魔術師
「また剣先が逃げている!」
「……っ! 」
……ちくしょう。重いし暑いしうるさい……
俺は付け慣れない鎧で全身を覆い、ガシャガシャと音を立てながら、夏らしい装いに身を包んだ師匠と剣戟を交わす。
……早く終わらせよう。
「動きが雑! 学園で舐められるぞ!」
「……はい! 師匠!」
一度間合いを取り気合と集中を入れ直して、俺はまた師匠と呼ぶようになったジョゼフさんへと向かっていった。
……ああ、早く鎧を脱ぎたい……!!!
****
「今日もありがとうございました」
「ああ、おつかれ」
今日の特訓を終え、装備の手入れを済ませてから師匠のところに向かった。
「師匠、いつものを」
「ありがとう、よろしく頼むよ」
「◆◆◆◆⋯⋯【浄化】」
俺が汗を洗い流すための水魔法を師匠にかけると、師匠も目を細めていいものだと呟く。
この魔法はこの夏が始まる前に、鎧の暑さに四苦八苦していた俺が、マスターからの助言でギルドに出入りしているBランクの水魔術師から習った魔法の一つだ。
まとわりつく汗やよごれを落とす【浄化】と魔法で匂いを落とす【消臭】の二つの初級生活魔法、それから基礎魔法の【水球】、初級攻撃魔法の【水弾】、初級防御魔法の【水幕】、そして初級回復魔法の【小治癒】。以上六つの魔法の呪文をその魔術師からは教えてもらった。
もちろん無償でなんてことはなく、六つの呪文で金貨三枚という出費をした。
実は言うと、これらの水魔法は全てルリから習っているし、さらには上位互換と呼べるような精霊の魔法も習っている。しかしそれらは例によって人前で使える魔法ではない。
金貨三枚は非常に高価で、魔術師も十歳の子供が無造作にギルマの窓口から受け取っているのを見て唖然とするほどの値段ではあるが、手札を増やすにはそれ相応の対価が必要なことは理解しているつもりだ。
別にもったいないだとかあまり思っていないのだ。本当に。
「騎士道というものは⋯⋯」
頭で覚えるのでなくて体に魂に馴染ませるもの。
特訓後の師匠の話を聞きながら、弟子入りしてから毎日言われ続けているそのセリフを頭の中で反復する。流石にこれなら馬鹿でも覚える。
……でもそれだと頭で覚えるだけなんだよな。
この国の騎士道というものはなかなか難しい。
誇り高く、勇猛果敢に、美しく、なんて縛りが他にも色々あるのだ。
これまでの修練はマスターや冒険者との仕合が主で、内容も大切にしていたがやはり結果が肝心。
だけど騎士道は形と心を備えた上で、どのような相手にも打ち勝つことが重要だそうだ。やっていることが違いすぎて、とても数ヶ月で対応できるものではない。
……まあ、やってやるけどさ。
自分で決めたことを投げ出すのも恥ずかしい。それに応援してくれる人たちもいるんだ、やるしかない。
その応援してくれる人たち、つまり家族に学園に行きたいと伝えたのは、師匠に弟子入りする前日のことだった。
「分かったわ」
「ようやく決めたか」
「ほら言ったじゃないか」
俺が決心して入学の意思を告げると思いの外あっさりと承諾された。というより家族三人は一切の迷いもなく俺を肯定した。
「だって今更ねぇ……」
というのはばあちゃんの言葉。曰く、家族は将来に悩んでいる風だった俺に学園という選択肢を教えるため色々話していたらしい。
道理で俺も学園について色々知っているはずだ。思い返してみると最近の食事の会話で必ず一日一つは学園についての話をしていた。規模や制度なども十分に把握していると言えるレベルだ。
「それじゃあお勉強を始めないとね。貴族様に失礼の無いようにしないと。でも、マナーは大体大丈夫だから……教えられるのは聖字と他の立ち居振る舞いぐらいかしら」
「そうだな、それが分かれば必修の授業は……レイならなんとでもなるだろう」
「もう、あんたたち、レイを放っとくんじゃないよ。リーン、文字を教えるのに手頃な本なら持ってこれたのが何冊かあるだろう。あたしのも使いな」
おーい、ばあちゃんも放置してますよー。
なんて野暮なことを言わずに黙って成り行きを見つめる。皆が俺のために動いてくれているからだ。来年の夏までに教えることの整理が急ピッチに進められて、もうすぐ完成しそうだ。
絶対元々計画してましたよね、みなさん。
ちなみにないと思っていた本だけれど、村長の家の蔵に保管されていたらしい。
「ああそうだ。まだ聞いてなかったわね、……レイ、何科に行きたいの?」
しばらくして学習計画が仕上がった後に母さんがそう尋ねてきた。
きっちり十数分は放置されたのでとっくに夕食は食べ終えてしまっている。
「騎士科。希望だけどね」
よかったわぁ、と呟いた母さんは優しく俺の髪を撫でた。
****
それからの夕食と夕食後の時間は学園に行くために必要な所作や言葉遣い、受験に必要になってくるいくつかの授業に充てられた。
夕食時には食事マナーや言葉遣いを学び、食後にはどこからともなく出てきた石板に文字を書いて音読し、木板にペンを走らせ、それが終われば学園生活に必要な一般教養を学園の卒業生三人から口々に教えこまれた。
インクなんかはそこそこの高級品のはずなのだが、相変わらずその辺に惜しむことはしないらしい。
そんなこんなで午前は騎士道に、夜は勉強にとこれまでには考えられないぐらい束縛されている俺は、否応なしに唯一の息抜きである午後の狩りのペースを上げている。
誰も見ていないのでルリと話をしつつ、張り切って魔物を狩って、解体して、また狩って……
金貨三枚を躊躇なく出せたのも最近の稼ぎが上がっているからだったりする。
装備は身軽なままで元手0円だし、一人で狩りをしているから素材の売却だけで予想以上に儲かっているのだ。
もちろん怪我をしてしまえばそこまでなのだが、自重を捨てれば数秒で回復を終えられる俺と、六属性の中でも光と並んで治癒魔法に長けた水を司る中精霊であるルリのコンビにその心配は無用だ。
ルリと契約した今は本当に即死しない限りはどうにでもなってしまう。
でも、今はどれだけ稼いでも、学園に行けば稼ぐことも少なくなり、出費だけが増えることを考えれば、全ていいバランスで進んでいると言ってもいいんじゃないかなと思う。
****
さて、レイの人生の中で何度目かの順風満帆な期間の中でさらに風は進む方へ向く。
追い風というものは自ら吹かすもの、なんて誰かが言っていたような言葉だけど、誰かが吹かせてくれる風もやはり存在するらしい。
そのことを実感したのは夏の終わり。暑さのピークは過ぎ去ったと言えどまだまだ火精の元気が衰えたとは言い難い雲一つない快晴の日だった。
この暑さで仕事でもなく屋外の修練場に集まる酔狂者は四人しかいない……はずだった。
「突然呼ばれてこぉんな田舎まで来てみれば、なるほどなるほど。これはなかなかじゃのう」
背後、それも相当の至近距離で声が響いた。陽気なようにも聞こえる老人の声だ。
しかし、冷たい汗が背中を伝った。
……この距離で気が付かなかった……だと?
気配の察知にはそれなりの自信があった。木々の乱立する森の中でも魔物や獣は魔眼や魔法に頼らずとも存在に気がついたし、気がつけた。
だが、後ろの声はこの開けた場所で一切その気配を悟らせなかった。得体の知れない怖さがあり、なかなか後ろを振り向けない。
「……お久しぶりです、アルノー導師。しかし、あまり驚かせないでもらいたい」
静まっていた中で口を開いたのは、驚いたように老人を見つめていた師匠だった。
「ほっほっほ、お主は気づいておったろうに、"聖壁"の」
「導師の隠密には誰であろうとそうそう気がつけませんよ」
どうやらアルノーと呼ばれた老人と師匠は知り合いだったようだ。"聖壁"というのは騎士時代の師匠の二つ名か。二人は俺を挟んで親しげに会話を交わしている。
恐る恐る振り返って見ると、そこに立っていたのは、小柄な俺よりやや背の高いだけの老人だった。日除けなのかすっぽりとローブを被っているから髪の色は分からない。目の色は赤に近い茶色だ。
属性は闇。魔力の量はマスターくらいに、ぼやけて見える。俺の経験からだが、こんな風にはっきり見えないのは魔力の大きさを隠している時だ。
「やあやあ、未来の大魔法使い殿」
「……こ、こんにちは。はじめまして」
俺と目が合うとニヤリと笑った彼に挨拶を返す。
……未来の大魔法使いって俺のこと……? 何かバレてるのか?
一つ一つの言動からどうしても警戒の解けない俺をよそに、ようやくマスターが来客に気がついたようで、へばったラスをそちらに置いたままこちらへ足早に歩み寄って来た。
今日もボコボコにされているらしい。
「おお、アルノー! ようやく来たか。しかし五年ぶりか!?」
「全くイアンよ、わしのような老いぼれをこんな辺鄙なところまで呼び出してくれよってからに」
「老いぼれっておめぇ、そんなガラじゃねえだろう」
老人とマスターのやり取りは本当に親しい間柄で行われる軽妙なものだった。なるほど、マスターの昔の仲間、つまりAランクの冒険者か。
「おい、ラスもこっち来い、お前にも一応紹介しておく」
「……は、はい」
なんとか這ってきたようなラスにからからと笑ってから老爺が改めて名乗る。
「やあ、初めまして。わしはアルノーというものじゃ。一応Aランクの冒険者をやっておるが、面倒なんで名字は持っとらん。こんなジジイじゃが一応今も現役でやっておる」
「俺の"風爪"みてえにこのジジイは"常闇"って呼ばれてるが、こいつが言ったように六十過ぎっうのに現役で冒険者をやってる変人だ。大した扱いはしなくていい」
「その通りじゃな」
うへぇ、現役。
平均寿命が多分六十ちょっとのこの世界で、今も現役……しかも超一線として認められているというのはとんでもないことじゃないか?
ただ、それ以上情報をくれない。仕方がないので俺たちも改めて二人も自己紹介をした。
それから、マスターとアルノーさんが会話を始めると師匠が俺たちに耳打ちをしてくれた。
「ああは言っているが、今この国にいる魔術師で上から数えれば、片手もあれば必ず名の上がるような方だよ」
「え、すげ」
「お主がそれを言うか。英雄殿」
普通にしていれば聞こえるような声ではなかったが、ばっちり聞こえていたらしい。流れるような部分強化だったから、師匠の評価も頷ける。
「しかしイアン。こんな田舎にこれ程の才能が二つも転がっておるとは驚かせてくれるのう。特にちっこいの。レイといったか。鍛え甲斐ありそうじゃ」
「ああ、アルノーにはそれを頼もうと思ってた」
「あ、えっと、よろしくお願いします!」
なんと、アルノーさんがここに来たのは俺のためらしい。
後から師匠が教えてくれたが、十才の村育ちの子供が金貨三枚を出して魔法を教わるとは思っていなかったため誰かから適当に教われと言ったが、その光景を目の当たりにすると異様に思って、すぐさま昔の馴染みであるアルノーさんに言伝を渡したそうだ。
国内で活動をしてる冒険者ならマスター権限でギルド間の連絡網を使ってすぐに連絡が取れるらしい。
その次の日から魔法を教わることになり、アルノーさんは言う。
「魔道の表には常に光がおるなら、闇はちょうどその裏側じゃ。しかし、だからこそその深さは計り知れん」
闇の魔法を語るその赤茶の目は、暗さとは無縁に鋭く輝く。
「闇の魔法は深淵の魔法だ。その一歩目までわしが手解きしてやろう」
こうして"常闇"のアルノー、シングルでありながら一つの頂点にたどり着いた類希な魔術師が、三人目の俺の師となった。
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