嵐の夜④
自分を突き動かしてきた動機も、自分ではちゃんと分かっている。
──生への執着、あるいは死への忌避。
俺は……末吉叶斗はだいたい十七年、幸せな日々を過ごしていた。
それらを全部取り上げられた気になったあの日、秋の日。
その日に味わった喪失、後悔、絶望。
この世界に産み落とされて意識が戻った時、改めて末吉叶斗としての死を実感させられた日々にも俺は思い知ったのだ。
死なんてもの普通、一人だけを、一人ずつを失うことのはずなのに、自分だけはあの日に全てを失ったという事実を。
最初はそれが、彼ら全員死に絶えた世界を生きるのとどう違うのかさえ分からなかった。
何も知覚できない本当の終わりが来た方がマシだったとさえ思ったことも、よく覚えている。
それから少しだけ時は経って、この世界で生きていこうと考えられるようになった時、こちらの世界の愛を受けて生かしてもらっている間。
ああ、死にたくないな、と思った。
剣も魔法も、学園に来て知識を蓄えたのだって全部、そのため。
何かを妥協しようと思った時、目を瞑って全部思い出せば身体は勝手に動いた。
魂に記憶しているおかげで鮮明に思い出せる当時の感情の一つ一つは、魔力枯渇で意識を手放す方が楽に思えるくらいに俺を苛み、性根ではダラけたがる自分を十五年間迷いなく駆け抜けさせてくれた。
疲れも、眠気も、面倒くささも、冒険者に蹴り飛ばせられたり、実験のために魔物に指や片腕くれてやったりする時の痛みも、どうってことないのだ、本当に。
あの、魂が慟哭し続ける地獄に比べれば。
あれだけはもう二度とごめんだ。
何度も噛み締めながら、十五年の間生きてきた。
****
「まあだから、雷に打たれた程度で死にたくないわけで」
「…………っ!!!」
「それはいいとして、話をしよう。サクラギ」
明確に油断してくれていたサクラギを組み伏せ、問いかける。
「おっと」
即座に闇の中精霊が介入してきて彼を影に潜り込ませたことで、やはりすぐに逃げられてしまったけれど。
ただ、そこにリソースを割いてもらっている隙を突いて頭の中で見繕っていた道具類を整理し、王城の中で師匠らの護衛を務めていたウィルフレッド共々闇のドームの外へ転移させる。
彼はずっと転移魔法に警戒していたので、目を欺くためのフェイントを仕掛けた上で。
……ごめん、任せる。
さて、もっと余裕があればきちんと話をしたかったが、時間切れ。
再開された銃撃をヒスイと共に叩き落とす。
根本の解決には何も繋がっていないが、死に体の身体で目指した最低限の目的は達成したので良しとしよう。
ここまでやって今更一筋縄でいくとも思っていない。
「…………」
「なんで生きてるかって?」
とはいえそろそろ本当に話くらいしてもらいたいので、まず俺が勝手に喋る。
俺はさっき、確かに雷に打たれた。
竜が召喚されたのを感知したところで思案した隙、この世界で見たこともなかった雷魔法が彼の引き金とは全く関係なく発動されていて、確かに避け切れなかった。
続けざまに油断なく打ち込まれた弾丸を全身に受けて、何リットルかの血を流してもいる。
でも、死んでいない。
穴だらけになった服こそ取り換える必要はあったが、変装の魔法さえ解けることはなく、既に見てくれは無傷である。
「死にたくないからだよ」
まだしばらくやり合わなければいけない相手にタネ明かしはしてやれないので、話したとしてもやはりおちょくるだけしかできないけれど、それで何か答えてくれないものか。
ちなみに、復活のタネはバグ技みたいなもので、肉体が心停止しても血流さえ操れるルリに命そのものを繋いでもらい、その間に魂だけとなった意識を全開で駆動させながら、肉体にめり込む追い打ちの弾丸をサクラギにバレぬよう身体の内側まで引きつけてから逸らしたり、焼け焦げた肉体を修復したり、亜空間に保存している自分の血を輸血したり、その全ての作業を隠ぺいする幻をかけたり、竜を倒す算段を立てたりをこなしていた。
体感では数分ほどかかったが、実際は十秒以内。それだけ思考も加速させられる。
諸々で魔力の三割ほどを持っていかれてしまったが、結果としては無事であり、死んでいないのが何より大事だ。
ルリやヒスイには以前から俺が雷に打たれたらこういう風に命を繋いでほしいとか、突然素早い魔物に轢かれたらこうする、空から隕石が降って来たらどうしてほしいとかと冗談のように言ってきたけれど、初めての実践に成功したのは喜ばしいことだった。
信じていたけれど、未知のこととなるとやっぱりちょっと不安でもあったから。
上手くいったのはこれまでに戦場の兵士や、ローラの命を繋いできた経験も生きただろうか。
「死ぬかと思ったけどね」
「…………」
暗闇に向かって微笑みかければ、狂った彼でもどうやら不気味と思ってくれているらしい。
確かな沈黙が流れた後、小手調べのような雷撃が発生した。
火の属性による熱と、光と風の速さを混ぜ合わせた自然界における最高レベルの脅威を再現した構築に無駄は無く、素晴らしい完成度だ。
複数属性を持った上で、魔法に対するセンスと試行錯誤を繰り返せるだけの魔力量、そして発想力が無ければ生み出せない魔法なのは俺にもわかる。
俺はどうしても発想力に欠けるから、新しい属性の魔法なんて考えもつかない。
彼やカイルのような柔軟な思考を持つ才能には手放しでの賞賛を送ることになる。
なんて分析している間にも雷轟は迫りくる。
可愛い我が身に届く前に、甲高い魔法音。
まあ、最初の一撃でもう読み取ったから同じ魔法で相殺した。
俺の強みと言えば、導師の教えや魔眼もあって、覚えるのが早いところだろうか。
「まだ切り札もある? 核兵器とか」
「…………」
多分それも見てから何とかできると思うが、ノータイムで発生させられるとなるとどの程度の処理が必要になるかはわからない。
冗談はさておき、状況は大きく動いた。
戦闘開始からだいたい四時間が経過して、竜の召喚と雷撃というずっと伏せられていた二つの札が切られたから。
森林実習の時に仕留め損なった竜の方は想定に入れていたけれど、雷撃は切り札として想像以上だったから、凌げてよかった。
ややの安堵のうちに、暗闇からバチリと聞こえてすぐ、超音速で弾丸が飛んでくる。
握っていた数打ちの剣で弾道を曲げても、一瞬のうちに遥か彼方へ。
最後は街の外へ飛び出す間際のところでヒスイが減速させてくれて、市壁にめり込んでいる。
「レールガン……だっけ」
どうやら始動の音を隠せぬそれは、雷魔法の存在を秘匿するためかずっと亜空間に置いていたらしい。
雷撃とレールガン、どちらを初撃に選ばれるのが嫌だったかは明確な判断もできないが、少なくとも今この戦況ではどちらにも対応できたしまた一つ伏せ札は減った。
「てか、そろそろ本当に話がしたくて」
再び打ち込まれるレールガン。
射線に屋敷があるので、自分で掴んで止めてやった。
「あ、腕大丈夫だった? 思いっきり折っちゃったけど」
「…………」
「いや、本当に話をしよう、サクラギ。てか、話すぞ、勝手に」
一度完全に上回った今が機だろうと判断した俺は最初からもうずっと日本語で、一回焼かれてもなお被っているファイの皮も関係なく、素のままの口調で話を聞くように促す。
自分のターンだと受け取って、俺も取っておいた札を切る時だ。
外も首尾よく進みそうだから、頃合いだ。
「帰れるぞ、お前」
「……」
「向こうに帰る手段。見つけたから、帰れるぞ」
きっと、誰かや王国だけでなく、この世界の全てを憎んでいるのだろう転移者に、俺は問いかけた。
****
僕たちに与えられた手札はそれぞれ一枚きり。
仕方のないことだ。
本来であれば今の僕らごときで竜狩りには至らず、この竜を調伏した術者と今もって相対している彼の名代として、用意を与えられただけだから。
ウィルもそれを分かっているから、避難民の前であんな言い方をしたのだ。
自分たちは真の英雄足りえない、と。
森一つを震撼させるだけの巨体を改めて目の当たりにして身が竦みそうになった時、己に与えられた杖を握り直した。
何の美しさを感じるわけでもない、ただ使えればそれでいいというような無骨な出来が、おそらく性根ではものぐさな彼の、過程にこだわらない性格を表している。
おかしく思えて、大丈夫だと思った。
彼は能力の割にどうやら腹芸もできなくて、常から計算高いわけでもないが、自分の差配した結果には自分の能力に応じてきちんと責任を持とうとする。
僕の知らない彼を知るらしい幼馴染も同様の評価を下していることは、今日だけで見て取れている。
「よろしく頼むよ」
「はい……!」
だからラスの心配はしていないし、問題があるとしたら、一人。
「ウィル」
返答はない。
「君を信じているよ」
いつもの出任せだと、付き合いの長いウィルは思うだろう。
大正解だ。
彼が僕を信用しきってはいないなどいないように、僕も彼を信用しきってなどいない。
祖父同士の関係もあって一番古い知り合い同士で、一応は友人かもしれないけれど、僕たちはそういう関係だ。
だけれど僕たちの関係がどうあれ、今はやってもらわないと困る。
僕たちの失敗はレイの失敗になってしまうわけで、それは戦況にも当然大きく影響を与えるのだから。
ただ、口うるさく言っても何も変わらないし、単純な彼にとって十分な動機付けを一つだけ。
「僕たちの望む未来を掴もう」
彼は一切曇りのない正義漢だ。
羨ましくなるくらい真っ直ぐ、王国の平和を、民の安寧を望んでいる。
みんなが知っていることくらい、僕も知っている。
今は彼が竜の首を断つことだけが彼の望みを唯一叶える手段となれば、話は何も複雑にならない。
「そちらも……頼んだぞ」
「うん」
どうやら覚悟も決めてもらえたらしい。
降りしきる雨の中で、彼は転移する。
その転移が号砲となって、竜がこちらを向いていた。
ウィルの施していた隠蔽の魔法も取り払われて、僕たちは竜に届くだけの魔力を規格外の杖と魔剣に溜めている。
見逃されるはずもないし、見逃してもらうわけにもいかない。
『続いてください』
「はい」
「…………すーっ…………」
さて。
大きく息を吸うラスももちろん、ウィルはきっとまだ気付いてないだろうけれど、この戦いが終わればきっと世界が変わる。
王国を取り巻く情勢は一変し、偽りとはいえ英雄となる僕たちも、周囲の状況が間違いなく塗り替わる。
それが僕の望む結果になるとはあまり思わないけれど、ウィルフレッドにはきっといい方向に転がるはずだ。
それこそ、全て望み通り。
ここでルスアノを徹底的に退けることができれば国家間の関係が大きく変わる。
足固めのために南方へ嫁ぐはずだったオフィーリア殿下の婚約話はまだ全てが水面下であることもあり、保留とされるだろう。
その隙に、今日ここで転がり落ちる竜玉でもなんでも捧げてしまえばいい。
ウィルフレッドは二百年かそこらかぶりに、竜の首を切り捨てた英雄になるのだし。
八歳の頃、僕は彼と彼女が互いに一目惚れし合う現場に同席していたのだから、彼の心に秘めた想いに気付かぬわけもなかった。
当時から不愛想であったけれど、今と変わらず単純だったから分かりやすかった。
尤も明け透けに口にしたところで素直にはなりそうもないから、彼にはああいう言い方できない。
差配しているレイもきっと気付いていないことなのだし、実直な、ありのままの彼の力で十分だ。
……後世の脚色は間違いないだろうけれどね。
咆哮。
数多謳われる恐怖の象徴に一切の誇張はなさそうだ。
ああ、本当に身が竦む。
けれど、構っている暇もない。
『◆◆◆◆……◆◆◆◆……◆◆◆◆』
「◆◆◆◆……◆◆◆◆……◆◆◆◆」
レイが僕の魔法を見取って拡大させたらしい、本来は複数人で行うような戦術規模の魔法。
水の精霊様のお声を聴きながら、最終的にはただ一人で実現させるために復唱する。
自分が有する魔力の十倍規模の魔法なんて当然一人で取り扱ったこともなく、それを迫る竜牙の前で完璧に制御しきらなければ魔法の成立さえ不可能だ。
……けれど必ず、友の信頼に答えてみせよう。
恐るべき竜の顎を、重ねて張られた強固な光壁がかち上げるように跳ね返してくれたことだし。
「ふーーーーっ……」
『◆◆◆◆……』
「◆◆◆◆……」
レイの幼馴染であるラス。
彼はきっとすごい冒険者になる。
いや、今この瞬間からもう、誰よりもずっとすごい冒険者なのだろう。
震える手、固い表情。
だのに決して、脅威から逸らされぬ真っ直ぐな目。
次に迫る大魔力は竜の息吹。
数多の岩塊を弾き飛ばす致死の奔流。
──それでも、尚。
『◆◆◆◆……』
「◆◆◆◆……」
「……っあー、余っ……た」
最終、並んで連なったのは十四枚の光壁。
その一枚一枚に彼の覚悟が刻み込まれた絶対の守りは、巨岩さえ跳ね飛ばし、押し留め、最後には二枚と半分を残してみせた。
尊敬すべき勇気ある冒険者は、許容量を大きく超える魔力を一瞬にして限界まで振り絞ったおかげで、凌ぎ切ったのを確かめてすぐ意識を手放してしまったけれど。
「【零凍】」
────当然、僕も間に合わせている。
詠唱を導いてくれた精霊様が降り注いでいた雨を操り、僕の力だけで竜の全身を凍らせる。
ああ、ああ、ああ、頭が痛い。
身体が悲鳴を上げて、口元に雨ではないものが流れるのが分かる。
身に余る魔力を扱う代償だ。
息絶え絶えのラスもきっとさっき同じ目に遭っていた。
けれど決して、今はまだ、意識を手放すわけにはいかない。
魔力を手繰り、凍らせ続けねば、竜の身じろぎさえ封じておくことができない。
『いっけええええええ!!!!!!』
「ここだ!!!!!」
──────直後、気勢の声に、白と黒の明滅。
オリジナルの時空剣が備える制御機能だけを外したという複製品は、竜を両断する威力の一太刀を振るえば自壊すると水の精霊様は言った。
だからこの一撃を勘付かれるわけにはいかなかったし、外すわけにもいかなかった。
僕とラス、それから水の精霊様はそのための囮で、罠だった。
本命であるウィルは、風の精霊様と共に地竜の認識の外、遥か高空、雨雲の中に待機していた。
魔力を溢れさせた時空剣の魔力の制御に集中するため転移が使えないウィルは、僕の詠唱が完了する直前になると、風の精霊様と共に竜を目掛けて降下してきたのだ。
その一太刀は、深く深く大地さえ切り裂いていて──。
『フウマ、頼みます』
『逃げ切るまでが戦闘でーす!』
遠ざかる意識の中で、氷塊の地に落ちる鈍い音と風の精霊様の明るい声が聞こえた後、ふわりと自分の身体が宙に浮く。
Aランクの魔物と比しても別格の超高密度の魔力を有する竜は、首を断ってしまえばそこから回復することはないらしいけれど、内包した魔力が尽きるまで竜玉を有する胴体部分が暴れ回ることとなる。
ここから風の精霊であるフウマ様が力尽きた僕たちの回収を、水の精霊様である彼……カイト様が首なし地竜の誘導を行えば、僕たちに任せられた作戦は完了だ。
『あとは任せて、とのことです』
きっと偶然だろうけど僕と似た名前を持つ精霊様の口ぶりはきっと、普段は慇懃な友のもの。
彼の言うことであれば、後は夜が明けるのを待つだけだ。
抗うことなくお言葉に甘えるとしよう。




