救出
『死ねよ』
生々しい破裂音を聞きながら、自分でもぞっとするような冷たい声色で、この耳には馴染んでいない言葉が漏れていた。
……ラスやリーナには聞こえなかっただろうか。
視界の端にしか捉えていなかったピンクの髪の兄妹の方に目をやると、兄の方が大きな目をこれでもかと見開いたあとに力無く崩れ落ちた。
一瞬心配になったが魔力の巡りは正常だから気を失っているだけらしい。
ほっと息をつきかけたところで、足元に転がる死体を検める。こちらはしっかりと魔力の反応を失っているから一撃で仕留めれたのだろう。
周りの気配を確かめてこれ以上の魔物はさっぱりと見当たらないのを確認すると、体の力が一気に抜けたのでそのまましゃがみこんだ。
『……よかった』
リーナもとっくに気を失っていて、誰も俺のことを見てはいない。今ぐらいは日本語でもいいだろう。
『よかった……よかった』
感情に呼応して暴れ回っていた魔力がいつものように収束されていくが、いつもより強く波を打つ。
……やっぱり、人のいる前で泣いたりはできないな。
****
俺は水精の声と導きに従って、ただひたすらに間に合わせることだけを願い森の中を走っていた。
足に、肺に、腕に、頭に、速く走るために、二人に届くために必要な強化を最大限までかけた状態だったし、森中の青の精霊達が目的地まで途切れずに並び、人の進める最短距離を示してくれていた。
…………それでも、もどかしい……!
魔力で加速された思考は冷静にルートの把握に務め最善の強化や精霊への指示を行っていたが、それと同時に俺の時間まで引き伸ばし正しい時間の把握を困難にしていた。
障害物を最速で排除して足場の悪い森をこの速度で動く為には必要な強化だけど……最悪の想像が頭に過ぎるのを止められなかった。
精霊の泉は深層に入って一キロ程のところにある。水精が俺に教えてくれた頃にはもうラスたちが魔物に遭遇していたと考えれば、いくら走っても間に合わないのではないかと頭は考えていた。
……見えた!!!
俺は右斜め後ろから、小川を渡りきったその巨体を捉えた。視界の端に恐怖に顔を染めた二人を捉えて、理不尽な怒りと奪われる恐怖が一気に湧き上がっていた。
……ふざけんじゃねぇ。
そこで全ての魔力が開放された。異常な魔力の広がりに、ただでさえ魔力に敏感な獣はこちらを向こうとした。そう、向こうとしただけだ。
『死ねよ』
三メートルにも及ぼうかというこの森の最強種である暴君羆の頭は、ただのニンゲンの右足の蹴りによって血飛沫に変わった。
****
後ろを振り返れば、ここまでやって来る間に通って来た道はほぼ一直線に風穴を開けていた。移動中は上下左右に動いていたつもりだったが、ほとんどの障害物を弾き飛ばしてここまで来たのだと分かる。
冷静に情報を整理すれば、俺が水精の報告を受けてから暴君羆を蹴り飛ばすまで十数秒も経っていない。
まさか森の中を時速百キロ近くで突っ切れるとは思っていなかった。
……しかし、どう説明しようか。
せっかくのCランク素材を無駄にはできないから作業のために立ち上りつつ、次の問題に頭を巡らせてみた。
****
「……レイ」
「よう、ラス。やっと起きたか」
声が聞こえたのは素材の解体、処理、隠蔽を終わらせて魔力の特訓に集中してから一時間ぐらい経った頃だった。こういう時に強引な気付けをしてもいいか分からなかったからずっと放置していたのだ。
考えにも整理が付けたかったし。
「お前……何でもない」
「いや、絶対何でもなくない」
口ごもるラスに突っ込みを入れると、ラスは複雑そうな目をこちらに向けてきた。
「……ううん、まずは、ありがとう」
「どういたしまして」
感謝の言葉が先に出てきたことに少し驚いた。素直な部分は子どもの……いや、彼自身の美徳だろうか。
「……」
「なんか聞いてくれてもいいんだぜ? まあ、答えられない質問の方が多いんだけどさ」
「……やっぱり?」
素直に納得されるのはこちらとしては納得がいかないが、やっぱりと言われてしまうのも頷ける話なのだ。俺の擬態に無理があるのは薄々気づいていた。
「俺が色々隠してるのって、やっぱバレてた?」
「……うん、そりゃあ」
俺が肩を竦めると、ラスは力無く笑った。どうにも子供らしくないその笑みが俺は少し気に入らなかった。
「とりあえず、帰ろう、暗くなる前に」
****
その後、目を覚まさないリーナをラスが担いで村までの道をゆっくりと歩いていった。
ラスは死に目にあったというのにリーナは自分が運ぶと言って聞かなかった。俺の存在のせいかあまり仲の良い兄妹とは思ってこなかったけれど、今日のことで思うことができた、というところか。
「……」
「……」
道中は二人とも無言を貫いていた。迂闊に話せない俺と、何も聞けないラス。その中で話題は見つからなかったからだ。
「……なあ」
中深層を抜けた辺りで口を開いたのはラスだった。
「レイはさ……なんで……」
そこでまた口ごもる。ラスが何か言葉を取り消すのは、決まって俺の前でだけなのもなんとなく分かっている。
というか普段はもっとガキ大将をやっているし、親に対しても子供らしい尊大な態度を取ることも多い。俺の母さんやじいちゃんばあちゃんに対してもそれは変わらない。母さんに対してはちょっと照れが入るけれど。
俺に対するラスの言動の根底にある感情は、俺も見知った感情でまず間違いないだろう。子どもの感情はハッキリ目に見えるものだ。
「聞いてくれてもいいんだぜ? 言えるかどうかは別だけどさ」
「……なんでそんなに強くなれるんだ?」
うん、間違いない。その質問に先程の推測が当たっていることが確認できる。
「大切な人を守りたいからだよ、……さっきみたいにな」
俺がそう答えるとラスの顔がぐっと歪む。
格好付けた理由だけど、半分は本当だ。
「……なあ」
「聞いていいんだって」
「オレ……お前みたいになれるかな?」
ラスが立ち止まった。声が震えていたのは聞き間違いなんかじゃないだろう。
死に目を見て、同い年の子供に助けられて、その子供にはこれまで差を見せつけられていて、だから彼はこう尋ねる。「お前みたいになれるか?」と。
ストーリーとして切り取れば、ラスの人生に大きく関わる成長フラグイベントだ。
「いや、ないだろ」
だけど、俺はそれを否定する。
「……だよな」
なぜへし折るのか、そう聞かれれば今のラスの返事に収束されていく。
別に幼馴染の成長を願っていないわけじゃないのだ。
「だって、ラスの方が背高いし、髪の色違うし、顔違うし」
「……へ?」
「いや、だって、俺みたいになれるか聞いたんだろ? 無理無理。別人だもん」
「……おい」
「むしろ俺がお前みたいになりたいね、身長も高いし妹も可愛いし。余計なことも考えなくて済むし」
「おい!!!」
軽い調子で、馬鹿にするように俺が言葉を並べ立てるとラスが怒る。
「悪い悪い、お前の言いたいことぐらい分かってるよ」
「分かってねえよ!!!」
ここまで怒鳴るラスは初めて見た。まあ、死に目にあって深刻な面持ちで聞いた質問を茶化されればそりゃあ怒るか。
「強くなりたい、って本気で思ったんだろ? 死にかけて、ようやく」
「⋯⋯っ!」
「だったらさ、俺なんて関係ないだろ」
ラスのそこに眠る感情。それはきっと俺に対する劣等感。嫉妬。それらの入り混じったコンプレックス。しかも相当頑固で複雑なそれだろう。
洗礼式のあたりから、いつかこうなるのではないかと薄々自覚はあったが今になってようやく表出した。
ラスは俺が居なければ村ではダントツの存在だ。あらゆる能力でトップにいたはずである。
けれど、俺がいた。
もちろん、事実として俺がいる訳だからダントツになれないのが現実なのだが、 ラスたちの表現を借りれば、俺が変だから、何かが拗れた。
俺は明らかに変だった。明らかに村の中で異質で八歳になる頃には毎日街へ出ていた。
だからラスは中途半端にガキ大将で、中途半端に優等生なのだ。それで今日まで俺は見向きもしなかったから拗れ続けた。
普通のガキ大将は自分より上の存在を知らない。普通の優等生は自分が上に立てないことを知っている。
ラスはガキ大将をやればそこに居ない俺に負けていたし、優等生をやれば俺はそこに居なかったのだ。
結果として生まれたのが、俺の存在を変だと受け入れることによって自分が一番だと納得しようとするが、どうしようもなく俺に負けていると自覚する今のラス、だろう。
「俺なんて関係なく、お前は強くならなくちゃいけないんだよ。お前の感情全部当ててやろか? 見ただけで死ぬって思った魔物を俺が倒して、挙句自分は安心してチビってぶっ倒れるんだ、情けねえよな?」
「……」
本当の子供であるラスにこんなことを言うのは心苦しいが、俺はこれ以外のやり方が思いつかない。
ここから永遠に俺の虚像に取り憑かれるのなら、ここで諦めて何も変わらないようなら、全部今ここで傷をつけてでも取り払って、先に進んだ方が何千倍いいに決まっている。
伊達に十七年長く生きてないし、伊達に一度本当に死んでもいない。ラスが俺のせいで拗れたんなら、俺に言えることは言わなきゃならないはずだ。
「嫌なんだろ? 情けねえんだろ? 惨めなんだろ? お前がそれを一番分かってるはずなんだ。だったら俺がどうこう言う前にお前は……」
「レイ、お兄ちゃん……」
「……リーナ!」
……皆まで言わせてほしい。じゃないとただ嫌なやつだ、と文句が言いたいところだったがこれは仕方がない。
一つ息を吐いて仕切り直す。表情も。
「ラス、俺の言ったこと考えろよ」
「……分かった」
「あとリーナ、ラス、今日のことは全部秘密。俺が何してたのかは……多分すぐに話せるし」
「……うん」
俺がリーナに視線を合わせて微笑むと、びっくりした顔をしたのはラスだ。言える秘密と言えない秘密ぐらいとっくに整理している。
「じゃあ、家に帰ろう」
流石に俺も今日は疲れている。早く家に帰りたかった。