「もう使い切ったんですか……」
「なかなか上手く飛んでくれなくてぇ。修理にねぇ」
翌日に先輩が根城にしているガレージへ行くと、やはり彼女は黙々と作業をしていた。
自身に与えられた魔眼をフルに使って作業している彼女は集中していても来客にすぐ気がつく。
しかし、ローレンス達との魔物狩りの前、しばらく学園都市から離れるからと言って結構な大盤振る舞いをしたのだが全く足りなかったらしい。
これまで考えてこなかった着地装置の設計に彼女が苦戦していたのは知っていてたし、上手く行かなくても墜落前に機体をキャッチできる者など、俺以外に心当たりがなかった。
「そういうことだろうと思ってました」
「やったぁ」
腰に下げた革袋を手渡せば大袈裟に喜ぶ。
が、これも全て茶番である。
魔力の籠った魔石が詰まった麻袋に先ほどから目線は釘付けだったから。
「わあ、今日も多いねぇ」
「少しお願いしたいことがあって」
「何ぃ?」
「鍛冶師科に知り合いって居たりしません?」
****
技専の学科も、学園のようにいくつかの学科に分かれている。
一つはシンディ先輩やダニーが所属する魔法具科。
日用できる家電のようなものから、ギミックを組み込んだ武器まで、魔力を使った道具、魔法具を研究、開発する学科だ。卒業生が王国経済を富ませている”技専”の存在は王国産業の基盤とも言われている。
二つ目が鍛冶師科。
習うのは、高温の炎で金属を違う形に作り上げるあれである。ここ十年は安定した治世であっても、国境線の内側で魔物が蔓延る世界で武器の需要は尽きない。
その他にも土魔法で建物を造る建築科や、家具作りなどを主とする木工科、それから趣が変わってくるが服作りが専門の服飾科や、絵描きを集めた美術科、舞台俳優などを目指す生徒が集う歌唱科、なんかがある。”技専”は日本で言えば高専と芸大の合体版のようなものだ。こちらの言葉での「技術」は結構幅広いから、芸事についても技術として捉えたようだ。
それで今回は、先輩に渡す魔石の数に色を付けて、鍛冶師科の生徒に会わせてもらおうと思ったのだ。彼らなら魔力払いで剣を直してくれるだろうと思ったからだ。
しかし、鍛冶師科に知り合いは居ないと言った。
「私は、あんまり友だちっていないからぁ」
「ああ……」
三年生であるが自他共に認める研究バカであるシンディに、学科を跨いだ交友関係は無いらしい。
仕方がないから他を辿りに辿ってみるか、と頭の中で夏休みの闇の日である今日会えそうな技専生を探す。毎週通っているから顔見知りくらい
けれど、直接の知り合いはいないけど、紹介してくれそうな人なら知っていると言った。
「本当ですか?」
「うん、私がレイの話もしてるから、結構すぐになんとかなると思うよお」
その人は今日も技専に居るという。
ひとまず俺はその言葉に甘えてみることにした。
****
シンディは研究バカであるが、一人の天才である。
当たり前だ、一人で空を開拓しようと心に決め、技専に入り、ほとんど独学で飛行機を開発しているのだから。そんな彼女が持つ繋がりが、突飛なものでないと思う方が、不自然なのかもしれない。
「理事長さあん」
俺が連れてこられたのは、彼女が根城にしているガレージから少し離れた、技専の中央校舎の中央最上階。今しがた彼女がノックした扉の上には理事長室と銘打たれている場所だ。
……嘘だろ。
「なんだ、シンディか」
「なんだってなんですかあ」
「どうせまた研究費の相談だろう」
「今日は違いますよう」
フランクな対応で彼女に応え扉を開けたのは、赤茶の髪にやや赤っぽい肌をした、美しい顔の眉間にシワを寄せた偉丈夫だった。
見た目の年齢は四十前といったところで、とても国立学校の理事長という職に就いているようには見えない。けれど、おそらく彼の魔力が実年齢を物語っていた。
見た目の年齢はあくまで、彼がニンゲンだった時の話だ。
「それなら何のようだ?」
「レイを連れてきたんですけどお」
「レイ……学園の少年か」
シンディが俺の話をしてようやく、理事長がこちらに気がついた。
「お初にお目にかかります理事長。学園騎士科一年、レイと申します」
「ああ、初めまして」
貴族制が取られているこの国で、王立学校の理事長をしていれば、彼もきっと貴族だろう。
丁寧な口上と共に腰を折る。
チラリと視界の端にシンディが目を丸くしているのを捉えたが、今は一旦置いておこう。
「私はアレッサンドロ・O・アンブロジーニ。この国の名前では無いが、一応は歴とした王国貴族として襲爵している」
彼の口調には、貴族であることのプライドなど一切感じられなかった。
普段出会う他の貴族達より、余程好感が持てる。
『よろしくお願いいたします』
「……これは驚いた」
名前と、彼の姿から推測した、彼の言葉を使って、もう一度深々とお辞儀した。
『よろしく、レイ。ドワーフ語を話せるなんて、なかなか物好きだな』
そう、彼の種族はドワーフ。
ものづくりと、あらゆる酒をこよなく愛する鉱石の管理者の一人だ。
ありがとうございました。