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自己紹介

 貴族にビビってる。そう誰かが言うならば、うるさいビビって何が悪い、と俺は答えたい。


 この世界で俺は今日まで貴族の顔すら見たことがなかった。

 師匠は生まれこそ貴族だけど、あの人は義務を放棄して旅立った人だから別枠だろう。普段のテーブルマナーは綺麗だったけれど、山での食事では食器から直接汁もすする人だった。


 だからこそ俺はビビっている。

 俺は貴族について何も知らない。

 そのことが俺を不安にさせる。


 尊敬も畏怖もない。

 ただただ、未知の存在が恐ろしい。


 先の学長の話の中には「身分に関わらず、共に学び合う友として」という文言があったから、身分差が生活に関わってこないことに、一切の希望が見出せないというわけではない。


 しかし、それもまず建前であろう。

 入学式では誰が仕切ったわけでもなく、身分の順に並んでいたし、誰もそれについて何も言わない。

 そして今も、その順である。


 更にはいつか、「優しい貴族様も結構多いわよ」と母さんは言っていた。


 母さんは在学中、同じ侍従科だった同級生の貴族に気に入られて庇護されたの、と言っていたから、母さんの言うことは間違いじゃないだろう。


 しかし、優しい貴族様も結構多いってことは、怖い貴族様もそこそこにいるってことじゃなかろうか。というか、じいちゃんに聞いたけどやはり冷たかったと。


 だからこの自己紹介、誰に対しても失礼のないように遂行しなければいけない。



 ****




「──不束者ですが、よろしくお願いします!」


 俺の一つ前で自己紹介を終えた受験番号ニニ六番もといローレンス・フレッチャーが、声変わりと縁のない高い声と共に、深々と礼をした。

 俺よりやや短いぐらいの濃紺の髪がガバッと顔にかかる。


 ローレンスは最初から最後まで見事なまでのテンパリを見せ、発言もやや素っ頓狂。今も途中でついつい弄ってしまったのだろう首元のホックが開いている。

 髪の毛を直しながらこちらに戻ってくると、バッチリと俺と目が合った。


「なっ! ………、いや、失礼しました」


 どうやら今の今まで隣の席に居た俺にすら気付いていなかったようで、目を見開いて驚かれた。

 どうも、お久しぶり二二六番さん。あの日の八三六番だ。


 しかしここは貴族のいる静かな教室である。

 ローレンスはすぐに向き直って頭を下げた。


 ここまで十九人の自己紹介が終わっていた。

 これで、とりあえず全員の顔と名前は一致している。


「次!」


 ローレンスが席に座ると、担任である退役騎士のジェロームが俺を呼ぶ。


「はい」


 音を立てないように席から立ち上がる練習は、ばあちゃんと何度もこなした。

 面倒に思うこともあったがここで役に立つなら、ばあちゃんには頭が上がらない。

 ありがとう、ばあちゃん。


 足音をあまり立てずに、されど不用意に消しすぎずに、教室の前まで歩いて行く。

 皆が俺の一挙手一投足に注意を払っているようにさえ思えた。

 向き直せば、教室内の四十の瞳が全てが品定めするようにこちらを向いていた。


 ………落ち着け、落ち着け。


 心を波立たせないようにこれまで生きてきただろう、レイ、落ち着け。

 自己暗示をかけてから、口を開く。


「………ウォ………」


 やらかした。


 声量が小さく、まだ声変わり前の喉が高く掠れた。

 これでは聞こえたのは前方のほんの数人だろう。


 内心では焦るが、態度には出さない。

 大切なのは失敗しないことではなく、失敗をどう切り抜けるかだ。


 切り替えてもう一度。


「ウォーカー伯爵領はトルナ村から参りました、リーンの子、レイでございます。皆様とご一緒させていただくことが既に過分の身でありますが、それでもクラスの一員として足を引っ張ることのないよう、精一杯努めさせていただく所存です。これより一年、何卒よろしくお願いいたします」


 朗々と、を意識しながら頭の中で考えていた文面を無事に言い切り、深く一礼してから恐る恐る顔を上げた。


 ………上手くできただろうか………。


 名字が無いことに加えて、父さんと母さんは結局正式には結婚していないから名乗りは片親だ。


 ここにいる貴族や騎士の子女、その他学園に多い富裕層とは明らかに出自が違う。


 それだけで不快感を覚えられたりしていたら目も当てられない。

 そう思いながら、各自の席に座るクラスメイト達の顔をそっと窺った。


 意外そうに驚いたような顔や、なぜだか楽しそうに笑った顔、まだまだこちらを品定めするような顔、表情硬くこちらを見つめる顔、様々だ。

 しかし、不愉快とそのまま表すような顔は見当たらない。


 俺はもう一度丁寧に頭を下げてから粛々と席へと戻る。


 ………失敗はしなかった、かな?



 ****



 俺の自己紹介が終わると、ジェロームが今から教室内で仲を深めろと指示をしたので、教室内の全員が立ち上がって、各々に動き始めた。教室の前の方では、四人いる黒のセーラーを着た生徒が集まって、改めて挨拶を交わしていたのが見える。

 少数しかいない女性騎士見習いだから、きっと貴族も騎士の子も仲良くやるのだろう。


 その他にも近くの席同士だったり、元々の知り合い同士だったりで話を始めている。


 ただそんな会話の中で俺は立ち上がったはいいものの、話す相手がおらず、壁際に突っ立っているだけ。


 こちらを気にする視線がいくつも見受けられるが、向こうから話しかけには来なかった。

 身分を気にすると、話途中の彼らにこちらからは声をかけられない。


 しばらく俺がそのままでいると教室の前方で話をしていた二人の男子生徒がこちらを見てから何かを話し合い、歩み寄ってきた。


 覚悟を決めて居住まいを正す。


「やあ、面白いね、君」


 艶のある赤い髪と整った顔、それから流麗な仕草が印象的な男子生徒、カイル・ヘンダーソンがいきなり俺にそう言った。


 教室内がしんと静まって、嫌でも注目されているのが分かる。


「………ありがとう存じます、カイル様」

「へえ、もう名前を覚えてくれたのか、レイ」


 とりあえず貴族様に評価されたという形をそのまま受け取って礼を述べる。


 俺が名前を覚えていることは、そう驚くことではないだろう。

 実際にカイルも俺の名を覚えているのだし。


 カイルの隣にいたもう一人の少年も口を開いた。


「トルナ村の出身と言ったな。随分近くに居たというのに初めて見る顔だ」


 俺の顔をマジマジと見てそう言うのは、グレンというダークブロンドを短髪にした少年。


 フルネームはグレン・ウル・ウォーカーで、トルナ村のあるウォーカー伯爵領を治める家の直系だ。


「騎士団とは別の所で剣を教えられていましたので」

「"聖壁"か」

「お耳が早いようで」


 どうやら俺が聖壁の弟子という情報がグレンには流れていたらしい。

 カイルの表情を見る限り、彼も知っていたようだ。


 しかし、その話はそれほど広くは知られていなかったらしく、こちらに聞き耳を立てていた生徒達が一斉に騒がしくなる。

 師匠はやはり大変な有名人であるようだ。


「え! レイがそうなの!?」


 その中で一人、俺の話に並々ならぬ興味を持ったのは、茶色の髪に焦げ茶の目をした、背の高い女子生徒だった。彼女の名を、ジェシカ・スターリングという。


 彼女は周りの目も気にせず、猛然とこちらに歩いて来た。

 先程まではもう少し貴族の娘といった様子だったが、今はその体裁を投げ捨てているように思う。


「ああ。平民の最終試験があった日に、騎士団長がウォーカーの街に行かせろと父上のところに押しかけてきた。そういえばそれから連絡がないな」


 師匠から騎士団長のフランクという名しか聞かなかったが、彼と師匠は一つ違いで、騎士団でも仲が良かったとは聞いた。

 そして師匠は彼がずいぶんと強引な人だとも言っていた。

 話に違わず、フランク団長は強行でウォーカーの街へと向かったらしい。


 ………師匠はどこかに姿を隠したかな?


 師匠が見つかっていないとなると、ギルドに押しかけてきた騎士団長の対応に追われるマスターとそれを笑って傍観している導師が目に浮かぶ。

 懐かしんでそんなことを考えていると、グレンがこちらに話を振るので意識をそちらに向ける。


「トルナ村から学園に来たのは其方だけだろう?」

「さようでございます」

「叔父上に剣を教わるなんて………なんて羨ましい………!」


 ジェシカはどうやら師匠の姪であるらしい。おそらくは師匠の次兄の娘だろう。

 長兄が当主をやっているはずだから、その娘なら侯爵家の継承権を表すイルの名を持つはずだ。


「でも、話と違うんじゃない?」


 興奮気味だったジェシカがぼそりと呟いた。


 何が違うのだろうか。

 俺が疑問に思っていると、ジェシカが何かをグレンに耳打ちする。

 グレンも頷き、同意したようだ。


 それから興味を持ったカイルもグレンから話を聞くと、突然笑い出した。

 貴族間のやり取りを盗み聞きをするのも悪いと思ってたが、気になるので恐る恐る尋ねてみる。


「どうか、されましたか………?」

「なんでもないわ」

「少しな」


 先に答えたのはグレンとジェシカ。

 しかしカイルが笑ったまま、その内容を小さな声で俺に告げた。


「貴族たちの間で流れていた噂では、聖壁の弟子は少女ということになってたんだよ」

「左様でしたか」

「へえ、驚かないんだ?」

「この容貌ですから、慣れております。それに、噂とは往々にして捻れて伝わるものでしょう」


 女と間違われるのは今更の話だ。母さんからそっくり遺伝子を受け取ってしまったからにはしょうがない。


 だが、あの場にいた面接官のオークスも魔眼の騎士も俺が男ということは分かっていたはずである。


 オークスには話の途中に息子とちゃんと伝えたし、魔眼の騎士は、俺の魔力を見ていただろうから分かるはず。男と女では魔力の質が違い、俺の見せる魔力も男と同系統にちゃんと設定している。


 おおよそ、どこかで伝言ゲームが崩れたのだろう。


「まあ、このクラスにも分からなかった奴もいるようだしね」


 カイルが続けたのに、俺も苦笑いで頷く。


 自己紹介を終えた後から、俺を見る目があまり嬉しくない温度の男子が何人かいる。

 ギルドや街の道中で慣れてないわけではないが、やはり男に熱っぽい視線で見られるのは背筋がゾワゾワするのだ。

 

 ………白の制服を着ているのに、やめてほしい。


「レイはよく知らないかも知れないが、学園には男装を選ぶ女子生徒が少なからずいるからな」

「レイはそう見えるよね。私もすぐには分からなかったもの」


 グレンが説明すると、ジェシカが肩をすくめる。


「私みたいに、領主や王家に近ければ近衛になることが多いから男装をすることはまずないんだけど………何かと女は、戦場では不利になることが多いからね」

「男装は、対等に見ろという彼女らなりの意思だよ。レイも気づいたとしたらそっとしておけばいい。君の場合は気遣われる方が多いかもしれないけどね」


 主に味方からの話をするジェシカに続けて、カイルがからかうように目を細めて俺に言う。


 彼の視線は面白がりながらも、俺を品定めしているようで気が抜けない。


「………承知いたしました」


 なるほど、謎が一つ解けた。

 入学式の以前から男子の制服を着た騎士科女子を何人か見かけたから気になっていた。

 この世界では「鉄火の剣」のカルラさんのように、身体能力的に差が生まれても魔力でカバーできるから、強い女性が多い。


 冒険者ではあまり性差を感じることは無かったから騎士もそうだと思っていたけれど、冒険者ともまた違う面倒があると言われれば、なるほどと理解するほかない。


「じゃあ、レイ。まずは一年間よろしくね」

「ありがとうございます。不肖の身ではございますが、よろしくお願いいたします」


 会話が終わると、カイル達は他の生徒達の方へと向かっていった。

 貴族として、他への対応もあるのだろう。


 ………ふう。


 心の中でため息をつく。


 貴族、それも教室内でも高位の三人を相手に緊張していたのがバレなかっただろうか。

 いや、それはバレていいか。


 何か不興を買うようなことは無かっただろうか。


 無事に会話ができたとこちらでは思っていても不安は拭えない。


 なんとも、貴族との生活というものは息がつまりそうだ。

ありがとうこざいました。

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