始動
入学式と自己紹介を終えて、翌日。
ここから一週間ほど、今後はクラスでの座学が設定される一時間目に新入生達は順次学校内を見学していく。広大すぎる敷地ゆえに、一日一時間で回り切れるはずもないのだ。
「すげえな………」
前世でも見られなかった、圧倒的な風景に思わず素の声が漏れた。
「ふふふ、王国最大、いや、世界最大の書庫だからね」
「………失礼しました。あまりの景色に圧倒されてしまい」
「堅いなあ。まあ、驚くのは仕方がないということさ」
慌てて口を閉ざしたが、遅かった。
カイルとバッチリ目が合って、彼は愉快そうに細めていた。
………ここまで気を引き締めてたってのに。
今日の朝から、なぜかカイルはずっと俺に注目していた。
どのような動きをするのか、誰と話すのか、直接には話かけてこなかったけれど随分細かくチェックされていたように思える。
俺が誰とも話さなかったから、特にここまでは何ともなかった。
けれど、吹き抜けの四階まで本で埋め尽くされた大図書館の規模に度肝を抜かれてしまった。
カイルが俺の態度が崩れるのを面白そうに見ているだけなのがまだ救いか。
「ようこそ学園図書館へ。ここには学園を創設された"賢公"様のご提案以来約二百年、国内で作られた全ての本が収蔵されてます。蔵書はそれ以前の文献の写しも含めますと数十万冊に上り、魔法科の卒業生達や"ラボ"………技専の論文も、全てここに残されていますから、みなさんも勉強のためにいつでも足を運んでください」
図書館勤務の女性教師が俺たちに説明をしてくれる。
この学園図書館、六階建ての建物として独立している時点で俺の知ってる学校図書館とは随分かけ離れているが、学校の図書館らしく、本を読んだり勉強したりするスペースは至る所で用意されている。
腰をかけるだけの場所、机が用意された場所、個室のようになっている場所、様々な場所が用意されていた。
あのドアの付いた個室は、確かキャレルと呼ぶのだったか。
………まあ、身分で使える場所も分かれてそうだけど………。
学園最低身分の称号をほしいままにするだろう俺には、豪華な席はほとんど関係ないはずだ。
けれど、俺には人外の記憶力があるから、知識を蓄えるために、本はできるだけ読んでおきたい。その時は役に立たないと思っても、いつか役立てられるかもしれないから。
ここから見えるなんの装飾もない一人掛けの木の椅子が俺の指定席になるだろうと、目星を付けておく。
****
「学園は広いねえ、レイ」
「そうですね、カイル様」
「クラスメイトに様だなんて」
八時から九時のまるきり一時間の一時限目を終え、俺たちは自分たちの指定された訓練場へと移動していた。
二時限目は騎士科らしく、体を動かしての訓練だ。
「うむ、我々に恐縮することはない。身分に関わらず共に学ぶ学友として対等であれ、と学長も言っていただろう」
「………グレン様」
最初に行った図書館以降の移動中、俺はずっとカイルに、それからグレンにも絡まれていた。
二人がどうして俺に興味を持っているのかはまだ分からない。
けれど、身分の高い二人と話していると周りから、特に、彼らと懇意にしたい下級貴族や騎士見習いの男子からの目が痛くて、俺の気が休まらない。
できればもう少し距離を取ってもらいたいところではある。
「だからそんなお堅い話し方じゃなくてもいいんだけど」
「私には無理のある話でございましょう」
………いや、ここでタメ口使ったら、切られるだろ。
カイルとグレンが許しても、俺に嫉妬の目を向ける後ろの彼らが許してくれそうにもない。
こんな平民では最悪、背後からブスリとやられても何も不思議ではないと思っている。
まあ、そうなれば躱すし、刺さらないだろうけど。
その後も二人の要求をなんとか遜って乗り切っていると、次の時間に使う訓練場にたどり着く。
「着いたぞ。ここが、これから君たちの使う第六運動場だ」
ジェロームが紹介したのはただのグラウンドである。
もっと言うと、学園の敷地が広過ぎて把握しづらいが、入学試験でローレンスと長距離を走ったあのグラウンドである。
今は用務員らしき人達がグラウンドを均していた。魔法で。
午前中は一年の5-Aが使っていると担任のジェロームが言っていたから、その後処理だろう。
「君達には専用の更衣室が用意されている。そちらに向かう」
「はっ!」
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この学園に三十二ある訓練場には、それぞれ着替え用の建物がある。
既に試験の時に着替えで使わせてもらったが、建物の中では一人一人に十分なスペースの個室が与えられている。
「じゃあ魔力登録をしてくれ、手順は話した通りだ」
貴族様や女子生徒も使うロッカールームであるから、それぞれ完全な個室としてきっちり区切られている。
そのドアは各自の魔力を登録し、部屋にオートロックをかかる仕組みだ。
この世界の魔法技術はなかなかにハイテクであるらしい。
部屋に入ると、キンという高い音を立てて鍵がかかった。
中は二畳ぐらいの広さで、通気の魔法陣だったり照明の魔法具だったりが準備されている。
村育ちからすればこの部屋でも普通に暮らせそうなぐらいに快適だ。
ワンフロアに二十部屋備わった二階建ての建物が、運動場ごとに三十も用意されている学園の規模には脱帽する他ない。残りの二つの運動場は運動場という名のスタジアムなので、個人用ではないがもっといい設備が揃っている。
俺は問題なくと入退室できたことを確認して、部屋を出た。
俺の部屋は、まあ予想通りに一番奥で、俺は駆け足でジェロームのところへ戻った。
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二時間目が始まる十時の鐘が鳴るまでに準備をしろという指示があったので、皆が教室へと戻って行った。
グラウンドへの道を覚えるついでに教室へ持参していた運動着を取りに行くのだ。
教室まではそう遠くないから時間に余裕はあるが、早く体を動かしたいのだろう。
「レイは行かないのか?」
ただ一人残って彼らを見送っていた俺はジェロームにそう問われるが、行っても無駄足にしかならなかった。
「持ち運んでおりますので。◆◆◆◆………【亜空間収納】」
俺がアイテムボックスから真新しい運動着を取り出すと、ジェロームが嘆息する。
「話には聞いていたが、流石だな」
感心されているところ悪いが、長ったらしい詠唱も本当はいらない。
とはいえこの年齢で中級魔法を使うだけで驚かれるのに、無詠唱でこなしてしまえばどうなるか想像に易いから、そうするしかないのだけど。
「先に着替えてきます」とジェロームに伝え、個室の中へと入った。誰にも見られないここはある程度快適に過ごせそうだった。
****
「そういえば姿を見なかったけど、どこにいたんだい?」
「まさか中に着込んでいたというわけではないだろう?」
俺が一人でグラウンドに出て体を伸ばしていると、ぞろぞろと他のクラスメイト達も更衣室から出てきた。
そして、カイルとグレンが話しかけてくる。
………うん、このせいで友人が増えないんだ。
先程まで、何人かの俺に話しかけようか迷っているような視線を確認していた。
けれど、その機会をことごとく二人に邪魔をされている気がする。
他のクラスメイトと交流を深めたいのだが、諦めて二人の対応をするしか俺には選択肢は残っていない。
「闇属性持ちですので。◆◆◆◆………【亜空間収納】」
俺は今は他の生徒に話しかけられるのを諦めて、カイルとグレンにも先ほどと同じように説明する。
二人の目の色が変わったように見えた。
「へえ、【亜空間収納】か」
「もう中級魔法を使えるのか? 他にも?」
「いくつかは。幸運にも師に恵まれましたので」
自分の胸を張るわけにはいかないので、とりあえず導師を立てておく。
二人が何やらアイコンタクトをするかのように目を見合わせていたが、俺には真相がよく分からないままだった。
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バチリ、そんな音が聞こえそうなぐらい、はっきりと目が合った。
そしてあの日と同じ笛の魔法具が鳴る。
最後列から一気に飛び出したそいつの背中を追って俺も駆け出す。
今日は負けてやらない。
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二時間目の授業は走ることからスタートだった。
今回は時間に限りもあるからグラウンドを二十周だ。
「入学準備で身体が鈍っていないか見せてもらうぞ。騎士にとって体力と精神力は何よりの基本だ」
そんなジェロームの言葉と共に送り出されてスタートラインに並ぶと、あの日のニニ六番ことローレンス・フレッチャーが俺の方を睨んでいるのが分かった。
その目から察するに、どうやらあの日の勝負に納得がいっていないらしい。
俺が手を抜いていたのがバレていただろうか。
そんなだから号砲が鳴ったと同時に、同じ最後列だったローレンスは一気に先頭へと躍り出た。
無視して以前のように自分のペースで走るのもありなのだが、どうにもストレスが溜まっていた。
自分を押し殺し、常に気を張り、作り笑顔をしているのは、たったの一日でも精神的に疲れる。
頭の中で天秤にかける。
そして、結論は出た。
………魔力以外は俺の努力だ。
魔力や精霊眼に関しては認めよう。
ただの貰い物で、言ってしまえば全部反則だ。
転生した意識もあってみんなとスタートの条件が違う。
けれど体力なんかに関しては、俺がこちらで身につけた能力だ。
発揮して何が悪い。
思い切り、先頭で揺れる濃紺の髪を目指して、俺もペースを上げる。
後ろの集団の多くは最初、明らかに俺たちを馬鹿にしたような目で見ていた。
「ははっ、いいねえ、二人とも」
「我々が負けてはいられんからな」
「いいわね、私が勝つわ!」
「⋯⋯」
しかしカイル、グレン、ジェシカを含めた数人が俺たちの後ろに付くと、彼らも考えを変える。
ペースを守ろうとしていたクラスメイト達も追い上げてきた。
その後、学園騎士科10組、全員が身体強化を使用可能というエリートクラスの繰り出すレースは熾烈を極めていった。
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「いいぞみんな! 誇りを持って戦うことは騎士の最も重要な部分だ!」
俺たちのクラスの教師は、やはり熱血であったらしい。
膝に手を付き息を切らす生徒達に向かって、手を叩いて呼びかけている。
「レイ、其方の体力はどうなってるんだ」
「すごいわね⋯⋯」
グレンやジェシカのような魔力の多い貴族組は何とか体裁は保てているが、その顔は疲労の色が濃い。
「村での生活は身体が資本でしたので」
息を整え終わっている俺がニコリと笑って答えると、その後ろで息も絶え絶えとなっていたローレンスが声を上げる。
ローレンスの魔力は平民の中でも飛び抜けて多いのだが、きっと使い方が下手なのだろう。
「やはり、ハア、なかなか、ハア、ハア、やるようだな、レイ」
「ありがとうございます」
今日のレース、トップは俺だ。
二番がグレンで、三番がローレンス。
以下、ジェシカとマーガレットという上級貴族の女子生徒が並び、カイルがゴールしていた。
やはり身体強化の上手さと魔力量の差が結果に出るらしい。
まあ、カイルは途中で少し手を抜いたようだが。
そのカイルが余裕のある笑顔を浮かべながら俺に聞く。
「レイ、さっき身体強化は使った?」
「いえ」
「なっ!」
「ははっ、やっぱりすごいね」
レイの身体能力は元より呆れるぐらいに高い。
おそらくこれは魔力が限りなく低くても王国騎士団に入団したレンからの遺伝だ。
それからあとは、魔力を隠しながらでもポンコツにならないように訓練を重ねてきた成果だろうか。
魔力を一切使わない状態で、日本だったら同年代のトップアスリートぐらいは運動能力があると思う。
正直に俺が答えると、目の前でローレンスの体がわなわなと揺れるのが分かった。
もしかすると疲れからかも、なんて甘いことを考えているとキッと睨まれる。
「………次は私が勝つぞ!」
学園の10組に入れるような努力をしてきた人間だから、プライドも高いらしい。
ローレンスが宣言したところで、クールダウンの時間が終わる。
俺たちは疲れの残る体を動かしながら、剣を持った次の訓練へと移っていった。
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そして十一時の鐘が鳴って、学園内は二時間の昼休憩を迎える。
残念ながら、共に過ごすような友人はいない。
⋯⋯13歳設定を忘れそうになる。
ありがとうございました。