テスト
「レイは、勉強は大丈夫ですカ?」
昼にお茶をしていると、俺たちとの会話を重ねて順調に上達している言葉でナディアに尋ねられた。
そういえばあまり気にしていなかったが、時期的には初めてのテストが近づいている。
「はい。困るほどではないと思います」
教科書もジェロームの話も全て覚えている。
飲み終えたカップをカチャリと置き、チラリと左に視線をやった。どうやら会話の雲行きには気づいているらしい。
少し笑いそうになるのを我慢してからそっとしておいてやった。
「ナディアは大丈夫ですか? 苦労もあると思いますが」
「ええ。マダ少し読むノが難しい言葉がありマスけど、補習にはナラズに済みそうデス。……名前がノルことはないと思いますケド」
ナディアはおそらく元々勉強ができる側の人だから心配無用だろう。治癒師科でも優秀なクラスにいるし、図書館に日参して勉強もしている。
彼女の場合は読み書きだけが問題だ。
カンニング防止のため、全ての魔法の使用が制限される。
それが無ければきっと、中央塔に掲示されるらしい各学科の上位四十名にも名前が入るだろう。
そんな彼女が何気無しに、俺の隣へ顔の向きを変えた。
座っているのはもちろん、俺とナディアの共通の友人だ。
「ローレンスはどうですカ?」
無邪気な笑顔のままナディアは尋ねた。
そして、ローレンスの表情に気づいた。
笑顔を消して、困ったように、俺の方に水色の双眸を向ける。
「……もしかしテ?」
「はい、その……もしかして、です」
口を開いたのはいよいよ笑いそうだったのをなんとか堪えていた俺でなく、ローレンスだ。
そしてそのまま、明日世界が終わりそうな顔で続ける。
「補習になるかもしれません……」
少しの沈黙の後、『……どうしましょう』と、フランクール語で呟いた。
****
これまでの言動で察せる部分が多いかもしれないが、お世辞にもローレンスの学業成績はよろしいとは言えない。
「10組になるのに学業はあまり関係ないからな……」
死んだ目をしながら対面に座るローレンスが唸る。
実際その通りで、騎士科で10組入りするのに最も重要視されるのは身体強化が可能か、剣術の腕はどうかというものだ。
勉強は個人が落ちこぼれていても授業の進度に影響しないが、身体強化の練度や戦闘技術は組手や模擬戦を行う上で周りにも影響が大きい。
だから騎士科の筆記試験は足切りラインさえ越えてしまえばあまり参照されることがなく、詰め込んだものを吐き出せばあとは強さだけが見られる。
ローレンスは典型的な受験生であったらしい。
「で、覚えたのか?」
「……まだ、もう少し」
「まだまだページはあるからなー」
放課後、俺はローレンスに付き合って騎士科棟の自習スペースに居残っていた。
最近の放課後はシンディやダニーに呼ばれてマンションに帰ったり、技専内の工房へ出入りしたりしていたが、今は技専もテストが近いということでそれもない。
俺もローレンスの前で教科書を捲っている。
ローレンスは人に言われないとテスト直前であってもすぐに体を動かしたがるから、俺が監視をしているというわけだ。
とはいえ今更教科書から覚えることもなく、読んでいるフリ。頭の中で考えているのはこれから作ってみたい魔法具のことだ。
技専を出入りして手伝いをするうちに技専生の知り合いが増えていき、魔力と引き換えに色々な知識や特殊な魔法陣を教えてもらっていたりした。
簡単な魔法具なら設計から完成まで完璧にこなせるようになったから、叶斗時代の知識と、豊富な全属性の魔力を合わせて何かが作れないか考えているのだ。
閑話休題。
「……もう無理だっ!」
「そうだな、お疲れ様」
五時の鐘からしばらくして痺れを切らした。
まだテストまでは三日ある。集中しているから進度も悪くないし、ここであまり根を詰め過ぎるのもよくないだろう。
俺がパタリと教科書を閉じてカバンにしまおうとすれば、訝しげな視線が向けられていた。
「レイは随分と余裕があるようだな」
「まあな。今ぐらいのところは師匠からも教わってたし」
「師匠、か。羨ましいな」
普段の口調のままだが、どこか棘がある。
……まあ、仕方がないか。
ここ数日の放課後はずっと勉強漬けで、体を動かすのが大好きというタイプのローレンスにはフラストレーションが溜まって仕方がないのだろう。
あからさまに不機嫌な様子を隠せなくなってきている。
……よし、用意していた手を打とう。
俺は立ち上がり、右腰のところに手をやる。
「ローレンス、まだ時間もあるし、ちょっと動こうぜ」
「……!」
放課後の学園ではこれまで一切自主鍛錬をしてこなかった。
以前から誘われていたそいつを餌にすれば、ローレンスは簡単に食いついた。
****
長い影が二つ伸びたグラウンドに、威勢のいい声が響く。
「はああああ!」
「おっ、と」
木剣同士がぶつかる鈍い音は、鳴る度に音量を上げていく。
「──はっ!」
「くっ……!」
──カラーン、カラーン
だんだんと大振りになった隙を見つけ、ローレンスもそれに気がついたとき、閉門まであと一時間となったことを知らせる鐘が鳴った。
「……」
「……」
消化不良のまま勝負が終わり、目を見合わせ、お互いに肩を竦める。
「ぷはっ、ははは」
ローレンスが笑い出して、俺もつられてその肩を揺らす。
どうやら作戦は成功したらしい。
「気は──」
「ありがとう、レイ」
「あー、うん。ならよかった」
ローレンスが先に言い切り、今度はさっきとはまた違った、柔らかい笑顔を見せた。
ここまで面と向かって礼を言われるとは思わなかったから、少々照れる。
「テスト期間もいいものだな。明日も──」
「勉強が優先だな。寮でも振り返りな」
「……ああ」
今度は俺が食い気味に言い切り、もう一度目を見合わせるのを二人して鼻で笑って、揃って食堂へと急いだ。
****
そこからテストが終わるまで、結局毎日ローレンスと打ち合うことになったが、俺もナディアも、それからなんとかローレンスも、補習は無しにテストを乗り越えた。
「なっ、なっ、なっ……」
テストが全て返って来た日の翌日の昼、中央塔に掲示された名前を見に行ったら、隣でローレンスがフリーズした。
その後、掲示と俺の顔の間で視線を三往復させる。
……うーん、まあ、やってしまった?
「お前っ!」
そしてまた、ぐりんと首をこちらに向けたローレンスが肩を掴む。
「五位を取れるだなんて聞いていないぞ!!!」
「……声がでかい」
頭を揺らされるのを気にせずに文句を言うが、ローレンスは揺するのをやめない。
俺の肩はそこまで掴みやすいのだろうか。
街からの出発や入試の面接の時を思い出し、考えかける。
が、まずは直感がその暇は無いと告げた。
「最初から随分と余裕があるとは思っていたが──」
「文句なら後でちゃんと聞くから、早く飯行こうぜ、な?」
俺は素早く肩に置かれていたローレンスの制服の袖を掴み、そのまま食堂へ向かわせようとする。
「なんだ、どうしたんだ?」
「いいから、いいから」
「そうだよ、レイ。そんなに急いでどうしたんだい?」
……あー、見つかった。
彼の声が聞こえた瞬間に、全てを諦める。
掴んでいたローレンスの手首をパッと話して、声の方に向き直った。
ここからの展開を予想すると自然と胃が痛む。
「いえ。ただ目立ちたくなかっただけです」
「そうには見えなかったが?」
「いえ、それだけです」
声をかけてきたカイルと、いつものように彼と行動していたグレンの問いは笑顔で受け流した。
「二人も名前が乗っていましたね」
「私はなんとかだがな」
「君に勝てて安心したよ」
二位のカイルが意味有りげな視線を俺に向ける。
勝手な解釈で読み解くと、「まあ君はまた力を抜いているのだろうけど」とでも言いたげだ。
正解である。
教科書の範囲を一切逸脱しなかった今回のテストなら、満点ぐらい楽に取れた。ここまでの会話だけなら別に、隣にいるローレンスではないのだから焦る必要はなかった。
問題はここからだ。
「まあ僕もウィルには負けちゃったけどね」
「俺の話をしたか? カイル」
「ああ、ウィル! 一位おめでとう」
「……お前のお世辞は聞き飽きた」
俺の背後から、四人の会話の輪に加わった、いや、乱入してきたのは、ウィルと呼ばれ、カイルをお前と言ってのけることのできる男子生徒だった。
通り過ぎた銀の髪が揺れる。
「相変わらず酷いなあ」
「ふん、相変わらずはどちらだ」
仲が良いのか悪いのか、カイルと彼が視線をぶつけ合う。
「……チャールトン……様」
それを見て、流石のローレンスも誰だか分かっているらしい。
ウィルフレッド・A・チャールトンの家名を呟く。公爵家直系、正真正銘未来の公爵閣下にして、騎士団長さえ有力視される学年一の大物の登場に顔色が悪い。
「……まあいい。会うのは初めてだな」
先に視線を切ったウィルフレッドが、ぞんざいな物言いで俺の方に鋭い目を向けた。
どうやらローレンスは眼中に入れてもらっていないらしい。結構やるんだけどな。
「ああ、紹介するよ。彼はレイ。君も知ってる"聖壁"の弟子で、僕たちのクラスメイトだよ」
カイルの紹介を受けて、一歩前に出る。
次は自分で挨拶をする番だ。
「お初にお目にかかります、ウィルフレッド様。私は騎士科1年10-B組のレイと申します。ご高名はかねがね聞き及んで──」
「くだらないだろう」
極限まで丁寧に初対面の挨拶を述べようとすれば、物の見事に途中で切って捨てられた。
流石の太刀筋だと褒め讃えたい、いや実に。
俯く視線の笑みを深める。
「おい、ウィルフレッド。何に文句があったというのだ。身分だと言うのならそれは」
「違う」
諌めたグレンをウィルフレッドは、ちらと目を向けただけで一蹴した。
再び俺の方を向き、彼は言いのける。
「なぜそこまで謙る」
「……身分を弁えればこそ」
「まったく、くだらない」
二度目のその言葉はよく周りにも通った。
先程までは掲示された名前を見てざわめいていた周囲も、あのウィルフレッドが"双剣乙女"レイをくだらないと断ずる異常事態に気がついたらしい。
静かに息を呑みながら話の行方を見つめたり、そっとその場を離れたりする生徒たちの姿が視界の端に映る。
「"聖壁"の弟子が、何を恐れているんだ? くだらない」
俺は続く彼の言葉に何も答えられなかった。
困惑する周囲の中、カイルだけはウィルフレッドの言葉に肩を竦めていた。
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