騎士
十歳の夏はただひたすらに武器を振り続けていた。
昔のような素振りだけではなくギルドでのマスターや他の冒険者達との組手に、森の深層での魔物狩りと、見習い登録もまだだけれど本当に冒険者になった気分だ。
秋を迎えた今、木刀以外の武器の扱いにもいくらか慣れてきて、軽量の武器ならDランク冒険者とならほぼ互角にやり合える。
純粋な戦闘経験という下地がある上に、以前より手合わせの回数も増えている分、どの武器も基本的に上達速度が上がっていた。
「アンさん、今日のこれお願いします」
「分かったわ、今日は何を持ってきたの?」
「いつもの薬草と殺人熊の胆を三つに、突撃猪の牙が八対、あとは溜まってた魔石を五十ぐらいです」
持ってきた麻袋三つをギルドのカウンターで手渡す。
いつも通りのやり取りで、俺が冒険者ギルドに所属していなくとも誰も咎めたりはしない。
ギルドマスターの認めた者は売買が可能というルールがギルドで定められているからだ。ちなみに成人に限るとかそういうルールが明記されたりはしていない。
「いつも通り多いわねー、本当に十歳なの?」
「はい、ピチピチの十歳です」
「もう、おばさんじゃないんだから」
いつもと同じような会話をした後に裏の修練場に向かった。
「今日は昼には客が来る。いつもより早く切り上げるぞ」
「お客さんですか。珍しいですね」
最近知ったことの一つに、このウォーカー伯爵領の領都ウォーカーがこの国の辺境の方だということがある。そんな田舎にはわざわざ仕事を求めた冒険者以外のお客が来ることが滅多にない。
「ああ、昔仕事で知り合ってな。用事でここいらに立ち寄るそうだから会いに来るそうだ」
「マスターが今より強かった時のことですか」
「現役と言え、現役と。そいつぁ元騎士だ」
「騎士……ですか」
洗礼式の時に騎士か冒険者になると言ったが、俺はこの十年で一度も騎士という存在に出会ったことがなかった。
この街の騎士が住むのは街の北、神殿のさらに奥の貴族区域だ。平民出身でも騎士となれば住まうことが許される。
貴族街は苗字を持たぬ平民が行ける場所でもないうえに、騎士たちは出かけるのも北の門からだから鉢合わせたりもしない。
そういえば領主様の顔を見る機会なんてこれまでなかったが、ちゃんと働いているのだろうか?
貴族街に住むことが許される身分で見たことがあるのは街や村に来る徴税官ぐらいのものだ。
「ああ、それも王国騎士の……これ以上はいいか。まあ、強いぞ」
「へえ……」
「暇そうだったら頼んどいてやろうか?」
「ぜひ」
でも叶斗時代、正確には霊魂時代に王国騎士団の団員は一度だけ見たことがある。
召喚された三人を案内していたのがそうのはずだ。その後に見たのが近衛騎士団だと思われる。
王国騎士団、近衛騎士団、神殿騎士団の三つが王都にはあるらしい。
そして王国騎士団が本当の一握りしか選ばれないスーパーエリートであることは知っている。
「今日は最初に相手をしてやるから、そっから誰か適当に引っ掛けとけ」
「はーい」
その日の対決、俺は槍と長剣と木刀を使って、計二十本、木刀で二本を取って終えた。
やっぱりこの体で長剣だと振り回されてしまう。
****
『こんにちは、レイ。今日もドロドロね』
「やあ、水精さん。今日も頼める?」
静かな泉に聞き慣れたチャポンという音が響く。
やはり何度聴いても心地よい音だ。
「ありがとう。君のお陰で気兼ねなく狩りができる」
『理性無き魔物は私たちにとっても邪なる者よ。こちらから礼を言うべきだわ』
生まれて数年の彼女はとても物知りだ。
というのも、精霊というのは同じ属性全てが一つの自分らしい。
最上位に大精霊という属性の長がいて、大精霊が世界に広がる自然に対して精霊を分配していくらしい。
『だから、私もみんなと同じだけの記憶を持っているの』
俺が生まれてからこの泉に現れた彼女でも、記憶だけは大精霊のものと同じらしい。彼女は水精全体のことも自分のことも「私」と呼ぶのでなんとも紛らわしい。
いや、まあ、一が全であるからそうなるのだろうけど。
ちなみに彼女は中精霊で、こうして強い自我を持つのは中精霊からだそうだ。意思疎通ができる綿毛みたいなのが小精霊、そこら辺にいるチビの羽虫精霊は微精霊と言うらしい。
ただ、記憶を持つのも新たに記憶するのも大精霊と中精霊だけだそうだ。
それ以下の綿毛とチビとも意思疎通は出来るがそれ以上ではないという。
彼女からは精霊について色々なことを聞いた。
俺は彼女に真名があるのだと思っていたけれどそういう事ではなく、精霊にとって名前というのは人が付けるもので、名付けはその名を与えてくれた人との契約ということになるらしい。
だから、ただの中精霊である彼女を、しがないニンゲンの俺が名前で呼ぶことはできないそうだ。
過去にこの世界へやってきたサムライなんかは契約ができたみたいだから、俺にもできないことはないと思うけれど、それはまだ秘密だ。
ここでは俺からも色々なことを話した。
村での生活のこと、家族のこと、友達のこと、マスターやギルドのこと。
ニンゲンの生活を、俺の視点からの話をたくさん聞かせた。
眩しく見つめる彼女が喜んでくれるから。
『私たち精霊はね、みんな例外無く、あなた達ニンゲンのことが好きなの』
出会った次の日、彼女はそう俺に伝えてきた。
『私たちとは全く違った生き方をするニンゲン』
『限りある命を燃やすように生きるニンゲン』
『私たちとは違った在り方を求めるニンゲン』
彼女たち精霊は記憶を引き継ぎ、永久を生きる。
この世界が生まれたいつからか、彼女達はこの世界で"精霊"として過ごしてきた。
『だけどあなた達はニンゲンとしてではなくて、それぞれとして、個人として、生きていくわ。その姿は私たちにとってはとっても眩しいの』
『エルフやドワーフよりもっと限られた時間しか過ごせない中で、最も輝くあなた達が一番広くに住む理由を私たちは知っているの』
あまりそちらに気づいてもらえないのだけど、そう彼女は笑っていた。
その時は、胸の奥がぎゅっと握りしめられるようで。
聞く限り、彼女たち精霊をハッキリと見られるニンゲンは数十年に一人ぐらいしかいないそうだ。
大きな精霊の存在に感づくことが出来るほどのレベルはちらほら居るらしいが、その多くは魔力を上手く扱えないのだろう。
精霊眼を開くには魔力の操作が必要だ。
『もしもニンゲンに名前を付けてもらえて私も一緒に過ごせたらと考えるけれどね……』
その後にも言葉が続けられた。
言葉よりもっと、彼女から伝わった感情に俺は何も言えなかった
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次の日になってギルドへ行くと、修練場にはマスターともう一人男性が居た。
昨日言っていた騎士の人だろう。
年齢は今年五十を迎えたじいちゃんよりやや若そうだった。長めのブラウンの髪を後ろに纏めていて、所々に白髪が見える。じいちゃんはもともと白っぽいけ茶色だけど、その中でももうだいぶ白い。
属性は光と火のダブル、魔力量はマスターの数倍あるから俺がマスター以外の前で設定している量よりもずっと多い。ラスと同じくらいだ。
でも体つきや立ち姿を見るだけで分かる、すごい人だ。
「おはようございます、マスター。そちらの方は」
「ああ、昨日話していた元騎士だ。元な」
「! ……この子がイアンの言っていた子なのか?」
元騎士の彼が青の目を見開いて俺を見る。
このぐらいのリアクションには慣れている。大体初めて会う流れの冒険者と顔を合わせるとこんな感じだ。
「初めまして、トルナ村のリーンの息子のレイと申します」
「あ、ああ。初めまして。私はジョゼフ・スターリング。元々騎士をやっていたものだ。……君に姓はないのかい?」
「はい、父はいませんから」
「そうか……いや、すまない」
お互いに初対面の挨拶をして、恭しく握手をする。
こういった礼儀に、元メイドで城ではグループの統括役までしていたというばあちゃんは結構うるさい。
姓が無いのはここら辺では普通にあるのだが、王都の方では違うのだろうか。
考え込んでいたような顔から、気を取り直してにこやかな笑みが浮かぶ。
「君の話はイアンから聞いたよ。あの"風爪"にああまで言わせる少年が」
「おいジョー、そういうのはいい」
「まだまだです。手加減してもらってやっと、勝てたのは何回かだけ」
充分な謙遜をしてから「ああ、って何言ったんですか?」とマスターに目を向ければ、「うるせえ」とだけ返ってくる。目で。
「そうだジョー、いつまで街にいるんだ? こいつの相手もしてやって欲しいんだが」
「ああ、もちろんいいさ。先は未定だ。いつでもいい」
「本当ですか! やった!!」
「俺も何度か相手をしてもらっているが、ジョーは教えるのがうめえ。対人なら、王国の誰より特訓になるぞ」
「よろしくお願いします!」
「ああ、よろしく。じゃあ、早速やろうか」
****
"聖壁"ジョゼフ・スターリング、その二つ名を知るのは修練が終わった後のことだった。
その時の俺はまだ、その名を知らない。
ただ、壁であること、絶対に割らせない壁であったことは確かに感じた。
隙が無い。彼を評するのはその一言に尽きた。
ジョゼフさんが構えているのは何の変哲もない一振りの長剣。この国で最もオーソドックスな武器だ。
相対して思い出すのは数ヶ月前、マスターと初めて会った時のこと。圧倒的な強さを持つマスターに勝ち筋を見つけられなかった。
彼を前にしても同じだ。いや、あの時以上かもしれない。
俺の身体強化一割、常人の身体強化を凌駕するそれをもってしても魔力を使わぬ彼から一つたりと勝ち筋を見つけられない。
守るための剣、ただ相手から身を、守るべきものを、守ってきた剣だと実感させられる。
これが王国騎士団……
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「ありがとうございました」
鐘が鳴ったところで距離をとって一礼する。
数十分連続で打っていたがお互いに息切れもない。
俺は回復をしたが、この人は魔力も体力も使っていないのだ。
悔しい。でも、それが嬉しい。
ジョゼフさんはいつまでこの街にいてくれるだろうか。
剣術の完成形をこの人に見た。
この人から学べればまだまだ強くなれる。間違いなく。
「……なるほど、十歳とは思えないな」
ジョゼフさんが袖をめくって擦り傷を確認する。
俺は勝ち筋は見つけられなかった。けれど、ごく浅くだが、身体強化を使った最初の一撃だけ彼に一太刀を浴びせた。
その後はこてんぱんにやられてしまったけれど、驚かすことぐらいできたようだ。
「ジョゼフさん、それではしばらくの間お願いします」
「ああ」
「じゃあマスター、この鬱憤をはらさでおくべきか、です」
「どんな言葉使ってんだよ、まあいい俺も滾った」
連続でマスターとの仕合。
慣れた軌道に慣れた癖。けれど俺より全てが上だ。
まだまだ先は長い。まだまだ。
****
『レイ、あなたはどうして強くなりたいの?』
「みんなを守るため、かな」
その日の午後に泉の水精霊からそう尋ねられた。
いつも通りの回答を俺は答える。
『それだけじゃないのでしょ?』
「ニンゲンの考えることは難しいのさ」
俺がいつか彼女が言った言葉を引用してそう答える。
口を尖らせた彼女から猜疑の念が送られる。
みんなを守りたい。これは偽らざる本音である。
じゃあ、一番最初に思ったことは?
我ながら心に蓋をする技能は随分と上がったと思える。
「まあまあ、強くなりたいってことは変わりないからさ。で、今日はさ、王国騎士団の⋯⋯」
そうして俺はいつもやっているように、彼女へと一日の出来事を話していくのだった。
ありがとうございました。
これからは五日おき、5の倍数日に更新する予定です。
緩めのペースとなりますが、お付き合い願います。