エンカウント
入学式から四日が経った。
今日は風の日。光、火、土、水、風、闇という順に回る一週間において、学校が休みになる闇の日の前日だ。日本における金曜日である。
「ハア、ハア、来週からは剣技が始まる。剣では負けんぞ⋯⋯!」
「私も少しばかりの誇りはあります。易々とは」
いつものように捨て台詞を残して、ローレンスが更衣室へ去っていく。
毎度毎度絡まれるのは本来鬱陶しいと思う質だったと思うのだが、現状が現状であるから、むしろ害意のない交流に嬉しく感じてしまう。ローレンスは比較的身分の低い地方騎士の子であるから、会話にあまり気を遣わなくていいのも良かった。
カイル、グレンとの会話と比べてしまえば何も考えなくていいとも言える。
………普通の話し相手ぐらいになれたらなあ。
俺もローレンスも教室にいる時間は短いが、ぜひ教室内でも話しかけてくれたら嬉しい。
未だに寂しいままの学園生活に、そんな淡い期待を抱いてみたりする。
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訓練の後に向かった食堂では、明日の闇の日はあそこの店に行ってみようなんて楽しそうに話をしている新入生の声が聞こえてきた。
友人と呼べる友人のいない俺にとっては、とてつもなく羨ましく感じる話だ。
「どうしたんだい、難しい顔して」
「いえ、なんでもありません。カイル様」
「ふむ、ここもなかなか質が良いのだな」
俺はカイルとグレンに挟まれながら、なるべく優雅に見えるように食事を取る。
………ああ、もっと気楽に食事がしたい。
貴族御用達の位置にあるテーブルに招待され、ナイフとフォークを使って、おすすめだというバーガーをあまり大きくないひと口で。両手で持ってかぶりつきたい。
「ふむ、綺麗な食器使いだな」
「恥をかかぬようにと、家族に鍛えられました」
………大貴族様に挟まれて食事するかもって、考えてね。
あんたはもう王様の前に出たって文句を言われないよ、とばあちゃんに免許皆伝された作法をキチンと守っている。レンがあれこれ苦労した部分を知っている母さんが主導して、食事以外にも本当に色々習っていたりするのだ。
まあ、厳しくマナーを守らなければいけないような機会はあまり来て欲しいとは思っていなかったが。
しかし、二人が食堂付近で待ち伏せし、「共に食事をしようと思ってな」なんてぬかしてくれたおかげで、随分と早く役に立つ日が来てしまった。
生まれた街の領主の息子と、今を時めく財務大臣の御曹司に挟まれた時なら、特訓の成果を見せつけるのにも妥当なタイミングである。
ちなみに以前から噂されていた財務大臣の息子がカイルだったというのはつい先程知った。新聞の発達していないこの世界では今現在の世情を知る術は本当に限られているのだ。
美味しかったということだけが分かるバーガーを食べ終えて、食後の茶を丁寧に啜る。
「レイは今日もこれから図書館かい?」
「はい」
「なら、私も行くとしようか」
「そうだね、僕もそうしよう」
………え、マジで言ってる?
そうなれば今日読む本を変更するしかなくなる。
………流し読みしかしない辞書系統は読み方の問題でアウトか。あと属性外の魔道教本も怪しまれるよな。
表情を取り繕いながらもうんうんと頭の中で考えを練り回していると二人の食事も終わる。
そうして席を立てば、他の平民育ちの生徒からはやっと出て行くのかという目をこちらへ向けられたのが分かった。食堂内の生徒の肩の角度が5度ぐらい下がったようにも思える。
………分かる、貴族様に面倒をかけられるのは嫌だもんな。
絶賛迷惑かけられ中の俺は、それでも楚々として、素直に二人の後ろについて行くしかないのだ。
****
「あら、カイルにグレン。久しぶりね」
三人で図書館に入ろうとすると二人に声がかかった。
声の主は魔法科の青刺繍を付けた、金髪の女子生徒。
後ろには若い女性の従者を連れている。
先程から彼女の存在には気がついていたが、本格的な接触があることにドキリとしてしまう。
ちょっとごめん、と精霊達に断ってから、いつもよりさらに魔力の制御を強め、今の一瞬だけ、限界まで彼女らとの繋がりを薄める。
それから念の為に、右眼に魔力が行かないように意識をする。
「やあ、アリス。制服もよく似合ってるね」
「奇遇だな。魔法の勉強か?」
「ええ。少し調べものがしたくて。あなた達は? カイルはともかく、グレンは剣を振っている方が好きでしょう?」
「失敬だな、其方も思うままに魔法を放つ方が好みだろうに」
相手はアリス・I・ウォルコット、魔法科の一年生だ。
主席候補筆頭であるらしい彼女の名前は食堂でも度々耳にした。
「はは、僕もあまり勉強は好きじゃないさ。今日は彼の付き添いで来たんだ」
カイルが俺の方に指先を向けるので、半歩下がっていた俺はそのままゆっくりと頭を下げる。
俺がいつ付き添いを頼んだというのか。
目が合っても一番心配していた魔眼同士の引き付け合いのようなものは起こらなかった。
しかし、彼女は何かありえないような物を見たかのように、俺の方に向けた新緑の色の瞳を揺らした。
………まずいか………?
いやまだ決定的な何かではない、そう言い聞かせて平静を装う。
カイルから声がかかると、初対面の自己紹介だ。
「紹介するよ、彼はレイ。僕たちのクラスメイトだ」
「ご紹介にあずかりました、騎士科1年10-B組のレイと申します。アリス様のお噂はかねがね伺っておりました。今後はぜひよしなにお願いします」
「………ええ、ええ………」
挨拶に何の間違いもなかった。
しかし、彼女は明らかに俺の何かに気が付いている。
それがどこまでか、小さな違和感なのか、それとも俺の全てなのか。
エルフの先祖返りである彼女は、一体何に気付いているのか………。
彼女の硬い反応にはグレンも違和感を持った。
「どうしたのだ?」
「いや、ええ。少し驚いただけよ。最初は男だって分からなかったから」
「ははは、僕でも一目じゃ分からなかったからね」
貴族の三人が軽い会話を交わして、それが終わると、それぞれに図書館へと入る。
………セーフ? いや………。
視界の端に、アリスが従者に耳打ちをしたのが目に入った。
すぐに強化した聴力でも話の語尾しか聞き取れなかったが、何やら命令を下したようだ。
………俺への警戒、かな?
****
図書館に入った後グレンはせっかく気が向いたのだから少しでも勉強をしておくかと、すぐに騎士戦術の教本を探しに行った。
しかし、カイルは未だに俺の本選びに付いてきていて、俺の聴力強化をあてにしているような、本当に最低限の声量で耳打ちをした。
「どうやら、ずいぶん緊張していたみたいだね?」
「………お気づきになられていました………」
「君は読みづらいけどね。で、どうしたんだい?」
俺の目を見てニコリと微笑むカイルに、背筋が冷えた。
これまで俺に対してただ興味を持っていただけだったカイルが、さらに一歩踏み込んできた。
硬くなる表情をなんとか動かして、何も無いかのように取り繕う。
「エルフというものを初めて見ましたから、驚きました」
「ふーん、そうか」
反応はそれだけで、窓際の書架の方へ立ち去ったカイルを見送る。
………ドキドキだな。
速くなった鼓動を鎮め、手にかいた汗を拭う。
俺は真実を隠さなければいけない。
けれど、今の俺にカイルやグレンの不興を買うようなことはできない。
体感では彼らには迷惑しかかけられていないような気もするが、傍目からは俺が彼らの庇護を受けているように見えている。
この一週間、一度を除いて悪意ある接触がなかったのはおおよそ彼らのおかげだろう。
親しげに話しかけてくれる彼らは横暴ではない、優しい貴族様に部類される二人だ。
どうしたものか。
そこから俺は適当に選んだ水属性魔法の研究についての本を漫然と広げ、いつもの硬い木の椅子に座り、ここからの立ち居振る舞いを考えていくのだった。
****
そんなこんなで学園生活一週目は無事に終了した。
俺一人は色々大変ではあったが、学園では特に何の事件も無かったように思える。
諸々の隠し事も、決定的にバレてはいない。
そのせいで、友人がいないのはやはり苦しいところではあるが、俺の特殊性がバレるよりはよっぽどマシで生きやすい。
このままずっと、学園生Aぐらいの立ち位置で過ごしていきたい。
闇の日の朝、ベッドから身体を起こして魔法で身体を清める。
しかし、簡単に願いを叶えさせてくれるほど、転生者レイの現実は甘くない。
『レイ様、いかがなさいますか?』
「とりあえずは放置で」
『………承知しました』
我が身を思ってくれるカイトの問いかけに、ベッドに寝転がりながら答える。
『ニンゲンも大変ねー』
『あのエルフの子の使いかしら?』
『レイ様、オレが吹き飛ばしてこようか?』
『フウマ、馬鹿?』
『しかし何か対策も必要ではないでしょうか?』
精霊達が俺の心配もしてくれながらも、楽しそうに会話する。
彼女らの専らの話題は、この学生マンションの周りに集まっているお客様たちだ。
この世界に来て、魔力に親しみ、自分に向けられる視線や気配を察する感覚が鋭敏になっている。
四階の自室にいても外から向けられている視線や、明らかに不審な動きをする気配がなんとなく分かる。
何の目的でそんな張り込みが、と聞くのは愚かだろう。
魔力や精霊たちのことを抜きにしても、”聖壁”に育てられ、貧民であるのに10組にいる俺の素性は明らかに怪しさに満ちている。
俺について書類だけでは分からない、何かしらの情報を知っておきたいのだろう。
プライベートが侵されるのは少々気に触るが、付けてくるだけなら問題は無い。
むしろ、あくまでも俺は善良な学生であるということを彼らに対して証明してやった方がいいだろう。
『まあでも、誰が送り込んでるかは知っておいた方が良さそうかな』
洒落た外出用の服に着替え、精霊達に脳内で指示を与えながら、俺は外へと向かった。
****
善良な市民であり人畜無害な学生である俺は、春らしい白地のシャツに麻のパンツをシンプルに合わせて、闇の日で賑わう街を練り歩く。
自分の部屋でシャワーを浴びたいからというように火の魔石を購入してみたり、どこからレシピを手に入れたのか分からない美味しそうなコロッケを購入してみたり、技専の講師が学園都市に店を出している武器屋のショーウインドーを眺めたり、あるいは通行人とぶつかってみたりする。
『性格悪いわねー』
『レイ、面白がってるでしょ?』
『向こうも、バレていると気が付いたようですが………』
『いいのいいの』
もちろん普通に歩けば、どれだけ混雑した道でも誰ともぶつからずに歩ける。
俺はただ、少しの親切心で尾行が下手だったのを教えてやっただけだ。
導師にもやられたらやれと言われている。
『それでみんな、顔は覚えた?』
『ええ』
『もちろんよ』
無駄にうろうろと散歩をしていたのは、ただ単純に楽しんでいたからではない。
俺の長い散歩に最後まで付き合ってくれた心優しい人達が誰か、完全に割り出すためである。
『じゃあ、行ってらっしゃい』
指示をすると、四方に分かれて精霊達が飛び去っていく。
彼らには今から少し、逆尾行を手伝ってもらう。
組み分けはルリ、ヒスイ、カイトとフウマ、シズクとナギ。
精霊は属性や階級でやれることが違うから、多分これがベストの組み合わせである。
「さて………」
俺も立ち止まって歩く方向を変えた。
追跡者は五人。
残る一人は俺の担当だ。
まずは向こうに、尾行を諦めてもらわないといけないな。
ありがとうございました。