名前
『何を言ってるの……?』
彼女に困惑を隠す様子はない。
「そのままの意味に決まってるじゃないか。君は残す側の気持ちを分かってない。それが俺には分かってるんだ」
『分かると言ったって、そんなのは想像でしょ? 確かに私には置いていくことなんて分からないわ。けれど、あなたも本当に知っているわけじゃ……』
「知ってるんだよ。俺は、知ってるんだ」
言い切ればまた静寂が場を覆う。
交渉において相手の気持ちを動かした方がいいだなんてどこかで読んだことがあった気がする。
正しい情報なのか分からないが、もしそうならこの静寂を支配しているのは俺だ。
……さて、この世界で精霊も共通かは分からないが、前世の存在だとかそういうのは信じられていない。
人が死ねば身体は残るか、魂、すなわち魔力は精霊と同化するものだと信じられている。
そしてそれは多分本当。魔力が拡散するのを俺は村で幼い子供や老人が死んでしまった時に確認している。それを慈しむように、悲しむように精霊たちが寄り添ってくることも。
まあだからこそ、死んだ人が自然となってすぐそばで見守ってくれているなんて信仰もあるが、それはつまり魂はそのままこの世に留まっているということだ。
前世の記憶やら輪廻転生そういう概念はあまり見受けられない。
だから多分、彼女は置いていく側の気持ちなんて考えたこともないだろう。そもそも俺以外にそれを知ってる人も知らない。
なら、俺が物語ってしまおう。
「ねえ、君は召喚魔法って知ってる?」
『……うん、他の世界からニンゲンを呼ぶ、ニンゲンの魔法。それが?』
「そう、じゃあ少しだけ昔話をしよう。ああ、昔と言っても君が生まれるほんの少しだけ前のことさ」
一人の哀れな少年の物語を。
****
十年と少し前に、この世界で召喚魔法が行われたのは知ってるかい? 俺が住むこの王国の王城の一室、荘厳な儀式の間で行われたんだ。多分だけど、その召喚魔法の儀式はある魔術師が一人で行っていた。
その時召喚されたのは三人のニンゲンだった。二人の男と一人の女。歳はこの国で成人を過ぎた頃だけど、向こうの世界ではまだまだ子どもだっていうぐらい。
この国の為に召喚されたにもかかわらず、三人の行方は広く知られていないね。少なくとも俺は知らない。今はどうしてるのだろうか?
ああ、この話の主人公はその三人の誰かってわけじゃない。
誰にも……その魔術師にも知られていないことなんだけど、もう一人、いや、もう一つの存在がその世界からやって来てたんだ。
それはある一人の少年の、向こうの世界では魂と呼ばれる意識の塊だった。便宜上は魂と呼んでいるけど、この世界での魂の概念とはちょっと違うかな。
さて、その彼は向こうの世界で召喚が行なわれる直前に、不幸なことに事故で死んでしまっていた。
死んだのにどうしてこの世界に来れるのかなんてのは当然の疑問。でも向こうの世界では死んだ後に魂だけが残って、そこから何日かかけてゆっくりと消えていくらしいんだ。
だから消えるまでのしばらくは何にも干渉できない意識の塊としてフラフラと世界を漂うことになる。
その彼は不幸な事故で亡くなったけど、とても幸せな人生を送っていたんだ。
大切に思ってくれる家族がいて、仲の良い友人がいて、大切に思ってくれる幼馴染がいた。もちろん彼も、そのみんなのことを大切に思っていたよ。本当に。
人生もなかなか順調に進んでいて、将来を有望視されていた……なんてことはないけど、満足に生きていけそうではあった。
だけど彼はみんなを置いて先に死んでしまった。
召喚された彼が彼としてこの世界にいた時間はほんのわずかなことだった。
魂の存在しないこの世界だからかな。すぐに何かに吸い寄せられるようにして意識を失ったんだ。意識の塊が意識を失えば存在が消えるのが当然だと思うだろう?
だけど違った。
彼は十年前にこの世界で新たな身体を得て、生を受けた。
ああ、これは召喚した魔術師の言っていたことなんだけど向こうの世界の魂は……ああ、ここではこっちの意味での魂ね。魔力の器って意味での。魂はこっちの世界より余程大きいらしいよ。
話を戻そう。
生まれ変わった彼は今もこの世界の一人の少年として生きている。
生れ変わった彼は前世より少し恵まれている。いや、少しなんかじゃないか、優しい家族がいて、仲のいい幼馴染がいるのも変わらず……面倒を見てくれる大人がいて、顔も良くて、髪もきれいで、記憶力もよくて、体もよく動かせる。魔眼もあれば精霊も見えて、武器を扱う才能も、魔法の才能もお墨付きだ。魔力は先に言った通り。
だけどね、それと同じくらい言えないことや隠し事もいっぱいしてるんだ。
魔力のこと、前世のこと、記憶のこと、未来のこと、会えない寂しさ、会いたい辛さ…………なんてね。
****
まったく面倒くさい人生だよ、と嗤えば、体中を心地よい冷たさが包んだ。青の光が目前でキラキラと眩しい。
『……レイは、あなたは、一体何を抱えて生きてるの?』
俺を抱き締めるようにした彼女は小さな声でそう言った。
彼女には、物語の続きをまだ少しだけ伝えなければいけない。
「その少年は……レイはここで生きている。けれど彼は、叶斗は、末吉叶斗は確かに死んだ。レイの中にある魂は全て叶斗のもので、叶斗はまだ生きていると言ってもおかしくないけれど、でも、向こうのみんなの中で、俺は確かに死んでしまっているんだよ」
彼女に全てが伝わるだろうか。伝わるといいな。伝わってほしい。
「ねえ、俺はみんなに何も残せてないのかな。君が言うように、もしも死んだ人間が悲しみしか残さないのなら、俺はもう、ここですら生きていられない。好きだった、大好きだった、愛していた人達に、悲しみしか残せないような自分がここで生きているのは辛すぎる。だけど、だから、俺は君みたいに思わなくて、思えなくて……母さんの、父さんの、咲良の、みんなの中に何かはきっと……残せてると思うんだ。ちょっとぐらい、かもしれないけどさ」
実体のない彼女の腕からすり抜けて、彼女を見つめる。
頬が濡れているのは彼女のせいでなく、ただ、止められなかった。
「人が死んで終わりだなんて寂しい考えは、嫌なんだ。今の俺にはできない。一度死んでしまったからこそ言える。言わせて欲しい。そんな考えは絶対に嫌だ。だから、君のその考えすら消し去りたい。俺が死んだ後も、俺に名前を与えられて良かったって思っていて欲しい。俺が次に死んだ後も一緒にいて良かったって、少しの間だったけど共に同じ時間を過ごせて良かったって、それが幸せだったって、そういう関係を俺は君と作りたい」
笑おう。
彼女なら応えてくれる、そう信じて彼女を受け入れる為に笑おう。
「だから、君に名を与えたい。ニンゲンに名前を貰えたら幸せだと心の底から願っていた君に、自分の目で世界を見たいと願った君に、名前を」
ずっと考えていた、初めて会った時からずっと考えていた名前だ。
「君の名前は、世界を包む海の青、俺の生きた世界の星の色。受け取ってくれーー」
名前を言い切ると同時に、俺は意識を手放した。よく慣れた、魔力が全部抜かれて行く感覚だ。
結果は直に分かる。
****
深い深い水の中に潜っているような感覚の中で、彼女の言葉を思い出していた。「何を抱えて生きているの」彼女の声で脳裏に響く。
多分俺はずっと抱えて生きてきた。抱えるものは、平凡でしかなかったはずの俺には少し重すぎた。
ああ、だからか。ようやく分かったよ。
世界を見たい、ニンゲンと過ごしたい、そう願った彼女の願いを叶えたい。そう思ったことは確かに本当だけど、それだけじゃなかった。
自分の全てを伝えられる彼女に知っていて欲しかったんだ。自分が抱えていることを。
……言ってなかったけど、彼女はそれを許してくれるかな。
そして浮上する。
****
「ルリ!!」
『大きな声で呼ばなくてもいいわよ』
俺が名前を呼ぶと、クスクスと笑いながら彼女が、ルリが姿を現した。
今の彼女は名前を受けたことによってニンゲンである俺の魔力も扱えるようになり、それで誰にでも見られる姿になっている。
「紹介するよ、彼女はルリ。元々この泉の主をしていた中精霊で、今は俺と契約してる」
「「……」」
ぽけっと口を開けているリーナも、意味が分からないというように目を丸めているラスも二人揃って声を失っていた。
『ふふ、はじめまして。ラス、リーナ』
「は、はじめまして!」
「……はじめまして」
ルリが挨拶をすると二人とも我に帰って返事をする。
リーナはおとぎ話の存在にも思っていた精霊様と話せることが嬉しいのか目を輝かせていた。
「レイお兄ちゃん、本当に精霊様なの!?」
「うん。リーナは初めて見るかな?」
「うん! とっても綺麗!」
『ふふ、ありがとう、リーナ』
「おい、お前、精霊って、契約って……」
「驚かないんじゃなかったのか?」
答えに窮したラスが負けを認めたように肩を落とす。俺も常識から外れている自覚はあるのでこれは仕方が無い。
『ふふふ、これからレイと一緒にいることになるから二人ともよろしくね』
「うん!」
「……う、あ、はい」
あまりあなた達とお話はできないかもしれないけどと彼女が言うと、ラスがそりゃそうだよなと納得する。
「二人が驚いたみたいに、俺とルリの関係はあんまり人には言えない。他の人には多分もっと驚かれるし、それだけじゃ済まない可能性もある。だから、二人ともここ以外でルリのことは秘密にしておいてね」
「うん、分かった!」
「おう」
二人が素直に頷いてくれるのを確認して、俺も満足する。
所詮は子供同士の口約束だから破られる可能性もあるとは思うし、口を滑らす可能性もあるだろうが、それはこの二人になら許容範囲である。
真っすぐに見つめてくれたラスとずっと俺に好きだと伝えてくれているリーナ、この兄妹にならそのぐらい許すことができる。
そこから俺は本題に移った。俺が半年間ここに通い続けたことの説明だ。
俺が去年の夏にここでルリと出会い、秋にすれ違いがあって、一昨日までそれが続いていたこと。俺の前世の存在と魔力のことを除いて一つずつ話していった。
「……レイお兄ちゃんはルリさんのことが好き……なの?」
話し終えた頃にそんな発言をするのは、静かに俺の話を聞きながらずっと複雑そうな顔をしていたリーナ。
聞いている側の胸が痛くなる声を聞くのは予想していたことだが苦しくなり、いつものように抱きしめてそっと声をかける。
キザったらしい行動だが、レイとして身についた行動だ悪いとは思っていない。
先程まで話を聞くのにも集中せずルリを眺めていたラスもまたいつものやつかと内心が顔に描いてある。
「リーナ、そりゃあもちろんルリのことも好きだけど、ルリは人じゃないし、俺はリーナのこと大好きだから、心配しないで」
『私も同じよ、安心して。ニンゲンのあなたからレイを取ったりはしないから』
「……うん」
言葉だけで納得させるのはやはり難しいもので、やっぱりこれからの行動が必要だろう。リーナに対しても、ルリに対しても。
「じゃあ、帰りも時間がかかるからそろそろ帰ろう」
『またね、二人とも』
「それじゃあ」
ルリが二人に対して別れを告げて姿を消す。
声にはしなかったリーナだけど、ちゃんと手は振ってくれた。
俺たちはそのまま家路に着いた。
『これでよかったの?』
『ああ、ありがとう』
『ううん、私も二人とお話出来て楽しかったわ』
ルリは泉にいるけれど、名前を付けたことによって繋がったパスを通して心で会話ができる。この三日間もう何度も話しているからこの感覚にももう慣れてきた。
「レイお兄ちゃん、そんなに笑ってどうしたの?」
「ううん、なんでも」
「ほんと?」
……訂正しよう。
まだポーカーフェイスを身につけられていなかったようだ。
疑わしげな目を向けてくるリーナを躱して家まで帰った。いつものように家族が待っていて暖かい食事を取る。
さて、これで全部一段落。
しばらくは学園入学に向けて頑張ろうと思う。
ありがとうございました。