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西の山脈にて

『ねえ、あなた。あの子と別れてワタシにしましょうよ』


 人外の美しさ。やはりそう形容するしかないその姿に、目を奪われる。

 ふわりと俺の前に降り立った彼女が、そっと俺の頬に触れ、その一切の崩れの無い顔を近づける。


『名を捨てることなんて、難しいことじゃないでしょう? あの子よりワタシの方がきっと役に立つわよ』


 そっと、優しく、甘やかに、耳元で囁かれた。

 ここには俺と彼女、二人の他に誰もいない。


 その誘惑に、俺は────




****




「あー、長かった」

『終わってないわよ⋯⋯ね?』


 ルリの言う通りだけど、そう言いたくなるのも分かってほしいものだ。ニンゲンと精霊の感覚が違っても、相互理解というものが大切だと思う。


『そうだけどさ、ほら、もうゴールも見えてきたし。予想以上に時間がかかって本当に大変だったし』

『そういうものなの?』

『そういうもんなの』


 先程のは何でもない独り言。それ以上はしっかり念話に切り替えて会話する。携帯電話もないこの世界、街を歩く時に一人で誰かと話していれば明らかに奇異の目を向けられてしまう。


『まあ、レイはとっても大変だったものね』

『ほんと。でも、この山脈を超えたら学園都市だ!』


 長い旅もいよいよ終わると思えば感慨深くなる。


 ⋯⋯いやあ、本当にここまで本当に長かった。



****



 俺が出発したのがこの国での秋の始まりである七月の中旬で、今が十一月中旬もいいところだ。

 ちなみに当初の予定では十月には学園都市に着くはずだった。


『⋯⋯ルリに雨を操ってもらえばよかったかなあ』

『やってもよかったのよ?』

『冗談。ちょっと思っただけ』


 旅程が遅れた理由は、全部徒歩で行ってやろうと決めたからとか、ゆく先々でウォーカー出身の顔見知りに捕まってリベンジを挑まれて騒ぎになったからだとか、人目を忍んで火事を消火していたからだとか、数多のチンピラもに絡まれては撃退しを繰り返していたからだとか、年下の弟子候補ができたからだとか、数えれば色々あるのだけど、その中に今年の秋は雨が多かったということがある。


 ぬかるんだ道を歩くのを、俺はいいのだが周り、特に泊めてくれたギルドのマスターやお姉さん達が許してくれなかった。

「夜までに次の街には辿り着けないぞ」、「冬の雨の中でテントも無しにする野宿を野宿とは言わん」そんな優しさを無下にするわけにもいかず、渋々街へ留まった日は一日二日ではない。


『でも今日は快晴! 充分寒いけど! なので、西の山脈に突っ込みます!』

『はーい』


 空元気か振り切れたか、自分でもどちらかは分からないが、到着前の最後の冒険だと目の前にそびえる山々に向かって意気揚々に走り出した。



****



「ゴブリン、オーク、ハーピー⋯⋯ごめん、全部パス」

『魔物はやっつけてほしいけど、無理はしないで』


 標高千五百メートル程であろう名も知らぬ山の中腹で、俺は今日の狩りを諦める。

 普段は魔物を狩るのを推奨する側であるルリも、俺の気持ちを悟ってくれたようで無理強いはしない。


 情けないが俺は魔物達に見つからないように、導師から習った隠形を駆使して、静かに山を登ることにした。


 さてここで少しこの国の地理の説明をしよう

 王家の直轄地である学園都市は、エグラント王国の南西部にある、シアラー公爵領の街だ。


 トルナ村があるウォーカー伯爵領は王国の東北部辺境に位置していて、学園都市とはほぼ国土の対角線上にあることを母さん達や師匠は教えてくれた。


 そうなると、徒歩とはいえ四ヶ月以上かかる旅をする必要があることで推し量ってほしいが、気候や地形、地質なんかに違いが現れる。さすれば当然、そこにいる魔物も異なってくるものである。


『ごめん。ちょっと今は⋯⋯まだ無理だ』

『いいのよ、そんなに謝らなくて』


 ルリと契約する前、彼女の泉で魔物は魔力を持つものならなんでも、時には精霊さえも食らうと教えてもらった。

 だからルリと一緒ににいる限り、できるだけ多くの魔物も狩ろうと思っていたのだが、今はできそうにない。


『あれがヒトに近いから、でしょ?』

『……そうだね、ごめん』


 王国東部の魔物は獣型の魔物が殆どで、俺にとってそれは狩りの延長でしかなかった。野ウサギも牙狼ファングウルフも、 鹿も殺人熊マーダーベアも、テリン山にいた化け物のような大きさの魔物も、俺にとっては全て獣の部類で、それを活かし、糧と出来るのであれば狩るのになんの躊躇もなかった。


 けれど、この西の山脈にいる魔物は明らかなヒトガタだ。


「はあ………」


 ………違うってのは分かってんだけどさ。


 自分の弱さにため息が出てしまう。


 濁った魔力が人とは違う。理性の無い目が人とは違う。そんなこと分かってる。だけどどうしても、人の形をしたモノに剣を、魔法を向けることができそうになかった。


 俺が一人で落ち込んでいると、視覚で俺を見つけたのか、一羽の鳥型の魔物が勢いよく接近してきた。

 無詠唱で放った【風弾ウインドバレット】は容赦なく炸裂する。


「こういうのは簡単なのにな」


 腰掛けたまま闇魔法で魔石を抜き取り、そのままアイテムボックスに突っ込む。

 これは俺にも考えていなかった事態だ。昔にゴブリン狩りをしてみようなんて考えていたことが馬鹿らしくなる。


「はあ………」


 もう一度ため息をつくと、見かねたルリが俺に提案した。


『お昼ご飯、食べないの? お腹が空いてちゃ戦もできないのでしょう?』


 ルリが、俺が旅の途中に何度も間食の言い訳として口にした言葉を引用する。

 気を使ってくれているのを感じて、首を縦に振る。


『そうするよ、ありがとうルリ。そうだ、ここで魔力をあげちゃおうか。次はいつになるか分からないから』


 俺がそう言うと、ルリは嬉しそうに場所探しに出て行った。


 少し思い出して欲しいが、俺がこの世界に来て一番最初にやっていたのが魔力の特訓だ。生死を賭けていたからあの時は必死だった。


 だが、ある程度安全に生きられると分かっても、剣や魔法を覚えても、この世界でその基礎の基礎となる魔力の扱いを欠かすことはしていない。

 名付けを行ってからはルリにも協力してもらって、 魔力への干渉に対する抵抗なんかも身につけている。

 それでも最初からやっているメニューを欠かしている訳ではない。

 魔力を枯渇するまで、持って行ってもらいたい。


「ごちそうさまでした」

『じゃあ、いただきます』


 俺が食事を終えると、ルリが抱きついてくる。

 人間でなく、体温もないルリが言うに、ニンゲンの真似をした愛情表現だそうだ。


 特に迷惑なわけでもなく、実は精霊とも直接触れ合っていると魔力を渡すのにも効率はいいので拒否はしない。

 感覚としてはリーナにハグをされている時と変わらないし。


『じゃあ、よろしく』

『おやすみ、レイ』


 急速に魔力が吸われていく。名付けにより魂で繋がっている俺とルリの間では、魔力の行き来が他と比べて格段にスムーズだ。


 ………ああ、もう少しで意識が飛ぶ。


 枯渇で気絶した後の目覚めの怠さは今も変わらない。けれど、起きたらまたルリが癒してくれるから、大丈夫。眠っている間も守ってくれるから安心だ。



****



 俺は清かな風に頬を撫でられるような感触とともに、目を覚ました。


『ああ、やっと目覚めたのね』


 怠い身体に人の物とは思えない美しい声が届く。精霊がヒトとは隔絶したものだと改めて実感する。よく俺は契約できたものだ。

 目を開けるのも億劫なまま、俺はそのまま身体を起こした。


 ………ん、怠い?


 いつもならルリはあいさつと共に癒しをかけてくれる。おかしい。


『返事をしなさいよ、ニンゲン』


 バッと飛び起きて魔力の回復を一気に早める。契約の後、ルリからはもしものことがない限りしないことと怒られたのだが、今はその、もしものことが起こっている。これは普通、ニンゲンには到底できることのない、自分の寿命の前借にも等しいらしい。俺の場合は魔力量が大きすぎて、多少前借したところでダメージは小さいそうだけれど。


「誰だ」

『そんなに警戒しなくてもいいじゃない』


 ルリの高い声よりさらに少し高い、けれど鈴の響くような美しい声が、コロコロと笑う。


 右目を開いて見る限り、あちらに敵意はなさそうである。剣の柄にかけた手を下ろす。

 そもそも精霊相手に剣は無意味だ。


 少し落ち着きが生まれて、心の中でルリを呼ぶが、これは届かなかった。今までで初めての事態だ。名付けによる繋がりはまだ残っていることが分かるのだが。

 ぐるりと辺りを見回した。俺を包む風が、俺とルリを隔てている。


『ねえ、あなた。あの子と別れてワタシにしましょうよ』


 ふわりと、緑の彼女………風の中精霊は俺に近づいた。そして俺を誘惑する。


『ワタシに名前をちょうだい?』


 ………ああ、それなら話が早い。


「………ヒスイ」

『え?』


 彼女の理解できていないといった声が聞こえると同時に、俺の意識は再び闇に沈んだ。


 実を言ってしまえばずいぶん簡単な話だ。彼女は名を望んだし、こちらは新たに名付ける日に備えて魔力を増やしたりしていたし名前を考えたりしていた。

 もう名付けに悩むのも懲り懲りなのである。


 ………名付けは双方合意の上でしか行えないって、それは君も分かってるだろう、ヒスイ。だからそんなに騒がないで。


『うるさーい!! おかしいじゃない! おかしいわよ! おかしいわよね!?』

『………ルリ、どうにかできない?』

『落ち着くまで待ってあげましょう?』


 名付けで俺が寝ている間にルリが合流していた。

 俺が名前を渡すと同時に驚いたヒスイが障壁を外してしまっていたらしい。


 ルリは最初は困惑するヒスイに事情を説明してなだめていたというのだが、俺が起きてからはずっとこんな風に騒いでいる。

 いくら綺麗な声でも、ここまで甲高く騒がれれば鬱陶しい。


『鬱陶しいって酷いじゃない!』


 ………ヒスイもまた、ずいぶんとめんどくさい性格だな。


『めんどくさいって何よ!!』


 心の声が全て通じていて、ヒスイの声は大きくなる。


『レイ、面白がるのはやめてあげて。早く教えてあげればいいじゃない。それに、も、って何かしら?』

『何でもないよー! えっと、ヒスイ、これでいいかな?』


 ヒスイの反応が面白かったから少しからかっていると、言葉の綾にルリが目を向けた。

 誤魔化すように魔力の縛りをすべて緩める。

 やはり魔力を解放すると体が軽い。これだけで空が飛べそうだ。


『おーい、ヒスイ?』

『………』

『ヒスイ!』

『ひゃいっ!』

『信じてくれた?』


 コクコクとヒスイが頷いた。うん、よろしい。


 多分ヒスイは俺の魔力量を目測し、俺がルリとの契約を切らなければ名前を貰えないと思っていたのだろう。しかし、そんなものはブラフである。


 まだ事情を理解しきれていないヒスイに、掻い摘んで身の上を説明していく。

 突然の出会いだったけど名前を付けた以上は長い付き合いになる。隠しておく必要はない。


『………まあ、それでこの面倒くさい精霊だったルリに名前を付けてからは、他の名前を欲しいって思ってる精霊に会ったら、それに応えてやろうって決めてたわけ。どう?』

『嘘はついてないのね………信じられないけど信じてあげるわ!』


 転生から今日までの流れをすべて話した。

 俺が改めてはっきりとめんどくさいと言ったことにルリは少しショックを受けているが、ヒスイは説明に納得してくれたのでよしとする。


 ルリがめんどくさかったのは認めてもらわなくちゃいけない。

 最初に名前を付けちゃダメと彼女が言ったのはルリが名前を欲しがっていたからなのに、その後名前が貰えると知ってからも半年失踪されたわけだし。

 薄々それが分かってからは、毎日泉で独り言を話すのをめんどくさいと思うこともあった。


 そんなことを思い出していると、一つ疑問が生まれた。


『そういえば、なんでヒスイは名前が欲しかったの?』


 ルリはニンゲンが好きだったから俺を選んだ。じゃあヒスイの理由はなんなのだろうか。


『………もっと自由に旅をしたかったからよ』

『どういうこと?』

『私は風、気ままだけど、流れるがままの存在よ』


 詩的な表現をされても理解が難しいだけなので、詳しく説明してもらった。

 どうやら本来的に風精霊は一つの場所に留まれないらしく、本当に流れるがままだそうだ。眠っていた俺とそれを守るルリを見つけたのもたまたま流された結果らしい。

 どうやら少し自我の強いヒスイは、真に自分の思うよう動きたかったそうだ。


『名前をつけてくれたことには、感謝するわよ』

『どーも。これからよろしく』

『だけど、謝罪を要求するわ』

『なんでさ』

『なんでって、ワタシは中精霊よ! ワタシを欺くなんてヒトのすることじゃないもの!』


 ここで熱い手のひら返しだ。

 そしてこの暴論、どこぞの貴族やお姫様か。


『ルリ』

『こういう子もいるのよ。属性で精霊は同体でも、性格はそれぞれなの。水でも、私とは全然違う私もいるわよ』


 なら風精霊はハズレくじを引いたかもしれない。性格も大人くて、容姿ももう少し大人っぽい精霊がやりやすかっただろう。

 それに例の如く、ヒスイも少女の姿、しかも俺の同い年かやや上ぐらいに見えるルリよりさらに小さい姿であるし。


『ねえ、レイ、一体どこ見てるの?』

『いーや、なんにも』


 先輩の方が俺に厳しい目を向ける。彼女達の美の本質はそこでないからあまり気にしないでほしい。


『もう! 聞いてるの?!』

『聞いてる、聞いてる。で、ヒスイ、謝罪ってのは?』

『ワタシの手足を要求するわ!』

『あるじゃん』

『ちがーう!!』

『もう、レイったら………』

『いや、手足って何?』


 本当に何を言いたいのか分からなくて、ふざけて返すと、ヒスイからキレのいい突っ込みが出される。仲良く賑やかにやれそうで何よりである。


 しかし本当に何のことかわからない。困ってルリに聞いてみると、簡単に言えば、ヒスイのパシリになる小精霊のことらしい。俺に名付けさせて、自分の言うことを聞かせたいそうだ。

 それが確かなことかとルリに尋ねると、確かに便利だそうだ。手足というよりは、自分の目を増やすことができると。


 それはつまり、彼女らと感覚を共有できる俺の目が増えることと同義だった。


『じゃあ一人二体までね、行ってらっしゃい』

『やった!』

『………いいの?』

『うん。余裕もあるから』


 魔力の枠はまだ中精霊三人分近く余っている。

 次に中精霊に会うまでにまた魔力を増やせばいいかと思い、軽い調子で許可を出す。彼女らにはそうそう出会えるものでもないから、次は何年後だろうか。


 俺の返事を聞くと同時に、ヒスイは風のように飛んでいった。いや、風そのものとも言える彼女にその表現は少し無粋だろう。


 ヒスイを待つ間、何をしようかなと思っていると、伺うようにこちらを見ていたルリと目が合った。精霊選びを楽しむヒスイの感情の奥に隠れて、もやっとしたものが伝わって来た。


『一人、二体までだよ。ルリの分も探してきて』

『⋯⋯ありがとう』


 礼を言ってルリは水辺の方へ飛んでいった。


 ルリはあまりわがままを言う性格でない。こういうところも機微を察してやらないといけないのもルリの少々めんどくさいところである。

 俺を気遣ってのことなのだろうが、こちらとしては不便をかけ、いつか先にお別れする分、できる限りの要望は聞いてやりたいとは思っているのだ。


 それで言えば、ヒスイはそんな心配はいらなさそうだし、平等に扱う分にはこれからは彼女が居てくれるのがありがたいかもしれない。



****



『さあ! この子達に!』

『この子たちにお願い』


 別々にヒスイもルリも綿毛のような小精霊を持って帰ってきた。それぞれに適当な名をつけていく。

 中精霊との名付けと違い、四人同時に名前を付けても昏倒することなく名付けは終わった。


「さてと、さっさと学園都市に向かうか」


 突然の出会いに少し時間を取った。新しい仲間のことはこれから知っていければいいだろう。きっと長い付き合いになる。


 俺は長い旅のゴールに向けて、山を駆け下っていった。

ありがとうございました。


これからも応援のほどぜひよろしくお願いします。


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