昼休み
この学園の施設の充実ぶりという部分は何度も強調してきたかもしれないが、実際に半端ではない。
校舎は手入れが行き届いていてどこも綺麗だし、図書館は広く、グラウンドと呼ばれるうちの二つはサッカースタジアムのような規模を誇る。
さらに敷地の奥の方で馬や牛を飼育する牧場があったり、魔法科や薬師科の研究施設となる温室、グラウンド付近に点在するシャワールームや、寮の近くには学生なら誰でも利用可能な浴場まで備わっている。
はっきり言って訳が分からない。
街の半分を占める南北約五キロ、東西約十キロに及ぶ敷地は伊達ではない。日本の大学にもそんな規模の大学はなかったはずだ。
その中で俺にとって一番嬉しいのが食堂の完備である。
中央塔近くに二つ、それから学生数の多い騎士科と文官科の近くにに一つずつある食堂は、授業を前に学園の門が開く午前七時から日が暮れて門の閉まる午後七時まで常に開いている。
そして何よりだ。学園に所属する学生であれば、誰もが無料で飲食できるという。
………贅沢すぎるよなあ。
貴族や富裕層の皆様からの寄付に感謝しつつ、俺は中央塔近くの食堂に入った。
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叶斗の時代、学校行事の一環で見学に行った大学の食堂は昼時には席探しに苦労するぐらいごった返していたが、この学園の食堂はそこそこに空いている。
母さん達の話によると、授業に間に合えばどこで食べていてもいいから、貴族や富裕層はそれぞれの寮に戻って昼食を取るのが普通らしい。
バチバチと派閥争いが繰り広げられているらしい貴族寮以外にも、敷地内にいくつか寮があるので、そちらに人が集まるのだろう。寮は少し校舎から遠いが昼休憩が二時間もあれば、往復は余裕である。むしろそのために二時間の昼休憩があるのかもしれない。
貴族様は学園内の寮に住んでいるし。
俺は人の目が多ければ多いほど面倒が増えるから入寮は考えなかった。冒険者としての稼ぎだけで、手持ちにも大いに余裕があったし。
一人で食堂に来ている俺は、慣れていない素振りにあまり注目されないように、軽い隠形を使って食堂内を見回る。
これは完全に気配を消すのではなく、闇の魔力を操作して上手く街で埋没するぐらいに存在感を消す技だ。そこに人が居ることは分かるが、誰であるか気にならなくなるぐらいに存在を薄める。
導師に教えてもらったものだが、どうしても目立つことの多い俺である。旅路からずっと役に立っている技術だ。
導師からは他にも完全に足音を消して歩く方法や、変装のコツ、隠密しての尾行、更には潜入の術なんかも教えてもらっていた。これらには闇魔法を応用するものもあるが、魔力を使わないテクニックも混在していた。どうしてそんなことにも詳しいのか、謎の多い彼の昔が少し気になるところではあった。
さて、隠形まで使いながら食堂内を見回るのは、どう振る舞うべきかをしっかり見極めるためである。
そしてやはり、大まかに座席も分けられていることに気がつく。
ビュッフェスタイルの食堂で、奥の方の席は誂えもよく、そこから少し離れたところは簡素な作りのイスや机が並んでいるのだ。
棲み分けはちゃんとされている。
………あ、一人用スペース。
平民向けだろう区域に、ピンポイントで俺を狙ったかのような、とても良心的な席が用意されていた。窓側を向いた板張りのカウンタースペースで、上級生が無言で飯をかっ食らっている。
………今日はあの席を使おう。多分、これからずっとだけど。
自分の座れそうな座席を確認できたからいよいよ食事を取りに向かう。
先程から随分といい匂いがしていたのだ、腹が減って仕方がない。
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………ご馳走様でした。
俺は心の中で手を合わせて、食事を終える。
一人で居るのに欲張ることもないだろうということで、メニューはサンドイッチとパンのみだ。大量に用意されていたので多めに取らせてもらったけれど。
しかし、上流階級向けの食事はめちゃくちゃ美味しかった。
最近は学園都市でも下町の方にあたる安い店で出来合いのものばかり食べていたのも、尚更美味しく感じた理由だろう。
いつ誰に難癖を付けられるかは分かったものでないからマナーには気をつけたが、それでもパンをちぎる手が止まらなかった。
三食全てここで食事を取るべきかもしれないと思わされる。
無料であることもだし、それ以外にも理由はできたのだけど
………学生の噂が聞けたのは大きいな。
口を拭き、食器を片付けながらも生徒達の声に耳を澄ます。
学園内に知り合いのいない俺にとって、噂話でも大きな情報源であった。
異国からの留学生が今年は何人いるとか、隣国の元姫君が留学に来ているとか、入学生代表だったウィルフレッドが騎士団長の息子だとか、魔法科にエルフの先祖返りの貴族様がいるとか、一年の騎士科10組に名字を持たない貧民がいるとか、騎士科に大層見目麗しい男装の生徒がいるとかである。
後半は特になんの新情報でもなく、まあ多分俺の話なのだが、前半は初めて聞く話ばかりだった。
どうやらこの学園はいくつかの交流のある国から留学生を招いているらしい。
俺の中でのこの世界がまた一つ広がった感じである。
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俺は噂話を頭の中で整理しつつ食堂を出ていく。
すれ違う人の数が先程より明らかに増えていて、どうやら他の新入生達が食堂にやってきた頃らしいと分かった。
どうしてそんなに早く友人ができるのか気になるところではあるが、悲しくなるし、どうせ身分のせいなので今は考えない。
午後の授業まであと一時間以上、長い昼休みはまだまだ残っていた。
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足音の響く静かな場所ではむしろ足音をあまり消さないようにする方がいい。
足音で人の位置を把握する人が多い中で完全に足音を消して歩いていると、曲がり角でぶつかったりするのだ。
なぜそういうことを言えるかといえば、単なる経験談である。
ちょうど今の。
「きゃっ!」
「おっ、と。………申し訳ございません。お怪我は?」
「ありマセン。コチラこそ、気がツカナクテ、ごめんなサイ」
図書館二階の書架で本を探していた俺は、人とぶつかっていた。
過失は全て俺にある。
壁一面の本から読みたい本を探すのに夢中で周りが見えなくなっていたうえに、足音が響かないように足音を消して歩いていれば他の人も俺に気が付かない。
でもまあ、すぐになんとか手を回したので、相手もこけることはなかった。
怪我でもさせていたら大変なことになっていたかもしれない。
ぶつかった相手はどこかこの国の言葉が苦手というイントネーションで喋る、グレーの髪をした女子生徒だった。
胸元の刺繍の色は紫、治癒師科の生徒だ。
「──!!」
すると、彼女の声を聞きつけたのかグレーの服を着た青年が、何かを言って駆け寄って来た。
俺には分からない言葉で二人が会話を始める。
それがどこの言葉かは今はまだ分からないが、彼女が他国からの留学生であることは分かった。
青年の身なりから察するに、彼女の身分はそれなりに高いのだろう。
グレーの服は騎士科以外に帯同の認められている近侍や護衛の証で、彼の服装はそれに当てはまっていた。
「貴様、次からは気をつけろ」
「カミーユ、あまり、怒らナイデくだサイ」
「申し訳ございませんでした。以後肝に銘じます」
………うおー、貴様なんて初めて言われたな。
キツい物言いにムッとするが、今回は明らかに俺の過失だ。
従者の銀の瞳がキッとこちらを睨んでいるので、恭しく頭を下げる。
主人である女子生徒の淡い水色の瞳がオロオロと揺れているが、それは俺の存ぜぬところである。
そのまま従者が彼女を連れていき、立ち去って行った。
俺は頭を下げてそれを見送った後は目当ての本を手に取り、件の木の椅子へと腰掛けた。
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午後の授業が始まる午後一時の鐘が鳴る二十分前であることを伝える館内アナウンスが流れた。アナウンスは風魔法を応用した魔法具で伝えられていて、どこにいても同じ音量で聞こえるようになっているらしい。
本を閉じ、返本台に置いてから教室に向かう。
先程の本は内容理解を捨てた流し読みだったから、既に全ページに目を通し終わっている。
内容の整理はまた後で、授業中にでも行おう。
俺の馬鹿みたいな記憶力のおかげで、一言一句違わぬ情報が既に脳内に残されていることだし。
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図書館から教室にはそこそこの距離があり、やや遅れて教室に入ると、既にクラスメイト達は教室に揃っていて、それぞれに談笑していた。その彼らがこちらに気付くと、ふいと目線が逸らされていく。
それを見て確信した。
………やはり俺はクラスで浮いている。
さて、どこで選択を間違えたのか。
叶斗の時は誰相手でもそれなりに上手くやっていたというのに。
好きなように自分から声を掛けられないのはあまりにも手痛い。身分というのはままならないものだ。
本当はそうじゃないことを心の中で笑っていると、カイルがわざわざこちらまで来て話しかけてきた。
ここまで来ると気にかけてくれるのが嬉しくなってもくるが、理由も分からない貴族からの接近は優雅な昼休みを過ごしたばかりの俺の心へ一気に緊張を運んでくる。
彼らが対等な友人になってくれるわけでもなかろうに。
「ずいぶんと遅かったようだけど、どこに行っていたんだい?」
「食堂へ行っておりまして、そこからは図書館の方へ」
「へえ、図書館か。まだ授業も始まっていないのに熱心じゃないか」
読んでいたのは魔法関連の本だったから授業に関係のある訳ではないが、勝手にそう捉えてくれることは構わない。あとは上手く濁して、会話を切り抜けた。
すぐに鐘が鳴って、ジェロームが入室してきた。
今日の午後の授業はホームルームの一時間だけだ。
「この資料を後ろに回してくれ」
ジェロームが配ったのは、これからの午後の授業の選択を決めるための冊子だった。
それぞれの授業の説明が掲載されているために、紙束は思ったより厚い。
「今日はそれぞれの授業の大まかな説明だ。手元の資料に色々と載ってはいるが、とりあえず口頭でも説明しておく」
「その後は友人と相談でもしながら決めてくれ」、というジェロームが笑いながら放った言葉が、見事にぼっちの心に突き刺さった。
………いいさ、全部自分で決めてやる。
「じゃあ、まず君たちの必修は………」
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さて、ここで少し学園の時間割を説明しておこう。
午前の二つの授業はどの学科も座学と実技。これは各学科ごとに決められたカリキュラムで進んでいく。
俺たちB組は一時限目が座学で二時限目が実技。訓練場の使用の都合上で、A組はその逆である。
そして今から決めることになっている午後の授業は学科と階級の枠を超えた、各自の選択授業になる。
全七学科のうち、領主候補だけが通う権利を持つ貴族科以外の、騎士科、魔法科、文官科、治癒師科、薬師科、侍従科の六学科それぞれの授業を、誰でも受けられるのだ。
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………魔法科の魔法具作成基礎と風魔法、闇魔法、水魔法の初級。使いどころが難しそうな速記術や中学数学くらいの文官科は置いといて、治癒師科の水属性治癒魔法。薬師科の薬品調合。侍従科の内容は平民の生まれには必修扱いされてるらしいけど、母さん達にずっと習ってたからいいか。
ジェロームの話を情報としてだけ頭に入れながら、自分で選択する講座を決めていく。
週五日で二時間ずつの午後の授業は、最低で週に七コマ、最高では十コマまで講座を入れることができる。適当に受けたい講座を選んでいくと、騎士科生徒の必修授業の三コマと合わせて丁度九コマになったから、これでいいだろう。
空いた時間は自由で、自習や自主鍛錬に使っていいこし、寮や家へ帰ってもいいことになっている。大学での生活がそんな感じだと、確か姉が言っていた気がする。
色々と詰め込んだ俺はちょうど週末、風の日の四時限目が空いた。他のみんなは侍従科の授業を受けている頃だ。一週間の最後だから、自由に使おうと思う。
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それから頭の中で昼に読んだ本を読み返していると、ジェロームの話が終わった。
クラスメイト達は次々に席を立って、休み時間と同じグループで話し始める。
ジェロームの言った通り、他の皆は本当に相談をして決めるらしい。
俺が席に座ったままプリントを眺めつつ、頭の中では図書室で読んでも難解だった本の読解を進めようとしていると、今度はグレンが近づいてきた。
その後ろで出遅れたらしいカイルが面白くなさそうな顔をしているのが目に入ったが、すぐに他のところへ顔を出しに行った。
「レイはもう決めたのか?」
「ええ、おおよそは」
「ずいぶん早いな。ならば必修と、あとは騎士科の講座か?」
必修以外の騎士科の講座は体術だったり、槍術だったり弓術だったりだ。
鍛錬には向いているだろうが、既にどれもある程度使いこなせる俺にはあまり適さない。
まあ、それ以外の理由もあるのだが。
「いえ、必修以外には騎士科の講座は取っておりません。聞く話によるとどうにも不釣り合いなところがございますから」
「………ああなるほど、そうだな。其方にはあまり向いていないか」
理解をしてもらえたことににこりと微笑む。
俺の身の上は完全な平民、というか貧民として蔑まれることもあるような部類にある訳だが、俺のクラスは10組で、騎士科のトップである。
先程までのジェロームの話からするに、騎士科のいくつかの講座では騎士科生が、特に階級の高いクラスの者は指導役に回ったりする。
冒険者ギルドで粗野ながら基本から武器の扱いを学び、実践もこなし、師匠にもいくらか矯正してもらった俺であるが、教える側の役割になってしまえば無用な軋轢を生むことになりかねない。
グレンはならば私も考え直すかと言い、置かれたままだった俺の登録用紙をちらりと盗み見て、自分のグループ……このクラスの男子組の方へ帰っていった。
その後はカイルが少し話しかけてきただけで、何事もなくホームルームの時間が終わる。
今からは先輩たちの講座を見学する時間である。
………そろそろ他に誰か、話しかけてくれてもいいんじゃないだろうか?
必要以上に関わらない、なんてことを思っていたりもしたが、前世の学校で過ごした時間を思い出すと随分寂しくもなってきた。
ありがとうございました。