出発─トルナ村
「買うならどれがいいかな?」
「あの子なら何でも喜んでくれると思うが」
「そうなんだけどさあ」
季節が秋に変わって少し経った日。
貴族街に近いウォーカーの街の北側、これまで来たことのない高級街の、来たことがあるはずのない装飾品の店の前で俺はじいちゃんに見守られながら髪飾りを眺めていた。
「お待たせしました……って、髪飾り? 珍しいわね、レイ。もしかして自分用?」
「そんなわけないよ……」
「リーナにだろう?」
「そう。けど、どれが良いか分かんなくって」
俺が頭を悩ませていると、母さんとばあちゃんが諸々の買い物の支払いから帰ってきた。
母さんは嘘とも本気とも取れない調子で俺に聞いてきた。ここは明らかに女性向けの店なのだが、俺に女装させるのをまだ諦めていないのだろうか。
「リーナなら何でも喜んでくれそうだけどね」
「そうなんだけどさあ」
母さんがじいちゃんと全く同じことを言う。
いや、それに関しては本当に俺もそう思うのだけれどもう少し具体的なアドバイスが欲しい。
「どれがいいのか……」
「レイが真剣に選んだものなら、それが一番さ」
「そうだよね」
「まあ、センスは必要だけどね」
意地悪そうに笑うばあちゃんの言葉を受け、自信が無いのは置いておいて、精一杯探そうと腹を括る。
……反対色とか、補色?
俺の中ではとっくに二十年年近く前の話になっている中学の美術や家庭の授業の記憶をなんとかほじくり返して、参考になりそうな知識を探す。
リーナの髪の色を頭の中で鮮明に思い浮かべ、魔力も使って視力を上げ、店内に目を凝らしていった。
……あれなら似合うし、それに……
****
今日はギルド通いを休んで、家族四人で学園行きに必要なものを購入するため、一日中色々な店を巡っていた。
既製品の服や靴を売る店、日用品を売る店、服を仕立てる店、靴を仕立てる店などだ。学園都市へ向かう旅の道中と着いてから、それぞれに見合った靴や着替えを見繕ってもらったのだ。
一般的には荷物になるから現地で購入することが多いらしいけれど、俺の場合は【亜空間収納】の魔法があるから、学園ここで母さんや相談しながら買っていく。
学園生活には制服もあるが、学園都市での生活には他の街で暮らすよりかなりフォーマルな服装が必須らしい。
それは納得だ。今でさえいつもの格好で高級街に入るのはマナー上よろしくない、と途中で買った服に着替えさせられている。確かに、学園に通う貴族の子女も出歩くという街で、薄汚れた村人Aの格好をしている訳にはいかないだろう。
「それにしてもいっぱい買ったね」
買ったものは全て俺の【亜空間収納】に入れられているが、もし手で持つというなら四人でも持ちきれない程の量だ。
多すぎていちいち中身は確認していないが、何を買ったのかと不思議に思うほどであった。
「ずいぶんと時間もかかったしな」
「久しぶりのお買い物でしたから、とっても楽しかったです」
「まったくこの子は……。一体彼はいくら残してたのさ」
「ああ! 帰ったらレイにレンが遺したお金を渡すわね。レンの代わりだと思って受け取って」
「代わりって表現は何か変だと思うよ」
傾いた日を右手に受け、街から村への道を四人でお喋りをしながらゆっくり歩く。
こうやって家族で揃って話をすることももう残り少ない。
仕立てたいくつかの服が全て完成した次の日、俺は学園都市に向けて旅立つことになっている。
****
「最後の服も出来て、荷物の仕分けも終わったわよ」
「ありがとう、母さん」
「いよいよ明日出発ね、レイ」
それから十日後、パーティにも参加できるような最後の一着が手元に届き、俺は出発の前日を迎えていた。
今は家族四人が揃った最後の夕食の食卓を囲んでいる。テーブルには、ばあちゃんと母さんが張り切って用意してくれた、こちらの世界での俺の好物がたくさん並べられている。
「お金、盗まれないように気をつけてね」
「それは気をつけるよ。ほんとに」
アイテムボックスに入った金貨の山を思い出して、俺は神妙に頷く。
これまで俺が冒険者として稼いできて、この前のテリン山遠征の山分けでさらに三十枚近くも増えた、自分の貯金の金貨と、それからレンの遺産の約半分である金貨二百七十五枚、合計三百枚以上の金貨を俺は所持している。
ばあちゃん曰くこれは、物価の高い王都でも働かずして十年は余裕で過ごせる金額だそうだ。
盗まれてなるものかと【亜空間収納】への警戒意識は強めている。
「キースさんって何者だったんだろうね」
「レンもあまり知らなかったみたいだけど、昔、何か大きな魔道具を発明したらしいわよ」
権利というのはこの世界でも儲かるものらしい。身バレだけ気にしつつ俺も何か一つぐらい考えてみようか。
俺が何か儲かりそうな日本の知識を改めて掘り返していると、母さんが俺に話し始める。
「レイ、無駄遣いしないようにね。買うものもしっかり考えて。あと、ちゃんと予定を考えて旅をして……」
「リーン、それももう何回目だい?」
「心配になるのも分かるけど、レイなら大丈夫だってお墨付きをジョゼフ様からも頂いているのだろう?」
「あははは……」
もう何度目になるか分からない……正確には九回目なのだが、注意を並べ始める母さんに、じいちゃんとばあちゃんが肩をすくめる。
しかし母さんの心配はよく分かる。母さんが一人でずっと育ててきた、最愛の夫の忘れ形見でもある一人息子が旅立つのだ。心配にならないはずがないのだと思う。
「大丈夫だよ、母さん。ありがとう、今日まで育ててくれて」
「レイ……」
素直になれなかった叶斗の頃の記憶を思い出して、心に宿っている気持ちをそのまま口に出す。
何の孝行もできていないかもしれないけれど、母さんの愛情は痛いほどに知っている。
母さんの美しい黒の瞳が、まったく同じ顔をした俺をよく映す。
「しんみりするのは明日だけでいいかしらね……」
そっと目元を拭って、母さんは言った。
****
「行ってらっしゃい、レイ!」
「「「行ってらっしゃい!!!」」」
「ありがとう、みんな!」
翌朝、俺の出発を、村の人達のほとんどが見送りにきてくれていた。
一緒に遊んだ子供たちから、街へ送ってくれた農家の大人達、狩りの先生をしてくれたギブさん、ラスの両親やその他村の大人達。
この十二年ですっかり慣れ親しんだみんなだ。
なおラスは、ギルドで見送るからと先に街へ向かっている。
「レイ、気をつけて行ってこいよ。卒業したら一度は戻ってこい」
「そうする。今までありがとう、じいちゃん」
俺に初めて剣を教えてくれたじいちゃんと握手を交わす。大きな手で、力強く握られた。
「あんたならきっと大丈夫だと思うけどねえ。ちゃんと心配はしておくよ」
「ありがとうばあちゃん。ばあちゃんの料理が食べれないのはちょっと寂しいや」
美味しい食事を用意してくれて俺にマナーと勉強を教えてくれたばあちゃんに礼を言うと、自分で作りなとばあちゃんは俺の頭をさらっとだけ撫でた。いつも思うが、ばあちゃんはあまり素直な性格ではない。
「レイ、これを持っていって」
「……短剣?」
母さんはどこから持ってきたのか、よく誂えられた短剣を持ってきていて、俺に渡した。
魔眼で見れば、微弱ながら魔力が流れている。魔法金属を使った合金製だろう。
「レンが使ってた短剣よ。ジョゼフさんが持ってきてくれたの。あなたが使ってあげて」
「と……、レンの……」
どうやらこれはレンの形見の品ということらしい。
俺が言い淀んだのを見て、母さんが仕方がなさそうに微笑んだ。
「父さんって、呼んであげて」
「うん。父さんの物、ちゃんと大切にするよ」
そう言った俺を、母さんはぎゅっと抱きしめた。
どこまでも優しいその手つきで俺の髪を撫でながら、母さんは震える声で言葉を紡ぐ。
「あなたはレンに似てとても強い子で、レンよりもっと頭もいい子だからきっと大丈夫。お友達も作って、学園で楽しく過ごして来てね。それと、たまにはお手紙も頂戴」
「……うん」
「ほんと、びっくりするくらい手がかからないなあ」
俺を抱きしめる母さんの腕が強くなる。伝わってくる離れがたい温もりは、確かに母の持つものだ。
「レンも、私も、あなたを愛しているわ……それを忘れないで……レイ」
「……ありがとう、母さん。俺も大好きだよ」
剣を一度置いて、俺も腕を回して母さんを抱きしめた。
こちらに来て最初は戸惑っていたスキンシップも、今ではもう自然と体が動く。
最初はただ育ててもらっているとだけ思っていた母さんも、実の母親であると心から言えるぐらいに大好きだ。一人で変なことをしている俺に対して常に気を配ってくれていた母さんの愛を、俺は知っている。
「行ってらっしゃい、レイ」
「行ってきます」
世界一美しい母の、何度も見せてくれた優しい笑顔で送り出されることを、俺は幸せに思う。
****
「リーナ、おいで」
「……ぐすっ、レイお兄ちゃん……」
最後に元気のない足取りでリーナがこちらに寄って来たのを、いつものように軽く抱き止めた。
リーナの成長が早いのか俺の成長が遅いのか、背はリーナの方が少し高いから、やっぱり格好がつかないなと心の中で笑う。
それから、俺の肩に乗せられていた顔を上げさせ、オレンジの瞳から零れる涙を人差し指の背と親指の腹で拭った。我ながらこのキザな動作によく慣れたものだ。
「ほら、泣くなって」
「……だって…………」
母さんですらこんなに泣いていないのに、まったく困った幼馴染である。
肩を竦めてから、彼女に言葉をかける。
「リーナ、ありがとう。言えてなかったけど俺、リーナに助けられてたんだ。辛かったり、痛かった時も時にもいつもリーナが笑ってくれてたからここまでやってこれた」
まずリーナに伝えなきゃいけないのは感謝だ。
街に行き始め、前世でも慣れない暴力に心がささくれだっていた時、いつも村の入口で俺を待っていてくれて、心配してくれたことが、俺は素直に嬉しかった。
「ほ、んと………?」
「ほんとだよ、ありがと」
丸くなった目を見て笑い、リーナの柔らかいピンクの髪を撫でる。
この髪に触れられるのも、これで最後かもしれない。
リーナとなるようになるかもしれないと考えていたのは、俺が村を出ないと思っていた頃だ。
俺が一度学園から帰ってくる頃には、彼女も成人間近の十四歳で、その時にはもう彼女には恋人が出来ているかもしれない。いや、むしろリーナにいない方がおかしいだろう。
寂しくなると思いながら、【亜空間収納】の呪文を唱える。
「そのお礼と言っちゃなんだけどさ、これ、リーナにプレゼント」
「……!」
俺が街で選んだ薄黄色の髪飾りを取り出してリーナに見せる。
淡い色の髪飾りはきっとリーナの鮮やかな髪に映える。そう母さんたちに言えば、笑って同意してくれた。きっと似合う。
リーナはそれを見て目を丸め、俺の顔と見比べた。
「レイお兄ちゃんの、色………」
「……俺のこと、忘れないで欲しいからさ」
「忘れるわけない! 絶対! 一日も!」
「はは、ありがと」
リーナの勘が鋭いのか、俺が分かりやすいのか、心の内での決め手はズバリと言い当てられた。いや、分かりやすいか。
この白味の強い薄黄色は、白金の髪の色とよく似ている。
落とさないように、両手でできる限り丁寧に髪飾りを扱って、彼女の髪に付ける。
⋯⋯うん、俺の見立てはそう間違っていなさそうだ。
「………似合ってる?」
「ああ。可愛いよ、リーナ」
「ありがとう、レイお兄ちゃん」
俺が褒めると、一輪の花が咲くようにリーナが笑った。
泣き腫らした顔だが、ようやく今日初めて笑っている顔が見られた。
俺が満足していると、リーナがじっとこちらを見つめていた。
「何? リーナ」
俺が尋ねると、次は穏やかな表情で、リーナは笑った。
「レイお兄ちゃん………大好きだよ」
それと共に発されたのは、何度も言われてきた愛の言葉だった。突然でもない、いつも見せてくれたその想いに胸が突かれた。
いつもなら笑って感謝が言える。いつかなら、好きだと言った。
けど、俺を見つめるリーナの目は、今までのどれよりも真剣で、どうしても上手く言葉を返せなかった。
口ごもる俺を見てリーナは笑った。悲しむこともなく、ただ少しだけ残念と言うようにして、笑った。
ああ、何か言わなきゃ、そう考えているうちにリーナはごく自然に俺に近づいていた。
………あっ、えっ、うそ。
その速さはマスターたちより、ギルドの冒険者よりずっとずっと遅い、少女がただ親しい少年に近づくだけの速さだ。動けるはずで、躱せるはずだ。
だけど俺は一歩も動けずに、近づくリーナをただ眺めていることしかできなかった。
ふっと消えそうな、けれどはっきりした囁きと、俺たちを見守っていた村人たちから歓声が耳に届いた。
呆然とする俺の前で人差し指で唇を抑えたリーナは一度悪戯っぽく笑うと、そのまま肩下まで伸びるピンクの髪を揺らして家の方まで帰って行った。
「またね、レイお兄ちゃん」
その言葉と、柔らかな衝撃だけを俺に残して。
ありがとうございました。
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