西の山脈へ
「えー、それじゃあ出席を取ります。ローレンス」
「……なんだ、それは?」
夏休みを迎えた俺たちは、約束通り近隣の森へ魔物狩りへ向かう運びになった。
今日は学園都市を出発する日で、現在地は俺がこの街に来た時も通った東門の前だ。
歩けば二日ほどかかる冒険者ギルドのある宿場町へと移動し、三日後に帰ってくる予定だ。
え? 予定が合わないって?
不思議に思うかもしれないが理由は簡単で、徒歩以外の交通手段があるだけだ。
「カイル」
「なんなんだい、それは?」
「ちょっとしたジョークだと思ってもらえれば。ウォルトさん、今日はよろしくお願いします」
「ええ、こちらこそよろしくお願いいたします、レイ様、ローレンス様」
準備を整えこちらを待っていた締まった体の中年御者は愛想よく答えてくれた。
それと同時に、後ろで二頭の馬がヒヒンと嘶く。俺の声に反応していると思うけれど無視だ無視。
「はは、彼らも待ちきれないみたいだ。早く行こう、ローレンス、レイ」
カイルが俺たちを豪華な造りの馬車へ入るように手を招く。
なんでこうなっているのかなぁ、と心の中で首をかしげながら、ローレンス共々馬車に乗り込んだ。
……ふかふかだ……
野菜売りの荷馬車、いくつかの街を繋ぐ乗合馬車には乗ったことがあったけれど、布が張られているだけで、クッション素材など使われていなかった。
快適な旅になるならそれでいいか、なんて思わないよなあ。隣でローレンスもソワソワしていた。
****
魔物狩りにカイルが参加することになったのは夏休みが始まる直前、ほんの数日前のことだった。
「学園都市の周りで魔物が出そうな森はあんまり無いんだ」
その日の朝、俺は教室でローレンスに狩場と旅程について伝えていた。
学園都市から展開されている魔物除けの魔術は、他の都市に比べてもかなり強固で、周囲数十キロは魔物が滅多に現れない。ウォーカーのギルドで師匠とマスターに教えてもらった。
半径五十キロ近くを覆う王都の魔物除けに次ぐレベルだそうだ。
「だから西の山脈の麓まで行って、そこをベースに森へ行くって感じ。それでいいか?」
「それしかないならそれでいいが……どうやって行くんだ?」
ここから西の山脈の麓までの距離は少なくとも四十キロ以上ある。
ローレンスの疑問はごく普通のものだった。
だが、俺は少々普通から外れていた。なにしろ俺の足なら多少身体強化も使って走れば三時間程度でついた距離なのだ。徒歩で行く気で満々だった。
「ああ……馬車、とか?」
「手配はしてあるのか?」
当然の疑問にすっと目をそらす。
ここから西の山脈方面へは、王都方面のような乗合馬車の定期便が無い。
乗れる馬車を探して訪ねまわるのが一般的だ。だが、出発の予定までに時間はなく、おそらく今探しても間に合っていない。
「見つかるまで待つか?」
「……」
ローレンスの美人顔の眉間にしわが寄る。
「じゃあ、歩いて?」
「…………」
しわが深くなった。
さすがに歩いて行くには不安がある距離のようだ。
そのまま考え込んでいるところに彼らがやってきた。
「ローレンス、どうしたの?」
険しい顔のローレンスに尋ねたのはジェシカ。
彼女の後ろには上級貴族の女子同士仲のいいマーガレット、ジェシカとは幼馴染で仲のいいグレン、それからカイルがいる。
うちのクラスのトップオブトップグループだ。
最近はさすがにクラスメイトには慣れてきたローレンスが答える。
「馬車が無いのです」
「……?」
ただ、ローレンスは基本的に阿呆の子で、さらに今は考え事をしているから回答は要領を得ない。俺たちが馬車を持っていないのは当たり前である。
ジェシカが少し困った顔でこちらを向いて、俺に回答を求めた。
「夏休みに少し出かけようと思ったのですが、そこへ向かう馬車が見つかりそうに無いのです」
俺の説明で納得したらしい。
なるほど、と呟いて彼女は頷いた。
あまり深く聞かれたくないから早く授業のが鐘が鳴らないかなと思っていると、グレンが聞いてきた。
ジェシカもそれに口を揃える。
「二人でどこへ行くというのだ?」
「馬車が無いんだから、王都ってわけじゃないのよね?」
二人の質問にどう答えたものかと思案していると、俺の貸し借りの問題なんて一切関知していないローレンスがさらりと言ってしまう。
「西の山脈の方へ魔物狩りに行こうと。レイは歩いてと言うのですが、流石に……」
魔物狩りというワードに前の四人が反応した。
女子二人が表したのは驚きである。
「魔物狩り!? 二人でそんなことするの?!」
「……危険」
ジェシカの声でクラスもざわめく。
魔物を狩るのは、学園生であっても二年の秋が初めてであることが多い。二年前期から野外での訓練があって、そこで行軍も学ぶ。
それがまだ学園で毛ほども学んでない二人で行くとなればこうなるのも仕方がない。
「いくらレイと言えど……」
そんな声が聞こえる、エリオットのものだろうか。
ただ、そんな空気の中で全く違うリアクションを見せたのがカイルとグレン。
彼らは納得を見せ、それから面白そうに笑っていた。
「そうだったね」
「レイは冒険者ギルドにいたのだからな、当然か」
この二人は冒険者として見習いCランクだったことももちろん把握済みだ。
だから二人で声が重なる
「それでは、私が馬車を出そう」
「それなら、僕が馬車を出すよ」
……どうしてそうなる!
ついでに自分も言ってやろうというのが丸見えの表情に突っ込みたいのを我慢して、やっぱり借りを作りたくないから断りを入れようとすれば、またもやローレンスに阻まれた。
「本当ですか!」
先ほどまでの思案顔をどこに捨て去ったのか、キラキラした顔で食いついた。ここで断りを入れるには俺の用意できる理由は弱い。
愛想笑いを張り付けて同意する。
「ありがとうございます、しかし、どうしましょうか」
ローレンスを拾ったならこの際だ。
毒を食らわば皿までの気持ちで計画を練ろうとした。
****
「乗り心地はどうだい?」
「素晴らしいです」
「私が学園都市に来た時に乗った馬車とは大違いですね」
カイルの用意してくれた馬車はおそらくこの世界でも相当の上位モデルに当たる馬車なのだろう、揺れも少なくて想像以上に乗り心地が良い。ローレンスすげぇと顔に描きながら座面を触ったりしていた。
結局あの後はカイルとグレンどちらが馬車に乗るかで一触即発、だなんてことはジェシカのおかげで起こらなかった。
「あなたは早々に帰らなきゃいけないじゃない」
辺境に領地のある貴族が帰るには長距離の転移が必要だから、転移陣の予定がしっかり決まっているらしい。
特に田舎領地であるウォーカー伯爵領は最初の方だったから、グレンは昨日領地に飛んだ。
王都に実家があるタイプの貴族は一週間後になっても問題ないということで、俺たちを馬車で送るのはカイルの役目ということになった。
そしてもちろん二人とも馬車で送るだけで済まそうとしていたはずもなく、俺たちと一緒に狩りに出ることとなった。予定調和である。
驚いていたのはローレンスぐらいのものである。本当に馬車だけ借りるつもりだったのだろうか。誰が運転するんだ。
「いやあ、楽しみだなあ」
小窓の外から景色を眺めてカイルがこちらに問いかける。
「そうですね、うっぷ」
ローレンスが段々蒼くなってきた顔で返事をした。あまり揺れないのが寧ろ良くなかったのか、馬車に酔ったらしい。
酔いに効くような治癒魔法も知っているのだが、如何せんルリに習った魔法だからここでは使えない。
ローレンスの快気を祈っていると、カイルが一度馬車を止めてくれた。
この国では珍しい湿地帯に降りて休憩を取る。遠くには小さな村々の影が見える。
「しかし、良かったのですか?」
「もちろん」
俺の質問にカイルは何がとも聞き返さない。
通じ合っている、というわけでなく、聞き返す必要がないだけである。
カイルは今回、御者のウォルトさん以外に従者を一切連れていない。貴族の子息でありながら、護衛も、側仕えも、一人もだ。おまけに宿も俺たちと同じところに泊まってみたいと言う。
「僕だって騎士になるつもりではあるんだから」
いつもの完璧な笑みで財務大臣の息子は言う。彼の真意はいつだって計り知れなかった。
****
「それでは、気を付けてくだされ、坊ちゃま」
「うん、しばらく待っててくれ」
日が西の方へ随分と傾き始めた頃、目的の町に着く前に、ウォルトさんとはしばしの別れを告げる。
ここからは徒歩で向かうことになっていた。
豪華な馬車が町へ入ればそれだけで目を引くし、そこから子供だけが降りたとなればさらに悪目立ちする。
今日のためにカイルにも服装は古着を指定していた。ゴワゴワした服が着慣れないようだったが、それはそれで楽しんでいるようだ。ローレンスが一番綺麗な格好をしているくらいだ。
町の門に着いたところで、三人のメダルと入市税、それから幾ばくかの銀貨と「内密に」と記した紙を門兵に渡して町に入る。
町に入る身分証明に必要なメダルは個人情報を全て明かす。俺やローレンスのものは一切問題にならないだろうが、カイルは別だ。ここで情報を売られたり、歓待を始めようとされれば面倒事しか起こらないから、事前の根回しは必要だろう。
「なかなか手際がいいね」
「一応は案内人、ということで」
カイルからも耳打ちでお褒めの言葉を頂いた。
担当した門兵は手紙に気付き、こちらの顔と表示されたデータを見比べながら無言で頷いている。
一先ず成功ということでいいだろう。
「なら、宿はどこに行くんだい?」
今は夕方の五時前、といったところか、門前の市場もそろそろ閉まり始めて、酒場が盛り上がってくる時間だった。
「それならアテがあります」
二人に着いて来るように促し、違う通りへ出る。冒険者が冒険者ギルドに向かえば、宿は大体どうにだってなるのだ。
****
時間が遅いということで多くの宿は埋まっているとギルドで言われてしまったが、想定通りだ。空きのある宿の中からカイルがいることを考慮して、一番グレードの高い宿を選択する。
「……私は、あまり金は持っていないぞ……」
ただの地方騎士の子で、学内の安い寮に入っているローレンスが不安がるが、心配はいらない。
「そのためにも僕がいるのさ」
今回の宿泊費は財布担当が賄ってくれることを出発前の打ち合わせで決めていた。
純粋な個人としての総資産に関してはもしかすると俺の方が多いかもしれないが、ここはお言葉に甘えておく。
宿へ行って、部屋を借りる。
「三人で泊まれる大部屋をひと……」
「カイル、話が違いませんか?」
彼が言い切る前に阻止をする。
「私は別に大部屋でも構わないぞ?」
「いや、俺が嫌だよ」
「そうなのか?」
ローレンスが俺に聞くが、理由はある。
耳に顔を近づけた。背が同じくらいだからやりやすい。
「貴族様と一緒に寝泊まりしたいか?」
「…………」
今はボロい服を着ているから忘れるかもしれなが、カイルは立派な上級貴族である。
ローレンスもようやく気が付いて首を横に振った。
……それに、色々な配慮もあるんだが。
ローレンスの肩をポンと叩いてから、俺は受付に各自の一人部屋を頼んだ。
一人部屋といっても、カプセルホテルのような最低限の部屋である。雑魚寝や大部屋よりもちろん値を張るが、カイルのお金だから今回は気にするところではない。
俺は一人で旅をしていたから慣れているけれど、カイルもローレンスも一人の部屋では初めての外泊らしく、夕食のために落ち合うとどことなく興奮しているようだった。
ありがとうございました。