晴れのち曇り
お久しぶりです。
インターンの日々は本当に恙無く過ぎていった。
振り返ってみれば、序盤に顎を蹴り砕かれたのが一番大きなアクシデントだろう。
大怪我をしているので何事も無かったとは言えないが、騎士団の訓練ではもとより大いにありうることだから、無事に帰ったとリーナにも胸を張れる程度だ。
「おーう、今日もちゃんと食ってるな」
「なんとも毎日行儀のいい……」
「もっと学生なんだから肉を食え肉を」
「お前はちょっと太るぐらいでいいんじゃないか?」
「はは……頑張ります」
寮の食堂で半ばまで進んでいた食事の皿の上に、肉が何枚か増える。
俺の近くに座ったのはクラリス隊の何人かで、主に地方の生まれから学園を卒業して叩き上げてきた人たちだ。
山林や荒野への討伐遠征で編成を同じくしたからか、俺の境遇を知ってか、何かと世話を焼いてくれている。
……筋肉も増やしたいのは、確かだ。
皿の上の他のメニューより温かい、ローストされた羊肉をありがたく口へ運ぶ。
王都の食事は学園都市とも少し趣が違って、これもまた美味しい。
年を越せば成人として扱われるというのに未だ成長期の兆しを見せない俺の身体は、屈強な王国騎士団員に混ざると目を引く程に小さくて細い。
総じてがっしりしている先輩方はもちろん、同い年のカイルやウィルフレッドに比べてもだ。
前に座る二人の喉仏は、食事を飲み込むたびに上下に存在感を見せている。
「邪魔をする」
「ええ、構いませんよ」
「ああ」
カイルとウィルフレッドの方に腰掛けたのもクラリス隊の面々で、こちらは貴族上がりの若手組だ。
彼らはここでの経験を元に、ゆくゆくはそれぞれの隊を持つことを期待されているのだろう。
カイル・ヘンダーソンも、ウィルフレッド・A・チャールトンも再来年には同じような立場になっているはずである。
ちなみに、叩き上げ組も若手貴族組も仲が悪いわけじゃない。
生まれ育ちからなる嗜好によって話題が違うから分かれて行動していることは多いけれど、こうして顔を合わせればそれぞれ同じ隊のメンバーとして他愛もない言葉を交わしている。
クラリス隊長が地方の小貴族家から副団長の座に上り詰めた人であるのもおそらく要因の一つだと思う。
他の隊ではなかなかこうはいかないらしいのは、フランク団長から聞いた話だ。
学園時代も含めたいざこざが多々あり、毎年の編成には頭を悩ませているらしい。
「そういえばお前ら、最終日はどこかへ行くのか?」
「ええ、そのつもりです。レイもまだ満足に観光できていないようなので」
「我々は一通り巡ったことがあるから、案内だな」
「歴史の勉強だったけどね。懐かしいなあ」
王都生まれの二人は学園に入学するまでに一通り、街の中の史跡などを巡り終えてらしい。
貴族の歴史を辿る社会見学のようなもので、ウィルフレッドもカイルも、アリスやマーガレットなんかと一緒に回ったそうだ。
「まあ初めてなら見ておくべきだとは思うが、折角の一日に選ぶもんか?」
「それほど悪くはないと思っている」
「レイなら興味があるかなって思っていますよ」
史跡巡りが渋い観光なのは世界を隔てても同じらしい。
ルート決定の責任が俺のものにされそうになっている。
「なら下町の方がいいんじゃねえか?」
「そうだな。田舎とも学園都市とも雰囲気は違うし、よっぽど店も多い」
「ああ、レイはそっちにはもう足を運んでいるんです」
「ほーん、ならもういっそ最後なんだしぱーっと遊んじまえよ」
「いい店知ってるぜ」
「レイはそちらへも行ったことはあるそうだ」
「え」
「誤解です、誤解。盛り上がらないでください」
……誤解だ。
ウィルフレッドが何食わぬ顔で言ったせいで、あらぬ誤解が生まれている。
それもこの一帯だけでなく、他のテーブルも聴いていたらしい。
意外だという目線がビシビシ刺さっている。
カイルは笑ってないで助けてくれ。
「火事騒ぎで消化を手伝っただけです。断じて、何も」
「ん、ああ。あったなそんなの」
「報告を聞いたが、確か燃えたのは……」
「ん、それじゃあまた行きゃあサービスしてもらえるんじゃねえの?」
いつもより声を張っての否定も、完全に俺を茶化す流れが出来上がってしまっている。
話を替えようと自分から切り出してみる。
「まあそれもあと二日乗り切って、です」
「よっし、最後だし俺たちも張り切っていくか」
「ああいうのは疲れた後の方が癒やされる」
「先輩からのありがたいお言葉だ、受け取れ」
別れを惜しむとかないのかこの人たちは、ちくしょう。
心の中で大きなため息を吐きながらも、そんなこんなで和やかに今日の夕食を終えた。
****
「学園の彼女たちのことは一旦忘れたのか?」
「誰から何を聞いたんですか」
「冗談だよ」
真暗闇の中での第一声がそれとは。王国騎士団はなんと連絡の行き届く組織であろうか。
「何かありましたか?」
「ああ。君の望まぬ、変事というやつだ」
何事もなく終わりたいとは、これまでもフランク団長へ何度か溢していた。
情報局で働きたい旨を彼に伝えてから、この真夜中の秘密基地では何度も二人での話し合いを行っている。
「今朝、リタオニアが陥ちた。これで北方諸国は消滅したと言っていいだろう」
「……それは、唐突な」
リタオニアは国土こそ小さな都市国家だが、北方諸国の流通拠点という立地から人材にも恵まれ、南進を進める北の大国ルスアノへの徹底抗戦を表明していた国だ。
つい一昨日まで有事に備えて動いていると聞いていたのだが、まさか一晩で陥落するとは。
「何があったんですか?」
「……現状のところ不明だ。内通の目が覚めた時にはルスアノが中央広場に陣取っていたらしい」
音も無く一都市が陥落するなど、この異世界でも史上類を見ない出来事である。
互いに眉間の皺が寄る。
国防の一大事であった。
これでルスアノは以前勝利を収めているフランクールと、エルフの森を隔ててついにこのエグラント王国にも迫ったことになる。
ルスアノは既に一度間接的ではあるが攻撃をしかけているのだから、王国と事を構えることを恐れていないのは確かだろう。
戦争が近い。
「……君の意見を聞かせてほしい。同じことをできるか?」
「考えうる術は、いくつかありますが」
「そうか。ああ、詳細はいい。実際の手筈は異なってくるだろうからな。今は急ぎ、あるだけの情報で策を講じなければならない」
リタオニアで可能だったことが、王国のどの都市でも不可能だと言い切ることはできないだろう。
国防を司る立場として、彼は今、俺に見せている以上の焦りを感じているはずだ。
くだらない冗句も、緊張を和らげるためだったのだと思う。
俺には彼が転移してきた時の魔法の挙動が、いつもより少し雑に感じられていた。
「何かあれば連絡を、必ず」
「……ああ。すまないが、頼ることにもなるだろう」
既に十数年を生きたこの国への愛着もあれば、目の前の誰かに死んでほしくない。
相応の力になれる自負もある。
そんな簡単な理由だ。
「今日は以上だ。また」
「できるだけ、先になることを」
「いや、願わくは、な」
彼の姿が部屋の中から消える。
チャールトン家の隠し部屋へと繋いだ転移陣を通じて、王都へ戻ったのだろう。
「大方の準備は整ったと思うけど……」
『不安?』
「そうだね」
準備というのは一度始めてしまえば、成功するまで疑念を払えないものだと思う。
まだ改善できることはないか、その時まできちんと考え続けよう。
****
果たしてその時はいつになるのか。
答えが出る瞬間はすぐに訪れる。
その時の俺は己の不運を呪うことになるし、幸運を感じることにもなった。
ただただ運命とはどうしようもなく数奇なものである。
後のエグラント王国の歴史書に"聖壁"と"不敗"より大きく記されることになる"光輝"の名が人々に呼ばれるようになったのは、それからたった二日後のことだった。
お読みいただきありがとうございます。




