嵐の夜
後半はウィルフレッド視点です
「……だから、言っただろう……」
極限まで耳を澄ませた先で呟かれた声を拾っていた。
すぐに魔法音が連発して掻き消されてしまうが、誰が何を起こしているかはすぐに分かった。
書斎の扉は開いていると、風が教えてくれる。
相手に察知されることなど気にせず、強引に空間を把握。
奥にいる師匠と入口の前に俺で、とりあえずは挟み撃ちの形と相成っていた。
──闇の中で確かに通る声があった。
「決して……──」
瞬間に、挟まれた男が支配する夜闇を剣に変え、両方向へと振りかざす。
こちらに十六、あちらに八。
魔法音の響きが消えぬ間に、また声がする。
血に濡れ掠れてもなお、強く、重く、頼れる、俺を導いてくれた声だ。
「──無駄ではないと……!」
『うるせぇ!!!』
聖なる壁は確かに聳え立っていた。
次はあちらに二十四。
構えられた銃口を加えて、二十五の軌道か。
──扉をくぐり、床を跳ね、天井を蹴って間に割り込む。
接敵以来ずっと師匠が展開し続けていたのだろう、割れ砕け、なお接がれた光壁へ攻撃がぶつかる前に、俺が全て相殺した。
「遅くなりました」
「……後を頼んでも、いいかい?」
「はい……屋敷の破壊の許可だけ願えますか」
「更地にしてくれて構わないさ……っ」
師匠は冗談めかしく言っているけれど、残る魔力を見ても虫の息と言っていい。
部屋には血の匂いが充満している。
膝を付いていないことに驚くほどだ。
それでも致命傷は外れていることが、ここへ来るのが間に合ったということを示してくれていた。
「……」
さて、魔力というものが魂に直結し、人の感情を表すこの世界である。
魔眼を持てば手に取るように心の動きが見えるし、魔眼を持たずとも直感的に読み取る者も少なくない。
こうして会話をしている間にも二度ほど突き刺さるものを感じ、一つでは俺たちに攻撃が向けられていた。
そして三度目。
カウンターを放つと共に書斎の天井と壁をぶち抜く。
吹き込んできた雨と風は突入前より強まっていて、俺たちの髪を濡らし、揺らす。
王都の住民がもし起きたままならば、突然の嵐の予兆に不安な夜を過ごしていたかもしれない。
「では、また」
「ああ」
少しずつまともな視界を得られ始めたところで転移魔法が発動させ、師匠を送り飛ばす。
風に攫われたようにも見えただろうか。
闇の剣が師匠のいた場所へ突き立てられるが、カーペットの血の跡を新たに塗りつぶすだけに終わっていた。
剣呑な魔力が本当に実態を持つのではと思うほどの影へと向き直る。
「……」
「ヒロト・サクラギ……」
ここで説得を試みようかとも思ったけれど、やめた。
だから顔立ちさえ見えない輪郭へと言い放つ。
『お前を止めに来た』
『……』
じっ、と。
夜を作り出した怪人はこちらを睨んでいる。
それがこちらを誰何する類のものではないとすぐに気が付いた。
見つめなければ狙えない。
森の中で出会う魔物がこちらを見据える理由と変わりはなかった。
無音のままに正面から八つの魔法と背後の闇から狙う一つ。
もしここが夜闇だけに支配される空間であれば背後の攻撃には気が付けなかったかもしれない。
『どうしてだとか、何をしにきたとか、どうでもいいよな』
だけどここにはもう、嵐が吹いている。
この世界の雨と風はいつだって俺を助けてくれる。
『……邪魔だ』
『勉強もできたと聞いたが、聞き取りテストの成績は悪かったか?』
【光壁】の全方向展開。
こちらの一とあちらの八がぶつかり合う。
それからも特大の魔法音が続けざまに鳴り響くが、夜の街を目覚めさせるには静かすぎただろうか。
響き続ける銃声と魔法音、拘束と逃走を試みる仕手戦の間に微かな沈黙が流れ、再び俺は口を開く。
『もう一回言ってやる。お前を止めに来た。話はその後だ』
『邪魔をするなら──』
『殺せるならやってみろよ』
彼の右手に構えられた拳銃から放たれた音は号砲にするにも静かすぎる代物である。
向かい合っていても、注意しなければ抜かれたことすら気付けない。
『死ね』
『やってみろって、言ってるだろ』
しかし、口火になるには十分でもあったか。
三度の衝突と共に、王都の歴史で一番長い夜が始まった。
※※※※
屋敷の中で唯一眠ることのなかった使用人には、眠りについた屋敷を守るべきだと母が判断した。
彼女を屋敷の中に残し、予兆のなかった雨と風に晒されながら、慎重に外を通り抜ける。
「ウィル。あなたのできることを」
「母上もご無事で」
"無敗"と連れ添うことのできる母上が生半可であるはずもない。
自分たち親子は城門をくぐれば王に仕える一人の女貴族と、一人の騎士としてそれぞれに行き先を分かつこととなった。
何の前触れもなく王都に夜が落ち、嵐が訪れたことの理由を探ろうとせずにはいられない。
しかし何を理由としているのかは知らずとも、それより先に、王国貴族として名を並べるものとして為すべきことを為さねばならない。
未成年者の登城を避難と勘違いした幾人かには視線さえ向けず、先へ進む。
「ウィルフレッド! 無事であったか!」
「カイルとレイは? 一緒じゃなかったのか?」
昼まで隊を共にしていた騎士二人は速足の中でも、俺の顔を認めると声をかけてきてくれた。
ただ、その扱いも一人の騎士に対するものではなく、子どもを相手するものだとわかる。
癪に障るが、それが現実だ。
でなければ先の大人たちにも檄を飛ばしていたであろう。
「母上と共にチャールトン家の屋敷より参上した。二人は寮で別れてきりだ」
「まだ闇の中か……」
「あの二人が寝ているということはないだろうがな」
同じ結論に至るのは当然のことであった。
自分の知る限り最も聡明な二人であれば、狼狽さえしていないと思えた。
「それより、俺にできることは?」
「……どうだ?」
「どう考えても手が足りない。共に来い」
歩みをさらに速めた足に付いて行く。
父上の穴を少しでも埋めろと母上より言い渡されていた。
子どもの手を借りずとも解決したいのだろうが、動ける戦力は学生であれど必要に決まっていた。
王都の戦力も半数近くはこの夜の中で眠りこけている可能性が高い。
おそらくは魔力量による足切りが起こっている。
それに加えて今の王都は既に戦力のいくらかが北の国境線へ向かっており、その中には非公式に転移した騎士団長……父も含まれている。
距離の問題もあるが、転移を用いてもこの夜の中に舞い戻ってくることは期待できないだろう。
長距離通信術式が遮断されていないとは思えない。
"無敗"のいない王都を狙ったのであれば、これはルスアノの侵略であると見て間違いがないだろう。
怒りに血が沸騰しそうになるが、それはきっと周りも同じである。
皆が足早に動く王城の奥は静かだが、常人では耐えきれぬだろうと思うほどに殺気立っている。
「クラリス副団長、失礼します!」
王城の、これまで足を踏み入れることのなかった区域を進むと辿り着いたのは近衛が詰める部屋だ。
スタンピードや王都急襲などの緊急事態にはここが作戦の中枢になることは知っている。
既に様々な準備が進められているのであろう。
応答の声は聞こえないまま騎士は戸を開ける。
しかし、その足が部屋の中へ進むより先に声を上げて立ち止まった。
「なっ!!」
「おい、どうした」
「一命は取り留めたわ。しばらくしたら救護室へ搬送する予定よ」
クラリスの鋭さを隠せていない声が聞こえる。
流石に事態が気になって覗き込めば、大の王国騎士たちが言葉に詰まっても仕方がないことがわかった。
あのジョゼフ・スターリングがぼろを被って眠っており、まだ辺りには血痕が見える。
「一体何が?」
「転移してきたのよ。傷だらけでね」
……この闇の中で、王の守りの働いている王城へ転移? それ以前にあの"聖壁"がこうまで……
「ウィルフレッド、あなたがやったのかと」
「俺には無理だ。父上なら、しかし……」
「無いわね。団長はそんなに器用じゃないもの」
副団長を務める彼女が言うのであればそうなのだろう。
俺よりも余程父の力量はよく知っているはずだ。
誰が、という疑問が頭に浮かんだが、それが解消されるのはすぐだった。
「意識を手放す前、ジョゼフ様はファイの名を口にしたわ」
「!?」
「あの傭兵ですか?」
「王都になぜ!」
ファイの名を知らぬ者は騎士団にもいない。
規格外の転移魔法の使い手として昨夏に名を上げ、秋には竜退をなした男だ。
多くが噂として語られているが、その力があまりにも荒唐無稽であるために、騎士団員の多くでさえ実在を疑っている。
ナディア・ド・フランクールの話を聞くまでは俺も信じてはいなかった。
……森林実習の際に父上とジョゼフ殿と組んだ際に関わりを?
要らぬ詮索は、変わる状況へかき消される。
「ギルバートです。アイリスと共に参上いたしました」
「来たわね。入りなさい!」
「はっ」
入ってきたのは父の補佐官の一人であるギルバート・ウィリアムズだ。
インターンでの縁はなかったが、社交では家に招かれていたこともある。
俺が学園に入る頃に結婚していたはずだが、なぜその奥方をここに連れてきているのかは分からない。
騎士の妻であるのならば母の向かった方で裏方の仕事をするのが自然かと思ったが、クラリスの様子では、彼女にこそ用があるらしかった。
「このまま奥へ……?」
「私が案内をします。ギルバート、ここを任せても?」
「はっ!」
「あなたたちは私が戻るまで彼の補佐を」
「はっ」
奥。王族の方へとクラリスが彼女を導いたことに驚かなかったと言えば嘘になる。
他の騎士や治癒士も眉間に硬さが見え、違う表情をしているのはギルバートだけだ。
「ジル、オリーブをお願い」
「ああ必ず……ありがとう、アイリ」
「言ったでしょう。この子のために私は決めたの」
母の腕から父へと眠る赤子が渡される。
その様子には一抹の名残惜しさを感じさせていたが、何かの覚悟を決めていたらしい彼女は扉へと進んだ。
戸が閉まると同時にギルバートは向き直り、室内の騎士たちへ指示を伝えていく。
たった今用意された職務を全うする姿に、任された仕事をこなすことに関してはあいつが一番だと父が評していたことを思い出す。
「ウィルフレッド……君は中だ。ああ、その方がいい」
それから俺への指示が伝えられ、それには流石に片眉が吊り上がった。
「まだ騎士もでない、私が?」
「……ああ。君にしかできないことがある」
それから耳打ちの中で伝えられたことに背筋が凍る。
言われた通りであるならば、直ちに向かうべきであった。
「できるか?」
「命に代えても」
「死んでもらったら困る。フランク様に顔向けできない」
「ならばそれも任せておけ」
彼とうなずき合い、すぐに扉へと進む。
……闇の魔術師が転移魔法の使い手だとはな。
この夜を作り出すほどであれば王城の守りを抜ける可能性があるのは道理なのだろう。
転移魔法が生む揺らぎを捉えるには慣れが必要で、魔眼の持ち主か、同じ転移魔法の使い手でなければ相当に難しいし、それを阻止するとなると同じ使い手でなければならなかった。
王家の私室へと足を踏み入れることも、誰かを守るために剣を握ることも、初めてではあるがやるしかない。
声に応じ、戸が開く。
直感的に剣を抜いていた。
誰かの静止の声が聞こえる。
それでも、やらねばならないことがある。
「はぁ!!!!」
確かに振りぬいた剣は空を切る。
しかし、大きな手ごたえと魔法の割れる音が成功を確信させた。
「総員警戒! 直接の転移を狙われている!!」
咄嗟に声が出た。
それで慌てて騎士たちも応えてくれた。
一つ所に集まっていた王族を囲み、最大限の警戒態勢へと移る。
そして次に、何重もの保護魔法が重ねられたはずの窓が割れたとき、王都を呑み込む夜と嵐の大きさを知ることとなった。
ありがとうございました。