暗転
それが伝えられたのは、正午の鐘の響きが収まった頃だった。
「傾聴!」
クラリス・ランバート副団長の声に全員が姿勢を正す。
一声でよくないことが発生したと分かる声だ。
伝えられたのはリタオニア陥落の報と、現在リタオニアに駐留しているルスアノ兵が主力ではないこと。
そして、ルスアノ軍の総大将としても君臨する現皇帝と、ルスアノの主力兵が既に彼らの都から姿を消していることだった。
「現隊は一時解散とする。編成の発表を待て」
「はっ!」
三十名規模のクラリス隊は精鋭ゆえにか特殊な扱いを受けており、有事の際には再編成がなされてそれぞれに備えることになっていた。
今からの時間は隊員たちが家族に王都を離れることを伝え、その準備をするためのものである。
夕暮れまでには王城へ参集する手筈だ。
いつそういうことになるかもしれないからと事情は聞いていたが、本当にその場面に遭遇するとは思っていなかった。
「……少し早くなったが君たちのインターンはこれで終わりだ。我々も良い刺激を受けた。礼を言う」
「こちらこそ感謝を。……武運を祈ります」
「ああ。君たちも励め」
ウィルフレッドがクラリス副団長に答えれば、俺たちはクラリス隊の隊員から学園の一生徒へと身分を変える。
学生を戦争に連れて行くわけにはいかないのだろう。
先輩方が足早に場を離れていく。
彼らに手短な礼と感謝を伝えながら、俺たち三人も王国騎士団の寮へ戻ることにした。
****
「フランクールか、我々か」
「去年戦力を温存して勝利した共和国に、わざわざあの不遜な皇帝が出張るとは思えないね」
「……では、経路は?」
「共和国が日和れば、ヘンダーソン伯爵領に直通だよ。今の彼らに余力がないことぐらい、僕だって知ってる」
カイルはルスアノの目的が王国であると断定している。
俺の意見も同じだ。
彼と俺とでは持っている情報に差はあるが、だからといってカイルの考えが外れるということにはならない。
昨年の地竜の襲撃がサクラギの一手であることが重要機密にされていても、ルスアノが王国を攻めるだろうことは以前から予見されていた。
「我々にできることは……」
「明日にちゃんと大人しく学園都市へ帰って、インターンの成果を報告することだろうね」
「……」
「ウィルフレッド、カイルの言う通りです。我々はもう……まだ騎士団の任を受けていない、ただの学生です」
「ああ、分かっている」
彼の生い立ち、立場を考えれば力になろうとするのは当然だろう。
国を守る責務を背負うために育ってきたと言ってしまってもいい。
下を向く彼の顔は、きわめて厳しいものだった。
「……だが、すまないが明日は付き合える気がしない」
「それは僕もだね」
「私もです。折角の機会でしたが、致し方ないでしょう」
戦争が始まりかねないことを告げられて、お気楽に名所巡りをやっていられる立場にいないのは俺も同じだ。
明日の正午前にそれぞれ騎士団寮に集合することを約束する。
ウィルフレッドは今日の間に一度実家を訪ねるそうで、簡単な挨拶と共に去っていった。
『レイ様、フランク様からです』
突然、基地の留守番をしているシズクから視界の共有が為された。
普段はもう少し丁寧な前置きがあるシズクのことだから、それだけ緊急の要件であることがわかる。
封書もされていない秘密基地宛の手紙が、頭の隅に映った。
「じゃあ部屋に戻ろうか、レイ。それともどこか用はある?」
「……少し、ラスに会いに行こうかと」
「ああ、わかった。それじゃあまた」
見どころのあるやつだから三人で会いに行こう、なんて話していたラスのところへ今日のうちに挨拶を。
そんな嘘をついた。
フランク団長からの報告は、エルフの森に面するウォルコット侯爵領付近の空白地帯でルスアノ兵の行軍が確認されたというものだった。
規模、顔ぶれからしてリタオニアでは温存された主力らしい。
あまりにも早く動きすぎる事態に、思わず舌打ちを打つ。
……どう、しようか。
****
状況の把握を優先していち早く現場に向かうことのできるフウマをルスアノ軍のいるウォルコット侯爵領方面へ、それに続いてナギを王都周縁の見回りに向かわせる。
風の小精霊である二人が動き回る中で捉えてくれる視界を受け取りながら、状況の整理を行う。
また、それと同時に秘密基地でいくつか作業を重ねて、現時点での万全の準備を整えていく。
思考加速はもちろんしているしそれ相応に体の動きも速めているが、相当の時間はかかりそうだ。
俺のやることは決まっている。
ヒロト・サクラギが手を打ったところに対処することだ。
だからおそらくはウォルコット侯爵領へ向かうことになると考えていた。
エルフの森の結界を素通りしてきたらしいルスアノ軍に、サクラギの関与が無いはずもない。
あそこは武器を担いだニンゲンがエルフの許可なく行き来できる場所でも無ければ、簡単に許可を取れる場所でもない。
どこで出会ったかは分からないが、サクラギもやはりこの世界のニンゲンでは想像に及ばない力を手に入れているのは確からしい。
本当に厄介だ。
一度きりの彼との邂逅と今回の所業を結び付けると、頭を抱えたくなる。
おそらく俺はサクラギが動き出すまで彼を見つけることができない。
サクラギの先手を潰して被害をゼロにすることができない。
彼の最初の一手を防ぐ術を持っていない。
……多く人が死ぬことになるかもしれない。
考えただけで、心臓が軋む。
目が届く範囲を故意に広げている今だからこそ、そんなことは起こってほしくなかった。
「……あー、連絡、どうしよう……」
今日は騎士団寮にいることができないだろう。
何かが起こった時に、取り繕えるだけの余裕はないと思う。
カイルはきっと俺の嘘も見抜いている。
森林実習から帰還してからの彼は確実に、俺に何かがあると気付いていた。
もしかすると、事の顛末次第では俺の正体に行き着くかもしれない。
……それならばいっそ。
考え込んでしまうぐらいなら、彼にぐらい、きちんと伝えておいたほうがいいのかもしれないと思った。
今更になるかもしれないけれど、ずっと不義理なままでいることに彼への申し訳無さがあるのは確かだ。
彼からの信頼は十二分に受け取って来た。
警戒は緩めずに、一度だけ寮へ戻ることに決める。
学園の中で数少ない友人と呼べる存在に、ちょっと素直になってしまおう。
……悪いけど、ウィルフレッドには、まだかな。
将来的に仕事をしていくことになれば、いつか明かすことになるかもしれないけれど。
俺が入るつもりの王国騎士団の情報局は、いつの時代も騎士団長が動かしているそうだ。
時間が過ぎれば顔を合わせることになるだろう。
フウマから伝えられる北部の戦線に異常はない。
強いて言えば、ウォルコット公爵騎士団の団長とフランク騎士団長が話しているのを見たぐらいだ。
転移魔法のある世界は、それが使える人間に限ってはフットワークが地球より軽い。
今できる全ての作業を終わらせて、強張っていた体の力を抜こうとする。
こうして意識してみるとずいぶん自分が緊張しているのが分かった。
……よし、行こう。
カイルならきっと理解してくれるけれど、果たして何を言われるか。
もしかしてもう、本質を突いているかもしれない。
遥か彼方の秘密基地から、王都の騎士団寮近くの裏路地へ。
ナギの視界共有で人目は避けられている。
あたかも下町から帰ってきた風に、十八時の鐘も近い表通りへと歩み出す。
夕食の時間の真っ只中になるこの時間は人通りも少なかった。
****
騎士団寮に入って、真っ直ぐに自室へ向かった。
「帰りました、カイル」
「お帰り。夕食は食べているかい?」
「いえ、まだ」
「じゃあ行こうか」
いつものように奥の机で本を読んでいたカイルは何食わぬ顔で俺の帰りを受け止めて、食堂へと向かうために腰を上げようとした。
その時、カイルが背中を気にした。
同じことを俺も思った。
「なんだろう」
「……カイル、落ち着いて聞いてください」
そこで俺は話を切り出そうとした。
元々はそんなつもりではなかったのだ。
夕食を食べて、自室で少し寛ぎながら、そこで打ち明けようと思っていた。
だけど、それは許されなかった。
「王都を巡る魔力が止まりました」
「!!」
日本で言うならば、大規模停電と言うべきだろうか。
鳴るはずだった十八時の鐘が鳴っていない。
王城……その地下を中心にした魔力供給路が音もなく破壊された。
王都を守るための魔除けも、転移魔法のジャミングも、もちろん全て消えている。
空から見つめるヒスイの目が、その現象を捉えてくれていた。
精霊の目には、引き裂かれた魔法陣の残滓が映っている。
もっともそれより先に、強烈な違和感が襲ってきていたけれど。
大魔術の消失に気づかないほど鈍感でもない。
まだ誰がいるかを見つけられてはいなかった。
王都全体に広げた探知に引っかかるような存在は確認できていない。
見回ってくれていたナギの目にも、ヒスイの目にもルリの目にも、誰も怪しげな姿は映っていない。
それでも、誰が何をしに来たかは理解できた。
次の瞬間だった。
夕暮れの世界に、夜が落ちた。
お読みいただきありがとうございます。




