説得
「ラス、今日森に来れるか?」
「……リーナは?」
「もちろん誘うさ」
「分かった、行くよ」
帰りの馬車でラスを誘った。
行きの街に来るのが洗礼式以来二度目のラスはまだ馬車というものが新鮮みたいだったけれど、帰りはもたれ掛かってこちらを見る余裕もない。
そんな状態でわざわざ森の奥まで誘うのは少し心無いようにも思えたが、早いうちに二人と彼女を引き合わせておきたかった。
「オレはもう、何見ても驚かないからな」
そのままラスの方を見ていると、ラスは顔をばっと上げてそう宣言してきた。
「なんだよ、いきなり」
「今日見て本当に確信した。お前はやっぱり変だから、何してても驚かない」
そう言ってもらえるのはありがたいが、きっとラスは驚くだろう。
「……ラスも、三年もすればあれくらいできるよ」
「い、……二年でやってやるからな!」
初日の修練にしてかなりハードなメニューをマスターに組まれたラスは、俺が楽々とそれをこなした上でマスターやジョゼフさんと互角にやり合ったのを見て改めて俺の実力を認識したらしい。
最初は見栄を張って一年と言おうとしたのだろうが、現実的な目標にシフトしたのは彼の賢いところだろう。
まあでも、俺が六歳から四年かけてやってきたことだ。十歳からなら二年ぐらいで追いつかなければ話にならない。その後の俺の成長も考慮すると、追いつくための最低ラインだ。
帰りには剣のコツだとか何考えてるかだとか聞かれたから、あれこれ先輩面しながら答えてやる。素直な少年に勿体ぶるほど意地悪ではないつもりだ。
****
「分かった! 行く!」
帰りにラスの家に寄ってリーナを誘えば、二つ返事で了承された。お互いの親には、深層へ行かないこと、リーナのペースはちゃんと考えること、日が暮れる前に村へ戻ってくることをきちんと伝えておいた。
……リーナはすぐに決めたけど、トラウマなんてものは残っていないのだろうか?
それで午後。
「約束破っちゃった……」
「お母さんとお父さんには秘密な?」
「……うん!」
俺が人差し指を立ててそう言うと、罪悪感が冒険心へ取って代わられたようだ。
素直なリーナは可愛いが、素直すぎると逆に不安が生まれてしまう。教育を間違えただろうか……。
そんなことを頭の隅の隅で考えつつ、森の深層までは歩いて向かう。森で走るのは禁物だと俺もラスも教えられているし、今日はリーナも連れているから歩く以外に他はない。
俺に手を握られ嬉しそうに歩くリーナに怖くないと尋ねると、俺が居れば怖くないと断言した。
その言葉を聞いたラスが先日のことを思い出したのか複雑そうな顔をしたが、強くなるしかないのだという自覚はあったようだった。
「さあ、着いたよ」
「……わぁ……」
「何だ、ここ……?」
森の中を一時間以上歩いて、ようやく泉に到着した。
精霊が見えない二人にもこの泉の美しさと、森の中では異質な空間であることは分かったようだ。
「さっき言った会わせたい相手を今から呼ぶから、彼女と会っても驚かないでくれよ?」
辺りをキョロキョロと見回す二人を横目に、俺は彼女の名前を呼んだ。
****
話は二人を助けた直後まで遡る。
俺は、気絶した二人の体勢を整えてから、暴君羆の解体に移っていた。この半年間、狩人のように活動してきた俺が深層の魔物の最上位種である魔物の素材を無駄にしようなんて思うはずがなかった。
「あっ」
持ち帰るべき部分だけを選別して解体を始めようとして、ミスリルナイフを取り出した時に大切なことを忘れていたことに気がついた。
体を今来た方へ向けて、大きな声で伝える。
「水精! 伝えてくれてありがとう! 君がいなきゃ二人を助けられなかった!」
精一杯の気持ちを込めて頭を下げる。
「……今日は二人を村まで送らなきゃいけない。だから、明日。いつものように君のところへ行くから! 君に伝えたいことがあるんだ!」
頭を上げると、薄らと感じていた彼女との繋がりは切れていた。
けれど、きっと、届いているはずだ。
****
次の日はギルドに行かなかったから、早々に家を出る予定だった。
午前はリーナが雨上がりの泥の中を突っ切って我が家に遊びに来ていたので、久しぶりに全力で構い倒していた。怖い思いをした彼女への償いも含めて。いつ触れても彼女の体温は心地よい。
午後の予定を聞かれた時には森に行くことをしっかり伝えて、全部片付いたあとに全部教えると約束した。
リーナも俺の家で一緒に昼食を取った後、俺はみんなに見送られながら森へ向かった。いつものペースで進めば、泉までは十分程で着く。
途中に遭遇しかけた魔物は全て威圧で散らしながら進んだ。狩りなんてやってる気分じゃない。
辿り着いた泉はこの半年と同じように何の音も持っていなかった。
「やあ、水精。約束通りちゃんと来たよ」
包み込む静寂を切り裂くように、軽い口調で語りかける。返事がないのもいつも通りだ。
今日はこの"いつも"を終わらせるためにここに来た。
「今日は雨が降ったね。この世界の雨は水の精霊様の恵みって言うけど、絶対君、そんな仕事してないよね……」
挨拶がわりに軽口を叩きながら、また一日の事を話していく。
「……今日のラスがすごくいい目をしてたんだ。驚いた。子供の成長は早いって言うけど、たった一日でああまで変わるんだって思わなかったよ……」
「……午前はリーナが遊びに来たよ。昨日あんなことがあったのに元気に笑って飛びついてきた。子供の体温ってすごく温かいんだ……」
適当に話を区切った後、顔を上げる。
「ラスがこれから成長できるのも、リーナが今笑っていられるのも、君が居なくちゃどうしようもなかったんだ……」
彼女がいなくなってから、ずっと考えていたことを伝える。
「……お礼に、君にプレゼントを送りたい。俺から、君に、名前を。どうかな?」
精一杯の心を込めて、目の前に立つ、泉の中精霊へと伝えた。
今日は泉に入った時から、彼女はその湖面に佇んでいた。久しぶりに目にしたその、人の領域を超えた美しさは何も変わらなかった。
ただ、ニンゲンが好きなんだと俺と少し話すだけで楽しそうにしていたあの頃と違ってただ押し黙る彼女の姿からは、隔絶した存在に対する畏れさえ芽生えそうになる。
けど、そんなことは関係ない。
もう一度彼女の笑顔を見れるように、俺は名前を送る決意をさらに固めた。
『……ごめんね、レイ……私……もらえない』
彼女が最初に示したのは拒絶だった。
「理由を、聞かせてくれる?」
俺は彼女の言葉が心からのものであると知りながら尋ねる。
やり切れない思いが彼女にあると分かっていて、俺も今さら簡単に引き下がるわけがない
半年間毎日ここに通い続けてそんな結末は望んでいるはずがないのだ。
『あなたと私じゃ、時間が違いすぎるの』
「……」
『私たちはもし一緒になっても、たった五十年。千の季節も越えられない。そのくらいしか一緒に居られないのよ』
「じゃあ、たった五十年だけじゃないか。そのぐらい付き合ってくれよ」
返事は歯切れの悪い、迂遠なものだった。
彼女の心に身を委ねつつ、次の言葉を待つ。
『あなたは、そうやって言えるわ』
「……」
『残されるのは、あなたじゃない。あなた達じゃない。ニンゲンより、エルフより、ずっと長い間記憶を繋いで、あり続ける私たちの方だもの。だから、あなたは、そう言えるの』
人と精霊というものは根本的に違う存在だ。
身を持ち、朽ちるまでの生物である人と、自然の一部として、自然を生み出す機構として、この世界が果てるまで存在し続ける精霊。
その二者の関わりの中で、人から精霊へもたらされる最も大きなものは、有限と無限の差によって生まれる確定された別れだ。
それは彼女らが人と触れ合ってきた歴史の中で理解しているのだろう。誰に目をかけても、言葉を交わしても居なくなってしまう。
ああ、そのことが彼女たちの問題であることくらい分かっている。
『あなたと一緒に世界を見られたら、それはきっと楽しいわ……けど、私に残るのは悲しみだけよ』
彼女はそう断言した。
強い拒絶。生まれて間もない彼女でも、水精としての記憶を持っている。人との別れを知っている。
『あなたに名前をもらえれば、ニンゲンのあなたと一緒にいられれば、それはきっと、今までで一番素晴らしい時間になるわ。だけどね、それが失われてしまえば……私はきっと耐えられない。なのに、私は世界に在り(生き)続けていかなきゃならない』
納得を促されているのだろう。
諦めることを望まれているのだろう。
だけど、俺には彼女の言葉はどうしても飲み込めない。
「…………そんなのってないよ」
『……何?』
「俺が死んだらそれで終わり。楽しかったけど、俺が居なくなればそれで全部ゼロ。その先ずっとマイナス。はい終わり。そんなのってないよ」
『……』
彼女の考えがもし正しいのなら、俺は……。
「俺が死んだ時、君に与えられるのは悲しみだけか? 君にはそれ以外何も残せないのか? もう一回思い出してみてよ。絶対それ以外のものも、それ以上のものもある」
『……』
「死んだら全部終わりだなんて、そんなことがあるはずがないんだ。笑い合って、支えあって、その上で生まれた関係が、そこにあったものが全部無くなって悲しみだけが残る。そんなわけがない!! そんなはずがない!!!」
心に湧く激情が口調を熱くする。
願わくは彼女にそんな考えはして欲しくなかった。
けれど、仕方がない。彼女がそう思うなら。
俺にできることは、変えてやることだけだ。
『……あなたに、何が分かるっていうの』
熱くなった言葉に返された声の色は今までに聞いたことのない、熱を寄せ付けない水の冷えきった色。
そこから伝わってくるのは強い拒絶と深い悲しみ。その中で目に映る彼女の青は酷く寂しげに見えた。
『あなたは心から繋がった人に置いていかれたことがある? どれだけ愛しても何度も何度も、必ず置いていかれる私たちの気持ちがあなたに分かるの!?』
締め付けられた心は彼女のものか、彼女の言葉を聞いた俺のものかよく分からない。多分どちらもなのだろう。
でも、俺はここでどうしても否定しなければいけない。
「分からないよ。誰かに置いていかれたことなんて思い出してみても一度も無いから」
『じゃあもう……』
話を終わらせようとする彼女を遮る。
確かに俺は置いていかれる気持ちなんて分からない。
「けど、俺にも分かることはあるよ。君が君だから分からないことが」
『……何?』
ここからが切り札だ。
ここまで事前の推測から大きく逸脱した話は飛び出してこなかった。
この半年、彼女との会話を何度も思い出し、何度も理由を考え、何度も次に会えたらどう説得するか考えていた。
今から俺が切るのは、俺にしか使えないカード。
これが不発なら……あとは力づくしか選択肢はないな。
一つ肩の力を抜いて俺は言い放つ。
「置いていく側のことを、君は分かってないんだよ」
人と精霊、有限と無限、精霊にしか分からないことがあるのなら、人にしか分からないこともあって当然だ。
……まあでも、これに関しては俺ぐらいか。
彼女が虚を突かれたのを感じて。俺は、多分ちょっと不敵で、それよりもっと自嘲的に歯とを見せた。
ありがとうございました