入学試験(前)
「それでは第一九九期、王立学園騎士科の入学試験を始める!」
八時の鐘が鳴ると、よく晴れた冬空の下、試験責任者だと名乗る騎士が高らかに宣言した
今日は最終試験当日。総勢八百四十人の受験生が学園内のスタジアムに集められていた。
三百二十人だと先程発表された枠を賭けた争いに向け、皆が魔力を滾らせている。全員やる気満々のようだ。疲れないのだろうか。
開会式が終わった後、受験生は受験番号ごとに十グループに振り分けられた。八三六番の俺は第六グループだ。
開会式の時にいたところが集まる場所から遠かったため、集まるのは俺が一番最後だった。
他の奴らは俺の方に一瞥だけくれてから、口を開いた試験官の方を向いた。
「集まったようだな。まずは私の方から自己紹介をしよう。私はチャールズ・パーカー。今日一日試験官として君たちを見守らせてもらう。試験は公平に結果として現れるものばかりだ、不正のしようはない。ただ、妨害は考えられる。そのための私で、我々だ」
王国騎士団の紋章が入った簡易甲冑を着た男が目を光らせると、周りの受験生は唾を飲み込み頷いた。
「各試験会場には騎士や魔眼持ちの文官が配置されている。君たちの人生の懸かった場所だ。必死になるのは分かる。だが決して自分を愚かな方向に進めるな。分かったか?」
「は!」
俺も皆とともにはっきりとした返事を返す。
………セーフ。
チャールズの目が気を抜いていた奴らに向いたから、きっとこの返事も評価対象だ。
試験だけでなく、終了までの一挙手一投足が見られていると思った方が良さそうである。
俺が気を引き締めると、チャールズが手を上げる。
「じゃあ会場に移動しよう。私たちは体力測定からだ。付いてこい」
緊張によるものか、知り合いが居ないからか、グループは終始無言で移動をした。
連れてこられた場所は、日本の学校なら二百メートルトラックが作られるような、何の変哲もない運動場だ。
今から一体何をするのだろうかと思ったが、ところどころに打ち込まれた杭とそこに張られたロープを見て何となく察しがついた。
「今からここを三十周だ。走る際には身軽な恰好でいい。着替えは更衣室を準備してある。記録を計測するのはあの魔法具だ」
あの魔法具、とチャールズが指差したのは長方形の板のようなものであった。
大きさはちょうど、陸上大会のゴールにあるような、デジタルクロックと同じくらいである。
まさか、と思ったら魔法具が起動した。
起動した画面にはゼロを表す数字が並んでいて、始動点検か、一秒ごとに時を刻み始める。
魔法を使っているのだが、やっていることは地球のそれと変わらない。
………この世界の技術レベルがよく分かんねえな………
トルナ村から学園都市まで歩いて来て分かったが、こちら側の方が文明の水準が高い。
どの程度なのか早く把握したいものだ、と久しぶりに転生者らしいことを思っていると、チャールズが続けて指示をする。
「あの魔法具が二十分を示す頃にスタートだ。では更衣室に案内する」
ウォーミングアップも考えるとなかなかハードなスケジュールである。
先に動いたチャールズに皆が早足で付いて行った。
****
それまで着ていた自前の簡易鎧から、持ち込めと言われていた最も動きやすい服に着替えてスタートに並ぶ。
魔法具のデジタルクロックが十秒前を示すと、表示が一度ゼロに切り替わり、それからすぐにピーッ、とスタートを知らせるホイッスルが鳴った。
笛の音も魔法具であるらしい。
それを聞いて、俺は長距離走らしく少し抑え気味のペースでスタートする。
しかし、周りはその限りではなかった。
「はああああっ!!」
「は?」
まず、複数の受験生が猛然と走り去った。そして、それに引っ張られるようにしてほかの受験生もスタートダッシュを決めていく。
現在俺は、見事にビリだ。
長距離を走ったことないのか?
もしや身体強化の練度がそれほどに高いのかと疑って魔眼を開いても、涼しい顔をした数人を除くと、その様子は全く見受けられない。何人かは魔力の動きさえ感じない普通のダッシュである。
………なら、まあ、いいか。
長距離走は自分のペースで走るのが肝要だ。それに十二歳の体で五キロをハイペースで走るというのは、身体強化をもってしても相当に厳しい。
万が一にもほとんどが今のペースを持続させ、合格に響きそうな順位なら少しずつ身体強化を使おう。
そう決めると、早速息を切らした先頭集団に追い抜かれていく。
レースはあと、二十九周だ。
****
俺は最初と変わらないペースのままゴールラインを越える。
「一位、ニニ六番。二位、八三六番」
首位ではなかったが、納得の順位で走り終える。これでも結果としては十分だ。
結局あのペースは十周もしないうちに持続できなくなり、二十周もする頃になると俺が先頭集団に追いついた。
そこから俺がスパートをかけるとニニ六番との一騎打ちになり、最後は身体強化を振り絞った向こうがタッチの差で勝利した。
というのが先程のレースである。
ちなみに俺は魔力も使わず普通に走っただけである。この体は都会に来ても素晴らしいスペックを誇っているらしい。
俺がコースの内側を歩いていると、後続たちもゴールしていく。そしてそれと同時に倒れ込む。どうやら皆が限界まで出し切ったようだ。
「ハア、ハア、ハア………おい」
そんな様子を眺めていると、背後から声がかかった。
振り向くと先程まで首位を争っていたニニ六番が膝に手をつきながらも、淡い黄色の瞳をこちらに向けていた。
「おまえ、ハア、ハア、体力には、ハア、自信があるようだな」
「はい。ある程度ですが」
慇懃な笑みを貼り付けてそれに返事をする。
明らかな上から目線でも気にしない。気にしていたら、これから先はまず生きていけない。
「ふっ、それでも私の勝ちだ。私は、速さや剣の方が得意だからな」
どうやらこいつは俺に対してマウントを取りたいらしかった。
「そうですか………お互い、次からも頑張りましょう!」
だけど俺は何も気付いていないフリをする。
こういう相手にはいちいち構っていられないのだ。
「なら、その目で見ておくといい」
そいつは捨て台詞だけを言い残して去っていった。
皆ほとんど体力も魔力も残ってないけど大丈夫なのかなと心配だけして、俺はクールダウンに努めていった。
****
残りの体力測定は身体強化を使える一部の生徒の独壇場であった。
何しろ制御が簡単だから身体強化は時間が短い方が使いやすい。短距離走や垂直跳びなんかでは、日本のトップアスリートレベルだろう記録を皆が連発していた。
その中で俺は最後まで身体強化を使わず、目立ちすぎないように彼らの後につくようにして記録を残していった。上々の出来だったと言えよう。
「次は筆記試験だ。君たちの学力を見させてもらう。近くの教室が試験場だ」
疲れ果てた受験生を、チャールズは笑顔で引率する。
走っていないあんたはいいよな、という目が向けられても彼は素知らぬふり。まあ、魔力の量も質も、多分扱いも受験生より余程上だから同じことをやっても疲れたりしないだろう。
「指定された番号の席についてくれ、テストを配る」
席につくと学園の制服を着た生徒達によって問題用紙や解答用紙、筆記具が配布されていく。
体力測定の後ということで皆が一息ついているという様子だ。俺もその一人である。
………は………?
しかし、心の平穏は視界に飛び込んできたものによって一瞬にして崩れ去る。
俺は見事な二度見をしてしまい、生徒が不思議そうな顔でこちらを見た。慌てて顔を前に向ける。
………ええ?
俺はこれまで学園の制服を見たことがなかった。
話に聞いたことはあるがそれも、男は白が基調で、女は黒が基調、それから少し珍しいデザインだということや、刺繍の色で学科が分かるということぐらいだ。
黄色の刺繍は文官科というのは教えてもらったので、分かる。
だけど。
………なんで、学ランとセーラーなんだよ………
声が出なかっただけマシだと思う。
男は白の学ランで胸元や袖には派手な黄色の刺繍、そんな今どきはアニメでも見なかったような服を、目の前の少年は何の戸惑いもなく着ているのだ。
………理由は? 召喚者か?
だけど、母さん達の証言と目の前の服は奇しくも一致する。それでは時期が合わない。
サムライは、約二百年前の学園創設よりずっと昔の話だし、それ以降の召喚者は役立たずで、一番最近で俺がこちらに来た時で母さんの卒業後だ。
頭の中で様々な考えが巡る。
いや、そうか、あれを着るのか。
「はじめ!」
しかし、試験は開始された。今はそちらに集中しなければならない。
俺は裏を向けられていた紙をペラリと捲り、問題を解き始めた。
****
「試験終了だ、ペンを置け」
チャールズの声がすると、簡単な問題に対する簡単な解答が書き込まれただけの紙は、黒のセーラーを基調としながら、ドレスのように変形した制服を着た女子生徒に回収されていった。
あ、そういえば、植物性だ。
紙の材質を思い出して、いよいよ疑問が深まる。
こちらで生まれたものなんだろうか。
ウォーカーの街には普及していなかったけれど。
「次は魔法を見せてもらうぞ、移動だ」
しかし、騎士チャールズが俺の脳内の動揺を考慮してくれるはずもなく、さっさと席を立つように促した。
どれだけあるんだ、運動場。
魔法の試験が行われる会場は、またしても先程の体力測定の会場と同じような運動場であった。それに、ここに来るまでにも他のグループが試験をしている運動場をいくつか見かけている。
この都市に来てからも薄々感じていた学園の広さに改めて感心せざるをえない。
「次は魔法の試験だ。初級魔法が使える者は右手に、それ以外は左手に向かってくれ」
チャールズの指示通りに動いていく。ここではグループをさらに分けて試験するそうだ。
それぞれが分かれて歩き始める。
「見栄を張って初級魔法の方を選び、失敗すれば減点だ」
チャールズがやや低い声で注意を口にすると、右手に向かおうとした何人かの生徒が、何食わぬ顔で方向を変えた。
右手側の列の一番後ろに並んで他の受験生の魔法に目を凝らす。
今しがた、ニニ六番が詠唱とともに黄色の魔法陣を描き、石の礫を木でできた的に打ち込んだ。
弾は見事に的中している。
すると何かを思い出したように視線をさまよわせ、それが俺のとぶつかった。見事なドヤ顔である。
最後に俺の番になる。試験を終えた受験生たちもライバルの様子が気になるようで、未だにここに残ったままだ。視線が俺に突き刺さっている。
「次、八三六番」
「はい!」
会場にいた試験官の呼ぶ声にしっかりとした返事をする。
「◆◆◆◆⋯⋯」
面倒な詠唱を省かずしっかりと唱えて、いつもは手書きの魔法陣の構築をそちらに任せて魔法を発動する。
魔力を込めない、魔力を込めない。そう心に念ずる。
「【風弾】」
パンッと良い音が鳴って、十メートルほど先にある的の真ん中に命中した。
………あー、精度落とすの忘れてた。
「速いな。精度も」
小さかったが、試験官の声が届いた。
聞こえなかったフリをして、一礼をする。
「ありがとうございました」
「君はトリプルだろう? 他の属性の魔法も見せてくれないか?」
………えーと、?
他の受験生にはなかった要求が俺になされる。
さて、どうしたものか。このレベルで目立つのはセーフか、アウトか。
「もうし………」
「試験官、ここは魔法科の試験会場ではありません」
「そうだな、すまない。忘れてくれ」
脳内でアウト判定が下り俺が断ろうとすれば、さっきのニニ六番に先に割り込まれた。
先程までは俺に向けられていた勝気な眼光が今度は試験官を貫き、無事に要求は取り消された。
「お前も、わざわざ目立とうとするんじゃない」
「ご忠告痛み入ります」
………断ろうとしたんだけどな。
しかし反論をしても言い訳にしか聞こえないだろう。ありがたい助言として素直に受け止めるだけにする。穏便に済ますのが一番だ。
俺がすんなりと引き下がった後、俺たちはまたチャールズに率いられ、最後の試験会場に向かう。
ここから個別に分かれて、武術と態度をチャールズや他の担当面接官が見るらしい。
最初に六つに分けられたグループからさらに八つに分かれても84人の面接には流石に時間がかかり、二時間近く待たされた。
俺の順番は到着が遅れたためにほとんど滑り込みで受け取った受験番号のおかげで、このグループの最後である。
「八三六番、入れ」
チャールズとは違う面接官の声がして、俺は入室する。立っているのはこれまた王国騎士団員で、年は母さんと同じくらいだ。
「失礼します!」
一礼して、顔を上げる。ばっちり彼と目が合った。
すると、その目が丸められる。
「リーン?」
面接官は、思わずといったように母さんの名前を口にした。
ありがとうございました。