姫君
決闘から数日、俺の知名度はうなぎ登りだった。
しかしその主な原因は剣の実力ではなく、"双剣乙女"の名とそれに相応しいとの呼び声高い容姿によるもの。
輝く白金の髪、白磁のような透き通る白い肌、全てを吸い込むような黒い瞳……なんて評判が出回っていることを確認済みである。
だからどこに行っても好奇の目に晒されているし、一緒に食事を取るローレンス、カイルやグレン、挙句の果てには「レイも仲間に入るか?」なんて、クラスの女子グループを纏めるジェシカにもからかわれている。
閑話休題。
目立つにしても、剣の実力に一切触れられなければ俺の損得の天秤は釣り合っているから良しとした。
剣については隠そうと努力したわけだし、自分で言うのもなんだが、容姿については遅かれ早かれといったところだからだ。
しかし、元よりあの決闘の計画は急造である。
天秤は悪い方に傾いて当然だった。
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「レイ、君はいつまで手を抜いているんだい?」
今日の訓練で対戦相手だったカイルは、それなりに打ち合ってから降参をした俺に冷たい目を向けて告げる。
「あの決闘も、君が本気でやればエリオットなんて相手じゃないだろう?」
やっぱりバレてたか、というのが俺の感想だ。
俺の素性を嗅ぎ回ってる彼だから、歴代最速と言われる速さでCランクの冒険者をなっていることも耳に入っているだろう。
Cランク冒険者なんて大したことのないように聞こえるかもしれないが、魔物の住まう森に一人で立ち入って問題ないとされる本当の一人前を意味する。
学園に入学したエリート相手にもそれが許される者はほとんど居らず、魔力操作などの純粋な能力で劣る者は少ない。
だから、何の気負いも無しに彼の質問に答えてやる。
「身分が変わらない限りは、いつまでも」
図星を突かれても焦らないための心の準備は、とっくにできていた。
そもそも俺の決闘での行動は、俺の実力を見破っていた奴が見れば、違和感しか感じないはずだったからだ。
わざと似たような展開を繰り返したことと最後にエリオットがミスしたことは、対人戦闘の技術を色々と知っていれば故意であると予測するのも難しくない。
俺の回答に沈黙を保ったカイルに、俺の個人的な願いも込めて続ける。
「私の我儘にすぎませんが……私が何より望むのは平穏なのです。カイル様」
そもそも俺が学園に来た理由は勇名を馳せるためでも、自分を売り込むためでもない。
試験官で騎士だったオークスと互角に闘ってしまったのも、このクラスに来たのも、聖壁の弟子とバレたことも、俺からすれば手違いみたいなものだ。ちょっと常識が足りなかった。
青春を過ごすより何より、学園の図書館で静かに勉強ができていれば俺はそれでも満足だった。
「なるほど、平穏か……」
カイルが眉間に指を当て、すぐに離した。
そして、完璧過ぎていつもの本心かどうか分からない笑顔を作る。
「うん、よく分かったよ。なら一旦は手を引いておこう。君も散歩ばかりの休日には飽きただろうしね」
「……ありがとうございます」
「まあ、他にもそれとなく伝えておくよ。黙っておいてくれるかは別だけど」
彼は優雅に翻り、更衣室へと向かっていった。
……やっぱり、カイルの相手が一番疲れる。
それでもこれで、また釣り合いは取れただろう。
カイルだけでも休日の尾行を引っ込めてくれるのはありがたい。
他、というのがどこまでの範囲に及ぶか分からないが、決闘を終え、今週末には八人にまで増えていた尾行が少しでも減ってくれればありがたい。
その後は今日もローレンスと共に昼食を取ると、何も考えずに気楽に会話できる友人の存在はありがたいと実感する。
青春が目的でないにせよ、もう少し友達が増えればいいものだ。
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「ワタクシと、友人になっテ、くださいませんカ?」
午後の講義までに自主鍛錬がしたいと言うローレンスと分かれて図書館に向かえば、友人が増えた。
願ったたり叶ったり、とはいかない。ここで飛びついてはいけないことはよく分かっている。
何せ、俺の手を取ってそう言った彼女はつい先程、自分がナディア・ド・フランクールであると丁重に名乗り、その身分をはっきりさせたのだ。
「……」
「……ナディア様のお言葉のままだ」
彼女にカミーユと呼ばれていた青年従者に助けを求めて目を向けると、肯定がなされた。
……でもおい、そんな敵意を持った目で見られたら良しとは取れないだろうが。
「ア、あの、ご迷惑、でしたら、イイノです」
俺がどう答えたものか逡巡していると、彼女は、カタコトのエグラント語でそう言って、水色の瞳を愛想笑いに細める。
……ああ、いけない。
「いえ、全く迷惑ではありませんよ」
俺はすぐにフォローを入れて、笑顔を見せる。
「ホント、ですか?」
「ええ。ですが、なぜ私に?」
「ワタクシ、このように、こちらのコトバも、苦手です」
どうやら彼女は、慣れない言葉で慣れない環境にいるため、クラスでもまだ友人ができておらず、従者であるカミーユにばかり頼ってしまっているらしい。
しかしそれでは学園の生活としてあまりにも寂しい。
そう思っていた時に、図書館で毎日顔を見かけていて、会話もしたことのある俺が思い当たったらしい。
……それだけで俺に声をかけるって、
ナディアは箱入り娘に見えてなかなかアグレッシブなようだ。
わざわざ声をかけたのが俺なのは、彼女の立場のせいかな。
今日までに、彼女の生い立ちに繋がるこの世界の知識や、彼女の状況を知らせる噂を耳にした。
布も張られていない硬い木の椅子に座る俺に声をかけるのも、納得の複雑さだった。
「なるほど、ナディア様の事情は理解いたしました」
「友人ニ、なって、クレますか?」
「……その前に一つ確認したいことがございます」
「ナンで、しょうカ……?」
友人になるのは、ビシビシと視線で刺してくるカミーユさえ気にしなければ問題は無い。
しかしここまで、ナディアの俺に対する態度を見て、怪しい部分がある。
何より、少し距離が近い。
「私、正真正銘の男子でございますけれど、よろしいのでしょうか」
「えっ!?」
「……私も申し上げましたでしょう」
静かな図書館に純粋な驚嘆と、お嬢様を止められなかった従者の小さな呟きが響いた。
****
これ以上騒ぎ立てるわけにはいかないと、場所を図書館の外に移し、俺とナディアはあまり目立たない裏手の道のベンチテーブルに掛けていた。
「それでレイに"双剣乙女"の名が⋯⋯」
「ええ、この容姿ですと少し困ることも多いです。母から授かったものですから、文句はありませんが」
「レイもお母様に似ているのですね。私も母に似ているとよく言われます。ねえ、カミーユ」
「ええ。髪も、瞳も、顔立ちも、ソフィア様に瓜二つでございます」
彼女と滑らかに会話ができているのは、カミーユが【翻訳】という魔法をかけてくれたからだ。
属性に関わらない魔法であり、今回で魔法陣と詠唱を覚えられたので次からは俺も使える。
あの後ナディアは、俺が男でも関係ないと言い切り、渋ったカミーユを主の権限で跳ね除け、強引に俺を友人に格上げした。
あまりナディアをどこの馬の骨と分からない男に近づけたくないのだろうカミーユには悪いが、双剣乙女の二つ名をすっかり信用していたナディアを説得できなかったことを後悔すべきだ。
だからそろそろ刺し穿つような視線を向けるのはやめてほしい。
視線に敏感になるのも嬉しいことばかりではなかった。
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「ナディア様、そろそろ移動のお時間です」
従者でしかないらしいカミーユだが、早く主を俺から……他の男から引き離したいという内心をあまり隠そうとしないらしい。
「もうそんな時間?」
「図書館から人が出てきておりますので。次は必修の水の治癒術です」
「分かったわ。レイ、ありがとうございました。それではまた会いましょう」
「はい、ナディア様。こちらこそありがとうございました。またお会いしましょう」
二人は足早に去って行った。
ナディアは彼女の言葉で喋ってみると思いのほか明るく、口調は丁寧ながら気軽に接してくれるので、とても楽しく話ができた。
それから一つ、彼女に伝え損ねたことがある。
……次の授業、俺も一緒だ。
先程の約束はずいぶん早く実現されそうだった。
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初回の水属性の治癒術の授業には、俺の顔見知りが多くいた。
「お前も受けてたんだ」
「治癒魔法は使えて損がないだろう?」
最初に俺が話しかけたのはローレンス。
他にもやはり戦闘職だからだろう、騎士科の生徒が多く見られた。
「あれ、二人も受けていたんだね」
「は、はい」
「はい。カイル様とご一緒できて心強い限りです」
その内の一人として、火と水の反属性でダブルのカイルがいる。
午前のことは何も無かったというように話しかけてきたから、俺もいつもの態度で笑みを深める。
いつかの昼食の際に貴族様が苦手だと言っていたローレンスは、カイル相手にも緊張しているようだ。
しかし、カイルの横にもう一人、ローレンスの心臓に悪い顔見知りが。
「久しぶりね、レイ。噂は魔法科でも……他でも聞いているわ」
「ご無沙汰しております、アリス様。噂に関しましては、不本意な所もございますが」
「ええ、さすが貴方ってところね」
エルフとして水、風、光の属性を全て揃えるアリスもこの授業に参加していた。
今後尾行は解除してくれるかもしれないが警戒心は残ったままだろうから、あくまでも儀礼的に、軽い挨拶だけで終わらせた。
****
「おい、なぜ、お前!」
講義が始まりそうになり、貴族集団から離れて後ろの方へ行くと、先生の講義より先にローレンスの抗議が飛んでくる。
そういえば、アリスのことは話題にあげたことも無かったか。
「ははは、ちょっと前にカイル様とグレン様に引き連れられて図書館で」
アリスに対する初対面の挨拶でガチガチに緊張していたローレンスを見たから、罪悪感が無いわけではない。
だがまだ謝るべき場面でもないのだ。
「まあ! レイもこの授業を受けていらしてたんですか?」
「ええ、ナディア様。先程はすっかり伝え損ねておりました。どうぞよろしくお願いします」
歩くペースの都合か、最後に講義会場にやって来たナディアが俺を見つけて目をまん丸にしていて、笑顔で歩み寄った。
今は講義を理解するために【翻訳】の魔法が掛かっているらしい。
隣に居たローレンスをクラスの友人として紹介する。
ローレンスが先に名乗る場面では俺に対するナディアの態度を見ていたからか、先ほどに比べれば幾文か落ち着いた様子だったが、向こうがあまりに美しい作法で名乗り、姓まで名乗ると流石にその家柄に気が付いて目を剥いた。
「レイ!」
ご機嫌なナディアに聞こえぬよう、小声での抗議。
「図書館でちょっと知り合って」
「図書館とは一体何なのだ!」
本を読む場所である。
ごめんごめんと謝っておいた。
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初回の講義は大きな会場で開催されていて、ペアを組んだりグループを組んだりしたところに、何人かいる教員が回っていく形らしい。
初参加の一年生ばかりの講義なので、今の段階でどこまで治癒魔法が使えるかの確認が主だそうだ。
ローレンスとペアを組めばいいかと思っていたのだが、丁度図書館での会話を思い出した。
その彼女の状況を確認してから、ローレンスに尋ねる
「なあローレンス、他に一人誘っていいか?」
すぐにナディアのことだと気が付いたローレンスは、少しだけ渋る素振りを見せたが承諾してくれた。
ローレンスも連れて、他に治癒師科の生徒も沢山いるというのに一人で居るナディアの所へ向かう。
講義中は従者も付かないから、本当に一人だ。
「ナディア様、ぜひ私たちにコツを教えていただけませんか?」
「まあ、レイ。それからローレンスも。よろしいのですか?」
声をかけると嬉しそうに笑って、グレーの髪が揺れた。
そこからは腕にナイフで傷を付けた教官に治癒魔法をかけるという実践的な内容だった。
この結果を元に授業を二つに割り振るらしい。
自分で傷跡もキレイに治せる凄腕の先生ばかりだが、躊躇なくすぱすぱと腕にメスを入れる姿はなかなかにショッキングであった。
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誰にでも丁寧なナディアにローレンスが少し打ち解けたあたりで講義が終わり、最後に次回からのクラス分けが発表された。
俺とローレンスはお互いに初級でも水の治癒魔法が使えるから上位クラス。
ナディアも教える役目としての上位クラスだ。
⋯⋯カイルとアリスも同じだな。
誰かの役に立てたのが嬉しかったらしく来週の授業のコツまで教えてくれるナディアとまた図書館でと挨拶をした。
ありがとうございました。