変化
教室が前後で二分されている。
貴族の籍を持つ者と、そうでない者。
その中央で平民の方を向き、伯爵家本家の少年が立つ。
「グレン・U・ウォーカーの名を以て命ずる!」
決闘も終え、友人もでき、幾分か平和になった学園生活。
今から下されるのは、下手をすればそれを一変させるような命令だ。
平民達は皆息を飲んで、続く言葉を待つ。
しかし、その緊張感とは裏腹に、続いた言葉は──。
「今後我らに対し、親しき友人のように接せよ!!」
随分としょぼい。
グレンの後ろで、こんなことになった発端を作った人物は満足そうに頷いていた。
そしてその発端は、少し前に遡る。
****
「ナディア様、そろそろお時間になるかと」
いつものように、カミーユが昼休憩の終わりが来たことを告げる。
「分かったわ。⋯⋯ツギはフタリも一緒デスね」
「はい、ナディア。すぐに向かう準備をしましょう」
「どちらが先に新しい魔法を発動させられるか、勝負だ。レイ」
カチャカチャと茶器を片付けるのを手伝いながら、和やかに談笑する。
最近は昼休憩の時間に、俺とナディア、それからローレンスも加えての三人で、図書館裏のベンチテーブルで食後のお茶をするのが日課となっていた。
この時間には【翻訳】は掛けてもらわず、ナディアがこちらのエグラント語を練習している。
最初はナディアに緊張していたローレンスも、俺が間を取り持ちつつ二度ほど同じ班で授業をこなせば、友人として仲良くすることができるようになっていた。
ナディアに言われ、俺と二人、彼女のことを呼び捨てで呼ぶようになっている。
俺とローレンスとナディア、十組でありながら学園を少し息苦しく思っていた者達で、三人で居場所を作っているといったところだ。
馬鹿騒ぎをすることはないが、これもこれで落ち着いた関係であり、居心地が良かった。
「ホウカゴはドウ、されるのでスカ?」
「私はまた、図書館に参ります」
「私はいつものように鍛錬です」
ナディアに考慮してのゆったりとした語調の丁寧な喋りで、歩きながら三人で会話する。
しかし、黒の制服一人に剣を携えた白の制服二人、それから灰の侍従服を着た組み合わせは、学園広しと言えどそう見るものではなく、よく目立つ。
人気の少ない図書館から校舎のある方へ移動してくると、ひそひそとこちらを話題にした声が耳に届くのだ。
幸いなのはただでさえ良くない噂の飛び交うナディアが連れているのが、"双剣乙女"と呼ばれてしまうような俺と、その男装の友人だと噂されるようになったローレンスであり、醜聞が立ちにくいところか。
たまにはこの容姿も役に立つ。
「ドウしたの、ですカ?」
「いえ、何もありませんよ」
「レイが考えごとをしているのはいつものことですよ」
それと、ナディアがまだまだエグラント語の苦手なことと、噂を立てられているなんて気にもしていないローレンスがいることもだ。
まあ、俺もあまり気にする必要はないだろう。
適当に取り繕って、ちらりと後ろに目をやれば、年若い銀の瞳の従者と目が合った。
……闇と風って奇襲には相性がいいんだよな。ソースは俺。
静かに彼の中の黒と緑が滾っているのが見えて、不穏なことを考えてしまう。きっと大丈夫だと思うが、生徒の安全だけ祈っておこう。
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「あ、レイは成功ですね」
「むっ」
「悪いなローレンス、先に上がりだ」
「次は私が勝つぞ」
魔力を乱すのが甘くて、思ったより早くに初めて見た魔法を成功させてしまった。
一瞬で呪文を覚えて、初見で正しく魔法の構築を真似て、適量の魔力を込めて、きちんと発動させることができるのは少々反則が過ぎるらしい。
いつもは扱う魔力量をわざと不揃いにしたり、少なめにしたりしている。
今日は話しながらで少し気が緩んでいたかもしれない。
「さすがレイ、早いね」
「ありがとうございます。しかし、カイル様は済ませられているようですし、まだまだです」
「僕は以前に習ったことがあったのさ」
個人の場所で成功させれば講義室の前に向かい、教師に合格を貰う必要がある。
その道すがら、前の方の席で講義を受けていたカイルが帰ってくるのと鉢合わせた。
そのまま彼に合わせて会話を続けていくと、ふと彼がこんな風に切り出した。
「それにしても、レイはあの二人と随分親しくしているようだね」
ちらと視線をやった先はナディアがローレンスにアドバイスを送っている方だった。
俺が平穏が欲しいと嘆願してから、カイルと話す機会はそれ以前よりは少なくなっていて、そういえば彼にナディアの話を聞かれたことはなかった。
「ええ、図書館で知り合いまして、仲良くさせていただいています」
「……妬けるなあ」
……なんと?
カイルの不穏とも取れる呟きは、耳をすまさなければ講義のざわめきの中に埋もれそうな小ささだった。
しかし、俺が聞き返す間もなく、彼はいつもの軽い調子で続けてしまう。
「でもあっさりと女性と仲良くなるなんて、レイも隅に置けないね」
「いえ……」
俺を困らせようとするカイルの言動も久し振りだった。
そこからの会話の中でローレンスやナディアとどんな経緯で仲良くなったか根掘り葉掘り聞かれていった。
カイルは参考までに、なんて言っているが、二人と彼ではいくらか立場が違うから、あまり参考にして欲しくない。
その後、俺の後ろをローレンスが通り過ぎていったところで会話を切り上げてもらった。
「何を話していたんだ?」
「ローレンスのこと」
「……何もおかしなことは言っていないだろうな?」
「大丈夫だよ。多分」
友人としてナディアには慣れたが、未だにカイルなどには俺と同じく怯えているローレンスをからかいながら講義に戻る。
それぞれに違う列に並んで、それぞれに一発で成功させれば、今日の講義のノルマは達成だ。
しばらくすれば鐘が鳴る。
それまで次に習う魔法の構築のコツをローレンスと一緒にナディアから教わり、講義は終了した。
****
それからの数日間、カイルの接触がまた少しずつ増えた。
「他のクラスでは平民が貴族に対して隔たりなく接している所もあるそうだよ」
「アリスはそうじゃないらしいけど、ウィルは未来の同輩として打ち解けているらしい」
「いつか学長も言っていたじゃないか。級友として対等であれってね」
「僕達のクラスはどうやら、随分と身分に拘ってしまっていると思うんだけど、どう思う?」
会話の度に紛れ込むそんな言葉に、彼の狙いが見えてくる。そもそも、他のクラスにまで情報収集をしている時点でお察しだ。
ウィルというのはきっと、公爵家の嫡男で今の騎士科では一番身分の高い生徒のことだろう。
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そんなこんなでしばらくが経った座学の後、突如として貴族側から発案されたのが、「親しき友人のように接せよ」という命令だった。
もちろん平民は貴族にビビりまくってる誰かを筆頭に「ひと月が経とうとしているのに今更難しい」なんて言ってゴネたが、お貴族様の命令は絶対である。
粛々と受け入れるハメになったのは言うまでもない。
……根回しから何から、流石の手際だよ。
俺がカイルに親しく接するようにする、ただそれだけの為にクラス全体を巻き込んだのだ。
利益の相反するだろうグレン、俺に不満を持っていたはずのヴィクター、その他含めた貴族生徒の協力や同意を得ているのは、グレンがノリノリで命令を下していたり、ヴィクターが不機嫌そうだが何も言わずにいるのを見たりすれば分かる。
十三にして恐るべき手腕だ。
命令が下された後、それぞれの貴族達がこれまでも仲の良かったグループの所に向かい、既に談笑を始めていた。
平民側にぎこちなさが残るところが多かったが、段々と慣れていく様子が見られる。
命令が下され、一瞬でクラス間の距離が随分と縮まったように思える。
俺と隣にいたローレンスのところにやってきたのは、にこにこと笑みを浮かべるカイルと、そのカイルを見て少し呆れたような様子のグレンだった。
カイルがこんなことを企んだ理由を、やはりグレンは気付いているか、知らされているのだろう。
「どうだい?」
「……驚きました」
「敬語は取ってくれないんだね」
「あくまで、友人として接せよという命でしたので。私はナディアにも敬語ですよ」
「頑張ったのに、つれないなあ」
カイルが全く残念そうにない顔で肩を竦める。
俺とカイルの距離感を近づけ過ぎないために、敬語を使うのは止めてやらないと、薄々感じ始めた頃から決めていたのだ。
学園の友人の半数には同じような態度である、文句も言わせない。
「だがしかし、胡散臭さが無くなっただけマシだろう」
「それもそうだね」
自分でも思わないことはなかったが、どうやら謙り過ぎた俺の態度はずいぶんと胡散臭かったらしい。
グレンが笑うのに、カイルも同意する。
「では改めて、グレン様、カイル様、よろしくお願いします」
「その様というのは他の友人にもつけているのかい?」
ナディアのことをナディアと呼んでいるのを知っているカイルが、にこりと。
「……よろしくお願いします。グレン、カイル」
「わ、私もよろしくお願いします!」
緊張して口を挟めずにいたローレンスも俺にタイミングを合わせて挨拶をして、俺たちは、遅れそうになっている次の時間の訓練へと足早に向かった。
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クラス内の距離が近づいて、俺の学園生活はさらに平和になった。
カイル、グレン、ジェシカ以外のクラスメイトとも、その三人を通じて話すようになったのだ。
ヴィクター、ホーレス、エリオットなんかとはまだ少しギクシャクしているところもあるが、模擬戦なんかを通じてお互いに認め合う部分もできてきている。
でもこの調子なら、一年が終わる頃には何とか打ち解けられる気がする。
クラス外の友人はまだナディア以外にはいないけれど、高望みだろう。
クラス外ならアリスは友人でいいのだろうか。
特別親しいわけではないが、同じ授業の時は挨拶をし、カイルが居れば挨拶以外の会話もしている。
ただ彼女は俺の中では、教室内のぬるい温度感を冷や水で冷ましてくれるような存在だ。
カイルやグレンらの俺に対する姿勢が友人としてのものに変わったり、休日の尾行がほとんど居なくなったとしても、俺が誰かに警戒され続けているだろうことを忘れてはいけない。
明らかに俺への違和感を抱いているアリス・I・ウォルコットの答えを探ろうとする目はそのことを思い出させてくれる。
それでもしかし、学業も友人関係も、入学直後の予想以上に順調に進んでいる。
ここで少し、学園の外に目を向けてみるのもいいかもしれないと俺は思っていた。
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──コンコン。
週末風の日の晩、シャワーを浴びた後に自室でフウマとじゃれ合っていたら、ドアをノックする音が聞こえた。
引越しの挨拶を受けた時以外は初めてのことだ。
人には見えない状態になっているが何をするか分からないところのあるフウマを、彼の保護者をやっているナギに預けて、呼び掛けに応える。
「はーい。やあ、ダニー」
「やあ、レイ……その、久しぶり」
ドア外には俺の部屋の隣人であるダニーがどうしてかドギマギしながら立っていた。
彼には俺がちゃんと男子であると言ってやらねば申し訳ない気がする。
俺はシャワーを浴びた後、暖かくなったからと薄手のシャツ一枚で応じていたから。
まあそれでも一枚着込むのも、男だよと言うのも変なのでただ流れのままに話を聞く。
何か用件があって俺のところを訪ねたに違いないのだから。
「久しぶり。何の用だった?」
「レイって、風の属性持ってるんだったよな?」
「ああ。どうかした?」
「ならさ、明日暇ならアルバイトしてくれないか?」
「アルバイト?」
なんでも、彼の技専の先輩が、魔法具の開発に風の魔力を求めているらしい。相当の魔力量が必要らしく、後輩の伝手も使って魔力をかき集めたいそうだ。
魔力の篭った魔石を買うより人に直接貰う方が、報酬を払ったとしても安上がりで済むらしい。
「分かった。ちょうど暇だったし」
「いいのか?」
「うん。魔法具作りも興味あるから」
「流石は学園生」
報酬も聞かず即答する。
魔力をあげるだけなら、色々バレないことだけ気をつければ何の問題もない。
それから、技専という場所がどういう場所なのかは前から気になっていたから、訪れる口実ができるは渡りに船だ。
ダニー曰く、場所は技専の作業場の一つだそうだ。
「それじゃあ頼む。明日、九時の鐘が鳴ったら呼ぶから。技専まで案内する」
「分かった」
ありがとうございました。
13歳ってどんな教育を受けていても流石に結構子供だと思ってます。