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夜は明ける。

 不意打ちの一手こそ真正面から食らったもののそれ以外にほとんど傷はなく、周囲への破壊さえ最低限に抑え込み、最初に狙われた師匠が耐え忍んでくれたおかげで彼以外の負傷者もゼロ。


 今晩の戦況を冷静に整理すれば、俺と桜木にはそれだけの力の差があることを示していた。


 十六年、この世界を生きるだけだった転移者。

 十五年、この世界で育てられた転生者。


 復讐心やその執念は動機であり、熱量である。だけれどその熱は直接成果や結果に結びつくわけではなく、自分を動かし、培わなければ身に付かないものがあると俺は知っている。


 大半がそうなり得なかったのだろう十六年と、恵まれ続けた十五年。


 俺にもう少し熱が足りていなかったり、今に満足して積み重ねることをサボっていたらまた違ったかもしれなかったけれど、色々と、追い求め続けてきた十五年間だった。

 生まれついた運や、そこから巡り合った環境があまりにも恵まれていた上で。


 深夜二時、実弾のストックが尽きたようだった。レールガンが使われなくなった。


 深夜三時、回復薬を含め、桜木大翔の魔力の底が見えてきた。


 深夜四時、それでも打ち込まれる魔力弾の手数が減らないことに、俺は奥歯を噛み締めた。


 初夏の夜明けは迫り、間もなく朝日が昇る。


 外の様子は眠りこけるラスたちを守るカイトらの目を通してよく分かっており、嵐の雲が朝日を遮ることは無い。


 この戦いは終わる。

 間違いなく、俺が勝利して終わる。


 俺の魔力も擦り減っていたが、俺にはまだ回復する手段がいくらだってある。回復薬も比べ物にならないほど蓄えていれば、自分の魂を触って命を前借りするやり方だって使える。

 ここから、どう足掻いても負けようがない。


 だから、気付いた時から噛み締めていた歯を解いた。

 どうしようもなく筋違いであることを理解していても、叫ぶために。


「生きろ!! 桜木!!!」


 この世界で生きることは不本意であるかもしれない。

 この王国で安寧を生きることはほとんど不可能なことだろう。

 誰にも愛されないかもしれない。


 けれど、彼が決して一人になることはない。

 名を渡した精霊が寄り添ってくれていることがどれだけ孤独を救ってくれるかを、俺は知っている。


「帰らなくてもいい! この世界で、チート使ってでも、好きに生きりゃあいい!!!」


 正真正銘の、俺の本音。

 抑え切るのが面倒になった魔力が、声に乗る。

 届いてくれと思って、声に乗せる。


 彼は罪を犯したのだろう。

 犯したけれど、それはきっとあまりにも、あまりにもどうしようもないことばかりで。

 自分の力が何かに利用されて望まぬ道を強いられることも、かつての俺はずっと恐れていたから、そのくらい分かる。


「生きろ!!!」


 俺も言い放ったからには責任を取って目を光らせ、道を誤ろうすれば俺が止めて、生かす。

 必要とあらば、どこまでだって助ける。


 俺の言葉がどれだけ虚しく響いても、桜木に伝えておかなければ俺は動けなかった。

 その道があることを伝えておいたと自分に言い聞かせられなければ、俺は──。


 明朝五時、夜が明ける。

 復讐は終わる。


「死ぬな!!!!!」


 俺は、俺だけは許したくなかった。


 彼がどれほどの痛みを負ったか、知らない。

 彼がどれほどの絶望を知ったか、知らない。


 彼がどれほどの罪と向き合い続けたか、知らない。


 知らないけれど、だから無責任にもほどがある言葉なのは分かっているけれど、そうだけど。


 ──或いはそれは言い訳で、俺の不覚悟であり。


 目が合って、彼は空を見上げ、俺は目を瞑る。


 彼の精霊が作り上げていたドームは取り払われていた。


 今、彼の瞳に映るのはまだ空に残る、この世界のホシと呼ばれる光の粒たち。

 日によって変化する模様はあまりにも不規則であるためこの世界ではそれらが個々に区別すらされず、光であることだけを認識されるが……


 雲の切れ間から見えた、ただ一つだけ俺たちにはわかる、世界ホシ

 どれだけ小さくなろうとも、大きく輝こうとも、決して見間違えることのない世界ふるさと


 直後、市壁の奥から朝日が差した。

 地平線から浮かび上がったこの世界で太陽と呼ばれる一つの光に、空は塗り潰される。


「レイ、つったか」


 静かな言葉を溢した彼の内側では魔力が奔流している。


 彼一人でなく、夜闇を消した精霊さえ手伝うそれは、相対する俺を巻き込んだたった一つの結末を描き上げることを伝えていて──


「レンさんなら、止めるぜ?」


 彼にとっての、レンとは。

 彼を守るために尽力しようとした、一人の騎士。


 その血を受けた俺に与えられた時間はたった一秒。

 魔力の残量は一割に満たずとも起こりうる破壊の大きさは想像に容易く、中精霊に抵抗されるのであれば易々と制御を奪うこともできない。


 ────できることは、何を握るかの決断だけ。


 腰に下げた短剣に触れ、このインターンの間ずっと使っていた剣を手元に呼んで息も吸わぬ間に。


 ──────踏み込み、振りぬいた。


 自分の学んできた、型の通りに。

 守るべきものを、守るために。


 手応えは何にもない。

 くぐり抜けて、返り血すら浴びていない。

 起爆すれば周囲数百メートルを巻き込んで、防ぎようのなかった魔力の爆発は起こっていない。


 二秒。


 息を止めたまま振り返れば、一晩中ろくに姿も見えなくて、終いには名さえも分からないままだった夜の精霊が朝焼けの中に佇んでいた。

 彼女は流れる血すら溢すことなく、優しく抱き上げた亡骸と共に音もなく姿を消す。


 たった今、個としての彼女は消えて、一つの闇精霊に戻って行ったのだ。


 最期に、彼の死を援けて。

 ニンゲンを愛する精霊が名を与えた主の死の背中を押す意味を、ルリやヒスイたちに助けられて生きて来た俺は、知っている。


 精霊は愛した人の願いを叶えるために力を振るうのだ。

 ああそうだ。あの瞬間の桜木大翔の魂に残された願いは、ただ一つだった。


 共に生きることを選んだはずの彼女が翻意さえ請わず、優しく受けれ入れるほどの痛みを伴った、彼の願い。


「………………っ、はーーー………………」


 少し、息を呑んで、深く、深く、息を吐く。

 それから、吸う。


 誰であれ、生きていて欲しかった。

 誰であれ、死んで欲しくなかった。


 誰であれ、殺したくなんてなかった。


「………はーーーーーーー………」


 だけれど、チートみたいな力を与えられたとして、何でも思い通りになるほどこの世界は甘くない。


 十五年をこの世界で生きて尚そう考えていることを隠せなかった俺に、この世界で十六年を生きたあの転移者は道理を教えていった。

 彼がこの世界で理解したのだろう、道理を。


「………ふざけんなよな」


 雲はもう遠くまで流れて、降らせていた雨は止んだけれど、顔と髪は濡れたまま。

 目を瞑り、両手で無造作にかき上げる。


 死ぬなら、俺の見えないところで勝手に死んでくれよ。

 俺の知らない人たちを恨んで、俺の見えないところで復讐を果たして、それで空虚だと知って、諦めておいてくれよ。

 それで姿でも変えて、精霊と一緒にのうのうと生きていろよ。


 だけれど彼は自らの罪に耐えきれず、偶然にも出会った誇り高き騎士の息子である騎士見習いに沙汰を委ねた。


 目を開ければ、ところどころに爪痕が残りながら、それでも俺が守り抜いたと言えるこの街、この世界が朝日に照らされている。

 こんな朝でもこの世界は……「俺」が生まれた世界と同じくらい綺麗だと思う。


 だから。


「………………自分で、選べたっつうの」


 お前が勝手に押し付けるなよ。


 ずっと中途半端だったけれど、ちゃんと自分で選ぶつもりだったのだ。

 俺を愛してくれるこの世界で、俺が愛そうと思えたこの世界で、ちゃんと、ちゃんと、これから先も生きて行くことを。

 自分で選ぼうと思っていたのだ、俺は。


 なのにあいつは無責任に選択を押し付けていきやがった。

 ずっと中途半端だった俺が正しく、この世界で生きていくことを。


 ──────あの日から止まっていた、その先へ進んでいくことを。


 一晩中の嵐を身に浴びていた俺は、ずぶ濡れのまま晴れ渡る空を見上げていた。


 街の人々は目を覚まし始め、ファイの姿のままの俺の姿も他の誰かの目に付いていたかもしれないけれど、近付いてきたのは一人だけ。

 王都から遠く離れた北方戦線を食い止めていたはずの彼が転移してくる。


「話も、礼も、後の方がいいか」

「団長…………そうですね。後で、全部」


 王都陥落寸前の一大事が起こって、その内側の事情を一番よく知るのは俺なのだから、報告は絶対に必要だ。


 でも、少しだけ、時間が欲しかった。

 今にも溢れ出しそうな自分の内側を整理する時間が。

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