対決 ②
『行くわね』
『……頼む』
どうしようもない状況になったら頼むと事前に示し合わせていたルリが、状況を察知して素早く力を行使する。
これで負けることはないだろう。ルリの力はやはり本物で、俺よりも余程魔法に長けている。魔力は好きに使っていいと言ってあるし、俺が行動不能の間も凌いでくれるだろう。
……しかし、やらかしたな。
導師相手にも楽に相手できてしまうルリが居なければ現時点で敗北必至だった。
二対一のようで卑怯にも思えるが、そこはエルフのような精霊魔導師という建前で勘弁してもらいたい。ルリには勝負を決めないようにとも言ってあるし。
さて、今俺が受けている魔法は昨日マスターが言っていた五感を消す魔法だろう。視覚、聴覚、嗅覚、触覚が消えていることは分かる。多分味覚も消えている。
こうなると今自分が立っているかも分からない。導師がどこにいるかなんて尚更だ。視界は闇で、音は無い。思考だけがここにある。
⋯⋯死後のイメージみたいだな。
一度死んだ俺が言うことでもないかもしれないが、普通なら気が狂いそうだ。何もないとはここまでの恐怖なのかと初めて知る。
けれど、ルリの感情が伝わってきて、声が聞こえると落ち着きを持てた。
『ありがとうルリ』
『もう大丈夫?』
『⋯⋯ああ!』
体に複雑に絡むようにかかる導師の魔法を打ち消す為に、己の根源で押さえつけていた魔力を解きほぐす。面倒なのでフルパージだ。
「わしの負けじゃな」
再三の力技で導師の魔法を抵抗して感覚を取り戻したあと即座に、俺が制御可能な最大限で【風弾】を打ち出して、影の壁を貫いたことで勝負がついた。
最大出力を出してしまえばそんなもの。
闇の属性魔法は変化に捕縛、隠密に亜空間接続など幅のある魔法だが、実際は単独戦闘には一番不利な属性といわれていて、その矛は鈍らで、盾は脆い。
今回の勝負は俺がAランクの導師に勝利したことよりむしろ、属性差を覆す導師の技量の凄まじさが改めて浮き彫りとなったといえるのだ。
"常闇"の二つ名は、彼が研鑽した長い年月の重みによるものだと改めて思い知る。
「ありがとうございました、導師。初めて見る魔法もありましたけど、俺が学園に行くまで教えてくれますよね?」
「まったく、老体に鞭打たせよって……」
「ぜひお願いします、ってどうしたんですか?」
握手を交わし、その手を俺が離そうとすればガチリと握られたままだった。
「ではこちらからもお願いをしよう。お前さんを守った精霊様とは会わせてくれんかのう」
そう聞いて、少し考えさせられる。
ルリは中精霊で、普通は人と、ましてやニンゲンと契約を交わすような存在ではない。ルリから聞いた話では精霊と言葉を交わせる者が、中精霊を仲介してもらって小精霊に名付けを行うのがこの世界での精霊契約の普通らしい。
考え込む中で、離れて見物していたラスたちがこちらに寄ってくるのが目に入った。
……それも今更だな。
ラスやリーナにはもうルリのことを教えているし、ここにいる人達に対して自分が普通であるとかどうとか、今更気にすることもない。
分かりました、とだけ導師に答えてルリを呼ぶ。名付けをした今、ルリの姿を見せられるようにするのは俺の権限だ。
『はじめまして。私はルリ。ラスは久しぶりね』
「ひ、久しぶりです!」
顕現したルリに答えを返せたのはラスだけで、大人三人は揃ってぽかんとした様子だった。
ラスも、今日で会ったのは二回目だからかまだまだ態度が硬い。
もしかするとこの一年で、少しはルリという存在の凄まじさが分かるようになっているのかもしれない。
「はっはっはっはー! もう笑うしかねえなあ、ジョー!」
「しかし、これは⋯⋯」
「いつも一つか二つ、予想を超えてくるのう」
「褒め言葉として受け取りますよ、それ」
常識を元に唖然呆然とする三人にルリはニコニコしている。話せる相手が増えて実に嬉しそうだ。普段はこれまで行けなかった街の様子を眺めているだけだったし、興味は尽きないのだろう。
三人が恭しく膝をついて挨拶をし始めてしまったけれど、ルリはそんな敬意不要だと思っているし、俺も思っている。ラスだけどうしていいか分からなくて動きが変になっていた。
****
「その魔力量に中精霊との契約……レイ、本当に君はよくここまで隠し通してきたものだね」
ルリと三人との対面を終わらせた後、神妙な面持ちのままの師匠がするりと鉄剣を抜いて俺の前に立った。相変わらず、どこまでも様になる立ち姿だ。
「いくらここが田舎でも、俺の力が見つかれば国が動いたでしょう? そうしたらきっと自由なんてあったものじゃなかったので。導師にも言いましたけど、ほんとに大変でしたよ」
「本当に君は一体……」
「何者か、なら、この戦いの間にもお見せしようと思います。本気の俺と、本当の俺を、全て」
ニコリと笑ってから、俺は再び【亜空間収納】から両手剣を取り出す。
力で押すのが基本であるこの国の両手剣は、実のところ自分の中であまり向いている得物ではない。
けれど今から師匠から最も長い時間習い、俺が一番磨いてきたのはこれだ。
仮にも騎士を目指すものとして、それなりの誇りも芽生えてきている。
剣を構えて、ひとつ息を吐く。
きっと、師匠との本気での勝負はこれが最初で最後になるだろう。
「我はトルナ村のレイ! 推して参ります!」
高らかに名乗りを上げて、俺が知る最大の壁へと駆けて向かった。
****
全てを見せると言ってもまずは、いつもの特訓のように師匠と合わせたレベルの身体強化で俺が打ち込んでいく。
これは身体強化もされずに受け流され、鋭い反撃が繰り出されたところで一つ間合いをとる。
⋯⋯この技量の差、実にいつも通りだ。
俺の師匠であるジョゼフ・スターリング。彼の経歴を聞いてみれば実に華々しいものであった。
王国東方の雄として武門に名高いスターリング侯爵家の三男。魔力も多く、隊長の座にいたことからそうじゃないかとは思っていたが、彼は貴族……それも建国当初から由緒ある名家の生まれだった。
師匠は家柄もあって洗礼前より剣術に親しみ、学園入学の前には既に学園に入学し、決して凡骨とは言い難い実力を持った二人の兄を圧倒するようになっていたらしい。
そして学園に入学後、学業でも優秀な成績を収めつつ、騎士科トーナメントにおいて一年で八強入り。二年で準優勝、そして三年で優勝。二年連続で対決した一つ上の、現王国騎士団長には最後まで敵わなかったそうだが、同学年では敵無しで、最終的に騎士科を首席で卒業したそうだ。
卒業後は王国騎士団に入団。入団五年後の弱冠二十歳で既に中隊長になっていたと、師匠はひとつの自慢気を見せることなく聞かせてくれた。
一通りのスパーリングが終わった後は、お互いに剣を構えて動かない時間が幾らか過ぎていた。
相手が師匠クラスでなければ十分すぎるほどに距離はあるが、今油断すれば一瞬で間合いまで踏み込まれるだろう。
「随分と慎重になったね、レイ」
「師匠ほどの人にこれだけ教えを尽くしてもらって学習しないようじゃあ、弟子失格です」
特訓の日々で俺は師匠に、時には隙を突いたと思っては返され、時には一切の隙を見出すことができず叩きのめされた。師匠と出会って二年が経つが、剣術で本気を見せた彼に勝利したことはただの一度もない。
今までの全ての負けを記憶している俺が、不用意に突っ込もうだなんて思うはずがないのだ。
精一杯気を張りながら次の手を考えるうちに、これまで幾度となく繰り返された負けが未来を幻視させる。
⋯⋯剣だけじゃまだ無理か⋯⋯
目を外さないようにはしながら、ため息を吐く。
見えるのはまだまだ師匠には通用しない、剣術での敗北だ。
しかし、それ以外の道もここにはある。
「【空刃】」
「【盾】」
次なる打ち合いが始まった。
****
師匠が"聖壁"と呼ばれるようになったのは彼が二十六歳の時のことだったらしい。
ちょっとした任務を達成し、勲章とともにその名は広まった。
師匠はちょっとしたと言ったが、その任務は竜退治の任務だったそうだ。話を聞いた時、竜退治を小さな仕事として扱われてしまえば自分らの名誉はどうなる、とマスターや導師が謙遜しすぎだと笑っていた。
さて、"聖壁"の二つ名が付けられた理由は二つ。
一つは類まれな才能で、全く隙の無い受ける剣術を極めたこと。
そして、もう一つは彼の光魔法が決して崩せぬ頑強な聖なる壁であったことだ。
……対人だとマスターでも導師でも相手にならないってのは本当だな。
完全に押し込んだ状況になにやら嫌な予感を感じつつも、普段の倍以上に魔力を注いだ闇の槍で【聖盾】に穴を開け、そこから魔法を叩き込んでいく。
しかし穴を開けてもすぐに閉じられ、さらには割れた壁の破片を自由自在に動く盾として、今の攻撃もすべて防がれていた。
魔法の扱いの幅を考慮すれば、魔法において導師はきっと師匠に負けない。けれど、師匠は戦闘に特化した魔法に関しては導師の比ではない。
でなければ、亜音速の弾丸を崩れて制御を失うはずの壁の破片で相殺したりできないし、散弾の如く大量の魔法弾が撃ち注がれる中で未だに無傷のままでいられない。
そして効率を考えるのは戦いの基本なのだろう。師匠も導師と同じく、膠着状態に陥っても最低限しか魔力を使っていない。
持久戦をするなら明日の朝日が見えそうだ。
全開でないにせよ、こっちはもう人外の魔力量を注ぎ込んでいるからこそ信じがたい。
そう思った瞬間に場に変化は起こる。師匠の壁の中で異常なまでに魔力が高まった。
先程まで感じていた嫌な予感はこれか。
「っ! まずっ!」
「【反射】」
高密度の魔力の波動が、師匠の展開していた【聖盾】から撃ち出された。膨れ上がって届いたのは、俺が戦闘中、光の盾へ注ぎ込んだ魔力量。咄嗟に身体強化を強めて射線から外れるが、その爆風に身体を煽られる。
【空舞】を発動して空中に衝撃を分散させてなんとか隙を見せずに体勢を取り戻した。
ちらと見れば、射線上の木々は数十メートルに渡ってなぎ倒されている。万が一はきっとないのだろうが、当たれば勝負が着く。
「いや、相手の攻撃を貯め続けて返せるとか、反則でしょ……っと!!」
「驚いたかい?」
やはり一気に詰めて来ていた師匠の、容赦ない横薙ぎを上空にかわし、そこから空中で斜めに飛び退いて間合いを外す。普段、一人の森の中で行っていたイメージトレーニングが今日はずいぶんと役に立っている。
「驚きますけど、師匠の方が驚いてるんじゃないですか?」
「ああ、そうだねっ!」
ここからまた戦況が変わる。今度は至近距離で剣閃と魔法が交わり始めた。
「【火炎弾】!」
「【風弾】!」
「【│影縛り(シャドウバインド)】!」
魔法を放ち、剣が振られ、爆発が起き、斬撃がぶつかり合う。
魔法剣士同士の実にらしい戦いだ。
「まさかここまでとは、ね」
「俺は、もうちょっと楽に勝てると、思ってましたよっ!」
「"聖壁"も舐められたものだ、!」
身体強化を全体の二割まで上げた。しかし、やはりそれだけでは師匠に届かない。
涼しい顔で攻撃はいなされ、間隙を突いては肝の冷える反撃が飛んでくる。
まじで訳が分からない。
「はあっ!!!」
「おっと、でもまだまだ、さ」
高速戦闘に移る中で魔法は二の次となり、すぐさま派手さのない切り合いが展開されるようになった。
そうなるとやはり師匠が何枚も上手。猛攻を仕掛けている俺が一瞬でも気を抜けばその時点で勝負がつきそうだった。
そのうち俺の細やかな動きの速さは常人の……マスターの全力さえ軽く超えていく。だというのに、意識の隙を突いた目視不可能の斬撃が返す刀で飛んでくる。
俺は、攻撃をいなされ反撃を躱すたびに、少しずつ出力を上げていっていた。
……三割……ここで互角……!
幾か時間が経ち、攻防の手応えと、師匠の表情を見てそう確信する。
息もつかせぬ切り合いの、どちらもいつ崩れるか分からないスリルはある種の快感を呼び起こし、さらに剣撃を加速させていく。始めは苦くした師匠の顔にも、普段滅多に見ることのない、剥き出しの笑顔が浮かぶ。
やはりこの人は、剣に生きる人であるようだ。
しかし、そんな時間も終わりは来る。
どれだけ師匠が節約しても、どれだけ俺が浪費しても、その程度で覆る魔力量の差ではない。
次第に俺が優勢に持ち込むことに寂しさを感じつつ俺は精霊の名を呼ぶ。
「ルリ!」
『はいはーい』
「⋯⋯くっ!」
……さあ、有言実行。ここから一気にフィナーレだ。
水弾が師匠に向けて放たれると剣戟は途切れる。瞬間、俺も師匠から離れて魔法を放っていた。
魔法攻撃は、やはり光の壁に全てが吸収され、俺が放った魔力は師匠の攻撃の元に変換されていく。
しかし、それも長くは続かないだろう。これまでの魔力の消費は相当に大きい。
展開される光の壁を見つめながら魔法を放っていく。
最初の大猪との戦いで一度、今日までの狩りで二度、それとたった今一度。これまで四度、間近で【聖盾】と【反射】を目にしてきた。
物理、魔法に関わらず、受けた攻撃をそのまま相手に返す反則じみた魔法である。
その構築は、実に見事なものだった。
俺の思った通り、魔力に不安が見えたのか、師匠は先程より早いタイミングで【反射】を放った。
それでもやはり膨大な魔力の塊、まともに受ければ四肢の爆散では済まないだろう。
だけど、今はめちゃくちゃに足掻くような場面ではない。
全て狙い通りだ。
心を落ち着かせて、俺は魔法陣を描いていく。
⋯⋯うん、完璧かな。
「【聖盾】」
眼前で耳をつんざく音を立て、膨大な魔力がかき消える。
撒き散らされた砂煙の奥に見える、驚愕で目を見開いた師匠。
今日の師匠は表情豊かだ、なんてことを二つ目の魔法陣を描きながら思うと、トリガーとなる魔法名を口にする口角が自然に上がった。
「【反射】」
光の上級魔法は、俺の手によって繰り出された。
ありがとうございました。