夏休み前
「夏休みの予定は決めているのかい?」
男子の制服が白の学ランからポロシャツのような半袖に変わり、女子の制服も軽い素材になった四月の朝、いつもの調子でカイルが尋ねてきた。
学園の夏休みは夏の真ん中である五月の頭から、月末までのちょうど一ヶ月だ。
家が近郊や王都にある生徒達は帰省し、その他の生徒達は遊んだり、たまにはアルバイトなんかをしたりして過ごすのが一般的らしい。
六日に一度しか休みがなく連休のない世界である。大人たちも連休が与えられると思いっ切り羽を伸ばす者が多いらしい。
ちなみに、カイルが俺の休日の予定を気にするのは毎回のことである。何かに誘われるわけではないのだが、しきりに気にしてくる。
嘘をついても角が立つし、そもそも嘘をつく理由が無いから素直に答えるのだが、今も休日は見張られていないか注意している。
今回も、今のところの予定を素直に答える。
「これまで通り技専へ手伝いに行ったりはするかと。あとは、一度冒険者ギルドの方へ挨拶に行こうかと考えているぐらいです。それからは未定でねす。外に出てみるか、この街で過ごすか……家に帰るには遠すぎますし」
「む、それであれば私が連れていくこうか?」
ああギルドか、と冒険者見習いの資格を持っていることをクラスでは話したことのないカイルが得心している横で、家に帰るというワードに自領の領主の息子が反応した。
確かに、グレンたち貴族の利用できる街と街を繋ぐ転移陣に乗せてもらえば片道数ヶ月の移動時間は一瞬で済む。
「お心遣いはありがたいですが、結構です。村に帰るのは卒業してからだと、大見得を切ってしまいましたので、帰るには早すぎます」
「そうか、残念だ」
俺に帰る気は最初から無かった。
そりゃあ、家族や幼なじみ、ギルドの人達には会いたい気持ちもあるけれど。
それに、ここでグレンを頼るのは少し不安があった。
……残念だ、って何がだよ。
彼らとは友人としてそれなりに上手くやっている自信はあるつもりなのだが、向こうが取り込みに躍起になっていた事実を思い出せば、借りを作るには不安が残る。そのまま伯爵家にも招待されるんじゃなかろうか。
些細なことでも、本当に頼るべき時以外は彼らに頼ることはないだろう。
****
「レイとローレンスは、夏休みは、どちらへ?」
この国に来てまだ半月も経っていない友人が、ゆっくりながら綺麗な発音で俺たちに尋ねた。
今日はよく夏休みについて聞かれる。
なんて考えていると、ローレンスが先にナディアに答えた。
「私は家に帰るには遠いので、こちらに残って鍛錬に充てる予定です。……なんとか差を埋めたいので」
じとーっと、途中で視線が向けられたのは俺の方だった。
俺の手抜きに一度は怒ったローレンスだが、それでも毎日食事を共にしているうちに勝手に整理を付けて、今はどうにか俺から白星を奪おうと躍起になっていた。
「騎士として負けていられない、ですものね」
「ええ、そうです。負けていられません」
騎士として負けていられない、というのは俺が手を抜くのをやめた日からローレンスが度々口にしてきた言葉だ。
テストの後から鍛錬に付き合う日も増えて、その度に差を感じるだろうに投げ出さないローレンスの姿勢には感服するが、以前にも増して暑苦しさが増した。
こうした場では楽しくやれているからいいのだが、剣を握ると闘志が剥き出しすぎる時もあってやりづらいのだ。気を抜くと切られそうである。
「それで、レイは?」
「私は以前話した技専の友人達の手伝い、あとは冒険者ギルドに顔を出すぐらいです」
カイルの時と同じ予定を口にすると、今度は聞いていた二人が意外そうに目を丸めていた。
「冒険者ギルド、ですか」
「どうしてだ?」
「私が剣や魔法を冒険者ギルドで習ったとは以前にも言いましたね? 剣の師匠の一人と、魔法の師匠が冒険者でした。私自身も去年の一年間は冒険者見習いとして活動していましたし、資格は今でも残っています。一応としてこの街のギルドに挨拶に行っておこうかと」
「なるほど、レイは冒険者、だったのですね」
「……初めて聞いたぞ」
「そういえば言っていませんでしたね」
俺の学園以前の話は、"聖壁"が師匠であるということと、ナディアに伝えた母に似ているということ、剣と魔法は騎士団ではなく冒険者ギルドで習ったということしか口外していなかった。
というのも、エピソードトークをそのまま話せば俺が学園で隠していることが全て無駄になる。
だから過去の話はあまりしたくなかったのだ。どこで繋がってボロが出るかも分からない。
方針転換によって話せることが増えて口が滑らかに回った。
「……冒険者か。私も一度は憧れたな」
「私の国でも、人気の職業、でした。私の会った子供たちは、みんな、騎士か、冒険者になると、言っていました」
「私も似たようなものですよ。実際にとても刺激的で貴重な経験でした」
「レイはどんなことをしたんだ?」
尋ねたローレンスとその隣のナディアがワクワクした顔で話の続きを望む。
ナディアの後ろに控えるカミーユも、珍しく俺の話に聞き入ろうとしている。本当に嫌われているからな。
「あまり大したことではありませんが……」
Fランク見習い時の雑用を理不尽に失敗扱いされた話から、Dランクに上がった辺りの簡単な狩りや採取について、少し山奥に入ってと言葉を濁してテリン山での話なんかを掻い摘んで話していく。
話を聞く三者の表情は三様だった。
一人は目を輝かし、一人は口をぽかんと開け、一人はその銀の目を訝しげに細めていた。
「それで、村を出る頃には私は見習いですがCランクに、友人はDランクになりました」
「その歳で、Cランクだなんて、すごいのでは、ありませんか?」
「そうですね。王国ではおそらく史上最速だと。ですが、師の教えが良かったのです」
「そういえば冒険者にも先生がいると言ったが、誰なのだ?」
知っているかどうかはさておいて、彼らの名前を出す。
「一人は"聖壁"と呼ばれたジョゼフ・スターリングです」
「竜退の英雄、ですね」
彼女もその後ろのカミーユも、師匠のことを知っていた。流石は王国史に残る人物と讃えられる存在である。
ローレンスももちろん知っていて、俺が師匠から聞いてもピンと来なかったことを寧ろ驚かれた。親世代が憧れた二人のうちの一人ということだ。確かに、レンが生きていれば必ず話を聞くことにはなっただろう。
「それと冒険者ギルドでの剣の師が、元Aランクの冒険者で、"風爪"と呼ばれたイアン・バークリー」
こちらはやはりネームバリューで幾分か劣るらしい。カミーユが少しだけ知っているぐらいの反応を見せただけだった。
「それから魔法の師が、"常闇"アルノーです」
しかし、導師の名前を出すとローレンス以外の二人が反応した。
『常闇……』
「アルノー、ですか。フランクールの、名前ですね」
「ええ。彼の昔の話はあまり聞けませんでしたが。彼は誤魔化すのが上手い人で──」
カミーユは声を漏らさず、唇を動かして呟いただけだった。
俺が目敏いから気にはなったものの、会話に入ってきたわけじゃない。
そのまま名前から思うに、ナディアの母国であるフランクール共和国の生まれである導師について、ナディア達に話していった。
闇の上級魔法を食らった体験談はなかなかにウケた。
そんな会話の終わる頃だった。
「それじゃあレイは、夏にも狩りに、行けるのですね?」
ナディアが質問として投げかけてきた。
……入学式以降は魔物狩りにも行ってないな。
毎日が授業で、休日も街の中で忙しかったから当然ではある。しかし、長期の休みが入るのならば久々に羽を伸ばせるかもしれない。
近くの森では難しいがヒスイと出会ったあたりなら精霊たちとも気軽に触れ合える。それに、俺には克服しなければならないこともある。
俺は心の中で一週間くらいの山籠りを予定の中に組み込んだ。
「そうですね、行こうと思います」
……よし、有意義な時間を過ごせそうな予定が入った。
****
もちろん俺は一人で狩りに向かうつもりだった。
ルリやヒスイ達と自由に楽しみたかったし、久しぶりに本気を出して動けるかもなんてことも考えていた。
けれど、そこに立ちふさがる壁があった。
ローレンスである。
閉門まで図書室に残り、鍛錬帰りのローレンスと夕食を共にしていたいつも通りの日のことである。
「ここらの森というのは、冒険者でないと行けないものか?」
「いや、そうじゃないけど……」
「そうか」
会話が途切れて、ローレンスは再びスプーンを動かす。
……えーと、今のは?
一瞬、誘って欲しいのかと思ったが、そういった素振りは見られない。すぐに顔に出るローレンスだから、そういった魂胆があればすぐに分かって、こんなに淡々としていない。
そこから辿ると、一つの可能性に行き着いた。
「……お前、一人で行くつもりか?」
「ああ」
事も無げにローレンスは頷くが、それは賛成できない。
学園10組の剣術は確かに冒険者になればすぐ出世できるぐらいだが、森を歩くことや狩りに関してはド素人だ。
誰であろうが一人で魔物の居る森に入り、無事に帰ってくるには幾つもの段階を踏む必要がある。
わざと語気を強めて、ローレンスを引き止める。
「死ぬ気か?」
「それはないだろう。レイだって一人で行くのだし」
「俺はCランク冒険者として、だ。お前は冒険者やるならFランクから。獣狩りもしたことないだろ?」
「……」
ローレンスが口をへの字に曲げた。
対等な友人としてあまり上から目線で叱りたくはないが、貴重な友人の身の安全の方が大切だ。
「来年の秋には森林実習がある。大抵皆、初陣はそこだろう? 別にいいじゃないか」
「いや、行く」
「おい」
どうやら聞く気は無いらしい。
躍起になったこの目、この感じ……嫌なことを思い出す。今の彼はきっと、一歩ずつ頑張っているだろうけれど。
「はあ……仕方がない」
「なんだ?」
あからさまにため息を吐いてしまったが許して欲しい。今から俺はバカンス気分だった森への日程を削るのだから。
「俺が付いていく。じゃなきゃ力づくで止める。色々教えられることはあるし、まあ、見習いでも一応Cランクだし」
自由な山籠りは時期をずらして楽しもう。ローレンスから目を離している間ずっと身の心配をするよりマシなはずだ。
対面でスプーンを咥えながら、渋々という感じに頷いてくれる。ついでに、行儀が悪いぞとも叱っておいた。ローレンスはテーブルマナーは苦手で、レイが綺麗過ぎるんだとよく言う。
****
次の日、ナディアにその話をすると無邪気な声で現実が突きつけられた。
「それじゃあ、またローレンスは勉強を頑張らなくてはいけませんね」
今は学期末、俺も気にしていなかったが二度目のテストがすぐそこだった。
「……レイ……」
「分かってる」
……まあ、険悪な空気にならなくて良かったよ。
ありがとうございました。
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